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32 制裁

 佐藤の効率は、やはり並外れていた。

 三日もかからず、分厚い報告書がすでに楓の机の上に置かれていた。

 内容は、極刀会の人員構成から資産の流れ、過去の因縁に至るまで網羅されていた。

 楓は黙ってページをめくりながら、白川優樹に関する記述を見つけ、目を細めた。

 もし、以前にこのような情報を把握していたら、白川との対峙も、前田の策も、あれほど苦労せずに済んだはずだ。

 これが、情報の力というものか。

 「よくやった。」

 楓は静かにそう告げ、手元の報告書に視線を落とす。

 これさえあれば、極刀会を潰すのは容易だ。

 佐藤は黙って一礼し、ひとつ後ろに下がった。

 しばらしくて、楓は報告書を静かに机に置き、事務所内の面々をゆっくりと見渡した。

 「各自、休憩と準備を整えろ。……今夜は、狩りの時間だ。」



 極刀会若頭・宮野亮。

 その異常なまでの強さと、常軌を逸した性格によって、裏社会でも一目置かれる存在である。

 佐藤の報告書によれば、彼は孤児である。

 もともと一人親で育ち、五歳のときに母を亡くしている。

 発見のきっかけは、近隣住民からの通報だった。アパートの周囲に異様な臭いが立ち込め、何度呼びかけても、応答がなかった。

 不審に思った住人が警察に通報し、強制的にドアを開けたところ、そこにいたのは、五歳の宮野亮と、すでに死後二週間が経過した母の遺体だった。

 当時、五歳の子供が母親の遺体と二週間、密室で過ごしていたその事実は、すぐに話題となった。

 噂は様々に飛び交った。

 死体を食べて生き延びたのではないか。

 あるいは、死んだ母親が深夜に蘇り、料理を作っていたという話もあった。

 真相は、もはや誰にも調べようがない。

 おそらく、宮野本人にしか分からないだろう。

 一つだけ確かなのは、彼にとって、母親への思いだけは、本物だったということだ。

 彼は今も、自宅に母の納骨壇を供えている。過去、一人の女がそれに触れただけで、宮野は激昂し、そして、ためらいもなく、その女を斬った。

 この日もまた、極刀会と黒楓会の衝突は、もはや日課のように繰り返されていた。

 戦場で数人を斬り捨てた宮野亮は、どこか不満げな様子で現場を後にした。

 本音を言えば、彼は、先日のように玉を取りたかった。

 だが、狡猾な玄野楓は、一切隙を見せなかった。

 家に帰っても、食事も洗濯も一切しない。ただ、乱雑に投げ出されたベッドへと倒れ込むだけ。それが、いつもの宮野亮だった。

 しかし、リビングを通りかかったとき、違和感が走った。

 「……?」

 ――ない。

 家の中で唯一、きちんと掃除されていたあの場所が、空っぽになっている。

 目を大きく見開いた瞬間、血の気が逆流し、瞳が怒りに染まる。

 「くそったれ――!! 誰の仕業だ!? 母さんはどこだァッ!!」

 命よりも大切にしていた、母親の納骨壇が、跡形もなく消えていた。

 宮野亮は、発狂したかのように納骨壇があった場所へと這いつくばった。

 「ない……ないっ!……なんてひどいことをしやがって……!!」

 そのとき、不意に、床に残された一枚の紙切れが視界に入った。

 切り取られた新聞の活字を組み合わせて作られた文字列。そこには、こう書かれていた。

 『佐倉生コン工場』

 宮野亮は、紙を握りしめ、咳き込むほど深く息を吸い込んだ。

 怒りに喉を震わせ、吠えるように叫ぶ。

 「ぶっ殺してやる……ッ! 切り刻んで、ぶっ殺してやる!!」


 佐倉生コン工場は、八街市の南、やや外れた位置にある。周囲には山と野原が広がり、人気はほとんどない。

 昼間は作業員が出入りしているが、深夜には、完全に静まり返り、灯り一つない無人の空間と化す。

 工場敷地の一角。

 宮野亮は車を飛ばし、全速力で佐倉生コン工場へと駆けつけた。ブレーキの音も荒く、ドアを乱暴に開けて降りる。

 辺りを見渡すと、すぐに目に飛び込んできた。

 あった。

 開け放たれたテント倉庫の中央に、ぽつんと置かれた納骨壇。その真上には、小さなライトが一つだけ灯っていた。薄暗い倉庫の中で、そこだけがぼんやりと浮かび上がっている。

 狂ったように走り出しながら、宮野は叫んだ。

 「母さんッ……!!」

 近づくと、宮野の足が止まった。

 「……母さん? 母さんが……ない……?」

 納骨壇の中に、あるはずの骨壺が、消えていた。

 「……ああああああっ!! 誰だ……!? 誰が、こんなことを……!!」

 その時だった。

 テント倉庫の外から、複数の足音が響いてきた。

 宮野は怒りのままに刀を抜く。

 その瞬間

 ふっと、周囲からいくつもの懐中電灯の光が、一斉に宮野を照らした。

 思わず宮野は、刀と鞘を使って目元をかばう。

 「テメェらか……母さんを盗んだのは……返せえぇぇぇッッ!!!」

 それは、もはや人の声ではなかった。まるで獣のような、低く唸る吠えだった。

 光の向こうに姿を現したのは、黒いスーツに、楓色のネクタイを締めた一団。

 黒楓会の者たちだった。

 そして、隊列の先頭に立つ一人の少年が、ゆっくりと口を開いた。

 「立派な母親思いだな、宮野亮。」

 話したのは、黒楓会の会長――玄野楓だった。

 「テメェ……玄野ォ!! なんて卑怯な真似をしやがって!!」

 「卑怯? 違うな。あんたの母親は、俺がきちんと供養しておいた。」

 「返せぇぇぇッ!!」

 宮野が咆哮を上げながら、刀を握って楓に向かって突進してきた。

 ――パァンッ。

 乾いた銃声が、テント内に響き渡る。

 「ぐああああッ……!」

 宮野は走りかけたその場で、バランスを崩すように崩れ落ちた。

 左足からは赤い液体が勢いよく吹き出し、床に染みを広げていく。

 「そんなに焦るな。」

 楓はまるで興味のない声で言った。

 発砲したのは、楓の隣に立っていた男――影小隊隊長、佐藤守だった。

 合図も命令もなく、ただ静かに引き金を引いただけ。

 薄暗い倉庫の中でも、一発で標的の脚を撃ち抜く、その腕は本物だった。

 宮野は、倒れたまま刀を杖のように使い、ふらつきながら立ち上がろうとした。

 「……母さんを……返せぇぇぇッ……!」

 その瞳が、怒りに染まり、赤く光を帯びる。

 パァン。

 再び銃声が響いた。

 今度は右肩に一発。血の煙が散り、宮野の身体が大きくのけ反る。

 そのまま力尽きたように、後方へ崩れ落ちた。

 「ウオオオォォ……くそ……ぶっ殺す……クハッ……!」

 倒れたまま、血に染まった地面に顔を押しつけながら、宮野はなおも、乾いた声で叫び続けた。

 喉が潰れ、声にならない呻きに変わっても、その眼だけは、なお楓を睨み据えていた。

 「もう完全に理性が消えたようだな。これ以上、言葉は届かんか。」

 佐藤が無表情のまま再び銃を構え、引き金に指をかける。

 だが、その動きを、隣にいた龍崎が無言で制した。片手で、銃口を押さえる。

 「……もういいだろ。」

 そう静かに告げると、龍崎はゆっくりと宮野に向かって歩き出す。

 刀を抜きながら

 「……せめての情けを。」

 一閃。

 鋭い音とともに、宮野の動きがぴたりと止まった。

 倒れ伏したその身体は、もう二度と動くことはなかった。

 楓は、一言も発せず、その場のすべてを静かに見届けていた。

 これが、情報の力か。あれほど厄介だった相手が、ここまであっけなく沈むとは。

 「処理しろ。」

 そう一言だけ残し、楓は背を向けて、その場を去っていった。


 翌日。

 極刀会若頭・宮野亮の"失踪"は、組織内に大きな混乱を招いた。

 事態の全貌を把握できぬまま、幹部らは対応に追われ、指揮系統も一時的に麻痺する。

 その隙を逃すことなく、黒楓会は一気に複数のシマを制圧した。

 極刀会の劣勢は日を追うごとに深まり、わずか一週間も経たずに、

 本部のある八街市南のシマをほぼすべて失った。

 戦線は、四街道市から八街市へと、完全に移った。

 その時、本部を守護する達人――極刀会師範代・九条憲孝が、ついに自ら前線に立った。


 五月中旬、佐竹はようやく退院を許された。

 本部の扉が静かに開き、黒いスーツに着替えた佐竹が入ってきた。

 まだどこか痛みを残す歩き方だったが、その姿勢は以前と変わらぬ落ち着きと威厳をまとっていた。

 腰をかけていた楓がゆっくり口を開いた。

 「あんたがいないと、本当に違うよ。……お帰り、佐竹。」

 佐竹は静かに頭を下げる。

 「ありがたきお言葉です。」

 前線での指揮はまだ難しいものの、本部での事務業務や組織運営については、再び佐竹に任されることになった。

 「ああ、そういえば――」

 楓の視線を横に向けた。

 「影小隊の佐藤守だ。これからの仲間だよ。」

 紹介された佐藤は、一歩前に出て姿勢を正す。

 「佐藤守と申します。……お噂は、楓会長から伺っております。」

 佐竹はゆっくりと頷いて返す。

 「佐竹重義です。こっちこそ頼りにしていやす。」

 互いに言葉は少ないが、どこか似たものを持つ二人。その眼差しの奥に、一瞬だけ、戦場を知る者同士の、静かな理解が走った。

 「さて、本題に入ろう。準備は整った。……そろそろ、九条憲孝を取る。」

 その一言で、事務所にいた全員の表情が変わった。

 九条憲孝。天道理心流の師範代にして、極刀会本部を守る"最後の剣"。

 宮野亮とは異なり、正真正銘の剣術の達人。

 その上、人望も厚く、極刀会内部でも深く尊敬されている存在だった。

 報告書によれば、九条は極刀会先代会長岩本健二の腹心の一人。

 現在の会長、岩本健三にも一目置かれるほどの男だ。

 「この人は、できれば降伏させたい。だから、暗殺も毒も使わない。正面から、正々堂々と倒す。」

 全員が顔を見合わせた。

 だが、誰ひとりとして口を開かない。

 やがて、静まり返った空気の中、自然と視線が、あの二人に集まった。

 黒楓会の中でも、武闘派として名を馳せるトップの二人。

 圧倒的な体躯と膂力を持ち、"盾"にも"矛"にもなれる豪腕の男――鬼塚大地。

 そしてもう一人は、冷静沈着にして剣の腕は一流。黒楓会の"黒き刃"――龍崎勝。

 「俺に任せときな。」

 鬼塚が腕を組んだまま、ゆったりと口を開く。

 だが、それに被せるように、隣の龍崎が静かに言った。

 「……いや。ここは、俺がやる。」

 鬼塚は一瞬だけ眉を動かし、視線を横に向ける。

 同剣の使い手として、九条憲孝という剣士と対峙するなら、龍崎の方が相応しい。

 数秒の沈黙ののち、鬼塚は肩をすくめて笑った。

 「わかったぁ。好きに暴れてこい。」

 「……礼を言う。」

 「決まりだな。一騎打ちの場、整えてやる。」

 そうだ、白川にも連絡する必要がある。出番があるから。

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