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104 次男

 負傷した加藤は拠点に戻り、応急処置を済ませると三河の前へ進み出て報告した。

 「……以上が、任務の結果です」

 簡潔に事実だけを述べ終えると、三河は短く頷き、淡々と告げる。

 「それでいい。私は殺せとは命じていない。

 向こうが備えていた以上、早乙女の次男が動いていると見て間違いない。

 ――玄野楓、誤算だったな。

 早乙女組を甘く見てはならない。何せこの茨城で、数十年にわたり存在し続けてきた勢力なのだから」

 三河は軽く手を払う。

 「……ご苦労だった。傷の手当てを済ませたら、しばらく静かにしておくといい」

 「恐縮です。……失礼いたします」

 加藤は一礼し、その場を離れた。

 三河は静かに立ち上がり、窓辺へと歩みを進めた。

 闇に沈む外の光景を見下ろしながら、口元にわずかな笑みを刻む。

 「直接手を交えるのは、これが初めてだね。

 ……せいぜい愉しませてくれたまえよ、玄野楓」



 筑波の洋館。

 先程の戦闘の痕跡は完全に拭い去られ、代わりに黒いスーツの男たちが、エントランスホールへぎっしりと集まっていた。

 重厚なソファには、杖を握りしめた禿頭の老人と、眼鏡の男が静かに腰を下ろしている。

 その対面――テーブルを挟んで立つのは、場違いなほど粗野な二人、一人はモヒカン頭、もう一人は腹が突き出た肥満体の男。

 彼らは早乙女建設が使う下っ端の半グレ。

 一般人相手に威圧するための、言わば捨て駒に過ぎない。

 エリート然とした空気が支配するこの場において、彼らの存在はあまりにも安っぽく見える。

 モヒカンの男が震える指で、テーブルに並べられた数十枚の写真をめくっていく。

 やがて、二枚の写真の上で指が止まった。

 「こ、こいつらッス……!

 あの日、定食屋で見た四人のうちの……二人です……!」

 写真に写るのは――二人の少年。

 一人は黒髪を整えた端正な顔立ち。

 年若いのにどこか気品が漂い、落ち着きすら感じさせる。

 もう一人はサイドを刈り上げたツーブロック。鋭い眼光で刀を振るい、誰かと激しく切り結ぶ姿。

 いずれも、遠距離からの歪な角度。

 盗撮であることは明白だった。

 スーツの男がすぐに二枚の写真を取り上げ、恭しく眼鏡の男へ差し出す。

 男はそれを受け取り、ニヤリと口角を吊り上げながら視線を走らせ、そして隣の老人へと、静かに手渡す。

 老人は写真を見た瞬間、その皺の深い目の奥に、黒い炎がゆっくりと灯った。握った杖がギリ、と音を立てる。抑えようとするほど、震えが増した。

 「これが……黒楓会会長、玄野楓……

 そして……あの龍崎勝という剣士、か」

 言葉を吐き出すたび、怒りが滲む。

 胸の奥から、沸き立つように。

 「奴らが……我が息子を……殺したのか……」

 眼鏡の男は、無表情のまま二人の男へ視線を落とした。

 「……本当に、この二人で間違いないのだな?」

 その声音に、モヒカンが慌てて背筋を伸ばす。

 「は、はいッ! 絶対その二人です!」

 「お、俺も見たッス……! 間違いねぇッス!」

 眼鏡の男は軽く頷き、ふと疑問を装うように言葉を続ける。

 「しかし……妙だな。

 あなたたちの話では、随分と彼らを挑発していたそうじゃないか?なぜあなたたちは生きて戻れた?」

 「……っ」

 モヒカンと太った男の顔から血の気が引いて、二人の顔色が一気に青ざめた。

 ――黒楓会。

 ――玄野楓。

 ――龍崎勝。

 自分たちがあの場で手を出したのは、四大勢力の中でも、最も触れてはならない怪物だった。

 背中に冷水を浴びせられたような感覚。

 呼吸が浅くなる。

 眼鏡の男は、怯えきった二人を見下ろしながら、老人の手にある写真へと目を細めた。

 ――ふむ。怯え方は本物か。

 わざと問い、わざと揺さぶった。その反応を計るために。

 黒楓会が敵陣へ潜り込むのなら、まず騒ぎを避ける。正体をさらすような真似はしない。

 眼鏡の男の唇が、愉悦に歪んだ。

 ついに怒りを抑えきれなくなった老人は、杖先を強く床へ叩きつけた。

 乾いた衝撃音が、広いエントランスに鋭く響く。

 「……おのれ、黒楓会め……ッ!」

 長年積み上げてきた威厳さえ、怒りに軋む。

 「千葉へ行け、その小僧どもを――見つけ出して叩き潰せ!!」

 怒号が空気を震わせ、モヒカンと太った男は反射的に膝を折った。

 「ひぃっ……!」

 その様子を横目に、眼鏡の男が静かに老人へと振り向いた。

 「まぁまぁ、お父さん。お気持ちは分かりますが……奴らはおそらく、まだ筑波に潜んでいるかと。

 ならば、あの定食屋から半径五キロ以内を洗えば、何かしら尻尾は掴めるでしょう」

 「そ、そうか……さすが晋作だ。

 ワシの……自慢の息子よ……」

 その時、床に伏せていたモヒカンが、おずおずと声を漏らす。

 「あ、あの……」

 老人と眼鏡の男が同時に視線を向けた。

 怒気を含むその圧に、モヒカンは更に頭を深く下げる。

 「い、いえッ! す、すみませんッ! その……気になることがありまして……」

 喉が引きつるような声。

 眼鏡の男は形だけ穏やかに首を傾げてみせた。

 「……気になること?言ってごらん。隠し立ては悪手だよ」

 モヒカンの背に、冷たい汗が滴る。

 「その……俺たち、ずっと早乙女建設の下請けやってて……不動産とか、土地の動きにはちょっと鼻が利くんスよ……

 最近、川の向こうの工業団地に……一つ、物流会社が入ったんス。

 けど、深夜になっても人の出入りはあるのに、トラックとか……ほとんど見かけなくて……その……」

 言いながら、少しだけ顔を上げ、眼鏡の男の表情をおそるおそる伺う。

 「面白い情報だね。……あなた、名は?」

 眼鏡の男がニヤリと笑う。

 その笑みに、モヒカンは条件反射のように声を張った。

 「い、岩下鉄男ッス! その……早乙女組には前からすげぇ憧れてて……!お、俺――ずっと尊敬してたッス!」

 男は満足げに頷き、わざと老人へ聞かせるように言葉を続けた。

 「岩下君。この一件を無事解決できたら――あなたを早乙女組に入れてあげよう」

 岩下の瞳が一気に輝く。

 「あ、ありがとうございます!必ずお役に立ってみせます!!」

 モヒカンは深々と頭を下げた。その背中には、安堵と興奮が入り混じっている。


 全員が退室し、扉が閉まる音が遠ざかると、老人は一息、深く息を吐いた。

 その瞳には、怒りと哀しみが混ざる。

 「長男の耕作は……小さい頃に病を患い、そしてこの期に及んで裕作まで……

 晋作よ……ワシには、もうお前しかおらんのだ……」

 震える声は、父の本心そのものだった。

 ――対照的に。

 眼鏡の男――早乙女晋作は口元に笑みを浮かべていたが、眼差しはひどく静かだった。

 「ご心配なく。兄弟の分まで、僕は組に身を捧げますよ」




 筑波の、とある廃れた倉庫。

 黒楓会が一時的な拠点として押さえている場所だ。

 名義上は物流会社が所有していることになっているが、実際にはトラックが出入りすることなど滅多にない。

 筑波と土浦、まるで嵐の前の静けさのように、いつもなら騒がせる極道者たちの姿が見えなかった。

 黒楓会の臨時会議室。

 楓の前に、幹部の面々が並ぶ。

 楓は椅子に深く腰をかけたまま、片眉だけをわずかに吊り上げた。

 「……何者かが、早乙女組に手を出した?」

 佐藤は手元の資料を閉じ、はっきりと言い切る。

 「はっ。昨夜、正体不明の人間一名が、筑波にある早乙女組の拠点へ潜入。

 かなり奥まで入り込んだようですが、十数分後――

 複数の者に追われ、負傷した状態で撤退したとのことです」

 幹部たちの視線が一斉に動き、ざわつきが生まれる。

 「被害状況の詳細までは掴みきれていません。

 ですが、少なくとも――早乙女組の幹部に死者は出ていません」

 「その潜入者、付けていなかったのか?」

 「申し訳ありません、途中で気づかれてしまって……見失いました」

 会議室に、重い沈黙が落ちた。

 しばらくして――楓が口を開いた。

 「三河会……だな」

 その断言の根拠は、他の幹部には分からない。

 だが楓の判断を疑う者もいなかった。

 「会長、もしかしたら……あのメギツネの仕業だったりして……」

 柏がおずおずと問う。

 「……今はなんとも言えない」

 楓の声は低く、思考の奥に沈んでいた。

 ――なぜ、このタイミングで早乙女組に動いた。これを機に茨城極道を統一するつもりか……?

 いや、違う。

 早乙女組など、三河が本気になればとっくに潰せている。

 地盤、資金、政治力、どれを取っても――三河のほうが数段上だ。

 ではなぜ"放置"してきた。

 三河雅は、不穏要素を身の回りに置く性格ではない。

 危険と判断すれば、迷いなく切り捨てる男だ。

 ならば、理由は一つ。

 ――"できなかった"のだ。

 つまり……早乙女組に、あの三河ですら手こずる存在がいる。

 楓は早乙女組の資料を再びめくり、目を走らせた。

 ――早乙女組組長・早乙女正晋には三人の息子がいる。

 長男・耕作は幼くして病死。

 次男・晋作は聡明で、海外留学を経て福島で会社を起業。

 極道との関わりはほとんどなく、表の社会で成功している男らしい。

 三男・裕作は特筆すべき才覚こそないが、父の傍らで育ち、その分、早乙女正晋から深く愛されていた。

 ――いずれも、違和感はない。

 ……次男、早乙女晋作

 記録は淡々としている。

 極道と距離を置き、裏社会の抗争には無関係――

 そう書かれている。

 しかし、説明のつかない、微かな刺のような違和感。

 楓は資料を閉じ、静かに息を吐いた。

 ……これ以上考えても、材料が足りないか。

 それに――仮に早乙女組がこちらの動きに気づいていたとしても、この"臨時拠点"に辿り着くことはまずないと楓は判断していた。

 「引き続き、早乙女組と三河会の動きを見張れ。……それと、この拠点の周辺も徹底して目を置いておけ」

 「はっ」

 そう指示を出しながらも、楓の胸の奥では、まるで何かを取り落としたかのような、微かなざわめきが消えずに残っていた。

 ――どこか、見落としているのか……

 言葉にならない違和感だけが、静かに残り続けていた。

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