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105/106

105 夜襲

 夜。

 佐竹から定期連絡が入る。

 『ご指示どおり、量産の"スピード"を全部 LT と青龍幇に流しやした。……本当にこれでよろしいんですか?』

 覚醒剤"スピード"――

 黒楓会の研究員、前田拓也が密かに開発した高依存性の最新型薬物。

 その快感は、従来の薬を遥かに凌駕する。

 青龍幇を経由し、歌舞伎町へ流したところ、裏社会では瞬く間に評判を呼び、莫大な需要を生んだ。

 「無論だ。"アイス"は既に新聞で取り上げられている。そこに"スピード"まで千葉発祥と結び付けられれば、黒楓会は社会的にも警察的にも一気に追い込まれるだろう。

 今のところ、"スピード"が黒楓会製だと知る者は、LTと青龍幇だけだ。

 奴らのような外国勢力に流し、向こうの手で警察の目を逸らしてもらう方が都合がいい」

 『なるほど……さすが楓さん』

 「"アイス"の量産は継続しろ。地方勢力の懐柔に使う武器になる。

 それと、例の件はどうだ?」

 『はっ、万全です。研究所が二度と襲われぬよう、偽の研究所を五カ所設けやした。これで警察の目も欺けるでしょう』

 「よし、備えておけ。近いうちに"スピード"の影響力は"アイス"を上回る。

 そのとき、上野安則警視監が黙って見過ごすわけがない」

 『了解しやした。』

 少し間を置き

 『……楓さん、茨城の方は順調ですか?』

 「……順調とは言い難い。思った以上に骨が折れる相手だ。

 だがな、これは黒楓会にとって初の県外遠征だ。失敗は許されん。

 ここで躓けば、今後の士気にも響く。」

 『無理はなさらないでください。

 本部は自分と鬼塚でしっかり守りやすんで』

 「ああ。あんたらがいるなら安心だ」

 通話を切ったあと、楓はしばらく事務作業を片づけ、顔を洗って自室へ戻った。

 普段なら、横になればすぐに眠りにつけるはずだった。

 しかし今夜に限っては、いくら寝返りを打っても眠気が訪れない。

 胸の奥で、何かが詰まったように落ち着かなかった。

 仕方なく、楓はベッド脇のテーブルランプを灯し、一冊の本を手に取った。

 和訳版の『三国志』。

 劉備、曹操、孫権――三国が互いに策をめぐらせ、牽制し合う古代中国の物語。

 武将たちの勇ましさも印象的だが、楓が惹かれるのは、やはり諸葛孔明をはじめとする"策士"たちの権謀術数だった。

 しばらく無言でページをめくる。

 物語の中の知略と駆け引きが、わずかに心を鎮めていく。

 ようやく眠気が差し始めた、そのとき――

 窓の外で、かすかな音がした。

 楓の部屋は三階にある。

 窓を少しだけ開け、下を覗く。

 月明かりに照らされた敷地内に、黒ずくめの人影が二十――いや、三十近く。

 ひとり、またひとりと影が動いていた。

 ――敵だ。間違いない。

 楓は即座に窓を閉め、部屋を出た。

 廊下には二人の警備が立っている。

 「お疲れ様です、会長。まだお休みになっていなかったんですね」

 一人があくび混じりに振り返った。

 「シッ――外に敵がいる。全員を静かに起こせ」

 「は、はい!」

 短く指示を飛ばしながら、楓は次の一手を考える。

 そのとき、ポケットの携帯が震えた。

 画面には佐藤の名。すぐに応答する。

 『会長、夜分恐れ入ります。正体不明の黒服の集団が、拠点敷地内に侵入しました。確認できただけで――三十名以上です』

 「……やはりな。あんたは今どこだ?」

 『モニター室です。矢崎副隊長は"影"と共に迎撃の準備に入りました』

 「よし。監視を続けろ。……今確認できているのが全員とは限らない」

 『了解』

 通話を終え、楓はテーブルに戻り、拳銃を手に取った。

 スライドを確かめ、弾倉を押し込む。

 廊下には、既に起こされた黒楓会の者たちが集まり始めていた。

 楓は短く指示を出す。

 「――全員、戦闘準備を」

 その時、先ほどの警備の一人が駆け戻ってきた。

 「か、会長、報告です! 龍崎さんと柏さんの部屋が……空でした!」

 楓は一瞬だけ思案し、すぐに言い切った。

 「――分かった。あの二人なら問題ない」

 今、拠点内にいる黒楓会の戦力は、幹部を含めて三十名に満たない。

 他の者たちは既に各地に散っている。敵がすでにこの拠点を特定している、もし今の襲撃が陽動で、本当の狙いが分散配置された若衆たちであるなら、増援を呼べばその増援ごと敵にやられる危険がある。

 たとえそうでなくとも、こちらの総戦力をみすみす晒す必要はない。

 ならば、選択は一つ。今ここにいる人数で凌ぐしかない。

 その時、一階から、突き上げるような銃声が響いた。

 乾いた破裂音が、ビル全体に反響する。

 ――始まった。

 矢崎と"影"の隊員が、すでに交戦に入ったのだ。

 エントランスの照明はすでに落とされ、非常灯の赤だけが、床を血のように染めている。

 "影"の隊員が柱の陰に身を潜め、敵の動線を読む。黒服の侵入者たちは手際よく陣形を組み、左右の廊下から同時に侵入を試みてきた。

 「……三秒後、右へ回り込む」

 矢崎の低い声が、無線越しに流れる。

 「了解」

 次の瞬間、"影"の一人が転がるように前進し、敵の足元へ閃光弾を投げた。

 白光と同時に、銃火が交錯する。

 パーン、パーン――

 侵入者の一人が叫び声を上げ、床に崩れ落ちた。

 しかし、敵も只者ではなかった。

 閃光の残滓の中、銃口の火花を正確に捉え、次の瞬間――ダダダダダッ!

 廊下を埋め尽くすほどの銃撃が走る。

 火花が柱を穿ち、壁が砕け、弾丸の雨が降り注いだ。

 遮蔽物の影にいた"影"の一人が、声を上げる暇もなく蜂の巣にされた。

 「――蒲田!」

 矢崎の怒声が響く。

 返事はない。

 隣に潜んでいた隊員が歯を食いしばり、低く呟いた。

 「……ダメだ、蒲田はもう……」

 弾丸の金属音と焦げた薬莢の匂いが、五感を焦がしている。

 "影"の一人ひとりが、黒楓会でも選び抜かれた精鋭だ。

 全員が、佐藤守の下で長期にわたり実戦訓練を積んできた。

 その数は多くない。だからこそ、一人を失うことは――組にとって致命的な痛手だった。

 仲間の亡骸を前に、誰も声を上げない。ただ、引き金にかかる指の力だけが静かに増していった。

 パーン、パァーン――

 ダダダッ、ダダダダダッ——

 黒服の銃火も、止まることなく一階エントランスの奥を襲う。

 「二階まで下がれ」

 矢崎が短く命じる。

 矢崎ともう一人が援護射撃を続けつつ後退する。

 残る者たちは素早く階段へと移動した。

 二階で、楓たちと"影"が合流する。

 「状況は?」

 「エントランスに二十名ほど。二階へはまだ押し上げられていません。一階は矢崎副隊長と城戸が残ってしんがりを務めています。蒲田は――やられました」

 「なに?!」

 楓の表情が一瞬、怒りに染まった。蒲田は以前、バーでの襲撃で共に戦った"影"の一人だった。

 ドン——

 楓は拳銃のストックを壁に強く打ちつける。

 「クソッ、この借りは必ず倍にして返す」

 その瞬間、上階から銃声が響いた。

 全員が思わず階段を見上げる。悲鳴が混じり、倒れる音、そして複数の足音が続く。

 「ちっ、上からか」

 楓が舌打ちする。

 「あっしに任せてくだせぇ」

 稲村が声を上げ、銃を構えて階段へ向かう。

 「気をつけろ。奴らの装備はこっちより優れている」

 振り返らず、稲村は親指で合図を送った。数人がその後に続き、三階へ駆け上がった。

 楓は、静かに唇を引き結んだ。

 正面突破で主力を押し込み、三階へ奇襲をかけ、挟み撃ちで殲滅する——見事な作戦だ。しかも短時間で建物外から三階まで上がれている。装備の良さ、動きの鮮やかさからして、奴らはただの雑兵ではない。"影"と同列の、敵の精鋭部隊と見て間違いない。

 ならば――

 一階を堅く守りつつ、三階の奇襲を食い止め、叩き潰す。そうなれば奴らは撤退するほかあるまい。

 「いいか。矢崎に合流し、階段で食い止めろ。敵を絶対に二階まで上がらせるな」

 階段を制することがこの戦いの鍵だ。通路は狭く、視界も限られる。そこで戦えば、数と火力の優位をある程度相殺できる。

 「清水、外から三階まで登れるか?」

 「はい!」

 「よし。外から奴らの後を取れ。奇襲をかけ、動きを断て」

 「あいさっ!」

 清水は二階廊下の奥へ走り、窓際に身を寄せた。外を素早く確認――敵の姿はない。

 息を殺し、窓の鍵を外すと、静かに外へ身を滑らせた。

 一方その頃、階段では矢崎が負傷した城戸を肩に支えながら二階へ上がってくる。

 「大丈夫か」

 楓が駆け寄ると、矢崎は息を整えながら答えた。

 「自分は平気ッス。……城戸が撃たれました」

 「すぐに手当を」

 「はっ」

 若衆二人がすぐ駆け寄り、城戸を抱えて奥の部屋へと運ぶ。

 その直後――

 階下で黒服の一人が先陣を切って階段を駆け上がろうとした。

 バァーン! バン、バンッ!

 銃声が重なり、男の体が弾けるように倒れ込む。

 血が階段を染めるのを見て、後続の者たちは一斉に動きを止めた。

 階段のコーナーを挟み、双方が激しく火を交わした。

 バンッ、バンバンッ――銃声が反響し、壁に弾痕が散る。

 しかし、誰一人として前へ出ることはできない。

 階段のコーナーを境に、互いに姿を晒せば即座に撃ち抜かれる。双方は弾丸で語り合うだけで、一歩も動けない。

 硝煙の匂いが充満し、熱気と焦燥が二階の空気を重くする。


 三階。

 稲村たちが迎撃の指揮を執っていた。

 狭い廊下に銃声がこだまし、火花と硝煙が入り混じる。

 黒服たちは壁を盾に、低く構えながらじりじりと前へ詰めていた。

 その最中――背後の闇を切り裂くように、一つの影が駆け抜けた。

 人影は風のような速さで接近し、逆手に握ったナイフが一閃。

 刃が空気を裂く音と共に、黒服の二人の首筋に細く赤い線が浮かび、次の瞬間、血が滝のように溢れ出す。

 声を上げる暇もなく、二人の体が床に崩れ落ちた。

 突如として背後からの急襲――黒服たちは即座に反撃に転じた。

 バンッ、バァン、ダダダダダッ!

 銃火が廊下を焼き、弾丸が壁を抉る。

 しかし、人影は撃たれるより早く、手前の部屋に滑り込み、姿を消した。

 これほどの火力を前に、さすがの清水でさえ、これ以上は接近できなくなった。

 戦況は膠着していた。

 敵は倒せない。こちらも押し切れない。銃声は鳴り続けるが、動きは止まっている。

 そのとき、黒服の無線が冷たく響いた。

 『……全員、直ちに撤退しろ』

 

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