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110 会話

 すぐ近くの二階建ての店。その入り口の脇に、黒いスーツを着た白人男性が直立して待っていた。

 男は楓たちを一瞥すると、わずかに顎を引いて声をかける。

 「……クロノ様で、おまちがい……ないデスか?」

 カタコトの日本語。

 抑揚の薄い発音が、かえって異質さを際立たせていた。

 「ああ。俺だ」

 楓が答えると、男は丁寧に一歩下がり、手で店内を示した。

 「おまちしておりました。……コチラへ、どうぞ」

 楓は店の入口へ向かった――

 しかし、足を踏み出す直前でふと動きを止め、静かに周囲へ視線を巡らせた。

 ここは宇都宮駅前。夜七時を少し過ぎた時間帯。

 仕事帰りの人波が絶えず流れ、サラリーマンや学生、買い物帰りの家族連れまで入り混じって歩いている。

 さらに視線を遠くへ向けると、道路を挟んだ先、およそ五十メートルほどの場所に交番があった。

 制服姿の警官が二名、ガラス越しに中の様子が見える。

 この環境で発砲は不可能だ。

 もし銃声がひとつでも響けば、警官はもちろん、一般人まで巻き込む大騒ぎになる。

 リスクを限界まで抑えつつ、逃げ場も無い――そんな安全で危険な場所だ。

 ――黒楓会への警戒か。それとも、黒楓会に手を出す気はないという余裕なのか。

 「……クロノ様?」

 入口脇に立つスーツ姿の白人男性が、再び声をかけてきた。

 楓はそちらへ視線を戻し、迷いなく店内へ足を踏み入れた。

 龍崎と"影"の二名が静かに続き、扉が閉まると同時に、外の喧騒は一気に遠のいた。

 室内は落ち着いた照明で、壁には洋酒の瓶がずらりと並び、どこか異国めいた空気が漂っている。

 カウンターには誰も座っておらず、今は貸し切りのようだった。

 案内役の白人は振り返り、丁寧に頭を下げる。

 「……上デ、お待ちしております」

 短い日本語の案内と共に、男は階段の方へと歩き出す。

 二階の一室へ案内され、楓は無言で中へ入った。

 続いて龍崎たちが足を踏み入れようとした瞬間、入口脇の白人男性が腕を横に広げ、行く手を遮る。

 「ここから先は、同行……イケません」

 その言葉に、龍崎の目がふっと細まり――

 空気が一変した。

 白人男性は、胸の奥を冷たい刃で撫でられたような錯覚に襲われ、思わず一歩後ずさる。

 ――なんだ、この少年……殺気が、尋常じゃない。

 「龍崎――大丈夫だ」

 楓の静かな声が響くと、龍崎の目に宿った鋭い殺気が、刃を納めるようにゆっくりと消えていった。

 楓は振り返らずに続ける。

 「行ってくる。……そこで待っててくれ」

 龍崎は短く息を吐き、静かに頷いた。

 「……気を付けろ」

 部屋の扉を開けると、すでに二人の男が席に着いていた。

 一人は、企業の役員と見まがうような、整ったスーツに眼鏡をかけた日本人の中年男性。

 もう一人は、短い天然パーマの金髪をもつ白人男性だ。

 白人男性は楓を一瞥すると、軽く手を上げて――席へ座れ、と無言で促した。

 楓も遠慮など見せず、無造作に椅子へ腰を下ろした。

 その瞬間、白人男性が低い声で口を開く。

 「…Приятно познакомиться, Куроно Каэдэ. Ты гораздо моложе, чем говорят.」

 (初めまして、玄野楓。噂よりずいぶん若いな)

 隣の日本人男性――眼鏡の中年男が、落ち着いた口調でその言葉を通訳し、さらに続けた。

 「僕は早乙女晋作と申します。そしてこちらが――アレクセイ・チェコフさんです。よろしくお願いしますよ、玄野会長」

 「かのスコート・ファミリーの人間と、草薙警備会社の役員――早乙女晋作に会えるとは、光栄だ。初めまして。俺が黒楓会会長、玄野楓だ」

 チェコフが楓を真っ直ぐに射抜くように見据えた。

 「Тогда перейдём к делу, господин Куроно.Недавний взрыв в нашей компании… у вас есть какое-нибудь оправдание?」

 (では本題に入ろう、玄野さん。先日うちの会社を爆破した件について――何か言い訳はあるか?)

 言い訳……?

 ――ずいぶんと上から物を言う。

 楓は微動だにせず、露骨な圧力をまるで風のように受け流した。

 「ひとつ確認しておく。あんたは……スコート・ファミリーを代表できる立場の人間か?」

 晋作が慣れた調子でロシア語へ通訳する。

 その言葉を聞いた瞬間、チェコフの眉がピクリと動いた。

 明らかな不快と、同時に値踏みするような視線が乗る。

 チェコフは姿勢を崩さぬまま、低くロシア語で答えた。

 「Да. Здесь, в Японии, я — высший представитель.Мои слова передаются в Семью без искажений.」

 (そうだ。日本において私は最高位の代表だ。

 私の言葉は、そのままファミリーの意見として通る)

 ――こいつが日本側の責任者か。

 LTのデイビッドとは、まるで違うタイプだ。

 デイビッドはもっと商売人らしい円滑さがあったが、このチェコフは、ただ露骨な傲慢さだけを振りまいている。

 「Куроно Каэдэ, я всё ещё жду отв—」

 (玄野楓さん、先ほどの質問、まだ返事を――)

 チェコフが言い終える前に、楓は通訳を待たず口を開いた。

 「チェコフさん。爆破の件なら――まず御社内部を調べることだな。

 黒楓会は関係ない。この話はここで終わりだ」

 唐突に会話を断ち切られ、チェコフは目だけで晋作を見やる。

 晋作もわずかに目を細めた。

 少し前、二人は草薙警備会社の死傷者を洗った際、一人だけ行方が完全に消えている事実に気付いていた。

 ――横内勘助。家族ごと、存在が抹消されている。

 楓の言葉は、その核心を突いたも同然だった。

 ――やはり、晋作の言ったとおりか。

 実際にビルを爆破したのは横内勘助。

 その家族を人質にし、事が終わり次第、口を封じたのだろう。

 そうなれば、証拠も証人も、この世から完全に消える。

 あとは、黒楓会が今のように"何も知らない"と押し通せばいい。

 表の法律で黒楓会を追い詰めることなど、不可能だ。

 楓も、二人の視線に滲む思考を読み取っていた。

 もちろん――それはそう思わせるために言ったのだ。

 完全否定しても意味はない。

 むしろ、疑いを抱かせたままにしておいた方がいい。

 ――自分がやったとしても、あんたらにはどうにもできない。

 そういう余裕を見せた方が、主導権はこちらに傾く。

 結果として――初対面の場で、楓は一歩リードした。

 早乙女晋作は、そこでようやく真正面から楓を見据える。

 その漆黒の瞳は、まるで何でも吸い込むような底なしの魔力を帯びていた。

 ――三河雅に、似ている。

 その年齢で、この胆力。この知略。この残忍さ。そして、この切り返し。

 なるほど……噂以上に厄介な男だ。

 しかし――早乙女晋作が慎重に楓を観察しているのとは対照的に、チェコフには警戒の色がまるでなかった。

 世界最強勢力の一角・スコートファミリーの幹部という自負。

 その傲慢さゆえか、それとも東洋の若造を心底見下しているのか。

 彼には、楓の危険性が一ミリも届いていないようだった。

 チェコフは、脚を組み直しながらゆっくりと口を開く。

 「Твои оправдания в подпольном мире не работают.

Раз уж ты поднял руку на нас — заплатишь соответствующую цену.

Но мы, семья Скорт, великодушны.

Поэтому я дам тебе два варианта.

Первый — выплати за восстановление здания и компенсацию… пять миллиардов иен.」

 (その言い訳は裏社会では通用しない。

 我々に手を出した以上、それ相応の代償は払ってもらう。

 もっとも、我々スコート・ファミリーは寛大だ。

 そこで君に、二つの選択肢を与えてやる。

 ひとつ目は……ビルの再建費と損害賠償として、五十億円を支払うことだ)

 晋作は、それをほぼ同時に通訳する。

 「そして二つ目は……黒楓会が我々の傘下に入ること。

 つまり、スコート・ファミリーの"二次団体"として従属してもらう、という話です」

 その通訳を聞き終えた瞬間――

 楓は、ため息すらつかずに笑い出した。

 「……ククッ。チェコフさんは、随分ユーモアがあるようだな」

 呆れと嘲りが入り混じった声だった。

 楓にとって、提示された二択はどちらも論外だ。

 五十億?

 黒楓会の在庫を全部さばけば払えない額ではない。

 だが――払う理由がどこにもない。

 黒楓会がスコート・ファミリーの二次団体?

 それこそ、最もありえない話だ。

 チェコフは、楓の笑みにわずかな不快を覚えた。

 だが、世界最強勢力の幹部としての誇りか――

 余裕を崩す気配は微塵もない。

 「Я выбрал это место как знак нашей доброй воли, господин Куроно.

 Вы умный человек. Если войдёте под крыло семьи Скорт — получите силу, способную противостоять не только бандитам Канто, но и клану Кавгути.

 Разве это плохое предложение?」

 (この場所を選んだのも、我々の誠意の証だ。

 玄野さん、あなたは賢い。スコート・ファミリーの傘下に入れば、関東極道どころか、川口組にまで対抗できる力を持てる。

 悪い話ではないだろう?)

 楓はチェコフを見なかった。

 代わりに、ゆっくりと早乙女晋作へ視線を向ける。

 「……あんたは、それでいいのか?」

 晋作は眼鏡を指先で押し上げた。

 反射した光で、その目は読めない。

 「……何の質問か、理解しかねますが」

 その曖昧な態度に、楓は鼻で笑った。

 「失望したぞ。いい相手かと思ったが――結局、ただの外国勢力の犬か」

 楓はゆっくりとチェコフへ視線を移し、

声だけを早乙女晋作へ落とす。

 「……そいつに通訳してくれ。

 腰抜けも混じってるが――日本の極道を舐めんな、とな」


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