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38 籠絡

 茨城、とある豪華ホテル。

 絨毯の敷かれた広い部屋、大きなテーブルとソファが置かれていた。

 テーブルの一方には、メガネをかけた少年と、威厳を漂わせる四十代半ばの中年男。

 向かいには、年齢が三十代後半か、あるいは四十代か、判然としない男が座っている。

 きっちりと仕立てられたスーツを着こなし、整えられた髪型に、どこまでも誠実そうな笑顔、誰が見ても真面目な人物だと感じるだろう。

 「私は平和主義者でね。血を見るのは好まない。だから、できる限り、話し合いで片を付けたいのだ。」

 穏やかな声色で語りかけたのは、三河会会長、三河雅だった。

 「ええ、心得ております。」

 少年が、静かに応じる。

 極刀会会長、白川優樹。

 隣に控えるのは、重厚な空気を纏った男、九条憲孝。

 三河はグラスに口をつけたまま、白川を見つめた。

 「今の時代、誤解ひとつが大きな波紋を呼ぶこともありますからね。特に、若い勢力が勢いを増すと。」

 「……おっしゃる通りです。」

 白川は素直に頷く。

 「君のように、話が通じる相手で助かるよ、白川くん。」

 「それは、お互い様でしょう。」

 三河はグラスをテーブルに戻し、にこやかに目を細めた。

 「君たちがそういう姿勢なら、我々も安心して迎え入れられる。

 一つ、聞いてもいいかい?」

 わずかに間を置いてから、三河は問いかけた。

 「黒楓会の会長、玄野楓とは、どんな男だった?」

 白川は目を閉じ、ひと呼吸置く。

 慎重に言葉を選ぶように、しばしの沈黙を挟んだ。

 そして、静かに目を開いた。

 「一見すれば無害そのものの顔をしているが、気づいたときにはもう糸に絡め取られ、迷う間もなく食われる。まるで、蜘蛛のような男です。」

 三河は唇に笑みを浮かべたまま、白川に向けて軽く首を傾げた。

 「へえ、やはり面白い男だね。……ところで、君は、蜘蛛の糸じゃないよね?」

 !!

 部屋の空気が、ピンと張りつめる。

 白川は、表情を崩さぬまま

 「まさか。私とやつの因縁は、三河会長なら既に調査済みでしょう。」

 若林高校でぶつかり合い、やがて生徒会長の座を奪われ、退学を選んだ。それはフェイクでも演技でもなく、紛れもない事実だった。

 三河は指先で太ももを軽く叩き、ふと思い出したように口を開いた。

 「先日、極刀会が黒楓会に包囲されたとき、当時の極刀会会長、岩本健三がうちの者と接触した。……しかし妙なことに、その夜、うちの者は行方不明になったよ。君は、何か知っているかい?」

 白川は、涼しい顔で首を振った。

 「残念ながら、そのような報告は上がっておりません。」

 「そうなんだ。」

 三河は笑みを絶やさぬまま目を細めた。

 「さて、もうこんな時間だ。せっかく茨城まで来てもらったんだ、今夜はゆっくり泊まっていってくれ。」

 「では、お言葉に甘えさせていただきます。」

 部屋を出ると、すでに一人の三十代前後の男が待っていた。

 「こちらへ。」

 男は簡潔に告げ、白川と九条を先導する。

 その男を目にした瞬間、九条はわずかに眉を動かした。

 二人は案内されるまま、無言で部屋へと入る。

 扉が閉まったのを確認すると、白川はすぐに九条に問いかけた。

 「先生。さっきの案内人、知っているんですか?」

 「いや……知らん。」

 九条は首を振り、低く続けた。

 「だが、あやつ、只者ではない。」

 「というと?」

 「歩き、気配、極めた者にしか出せん。」

 「……さすが三河会、一筋縄には行かないってことか。」

 「それより、三河雅か、底が知れん男じゃな。」

 「ええ。同感ですね。……玄野が蜘蛛なら、奴は蛇だ。見られるだけで、ぞくりとする、まるで、次の瞬間、噛みつかれそうな……」


 先ほどの豪華な部屋。

 案内人だった男が戻り、無言のまま三河の隣に立つ。

 三河はゆっくりとグラスにウィスキーを注ぎ、手に取る。

 氷が揺れ、カチリ、と乾いた音を立てた。

 「で、その九条とやらは、どうだった?」

 男は、静かに頭を下げた。

 「恐れ入りますが、我々四柱でも、単独では押し切るのは困難かと。」

 四柱――三河会のトップ戦力と呼ばれる、四人の精鋭たち。

 表向きは政治家として立ち回る三河雅に代わり、裏社会で暴れ回る彼らは、まさに一騎当千の猛者たちだった。

 さらに、その上には、湘北連合のエース・熊谷隆志と肩を並べる、戦鬼のような副会長が控えている。

 三河はウィスキーを一口含み、微かに笑った。

 「面白いね。極刀会が、こんな隠し札を持っていたとは。」


 一方その頃、楓たちはアイスを車に積み終え、実験室を離れていた。

 『待っていたよ、ミスター玄野。早速だが、明日取引できるか?』

 受話器の向こうで、流暢な英語を操るのは、世界最大の麻薬組織――ロス・ティエンブロス、通称LT、日本責任者、デイビッドだった。

 「もちろん。」

 『では、例のルートを使って来てくれ。今度はきちんと招待させてもらうよ。』

 例のルート、前回も使ったが、車ごとトラックの荷台に載せ、一時間以上も待たされた、あれだ。

 正直、気分のいいものではなかった。

 「分かった。では、また明日お会いしましょう。」

 楓は淡々と告げると、そのまま通話を切った。

 翌夜。

 車には、楓、佐藤、龍崎の三人が乗り込んでいた。

 スロープを上がり、車ごとトラックの荷台へと滑り込む。背後で金属の扉が閉じられ、わずかな光さえ遮断された。

 直後、車内の通信機器が一斉に沈黙する。

 電波が遮断され、GPSも無効化された。

 「できるか。」

 楓が低く尋ねる。

 「問題ありません。」

 佐藤は無表情のまま、簡潔に答えた。

 微かな震動とともに、トラックが発進した。車体が前へ押し出され、わずかに重心がずれる。

 佐藤は、無言でポケットから小型のコンパスを取り出した。しかし、すぐに眉をひそめる。コンパスの針が、落ち着きなく揺れていた。

 「……磁場が歪んでいる。やはり、対策されているか。」

 低く呟き、佐藤は別の道具に手を伸ばした。取り出したのは、小さな振り子式の装置。自作か、既製品かも判別できない、簡素な作りだった。

 それをそっと膝の上に置く。トラックの加速、減速、横揺れ、その微細な動きを、振り子は正直に伝えてくる。

 「……緩やかな加速。舗装路。……次、減速。左旋回。」

 佐藤は低く、しかし確実に外の動きを読み上げていく。

 この密閉空間で、わずかな手がかりを拾い上げる。それができるのは、佐藤守ただ一人。

 今回、楓が影小隊の隊長を自ら引き連れてきた理由は、そこにあった。

 電波も通じず、視界も閉ざされた中で、物理的な手段だけを頼りに、LTの巣を暴き出す、プロにしかできない、高難度の仕事だった。

 佐藤は、膝の上に置いた小さな振り子をじっと見つめながら、外の動きを読み取っていく。

 停止。数秒。

 発進。再び停止。

 「……信号だな。」

 低く呟く。

 初動は、一定間隔で停止と発進を繰り返している。市街地、信号の多いエリアを通過していると見て間違いない。

 やがて、トラックの走行が滑らかになった。振り子の揺れも、加減速のリズムも、ほとんど一定を保つ。一定時間、安定した走行が続いた後、わずかに横へと力が流れる。

 「コーナーに入ったな。この方角なら、関越自動車道か。」

 滑らかな振動が、単調に続く。

 一時間、さらに十分。

 やがて、緩やかに減速。

 「速度低下。出口が近い。」

 高速を降りた後も、トラックはしばらく走り続けた。

 三十分ほど走ったころだった。

 振り子が、小刻みに揺れ始めた。

 「峠道か。」

 曲がりくねった道を走る独特のリズム。緩やかな傾きと、細かな加減速が続く。トラックは、何度も左へ右へと身を振りながら進んでいった。やがて、振り子の揺れが止まった。トラックも、完全に停止する。

 佐藤は目を閉じ、わずかに息を吐いた。

 「……群馬、藤岡市南部、山奥だな。」

 「でかした。さすが元CIA、これほどとは。」

 「ありがたきお言葉ですが、具体的な場所までは、まだ特定できておりません。」

 佐藤は無表情のまま答えた。

 「降りたら、廃棄工場のような建物がある。月明かりがあれば、そこから周囲の山の形が見える。……それでやってみてくれ。」

 前回も、楓自身が地形を観察して分析を試みた。だが、地形読みの知識も経験も浅い彼には、正確な特定は叶わなかった。

 「は。承知しました。」


 前回と同じく、廃棄工場の中央で、楓たちは車から降り、静かに地面を踏みしめた。

 待っていたのは、大柄な白人男性と、無表情のアジア人の男だった。

 白人が、朗らかに英語で声をかける。

 「ハハ、久しぶりだな、ミスター玄野。会えて嬉しいよ。」

 「久しぶりだ、ミスターデイビッド。」

 楓も、微笑を浮かべて応じた。

 「こんな失礼な移動方法で、済まなかった。さあ、中へ。」

 デイビッドは気軽な仕草で奥を指し示す。

 今回は、迷うことなく、直接奥の部屋へと案内された。

 ドアを開けると、そこは廃棄工場とは別世界だった。

 豪奢な内装と広々とした空間。まるで、どこかの高級別荘のようだった。

 龍崎は無言で二つのスーツケースをテーブルに置き、両方のロックを外して開けた。

 中身を見たデイビッドの顔が、ぱっと明るくなる。

 「おおっ、これが!」

 彼はスーツケースの前にしゃがみこみ、興奮した様子で中身を嗅ぎ回った。

 「さすが黒楓会……ヘロインと伝統的な覚醒剤を融合させ、こんな芸術品を作り出すとは。」

 これこそが、アイスが異様なまでに流行した秘密だった。

 通常の覚醒剤は、神経を活性化させ、身体と精神を強制的に高ぶらせる。一方、ヘロインは安静剤として、心身を沈静化させる作用を持つ。

 正反対の効果を持つ二つを融合させることで、興奮の中に多幸感が生まれ、幸福感に包まれながらも、意識は研ぎ澄まされ続ける。その異様な快感は、従来のどの薬物よりもクセになりやすく、一度手を出した者は、ほとんど確実に抜け出せなくなる。

 前回、楓が送ったサンプルは、当然ながらデイビッドを通じて、メキシコの本部にまで届けられていた。

 LT本部の技術者たちは、成分の解析には成功した。しかし、どのような工程でこの異常な純度と効果を両立させたのか、製造方法までは、完全に解明できなかった。

 結果として、LT上層部は結論を下した。黒楓会は、確かな技術と実力を持っている。それが、デイビッドが異様なほど友好な態度を取っている理由だった。

 「ミスターデイビッド、初めての取引は無事に終わった。」

 楓が穏やかに告げると、デイビッドは満面の笑みで応じた。

 「ああ、ああ! 非常に愉快な取引だ。ぜひ次回も頼むよ、相棒!」

 ――相棒?

 楓は内心で嗤った。

 「もちろんさ。」

 楓は微笑みを浮かべたまま。

 「それと、もう一つ頼みたいことがある。」

 その言葉に、デイビッドの表情がわずかに引き締まる。

 「何、安心しろ、今度はちゃんと金を払うさ。」

 楓は間を置いてから、静かに口を開いた。

 「――俺たちは、武器が欲しい。機関銃など、軍用クラスの、大量にな。」

 !!


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