25 交鋒
「白川会長。……あんたの“本当の敵”は、俺じゃない。極刀会の会長――岩本健三だろ」
「……!!」
その名を耳にした瞬間、白川の目つきがふっと変わった。
約二週間前――
楓は、HR中に山田の入院を知らされた直後、すぐに佐竹へ連絡を入れていた。
「……俺だ。調べてほしいことがある」
「はっ、何の件ですか?」
「岩本健二の死因だ」
「えっ……ええ、たしか……病死だったかと……」
「違う。噂じゃなくて、確実な情報を洗ってこい」
「了解しやした!」
最初、佐竹は楓の真意が読めなかった。
しかし、調べれば調べるほど、背筋に冷たい汗が伝っていった。
情報によれば――岩本健二は、実の弟・健三によって毒殺されていた。
当初、その事実を疑う者はいなかった。
実の兄を毒殺するなど、極道の世界においてさえ万死に値する外道の所業だ。
だがその後、当時まだ四歳だった岩本優樹が、偶然、母親が殺された瞬間を目撃していた。
幸い、幼い優樹は、隠れん坊の最中に、屋敷の隠し部屋から外の様子を覗いていた、岩本健三は気づかなかった。
後から駆けつけた岩本健二の腹心に、優樹は無邪気な声でこう話した。
「ねえねえ、どうしておじさんとママが会ったら、ママが動かなくなっちゃったの?」
その言葉で、腹心は事の重大さに気づき、こっそりと優樹を連れ出し、母の本家――白川家へと保護した。
健三は根こそぎを狙い、優樹にまでも手をかけようとしていたが、さすがに白川家と極刀会内部からの反発を恐れたのか、優樹を見逃したのだった。
話を聞いた楓は、すべてを理解した。
――なぜ、白川優樹が「岩本」ではなく、「白川」の姓を名乗っているのか。
――なぜ、白川が極刀会を憎み、敵対の姿勢を隠そうとしていたのか。
――なぜ、自分にここまで執着し、敵視してきたのか。
点と点が、静かに線となってつながっていく。
「……邪魔なんだ」
白川がぽつりと呟いた。
「私が、どうしても復讐を果たすには、力が必要だったんだ。二年かけて築き上げたものを……君は、あっという間に壊した」
楓の予想と、ほぼ一致する答えだった。
「俺が、あんたの復讐を成し遂げさせてやる。その代わり、俺と共に来い」
白川は一瞬、言葉を失った。耳を疑い、そして――苦笑した。
「……何を世迷い言を」
「俺は黒楓会の会長――玄野楓だからだ」
「!!」
絶望に沈んでいた白川の瞳に、一瞬だけ、確かな光が灯った。
「君が……あの黒楓会の会長か。ハハハ……どうりで勝てないわけだ」
白川は、無力に笑った。
「あなたは優秀だ。たしかに、この若林で勢力を築いたのは見事だが……極刀会と正面からやり合うには、まだ程遠い。」
「分かってるさ。私の計画では、本来ならあと三年は必要だった」
「俺なら一年。いや――せいぜい、一ヶ月で十分だ」
「……」
再び、白川は言葉を失った。
なぜか、その言葉に、疑いすら浮かばなかった。信じてしまった。自然と。
次元が違う。これまで、白川は自分の頭脳に自信があった。
状況を分析し、駒を動かし、狙い通りに結果を導く。そういうことなら、誰にも負けないと思っていた。 だが今、初めて思い知らされた。どうしても敵わない天才が、この世には存在するのだと。
楓が、静かに手を差し伸べた。
白川はその手をじっと見つめる、やがて、諦めたように小さくため息をつく。
そして、ゆっくりと、その手を握りしめた。
「……お願いします、玄野会長」
こうして、楓は、もう一人の有力な部下を得た。
同じ頭脳派でも、佐竹は防守に特化した“慎重派”。
白川は攻めに特化した“策略家”。特に三河会との対峙では、白川の存在が勝敗を左右する鍵となった。だが、それはまた別の話だ。
土曜日の夜。
龍崎がこの日、襲撃に来るのは――もはや確定情報だった。
楓、鬼塚、あと十数人の若衆は、あらかじめ四街道拠点に待機していた。
「離間の計。」
「なんだそりゃ」
鬼塚が眉をひそめて聞き返す。
「大地さん、三国志知らないんすか?」
矢崎が得意そうに口を挟む。
「名前くらいはな。」
「離間の計ってのは、仲間同士を疑心暗鬼にして、内から壊す策なんすよ」
やることは非常に簡単だ。だが、老獪な相手ほど、こういう策には引っかかる。
「ふぅん……やっぱ頭いいヤツは考えることが違うな」
鬼塚が感心したように呟いた。
「……で、その"離間の計"とやらのために、散々噂を流しやがったか?」
「ああ」
楓は淡々と頷いた。
黒楓会の若衆を使い、裏社会の社交場である裏通りに、ある噂を流させた。
「黒楓会に、また強ぇ奴が入るらしい」
「なんでも、刀の達人だとか」
「しかも学生だとよ」
あえて名前は伏せた。目的はただ一つ。極刀会の耳に届かせること。
龍崎を仲間に引き入れるには、力だけでは足りない。
理由が必要だ。
龍崎自身が納得し、自分の足でこちらへ歩くような、確かな“理由”が。
楓はそのための舞台を、今まさに整えようとしていた。
夜十一時の裏通り。
「……来たな、龍崎」
楓の声に応じるように、影の中からひとりの男が姿を現した。
竹刀を右手に握り、月明かりを背に、無言のままゆっくりと歩み出る。
その表情に感情はなく、ただ、静かに獲物を見据える獣のような眼差しがあった。
どこか、孤独な気配を纏っている。
「……今度は、手加減なしだ」
「ああ。むしろ望むところだ」
楓は嘘をついていない。
今までの戦いで、龍崎が全力を出したことは一度もなかった。
その実力を正確に見極めるには、これ以上ない好機だ。
「……まとめてかかってこい」
黒楓会の二十人ほどを前に、龍崎は静かに言い放った。
「いや、あんたの相手は、鬼塚ひとりで十分」
「……!?」
「ってなわけで、俺と一騎打ちだ。ヨロシク頼むぜ」
鬼塚が拳を鳴らしながら、一歩前に出た。
「……俺は、手加減なしと言った」
「おっと、ずいぶんナメてくれんじゃねぇか、小僧……“上には上がいる”ってこと、体で覚えさせてやるよーー!」
言葉とともに、鬼塚はふっと距離を詰めた。
その動きに、一瞬、風が鳴る。
「……!」
龍崎が竹刀を構えたときには、すでに鬼塚の拳が目前に迫っていた。
だが、龍崎も即座に反応する。竹刀の柄を握ったまま、身体をわずかにひねり、拳をかわすと同時に、反撃の一打を繰り出した。
シュッ!
空を切る鋭い音。鬼塚は紙一重で後ろに下がり、竹刀の軌道をギリギリで躱した。
速ぇな……さすが“病院送り”
鬼塚の目が獲物を睨む獣のように細くなる。
龍崎は表情を変えず、淡々と踏み込んだ。
ガンッ!
竹刀と拳がぶつかり合う。
剛と剛の衝突。
火花こそ散らないが、その一撃には互いの本気が込められていた。
竹刀はしなる。その分、衝撃を吸収し、持ち主の手にも優しい。どうやら前回、鬼塚との戦いで木刀を折られたことを踏まえ、今回は靭性の高い竹刀に替えてきたらしい。
鬼塚が低く笑った瞬間、二人の間合いが一気に縮まる。
殴打、受け、反撃――一進一退の攻防が続く。
力と反応では鬼塚が一枚上手。速度と技術では龍崎が一歩リードしていた。
戦闘が膠着状態に入り、黒楓会の面々は誰一人として、声を上げることも、動くこともできなかった。ただ息を呑み、拳と竹刀が交錯する音に、全神経を奪われていた。
なぜ、龍崎が竹刀や木刀を使うのか――
それこそが、極刀会が彼に興味を抱いた最大の理由だった。
龍崎は元々、剣道の使い手だった。
怪力と生まれつきの戦闘本能により、少年時代から頭角を現し、すぐに剣道界で名を馳せた。
だが中学時代、例の「病院送り事件」を起こし、すべての公式な活動を停止されることになる。
その時、龍崎の存在に目をつけたのが、極刀会の会長・岩本健三だった。
極刀会はその名の通り、“刀”に執着するヤクザ組織、構成員が刀の使い手が多い。龍崎のような者を放っておくことはしない。
彼らにとって、その実力は、ぜひとも“手元に置いておきたい”ものだった。
だからこそ、龍崎は“組の立場”で戦うとき、必ず木刀か竹刀を使う。
息詰まる対峙の中、龍崎は一瞬の隙を見逃さずに飛び込んだ。
竹刀が閃き、三段突き――いや、四段目まで繋がる連撃だった。
さすがの鬼塚も、二段目までしか受け止めなかった。
三撃目が腹部に突き刺さるように命中し、その痛みに一瞬、身体が硬直する。
その隙を逃さず、龍崎は最後の一突きを顎に突き上げた。
「……ッ!」
予想外の四撃目。鬼塚の身体が浮き上がり、そのまま地面に叩きつけられた。
「大地さん!」
「鬼塚の兄貴!」
黒楓会の面々が、口々に心配の声を上げた。
楓は黙ったまま、その様子をじっと見つめている。誰がどう取り乱そうと、黒楓会の会長である自分だけは、決して動揺を見せてはならない。
「……言ったはずだ。まとめてかかってこい」
龍崎が静かに告げる。
「テメェ……!」
「ぶっ殺すぞ!」
若衆たちが一斉に前に出ようとした、その時ーー
「やめろ!」
地面に倒れた鬼塚が、大声で叫んだ。
「これは一対一の勝負だ……テメェらの出番じゃねぇ。」
「……」
龍崎が無言で鬼塚を睨みつける。
鬼塚が、地面に手をつきながらゆっくりと立ち上がった。
口元には、かすかに笑みが浮かんでいる。
「どうやら……平和な日々が続くと、体が鈍っちまうらしい、準備運動はここまでだ」
その言葉に、矢崎がすぐ駆け寄ってくる。
手には、何かをしっかりと握っていた。
「念のため持ってきたんすけど、正解でしたね、大地さん」
矢崎が差し出したのは、重厚な音を立てて握られた、一本の金属バットだった。
暴走族時代からの長い付き合いだ。矢崎と鬼塚の間には、言葉はいらない黙契がある。
鬼塚は金属バットを手に取り、まるで古い相棒を再会したかのように、ゆっくりと握り直した。
「さあ、ここからが本番だ!」
パキッ。
乾いた音と共に、鬼塚が金属バットを構え、殴り合いが再び始まった。
だが、さっきまでとは気迫がまるで違う。金属バットを手にした鬼塚は、完全に“戦う男”の顔になっていた。
「おりゃーッ!」
上段からの力任せの一撃。
「……!」
龍崎は目を見開き、その攻撃の重さに驚きを隠せなかった。両手で竹刀を握り、正面から受け止める。
ドンッ――!
巨音が鳴り響いた。
その瞬間、竹刀を通して伝わってきた衝撃に、龍崎の両手が痺れる。
鬼塚の攻撃には、技も理屈もなかった。
ただ、ひと振りひと振りが重く、荒々しい。
それゆえに、剣技での勝負に慣れた龍崎にとって、こうした“我流”は最も苦手な相手だ。
リズムを崩された龍崎は、防戦一方となっていた。
「……ちっ!」
「飛べぇぇぇッ!」
横薙ぎの一撃が、唸りを上げて迫る。
龍崎は竹刀を縦に構え、咄嗟にそれを受け止めた。
バキィッ!
竹刀が衝撃に耐えきれず、曲がり砕けた。無防備となった胴体に金属バットが叩き込まれる。
「くっ……!」
龍崎の身体が宙を舞い、壁にぶつかって跳ね返り、ゴミの山に叩き落とされた。
「勝負はあったな」
楓の中で、浮いていた心がようやく地に落ちた。
「よっしゃーッ!」
「さすが兄貴!」
黒楓会の面々が一斉に歓声を上げる。
鬼塚は金属バットを肩に担ぎ、満足げに笑みを浮かた。
ゴミの山から立ち上がった龍崎は、無言のまま手に残った竹刀を見つめる。
折れた。
これで二度目だ、鬼塚に刀を折られたのは。
認めなくてはならない。
龍崎は、負けた。




