16 崩壊
バシュッ——!
金髪の男が半分ほど飲んだペットボトルを、勢いよく楓に投げつけた。
楓はわずかに頭を傾けるだけで、それを難なく避ける。
ペットボトルは背後の壁にぶつかり、鈍い音を立てて転がった。
「不味ぇ……こんな不味いもん、よくも俺に飲ませやがったな……!」
金髪の男が、舌打ちしながら乱暴に口元を拭う。
——不味い?
味は変わらないはずだ。
楓は一瞬そう思ったが、すぐに気づく。
こいつら、ただの因縁をつける気だ。
「こりゃあ、お仕置きが必要みてぇだな。」
金髪の男が立ち上がり、拳を握り込む。他の生徒会メンバーも、獲物を狙うような笑みを浮かべる
「最初からそのつもりだったくせに。」
楓は静かに呟くと、一歩、前へと踏み出した。
楓は静かに構える。
さすがに8人を相手取るのは分が悪い。
だが、勝つ必要はない。
金髪の男がニヤリと笑う。
「お? 反抗する気か?」
「いいぜ、いいぜ。新人教育ってのは、しっかりやらねぇとなぁ?」
周囲の生徒会メンバーも、ゆっくりと立ち上がり、楓を囲むように距離を詰めていく。
楓は、ちらりと部屋の時計を確認する。
あと少し。それまで持ち堪えればいい。
「なぁ、どうせならハッキリさせてくれ。」
生徒会の連中は、余裕たっぷりに楓を見下ろした。
「は?」
「白川会長は、なぜ俺に目をつけた?」
時間稼ぎだ。
「テメェが調子こいてるからだろ?」
「違うな。」
楓は淡々と否定する。
——儀式を邪魔したのは龍崎だ。
——上級生を倒したのも龍崎だ。
だが、白川は龍崎にそこまで執着していない。
「んなもん、どうでもいい。」
「話は、テメェをボコボコにしてからだ。」
生徒会メンバーの誰かがそう吐き捨てる。
——もう、対話の余地はない。
楓は静かに息を吐き、戦う姿勢を取る。
——その瞬間
「……ッ!!」
突如、生徒会メンバーの一人が腹を押さえ、苦悶の声を漏らした。
「……な、んだこれ……ッ!」
続けて、別のメンバーも体を震わせる。
「やべぇ……腹……ッ!」
間一髪のタイミングで——効いた。
生徒会メンバーの膝が次々と崩れ落ち、脂汗を浮かべながら腹を押さえる。
「……て、てめぇ……何を入れやがった……ッ!」
金髪の男が顔を歪め、苦しげに楓を睨みつける。
もう、お芝居は終わりだ。
楓は人畜無害に微笑んだ。
「HPEG、通称ハイパーポリエチレングリコール。ほとんど無色無臭。」
「……な、なんだそれ?」
金髪の男が脂汗を滲ませながら顔を歪める。
「強力な下剤だ。」
「クッッッックソ!!」
怒りに任せて殴りかかろうとした拳——しかし、途中で止まる。
ゴロゴロッ……!
腹の奥から、容赦のない痛みが込み上げてくる。
金髪の男は呻きながら拳を降ろし、苦悶の表情で腹を押さえると、よろめきながらドアへ向かって走った。
他の生徒会メンバーたちも、次々と顔を青ざめさせながら、一目散にトイレを目指して脱出していく。
楓は、それを静かに見送った。
「……まったく、騒がしいな。」
そう呟くと、部屋に残された椅子へゆっくりと腰を下ろした。
生徒会のメンバーたちは、顔を青ざめさせながらまっすぐトイレへと駆け込んでいく。
「お、おれが先だ!」
「もう無理無理無理……ッ!」
「覚えてろーーッ!!」
——が、
トイレの個室は、すべて閉まっていた。
「……入ってる。」
「入ってまーす。」
絶望的な声が響く。
——なんでこんなときに……!
「ック、クソ!!」
「あ、やべぇ……もう出そう……ッ!!」
誰かが震えながら叫ぶ。
「に、二階に行く!!」
そう言って、足を引きずるようにして走り出す。
ようやく辿り着いた二階のトイレ。
「いるぜ。」
中から、淡々とした声が聞こえる。
「っざけんな!! 出てこい!!」
焦りと怒りが入り混じった叫びが響く。
ゴロゴロッ……!!
腹が鳴る音が重なり、誰かが壁に寄りかかるようにして呻いた。
「くっ……!」
もう一人が ドアを蹴り飛ばそうとした ——だが、激痛で足すら上げられない。
「……と、隣の教室棟……!!」
生徒会メンバーの一人が、すでに白目を剥きかけながらうわ言のように呟く。
しかし——。
隣の教室棟のトイレも、全て鍵が閉まっていた。
なぜなら。
すべてのトイレは、すでに楓のクラスメイトによって占拠されていたのだ。
——これが、楓の策。
昨日の放課後。
楓は、すぐに矢崎へ連絡を入れ、強力な下剤を用意させた。
「できるだけ無味無臭のやつを頼む。」
矢崎は短く「了解」と返事をし、その日のうちに手配を済ませた。
仕込みは、まず食べ物と飲み物から。
焼きそば、サンドイッチ、ペットボトルの飲み物。それらすべてに下剤を仕込む。
飲み物に関しては、キャップまで未開封に見えるよう巧妙に再封してもらった。
これなら、不審に思われることもない。
どうせパシられると踏んで、あらかじめ全てをロッカーに隠しておいた。
言われた時は、悔しそうな顔を作りながら、ロッカーから仕込んだ物を取り出して生徒会室へ運ぶ。
これで、完璧に仕留められる。
さらに、クラスメイトたちへ指示を出した。
「明日の放課後、俺が動いたら、すぐに全校のトイレを封鎖しろ。
各棟、各フロアのトイレをすべて押さえろ。逃げ場を一つたりとも残すな。」
あとはのんびり、生徒会の醜態を堪能するだけ。
唯一の誤算は、食べ物を準備するまでもなかったことと、会長以外全員がやられたことだ。
---
その後は、もはや壮絶だった。
生徒会の一人が、廊下の真ん中で膝をつき、絶望に満ちた表情で呟く。
「も……もう無理……ッ!」
プシュッッッ、ゴロゴロ。
その瞬間、足元に薄黄色の液体が滲み出し、異様な臭いが広がる。
「なんだこれ、臭っ!」
「おい、あれ見ろ……」
「うわっ、マジかよ、引くわ……!」
周囲の生徒たちは、一斉に距離を取る。
パキッ。
何かが壊れる音がした。
——理性だった。
生徒会のメンバーが人生を諦めたように虚ろな目をした
「こうなったら……!」
もう一人、錯乱したように、女子トイレに飛び込む。
「ギャァァァーーー!! 変態ーーー!!」
「テメェ、ぶっ殺されたいのか?!」
「痴漢よ痴漢……ん? ぎゃぁぁーーー!! 臭っ!!」
騒然とする廊下。
扉の向こうからは、怒声と悲鳴が入り混じる。
次の瞬間、女子トイレから女子生徒たちが次々と飛び出してきた。
「なにあれ、ヤバすぎ!」
「ガチで終わってる……」
「救いようがないな……」
その様子を遠巻きに見ていた生徒たちも、呆れたように顔を見合わせる。
あまりの惨状に、誰も彼らを助けようとはしなかった。
校舎の出口——。
金髪の男は、汗と涙を滲ませながら、フラフラと足を引きずるようにして進む。
まともに立っていられない。
腹の激痛と、限界を迎えた下半身が、すでに彼の判断力を奪い去っていた。
——だが、その前に、立ちはだかる影があった。
「どけぇ……!」
金髪の男は、苦しみながら叫ぶ。
しかし、その人物は微動だにせず、ただ手をポケットに突っ込んだまま、無言で睨みつけている。
——龍崎 勝。
鋭い目が、冷たく金髪の男を射抜く。
「邪魔……だ、どけ……ッ!!」
金髪の男は、今にも崩れそうな足取りで、一歩前へ出る。
しかし、その瞬間——。
バシッ!
突風のような蹴りが、金髪の男の腹をえぐった。
「ぐっ……お……ぁ……!!」
そのまま、男は膝から崩れ落ちる。
プシュッッッ、プップップッ。
男の後ろから黄色い液体が染み出してきた。
周囲の生徒たちはドン引きし、距離を取る。
龍崎は、冷めた目で見下ろしながら、一言だけ呟いた。
「汚ねぇから、近寄んな。」
金髪の男は、白目を剥き、腹を抱えながら地面をのたうち回る。
——すでに生徒会メンバーたちは壊滅状態だった。
トイレに駆け込んでも間に合わず、絶望のまま倒れる者。
あまりの惨状に、逃げるようにして姿を消す者。
理性を捨て、女子トイレに突撃して人生を終えた者——。
全員が、完全に終わった。あらゆる意味で。
「何だ何だ、何の騒ぎだ?」
騒動に気づいた各教室の生徒たちが、次々と廊下へ顔を出した。
異様な空気が漂う。
そして——鼻を突く悪臭。
「……クサッ! 何事だ?」
生徒たちが遠ざかる中、白川が眉をひそめながら廊下へ足を踏み入れた。
視界に飛び込んできたのは、座り込んだまま動けない生徒会メンバー。
虚ろな目、うなだれた体、床に広がる薄黄色液体——。
あまりに惨めな光景だった。
白川の声を聞いて、ぼんやりとしていたその男が、ゆっくりと顔を上げる。
「か……会長……」
掠れた声が、助けを求めるように漏れる。
白川は、一瞬で状況を理解した。
そして——表情が一変する。
顔色が、真っ黒に染まった。
「…………。」
白川の視線は、まるで道端のゴミを見下ろすかのように冷たかった。
そして、一言も発さず、無言で踵を返し、その場を立ち去った。
取り残された生徒会メンバーは、助けを求めるように手を伸ばしたが——
白川は、二度と振り返らなかった。
これが、若林高校の歴史に刻まれる大事件——生徒会脱糞事件。




