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43 警告

 三代目斎藤会と黒楓会の一件のあと、裏社会にはざわめきが広がった。

 「三代目斎藤会と黒楓会がやり合ったぞ」

 「まさか黒楓会が生き残るとは……」

 「いや、引き分けだったらしい。しかも新入りが斎藤浩一と一対一で渡り合ったって話だ」

 「嘘だろ……あの斎藤浩一相手に……?」

 「それだけじゃない。黒楓会は、あのLTと組んでるって噂も出てる」

 「三河会ですら、黒楓会には手も足も出なかったってよ」

 「聞いたか?黒楓会の会長が、湘北連合の幹部の女を寝取ったらしいぞ」

 こうした半分真実、半分過大な噂が積み重なり、裏社会では次第に、黒楓会を関東三大勢力に並ぶ存在として見る声も上がり始めていた。

 中には、黒楓会を加えて「四大勢力」と呼ぶ者まで現れ始めている。

 そんな状況の中、真っ先に動いたのは――湘北連合でも、三代目斎藤会でも、まして三河会でもなかった。

 来たのは、警察だった。


 黒楓会の事務所ビル前に、一台のパトカーが静かに停まっていた。

 事務所内。テーブルを挟み、楓が片側に座る。その背後には、佐竹と鬼塚が控えていた。

 向かいには、警察官が三名。中央に座るのは五十代ほどの男、両脇には若い男女が一人ずつ。

 中年の男は、いかにも正義を掲げて生きてきた顔つきだった。澄ましたその目は、こちらを値踏みするように細められている。

 重い沈黙の中、最初に口を開いたのは、中央に座る中年の警察官だった。

 「……玄野楓会長、最近の貴会の動き、上も注目しています。あまり騒ぎを起こされると、こちらとしても対応せざるを得なくなります」

 声は低く抑えられていたが、言葉の端々には露骨な威圧が滲んでいた。

 若い警官二人も、無言で楓を睨むように見据えている。

 楓は微動だにせず、逆に穏やかな笑みを浮かべて応じた。

 「注目されるほどの器だと評価してもらえるのは、光栄ですね。

 ただ、うちはあくまで合法的にやってます。もし何か違法な動きがあるとお考えなら――どうぞ、正式な手続きを踏んで、来てください」

 佐竹が口角をわずかに吊り上げたのを、警官たちは見逃さなかった。

 鬼塚は無言のまま、鋭い目で全員を見渡している。

 中年の警官はしばらく黙り込んだが、やがて短く息を吐いた。

 「警告はしました。これ以上、目立つような真似はやめておくことです」

 「ご忠告、感謝しますよ。……佐竹、忘れないうちにメモしといて」

 楓はそう言って、何かおかしなことでも言われたかのように微笑んだ。

 佐竹はわずかに肩をすくめながらも、懐から小型の手帳を取り出す。

 「かしこまりました」

 その言葉に、若い女性警官が堪えきれず、声を荒げた。

 「……ふざけないでください! あなたたちのせいで、どれだけの人間が怯えて暮らしてると思ってるんですか!」

 場の空気が、一瞬ぴりついた。

 中年の警官はそれを制するでもなく、黙ったまま、まるで社会のゴミでも見るような目で楓たちを見下ろしていた。

 楓はしばらく黙ったまま、女性警官を見据えていた。

 やがて、わずかに口元を歪め、静かに言葉を返す。

 「感情で語るのは、正義の常套手段かもしれませんが……私は、私にできる手段で、自分の仲間を守っているだけです」

 「あなたの正義が、他人にとって正しいとは限らない。むしろ――迷惑なんです」

 「いってくれるじゃねぇか、嬢ちゃん」

 鬼塚が一歩、前へと踏み出す。だが楓は片手を挙げ、彼の動きを制した。

 「子供と言葉遊びをするつもりはない」

 楓はそれだけを言い残し、女性警官から視線を外した。完全に相手をする気のない態度だった。

 その無関心さに、彼女の胸の奥で何かが弾けた。

 明らかに自分よりも若いはずなのに、「子供」と切り捨てられたことに、悔しさと、怒りが、喉元まで込み上げた。

 「……絶対に、あなたを逮捕してみせますから」

 感情を抑えきれず、吐き捨てるように言い放つと、女性警官は顔を横にそむけた。

 唇をかみしめたまま、その目は怒りに震えていた。

 「話はこれで終わりかな。……なんだっけ、山本警官殿」

 楓がわざと名を間違えてみせると、隣にいた若い男性警官がすかさず訂正する。

 「松本警部です!」

 楓の視線は相変わらず軽いままだったが、松本は薄く笑みを浮かべた。

 「ふん……玄野楓会長。私はこれまで、数えきれないほどの人物を見てきました。チンピラから、あなたのように多少知恵の回る手合いまで。

 いずれも、警察に歯向かった者の末路は同じです。表にいられる時間は、そう長くありませんよ」

 その声音には、あからさまな脅しではなく、確信に満ちた自負が滲んでいた。

 楓はわずかに首を傾げ、穏やかに言葉を返す。

 「……なるほど。それは楽しみですね。もっとも、私を閉じ込められるような牢屋など――まだ、この国には存在しないと思いますが」

 その余裕と挑発に、若い女性警官の顔が再び強張る。

 「若くていいですね。後悔の時間が、たっぷりあるから」

 松本はそう言い残すと、ゆっくりと立ち上がった。

 続いて若い男女の警官も立ち上がり、足早に出口へと向かう。

 ドアの前で、女性警官が一度だけ振り返った。

 その瞳に宿るのは、悔しさ、怒り、そして――執念。

 「次は……必ず証拠を掴みますから」

 そう呟くと、彼女は踵を返し、松本らに続いて去っていった。

 扉が閉まると同時に、室内は静寂に包まれた。

 鬼塚が鼻を鳴らす。

 「やっぱサツってのは面倒くせぇな」

 「……正義か」

 楓はソファにもたれ、天井を見上げながら呟いた。

 「そんなものを振りかざして、何が守れるっていうんだ」

 かつて、教室の隅で蹂躙されていたあの日々。あのとき、自分を守ってくれると信じていた正義は、どこにも存在しなかった。

 ――正義は、正しさなんかじゃない。

 強さだけが、正義だ。

 「……反吐が出る」



 楓たちは、警察を相手にしていなかった。その圧力も、警告も、ただの形式に過ぎないと見ていた。

 しかしその夜――

 黒楓会の南方拠点――千葉県市原市の事務所が、突然の一斉摘発を受けた。

 覚醒剤の所持および所持容疑により、警察が家宅捜索を実施。

 その場にいた若中一名、若衆十五名が逮捕。


 市原の拠点にガサが入ったという一報が届いた。黒楓会本部はざわめきに包まれた。

 足音が走り、電話が鳴り、報告と指示が飛び交う。

 「おのれサツ目……本気でやりやがったな」

 「完全に張られてた。出入りしてた若いのが、全員引っ張られてる」

 「……クソが……!」

 怒号と焦燥が飛び交う中――

 「……いくぞ」

 楓の静かな声が、すべてを制した。

 ざわめいていた事務所内が、一瞬にして静まり返る。

 ソファから立ち上がった楓は、無言で上着を羽織りながら周囲を見渡し、的確に指示を飛ばす。

 「矢崎、車を。佐藤、警察署の情報と人員関係をすぐに割り出せ。佐竹、弁護士に連絡を」

 「了解っ」

 「かしこまりました」

 「了解しやした」

 矢崎は即座に事務所を出た。

 佐藤は無言のまま、手帳と端末を開いて地図と警察動向を確認し始める。

 佐竹はすでに携帯を耳に当て、弁護士事務所へ連絡を入れていた。

 楓は事務所を出ながら、通路を埋め尽くす若衆たちを一瞥する。

 「市原を潰された程度で動揺するな」

 「「はいっ!」」

 若衆たちの返答が、床を震わせるように響いた。

 数分も待たず、佐藤がすでに位置を割り出した。

 市原の案件を担当しているのは、千葉東警察署だった。確認を終えると、楓、矢崎、佐竹の三人はすぐに車に乗り込み、本部を後にした。


 黒いセダンが、市街地を割って走る。

 矢崎がハンドルを握り、佐竹は助手席で電話のやり取りを続けていた。

 後部座席の楓は無言のまま、流れる景色に目をやっている。

 車内には、静かな緊張が満ちていた。

 やがて、千葉東警察署の庁舎が前方に姿を現す。

 矢崎がウィンカーを出し、車線を滑らかに変える。

 「佐竹、弁護士はまだか」

 楓の問いに、佐竹は胸ポケットから携帯を取り出し、通話履歴を確認した。

 「……そろそろ着く頃かと、思いやす」

 楓は小さく頷くと、署の正面玄関を見やった。

 「入るぞ」

 「はっ」

 千葉東警察署の門の脇には、制服姿の若い警察官が一人、警戒するように立っている。

 車を降りた楓、佐竹、矢崎が無言で歩み寄ると、警官の表情がわずかに強ばった。

 「こちらは立入制限区域です。どちら様ですか」

 佐竹がすっと一歩前へ出て、落ち着いた声で答える。

 「黒楓会の佐竹です。拘束されている者の件で、弁護士同行のうえ、面会を求めています。責任者を呼んでください」

 若い警官は数秒黙ったあと、内線の受話器を取り上げた。

 「……少々お待ちください」

 その視線は、楓に向いたままだった。言葉を交わしていないにもかかわらず、まるで圧をかけられているかのように、警官の喉がごくりと鳴る。

 やがて署内からもう一人、年配の制服警官が現れ、楓たちを中へと案内した。

 署内に通された楓たちは、案内に従って一室へ通された。

 無機質な面会室。鉄製のテーブルと椅子が置かれたその空間に、足音が二つ近づいてくる。

 扉が開き、姿を現したのは中年の男と若い女性警官だった。

 先に口を開いたのは、男――松本警部だった。

 「いやはや。黒楓会の会長自ら足を運ばれるとは、これはこれは……」

 松本は口元にうっすらと笑みを浮かべながらも、目はまったく笑っていない。

 その隣で、女性警官は無言のまま楓を睨みつけていた。

 松本は形式的に咳払いし、椅子の背に手を添えた。

 「さて、本日はどのようなご要件で? 観光でも捜査協力でもなさそうですが……」

 皮肉を含んだ松本の問いかけに、矢崎が一歩前に出た。

 「惚けるな。お前らが仕掛けたんだろうが」

 その瞬間、隣の若い女性警官がすかさず声を上げた。

 「言葉に注意してください。ここは警察署です、これ以上騒がせるようなら、公務執行妨害で逮捕もあり得ますよ」

 言い切るその声には、威圧と怒気がにじんでいた。

 空気が一瞬、硬直する。

 佐竹が静かに前へ出て、その場を収めるように口を開いた。

 「市原で拘束された者の状況確認と、今後の処理に関して、弁護士同伴のもと手続きを進めさせていただく所存です」

 「なるほどね」

 松本は鼻で笑いながら、手帳を閉じた。

 「本来なら、拘束中の被疑者との面会は謝絶させていただくところなんですが……

 黒楓会の会長様が、わざわざここまでお出ましいただいた以上――多少の融通が利かないわけでもありません」

 その声音には、明らかに皮肉と牽制が込められていた。

 楓は呆れ返ったように、ふっと鼻で笑った。まるで、よくできた茶番でも見せられているかのように。

 ちょうどそのとき、面会室の扉がノックもなく開く。

 現れたのは、グレーのスーツに身を包んだ中年の男。

 白いワイシャツに眼鏡。やや疲れた顔立ちに、控えめな所作。

 手には、厚みのあるバインダーがしっかりと握られていた。

 「えー、遅れて失礼しました。弁護士の村上です」

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