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42 駆引

 「いい勝負だった。」

 斎藤は息ひとつ乱さず、疲れの色すら見せない。まるで、軽く身体をほぐしただけのような風情だった。

 龍崎は無言で刀を鞘に収め、そのまま数歩下がって場を楓に譲った。

 「……すまん。」

 「いいんだ。もう十分。」

 「さてと、結果は預けた。」

 「うちの者にご指導、ありがとう。さすが斎藤会長、噂以上だった。」

 「黒楓会の方こそ、こんな剣士がいたとは……まったく聞いていなかったな。」

 楓は人畜無害な笑みを浮かべたまま。

 「うちは口数の少ない者が多くてね。評判よりも、実力で判断してもらえるとありがたい。」

 「実力は、十分すぎるほど伝わったよ。……それと、"答え"も見えた。礼を言う。」

 「それは何よりだ。」

 斎藤は、朝焼けに染まる空を見上げ、しばし黙する。

 「今日は一旦引く。邪魔したな、玄野会長。――また、近いうちに。」

 そう言い残し、斎藤浩一は踵を返した。藤原、そして三代目斎藤会の一行は、静かに車へと乗り込む。

 数十秒後――数台の車がエンジン音を響かせ、朝の霞を裂いて走り去っていった。


 「どや?」

 斎藤が勝負を言い出した時、藤原はすでにその真意を察していた。

 「やはり……彼は黒楓会に殺された。」

 斎藤の瞳には、静かな怒りの炎が宿っていた。

 「アイツ……玄野ちゅう男、ヤバい匂いしとるわ。」

 「ああ……厄介な相手だ。」

 「兄貴、あの人数なら……」

 車の中、若衆の一人が小声でつぶやく。言外に「今ならやれる」と言いたげだった。

 藤原はそれを一瞥し、口の端をわずかに吊り上げた。

 「それをやったら、おんどれら全員、ここで海に沈んどるで。」

 若衆が納得のいかない顔を見せるなか、斎藤が静かに口を開いた。

 「さっき、周囲の建物に銃を構えていた連中が、何人もいた。

 それに、黒楓会のシマから多くの人員が動いたって情報も入ってる。」

 「な、なるほど……」

 「うっかり手ぇ出したら――」

 藤原は後部座席から身を乗り出し、手をピストルの形にして、前席の若衆のこめかみに突きつけた。

 「……パァーン。」

 若衆はビクリと肩を跳ねさせ、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 「どのみち、因縁は既にできた。今回は証拠がない以上、引かざるを得ないが……兄弟の仇は、必ず俺の手で討たせてもらう。」


 事務所に戻った楓は、無言のままソファに腰を下ろしていた。

 「斎藤会の若ぇのが龍崎と互角とはな……つえぇ野郎だ。」

 戻ってきた鬼塚が、感心したように言った。

 「あれはまだ、全力を出してなかった気がしやす。」

 佐竹も低く呟く。

 「それに、影小隊の存在にも気づいてました。戦闘中、意識的に狙撃の角度をずらす動きがあった。」

 佐藤が、淡々と事実を補足した。

 「……」

 龍崎は、何か考え込むように沈黙していた。

 楓が口を開いた。

 「三代目斎藤会、か。」

 斎藤浩一――かつての自分なら、ああいう英雄に憧れただろう。だが今は違う。あいつは、理想と現実を履き違えた正しさの象徴。

 まるで水と油。楓にとって、もっとも目障りな存在である。

 今夜は、多くの人間にとって、眠れぬ夜となった。



 二日後、山田博明がようやく学校に復帰した。

 「よ、久しぶりだね。」

 「山田、お前、心配してたんだぞ。」

 「お帰り!」

 クラスメイトたちは口々に声をかけ、山田の帰りを喜んでいた。

 楓も静かに微笑みながら、その様子を見ていた。

 やがて、群れを抜けて、山田が楓の前に歩み寄る。

 「よ、玄野。この前は――ありがとな。」

 「退院したか。」

 「ああ、退院はとっくにしてた。家で二週間ほど静養してたんだ。」

 「元気そうで何よりだ。」

 「それよりお前さ、彼女を連れてきたって話、聞いたぞ。しかも駅前でその彼女のために喧嘩したって噂まで出てるんだけど?」

 楓はふっと笑みを浮かべた。

 「……どこからそんな情報を仕入れてきたんだ。」

 「超美人だったって話だぜ。マジで? お前、やるなぁ!」

 「違うよ。まだ彼女じゃない。」

 「まだってことは……これからなる予定、ってやつか?」

 「落ち着け。それより、怪我はもう大丈夫か?」

 「おう、バリバリ治ったぜ。今でもその気になりゃ、生徒会長の野郎をぶっ飛ばしてやれるぞ!」

 「……それはやめとけ。」

 「ん? どうしてだよ?」

 「今の生徒会長、俺だから。」

 「……え、ええええっ!? マジかよ!」

 白川が退学の情報より、円香の情報を先に掴むのかよ――楓は内心、苦笑した。

 楓は簡潔に、白川の件を説明した。

 「マジかよ……白川が退学って……」

 山田は目を大きく見開き、驚愕を隠せなかった。

 「そういうことだ。」

 「お前ってやつは、本当にカッコよすぎるよ!」

 「ともあれ、復学、おめでとう。」

 楓にとって、山田は――たぶん、初めての"友達"だった。だからこそ、極刀会の件などは伏せ、必要最低限のことしか話さなかった。極道の世界には、絶対に巻き込むつもりはなかった。


 放課後、龍崎は珍しく早めに姿を消した。

 向かった先は、家でもなく、事務所でもなかった。千葉県八街市――その片隅にある、古びた道場である。

 「来たか。」

 道場の中央に正座していたのは、威厳を漂わせる四十代半ばの男。すでに龍崎の来訪を知っていたかのように、静かに待っていた。

 ――九条憲孝、天道理心流師範代。

 龍崎は無言で道場の畳に膝をつき、深く頭を下げる。

 「……剣術を、教えてください。」

 斎藤浩一との手合わせ。その一件はすでに九条の耳にも届いていた。

 直接は見ていなが、伝え聞いた戦いの詳細から――龍崎が天道理心流の技を使ったことは、間違いない。

 九条は、龍崎の頭を黙って見下ろしていた。

 数秒。――しかし、それは龍崎にとって、永遠にも感じられる沈黙だった。

 「お主は、己の弱さを知ったか。」

 声音には怒気も嘲りもない。ただ、真っ直ぐに問いかけるだけの声だった。

 「……はい。」

 龍崎は顔を上げず、はっきりと答える。

 「負けたのか。」

 報告では"相打ち"とされていたが、九条はすでにその先を読んでいた。

 「……はい。」

 「よかろう。」

 短くも重いその一言に、迷いはなかった。

 「天道理心流の真髄は、技ではなく――心の修練じゃ。」

 素直に敗北を認めた龍崎は、すでに一歩、門をくぐっていた。

 九条が以前から龍崎を門下に迎えたかったのには、もう一つ理由がある。

 ――龍崎の性格そのものが、天道理心流にあまりにも相応しいのだ。

 無口で、素直で、そして常に冷静沈着。

 それは、剣を振るう以前に、心を整える者にとって、理想的な資質だった。

 さらに、生まれ持った戦闘の才を併せ持つ龍崎が、心と体を一つにできたとき―― 自分をも超える剣士になる。九条は、そう確信している。

 九条は静かに立ち上がり、腰の木刀を抜き取る。その所作に威圧も誇示もない。ただ静かに、確かな"気"が道場に満ちていく。

 「立て、龍崎勝。……稽古の始まりじゃ。」


 事務所にいた楓は、佐藤からの報告を受けていた。

 「湘北連合は、三河会との正面戦線を大きく後退させ、現在は千葉方面への進出を強めています。三河会も極刀会に一部の人員を出向させており、両陣営とも黒楓会を標的に動いていると見て間違いありません。」

 「湘北連合? やはり、あの長谷川の仕業か。」

 「はい、情報によりますと、湘北連合の顧問役が現在、実質的に指揮を執っています。その人物は、長谷川翔の父親――長谷川宗一郎です。かつて"ブラックサーペンツ"という暴走族の総長でした。後にスピリットに吸収され、現在は湘北連合の顧問として、影から組織を動かしています。

 長谷川宗一郎は晩年に息子を授かったことで、かなり溺愛。――その影響で、長谷川翔は非常にわがままな性格に育ちました。あと、獅子倉円香への好意は隠していません。周囲の人間も、それを知っています。……現在の湘北連合の動きは、恐らく会長への嫉妬が原因かと。」

 「――ブラックサーペンツ、か。」

 楓がその名を口にした瞬間、鬼塚がわずかに眉を上げた。

 「鬼塚、何か知ってるか?」

 「ああ、覚えてっか?前言ってた"鎌倉六百人乱闘事件"よ。あのときはブラックサーペンツが音頭取って、いくつかの族まとめて鬼獅子潰しに来たんだよ。……まさに総がかりだったぜ。」

 「次から次へと、まったくですね……」

 佐竹がため息をついた。

 斎藤会も、このまま引き下がるとは思えない。

 関東最強の三大勢力を、同時に相手にすることになるのか――

 これは間違いなく、黒楓会創立以来、最大の危機である。

 元々の計画では、湘北連合と三河会を潰し合わせ、その隙に三河会を落とす。次に湘北連合。最後に三代目斎藤会を叩けば、すべて終わるはずだった。

 ところが、長谷川という余計な存在が現れ、三代目斎藤会も勝手に動き出した。

 ……まったく、思い通りにはいかないものだ。

 事務所にいた全員が、深刻な面持ちで沈黙を守っていた。

 それが何十秒続いたか、あるいは数分だったか。

 唐突に、静寂を破るような笑い声が響いた。

 全員の視線が、一斉に楓へと向けられる。

 「上等じゃないか。こうでなくちゃ。」

 全員が顔を見合わせた。

 いつもは冷静沈着、何があっても眉ひとつ動かさない楓が――今、狂気じみた笑い声を漏らしている。

 心の底から愉しんでいるような笑い。それは、緊張で張りつめていた空気を、逆に不気味に凍りつかせた。

 その異様さに、若衆の一人がごくりと唾を飲み込む。

 楓は、視線が集まっているのを意にも介さず、言葉を続けた。

 「今の湘北連合、たしか千人は超えてたよな。」

 「はい。」

 佐藤が静かに頷いた。

 これほどの大所帯に、鬼獅子や亀和田、熊谷といった化け物じみた連中が加わっていれば、正面からぶつかっても潰すのは現実的じゃない。

 「もし内部からもう一度、分裂させることができれば――」

 「……!! なるほど。」

 佐藤はすぐに意図を察した

 「その線で、段取りしておきます。」

 三大勢力を、同時に相手にすることは、今の黒楓会にとっては不可能だ。ならば、揺さぶりをかける順番を間違えてはならない。

 三代目斎藤会には、LTをけしかける。

 湘北連合には、内部から再び火種を仕込む。

 そして、最初の計画通りに、先に潰すのは――三河会だ。

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