41 探実
「楓さん。」
佐竹が声をかけた。
前回、宮野が本部事務所を襲撃してきた後、非常通路だけでは防衛が不十分だと判断し、楓は監視カメラの設置を指示していた。
モニターに映る映像は、ざらついた白黒。
男たちの輪郭は辛うじて捉えられるものの、顔までははっきりとは映らない。
それでも、入ってくる二人の動きや立ち居振る舞いから、明らかにリーダークラスの人物であることが伝わってきた。
「いれて構わん。」
現在、事務所内にいるのは――楓、佐竹、龍崎、そして若衆が数名。
佐藤は影小隊を率いて、事務所周辺に散開している。
鬼塚もまた、伏兵として多数の若衆を連れ、どこかに潜伏していた。
ドアの向こうに人影が見えた瞬間、ノックを待たずに、若衆の一人がドアを開けた。
斎藤と藤原は、驚く様子もなく、自然な足取りで堂々と入ってくる。
室内をさっと見渡し、わずか一瞥で楓の姿を見定めた。
「黒楓会会長とお見受けする。――はじめまして。三代目斎藤会会長、斎藤浩一だ。こちらは、我が右腕、藤原克也。以後、よろしく頼む。」
楓も静かに立ち上がり、いつものように、人畜無害な笑顔を浮かべていた。
「これはこれは、三代目斎藤会の会長ご本人が。――はじめまして。黒楓会会長、玄野楓だ。お見知り置きを」
一拍置いて
「こんな時間に来たってことは……やはり、さっきのLT襲撃について、ってことでいいのか?」
楓の言葉に、斎藤は笑った。
――ほう、意外だな。
「ああ。うちの者が一人、玄野会長のところに預けられていると聞いている。勝手ながら、迎えに来させてもらった。」
「それは、無理だな。」
「もちろん、ただとは言わん。謝礼は払うつもりだ。」
「違う。そういう意味じゃない。」
斎藤がわずかに眉をひそめる。
「……というと?」
「もう、この世にはいない。」
「……!!」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
三代目斎藤会――関東最大級の組織。その会長と右腕を前にして、死んだことをあっさり口にする。隠す気配も、ためらいもない。まるで、それが当然であるかのように。
――正気か?
佐竹たちですら理解できなかった。
黙っていればいい、証拠はない。相手が問い詰めても、とぼければ押し通せるはずだ。
それを、真っ向から、真顔で認めるとは。わざわざ火に油を注ぐような行為。常識では考えられない。
藤原が思わず声を上げた。
「おんどれ……何言うてるか、自分で分かっとるんか?」
斎藤は真顔で口を開いた。
「どういうことか、事情を説明してもらえるか。」
楓は余裕の笑みを浮かべたまま、ゆっくりとソファに腰を下ろし、軽く手で「座れ」と合図を送る。
斎藤はそれに従い、無造作に腰を下ろした。藤原はその背後に控え、静かに立っていた。
「まず第一に――当時、襲われたのはこっちだ。
第二に、あんたのところの人間だと気づいたのは、彼が死ぬ直前だった。
……この二点は、頭に入れたうえで聞いてほしい。」
斎藤は黙したまま、楓の目を真っすぐ見つめている。
「当時、そっちの者が遠くから見てたはずだ。トラックの外で最初に銃を構えたのは、あんたらの側だった。
うちの者が即座に反撃し、俺が止めようとしたが――最後の一人はすでに斬られていた。しかし、まだ息があった。
すぐにLTが来ると判断して、やむを得ず彼を車に隠した。」
楓は一呼吸おいて、視線を斎藤に戻す。
「その後、LTを騙して現場を離れたあとで、彼の様子を見が、もう手遅れだった。
最後に彼が言い残したのは――
"海に沈めでくれ。もう斎藤さんに、迷惑はかけたくない"――そう言って、息を引き取ったよ。」
真っ赤な嘘だ。
遺言の真偽など、もはや誰にも確かめようがない。そしてこの一言で、死体の引き渡しは不要になった。
「本人の意思だった」と言い張れば、それ以上の追及は困難だ。拷問の痕跡も、遺体とともに海の底へ――証拠は永遠に消える。
斎藤浩一は何も言わず、楓の目をじっと見つめていた。だが、その深淵のような黒い瞳からは、一切の感情が読み取れなかった。
やがて、ゆっくりと目を伏せ、長く、深い息を吐く。
「……そうか。」
小さく呟かれた声には、怒りでも悲しみでもなく、ただ一つ、覚悟の色が滲んでいた。
「――彼は、最後まで斎藤会の名に恥じぬ男だった。……丁重に扱ってくれたこと、感謝する。」
静かだが重く、芯が通っていた。
「――しかし、その話は別として、うちの者を殺したのは、間違いなくお前さんのところの者。何もしなければ……俺は、死んだ兄弟たちに顔向けできん。」
場の空気が、わずかに張り詰める。
「落とし前を――つけさせてもらう。」
楓は沈黙したまま、ゆっくりと目を細めた。
斎藤は立ち上がり、はっきりと告げる。
「お前さんのところの、その剣士さんに――勝負してもらいたい。心配いらん、あくまで手合わせの範囲でな。」
!!
噂は本当のようだ。さすが"平成の任侠"、考え方も筋が通っていて分かりやすい。
しかも指名されたのは黒楓会トップ戦力の龍崎、楓は龍崎の実力を信じている。これは好機だ。もし手合わせの最中、龍崎が"うっかり"斎藤を殺してしまったら……
しかし、そのときの楓には、二つの誤算があった。
「龍崎、いけるか。」
「……問題ない。」
「分かった。受けてやろう。」
「感謝する。――では、外で待っている。」
二人が部屋を出て行ったあと、楓はこう言った。
「殺していい。あとのことは気にするな。」
「……分かった。」
黒楓会事務所前の道路。その中央に、淡く朝日が差し込み始め、闇をわずかに切り裂いていた。通行人の姿はまだなく、空気は張り詰めていた。
道路の左右には、それぞれの陣営が無言のまま立ち並び、対峙している。
そして、中央に立つのは二人が、静かに刀を構え、互いの呼吸を読み合っていた。
「斎藤浩一、いざ尋常に勝負。」
「……龍崎勝、参る。」
キィン――!
言葉が終わるのと同時に、二人の刀はすでに激しくぶつかり合っていた。
二人が凄まじい勢いで刀を交わし、金属のぶつかり合う音があたりに響き渡り、双方の陣営の者たちがほぼ全員、目を見開いた。
「……大したもんですね。まさか、斎藤会の若もんがここまでとは……」
佐竹が小さく呟く。
楓は表情を変えず、ただ戦いの行方をじっと見つめていた。
「へぇ~、あの龍崎ちゅうボン、やるやないか。」
藤原は面白そうに口元を緩める。
「ワイも、いっぺん相手してみたいわ。」
「すごいですね。藤原さん以外で、斎藤の兄貴とここまでやり合ったのって、初めてじゃないですか?」」
後ろにいた若衆がぽつりと漏らす。
戦いは次第に白熱していった。
龍崎は終始、安定した実力を発揮していたが――
一方の斎藤は、刀を交わすたびに、その力、速度、そして気勢を増していく。
やがて、徐々に龍崎を押し込み始め、形勢はじわじわと傾き始めていた。
――なぜ、藤原克也が"二番目"と呼ばれるのか。それは、ほかでもない、三代目斎藤会きっての猛者が、斎藤浩一本人だからだ。
そう、斎藤浩一は頭脳だけでなく、戦闘力も抜きん出ている。
まさに文武両道。英雄と呼ばれても、決して過言ではない男だった。
これは、楓の1つ目の誤算だった。
「――悪くない動きだ。」
一瞬の隙を狙い合う激しい斬り合いの最中、斎藤は息一つ乱さず、余裕すら感じさせる声でそう言った。
「けど、お前さんの刃には、まだ伸びしろがある。」
その言葉と同時に、攻防の流れが一気に変わる。
龍崎は押され、防御に徹するしかなくなった。
「……チッ。」
龍崎は決して弱くない。木刀一本で黒楓会の一拠点を壊滅させた男だ。
白川の一件では、二十人を相手に一歩も引かず、捻じ伏せてみせた。
ただ、最近の戦いで気づかされたことがある。
鬼塚大地といい、九条憲孝といい、そして今度、斎藤浩一。
学校では無敵とは言え、極道の世界ではまだ通用しきれていない。龍崎は、それを身をもって実感していた。
「お前さんよ……うちの兄弟が残した言葉……あれは本当かい?」
刀と刀が火花を散らす中、斎藤が低く問いかけた。
「……」
龍崎は答えなかったが、逆にそれがすべてを物語っていた。
「そうか、分かった。」
――龍崎勝は、不器用なほどに正直な男だ。嘘がつけず、隠し事も苦手。
だからこそ、かつては岩本健三に利用され、また九条には、剣さばきから心の内を読み取られた。
そして今回も、斎藤浩一は、龍崎の目と、ほんのわずかな動きの変化だけで、真実を見抜いた。
――斎藤は、楓の目からは何も読み取れなかった。だからこそ、剣士ではないにもかかわらず、敢えて龍崎との「手合わせ」を申し出たのだ。
そして、それこそが楓にとって二つ目の誤算だった。斎藤浩一という男を、ただの任侠と見誤ったことだ。
十代で内紛に揺れた斎藤会をまとめ上げたその力は、ただの武や仁義だけではない。
まっすぐで誠実な言動の裏に、必要とあれば真意を伏せて動くだけの冷静な判断力と胆力を備えている。任侠としての顔は、その一面に過ぎなかった。
押さえ込まれた状況の中で、龍崎は、一瞬、九条と対峙したときの感覚を思い出した。斎藤の鋭い斬撃を、巧妙な角度と最小限の動きで受け流した。
――天道理心流・流し技。
「ん?」
斎藤は即座に察知した。今までとは違い、龍崎の重心が、構えが、まるで別物になっている。
鋭い一閃。横へと払う一撃が斬り込む。
「……ッ!」
意志のこもった一太刀。
斎藤は思わず跳ねるように後退し、すぐさま反撃へ転じる――が、その瞬間、龍崎の斬撃が折り返し、横から反対斜めへ襲いかかる。
天道理心流・払い技――慈悲心。
二段攻撃だと……!?
避けきれない。斎藤は咄嗟に刀を縦に構え、両手で受け止めた。
ガンッ!
重い衝撃が両腕を貫き、体が横へと数歩押し流される。
「兄貴ッ!」
「野郎……よくもやってくれたな!」
「まあ、待てや。」
藤原が、血気に逸る若衆を抑えるように手をかざした。斎藤の実力は、藤原が一番よく知っている。この程度でやられるようなら、斎藤会きっての猛者の名が泣く。
瞬時に体勢を立て直した斎藤は、龍崎を一瞥した。
龍崎がゆっくりと刀を鞘に収めた。次の瞬間――全身から放たれた"気"が、水波の如く空気を斬った。
天道理心流・抜刀術――如水心。
くる――!!
斎藤の背筋に、ぞわりと鳥肌が立つ。
反射的に、体が動いた。
キィィィン――ッ!!
「……!!」
ヒュンッ、ヒュルル……
鋭い破片が光を反射しながら、空中で幾度も回転し、やがて重力に引かれるように落ちていく。
コォン……カラン……
硬い地面に金属音を響かせ、破片が転がった。
場にいた全員が、思わず息を呑んだ。
二人の刀が、真ん中から同時に――折れた。
――ほんの刹那前。
龍崎が居合を放った。その斬撃を前に、斎藤は防御では受け切れないと直感し、敢えて攻撃を選んだ。
結果は相打ちだった。
――剣士でもないのに、剣道の達人である龍崎と互角に渡り合っていた。 戦いの素質において、斎藤浩一もまた、紛れもない天才だった。




