13 取引
校門前での情勢は一気に逆転した。
五人の生徒会メンバー vs 十数人の一年生。
生徒会のメンバーは、何が起こっているのか理解できないような顔をしていた。
彼らが想定していたのは、孤立無援の楓が屈辱を味わうシナリオだったはずだ。
だが、実際には一年生が団結し、圧倒的な数で睨みを利かせていた。
楓は一歩前に出る。
「"先輩"、まだ用事でもあるか?」
人畜無害な笑顔。
生徒会メンバーは思わず後ずさる。
ここで引いたら、顔がさらに丸潰れだ。
それだけではない——
彼らは無意識のうちに、もっと恐ろしい"誰か"の存在を思い出してしまった。
その背筋が冷えた瞬間——
「おやおや、朝からずいぶんと賑やかだね。」
ニコニコと爽やかな笑顔、モデルのように整った顔立ち。
そして、金色のハーフリムのメガネ。
まるで場違いな芸能人のような存在が、軽やかに拍手しながら近づいてきた。
——白川優樹。
生徒会メンバーは、まるで救世主が現れたかのように彼に縋るような視線を向ける。
だが、その表情には、微かな恐怖の色が滲んでいた。
「会長、その……これは……」
生徒会の一人が、言葉を詰まらせる。
白川は相変わらずの笑顔のまま、ゆっくりと楓に向かって歩を進めた。
空気が変わる。
白川の歩みに合わせるように、場の温度が少しずつ下がっていく。
一年生たちも、これまで上級生に対して引かずにいたが——この男には、何かがある。
それを、一年生たちの本能が感じ取っていた。
白川は軽く首を傾げる。
「——さて。これはどういう状況かな?」
生徒会の一人が、白川に説明する。
「……これは校則違反の検査です。しかし、この一年生はまったく協力してくれません。」
「ふんふん……」
事情を把握したかのような態度で、白川優樹が楓に向き直る。
「やぁ、新入生代表くん。昨日は挨拶しなかったね。」
その姿は、まるで友好的に見える。
「私は生徒会会長の白川優樹。よろしくね。」
ニコニコと微笑みながら
「さて……検査に協力してもらおうか。」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで——
「……といいたいところだが。」
背後から靴音が響く。
——龍崎だ。
無言のまま、ゆっくりと校門をくぐる。
彼の登場で、微妙に場の空気が変わった。
情勢は、さらに白川たちにとって不利になっていく。
それを察したのか、白川は軽く息をつき、肩をすくめる。
そして、生徒会メンバーに向かって、軽く手を振った。
「……まったく、新学期早々、こんな野暮なことをするのは感心しないなぁ。」
まるで諭すような口調。
しかし、その声には、ほんのわずかに苛立ちが滲んでいた。
「悪いね、黒田くんだっけ?」
——わざと、楓の名前を間違える。
楓は微動だにせず、白川を見据えた。
厄介だ。しかも、賢い。今までの相手とは明らかに違う。
生徒会に指示を出したのは白川のはずなのに、まるで無関係のように振る舞っている。
その態度は、一切の隙を見せない。
白川はニコニコと笑ったまま、何もなかったかのように続ける。
「ま、せっかくの新学期だしね。君たち一年生も、楽しい学校生活を送ってくれたまえ。」
楓は目を細めながら、静かに答える。
「……ええ、"楽しい"学校生活を送らせてもらいますよ、"会長"。」
——二人の視線が交錯する。
その短い瞬間に、互いの意図を探り合う無言の攻防があった。
だが、どちらも表情は崩さない。
白川は軽く肩をすくめ、くるりと踵を返す。
「では、また。新入生代表くん。」
そう言い残し、彼はゆったりとした足取りでその場を去っていった。
生徒会メンバーも、慌てて彼の後を追う。
表には出さないが、楓は久々に怒りを感じた。
授業中、静かにペンを回しながら頭を整理する。
龍崎といい、白川といい、若林のレベルは思った以上に高い。
世の中、自分の思い通りにはいかないものだ。
しかし、それ以上に今、最も頭を悩ませているのは黒楓会の"取引"だった。
小規模なヤクザなら、用心棒代が主な収入源になる。
今の黒楓会は、すでに50人規模の組織、収入の8割は、"取引"。つまり、麻薬だ。
黒楓会は自分のシマで麻薬密売を行っている。
それ自体に問題はない。
だが、少々面倒なことが起きた。
裏ルートを通じて、とある人物から大量に仕入れた新型薬——アイス。
予想以上に売れ、あっという間に在庫は捌けた。
2、3回繰り返した後、仕入れ先の男はその場で値段を吊り上げた。
本来1グラム1万円弱だった品が、一気に3万円に跳ね上がる。
結果、利益のほとんどを持っていかれることになった。
それでも、せっかく開拓した市場を、今さら放棄するつもりはなかった。
自分がやらなきゃ、別の誰かがやるだけの話だ。
だからこそ、楓は新たな仕入れ先を探すことを決めた。
2週間前、楓は矢崎に極秘の任務を与えた。
成田連山での実弾練習を終え、楓一行はシマへ戻った。
しかし、矢崎だけは別行動を取ることになった。
目的は、ある人物の尾行。
その人物は、裏社会で「トイレの花子さん」と呼ばれているが、実際は女性ではなく、中年のハゲた男だった。
——異様な名前の由来は、取引の場所にあった。
彼は常に各店舗のトイレで取引を行う。
その手順は決まっていた。
1. トイレのドアを三回ノックする。
2.「花子さん」と三回呼ぶ。
3. それを合図に、取引が始まる。
独特な手口と、徹底した匿名性の保持。
それが"トイレの花子さん"という異名の由来だった。
現在黒楓会の仕入れ先は、この“トイレの花子さん”——貪欲な男だ。
今回、楓が矢崎に課した任務は、直接の接触ではなく、尾行だった。
目的は、“トイレの花子さん”の背後にいる人物や組織を探ること。
"花子さん"はただの仲介人にすぎない。その裏には、必ず“本当の売人”がいる。
楓の考えは、至って単純だった。
「そいつらと直接取引をする。」
あるいは——
「そいつらを跡形もなく消す。」
しかし、2週間が経過しても、矢崎からの報告は毎日同じだった。
「花子さんとターゲットらしき人物との接触はなし。」
楓は校舎の屋上で、携帯を耳に当てながら報告を受けていた。
「……やつは毎日、固定の行動パターンを繰り返しています。」
矢崎の落ち着いた声が、無機質な電波越しに流れる。
「夕方ごろに外出し、家の近くの店で食事を済ませた後、決まった店で取引をする。深夜にはバーに立ち寄り、そのまま自宅のアパートへ戻る。不審な人物と接触する機会は、取引の最中かバーだけですが——軽く調べた限り、取引相手はどれも普通の客でした。バーでも基本、一人で隅に座るだけです。」
楓は携帯を握りしめたまま、屋上の柵にもたれかかる。
困ったことに、黒楓会の在庫がすでに底をつきかけている。
このままでは、再びこの男から仕入れるしかない。
だが、単価が気に食わない。
楓は軽くため息をつきながら
「……そんなに毎日取引を回すほどの量が必要なら、どこかのタイミングで入荷しているはずなんだがな。」
「そうなんですね。」
「他に気になるところはあるか? どんな些細なことでも。」
「特にはないですけど……しかし、本当にケチな野郎ですね。あんだけ金を持っているのに、古いアパートに住んで、バーでも安酒しか頼まないし。食事はほとんど牛丼とラーメン、せいぜいたまに出前を頼むくらいですね。」
——楓は目を細めた。
しばらく静かになる。
「……もしもし、楓さん?」
「それだ。」
「はい? なんすか?」
「出前だ。」
「えっ?」
「矢崎、あんたは出前をよく頼むか?」
「……は、よくはしないですけど、たまに大地さんたちと集会する時に利用します……あ、なるほど!」
「そういうことだ。」
——あんなケチなやつが、店が近くに揃っているのに、わざわざ配達料を払ってまで出前を頼むのは不自然だ。
「その出前をよく調べろ。何かあるはずだ。」
「了解っ、さすが楓さん!」
矢崎の声が明らかに興奮を帯びる。
さらに二日が経過した。
上級生たちは目立った動きを見せていない。
手を出す機会がないのか、それとも何かを企んでいるのか——
いずれにせよ、しばらくは静かな日が続いていた。
楓は情報を探りつつ、矢崎の報告を待っていた。
放課後、事務所に戻った瞬間、携帯が鳴る。
「ターゲットが現れました。」
矢崎の静かな声が、確かな緊張を孕んでいた。
「……慎重に動け。今回の相手は極めて危険だ。」
短く警告を告げ、携帯を切る。
「おっ、久々の実戦か。」
鬼塚は血が騒ぐかのように笑みを浮かべた。
「いや、まだ情報が足りない。相手の人数、組織の正体、規模……何も分からないまま奇襲をかけるのは無謀すぎる。」
「チッ……まあ、確かにな。」
楓は腕を組み、考え込む。
今後は、より整った情報システムの構築が不可欠だ。
一方、古びたアパートの二階。
帽子を被り、料理屋の制服を着た配達員がドアをノックした。
しばらくして、ハゲた男——"トイレの花子さん"が姿を現した。
ドア越しに簡単なやりとりを交わした後、配達員は木製のボックスを男に渡した。
男は素早くそれを受け取り、ドアを閉めた。
配達員は何事もなかったように自転車にまたがり、そのまま走り去った。
——その様子を遠くから監視している矢崎が、即座に動き出した。
慎重に距離を保ちながら、尾行を開始した。
配達員は、やけに遠回りしながら街を進んでいる。
しばらくすると、人気の少ない路地裏へと入っていく。
矢崎は車の中で、降りるか待つか悩んでいる最中——
路地裏から、再び自転車が出てきた。
しかし、乗っている人物が違う。
——いや、違うのではない。ただ、変装しただけだ。
緑色の帽子を被り、ワイシャツに黒いリュック。
まるで一般人のような装いに変わっている。
しかし、矢崎の目は誤魔化せない。
……ますます怪しい。
矢崎は再び尾行を続けた。
そして、男がとある場所へ入るのを目撃した。
——よりにもよって、ここに?
1時間が経過。
その男は一向に出てこない。
いや、出たとしても、もうわからない。
なぜなら、ここは楓が通う学校——若林高校。今はちょうど下校時間だ。
生徒たちが次々と校舎から出入りしている。
人の波が激しく、誰が誰なのか判別しようがない。
この混雑の中で、一人の男を特定するのは不可能だった。
矢崎は、歯を食いしばりながら携帯を手に取る。
「楓さん、事態が変わりました。やつは……」




