2そのうちマルガリータは、
そのうちマルガリータは、大きなあくびを何度もするようになりました。今まではきんきんに冴えていた目に、いつの間にか眠気が張りついているようです。足を動かすのが億劫になりましたが、立ち止まると本当に眠り込んでしまいそうで、前に進むしかありません。
「ケドルに着いたら、休みましょう」
見かねたヴァレリーがそう言いました。マルガリータは夢かうつつか分からないまま、うなずいていたようでした。
月が西に傾き始めたころ、二人はケドルに辿り着きました。そのままへたり込みそうになったマルガリータを、ヴァレリーが無理矢理立たせます。
「そんなところで寝たら、体中が痛みますよ」
そして、マルガリータを半分ひきずりながら、一軒だけ灯りがついていた家の扉を叩きます。
その家は、酒場と一緒になっている宿屋でした。エプロンをしたおかみさんが二人を招き入れてくれます。酒場で盛り上がっていた五、六人の大人たちが、ヴァレリーとマルガリータを見て目を丸くしました。
「こんな夜更けに外をほっつき歩いていたのか?」
「片方はまだ子どもじゃないか!」
「どこから来たの?」
ヴァレリーが、手を上げて野次を沈めます。
「寝てないんで、疲れてるんだ。まずは眠らせてくれ」
おかみさんは、二人を二階にある部屋に案内してくれました。
ベッドに倒れ込むなり、マルガリータは深い眠りに落ちていきました。いろんなことがあったので、疲れていたのでしょう。
目を覚ましたのは、お昼を少し過ぎた頃でした。うんとのびをしてマルガリータが体を起こすと、部屋の中にヴァレリーはもういませんでした。不安になって酒場に降りて行くと、彼はカウンターで宿屋の主人と談笑していました。
マルガリータがおずおずとヴァレリーに近づいていくと、彼は主人と顔を見合わせて笑いました。
「おはよう、お嬢さん」
宿屋の主人がそう挨拶しました。マルガリータは顔を赤くします。
「ごめんなさい、寝坊してしまって……」
「気にすることはないですよ」
ヴァレリーが鷹揚に肩をすくめます。主人が、バタつきパンとかりかりに焼き上げたベーコンを出してくれました。
「ありがとうございます」
パンをちぎるマルガリータを無遠慮に眺めながら、主人はヴァレリーに尋ねました。
「この子は、あんたの娘さんかい?」
「まあ、そんなところだ」
「どこにいくんだね?」
マルガリータは思わず答えました。
「北極星に会いに行くんです」
すると主人は大笑いしました。
「そいつはすごい! 今日び、北極星を探そうなんて物好きはなかなかいないよ」
「どうしてですか?」
「だって、どこにいるのかもさっぱり分からないし、そもそも北極星に会う前に七人の魔術師に許しをもらわないといけないらしいじゃないか。一体何年かかるんだか、どんな願いもそれよりはよっぽど簡単だろうよ」
「それはそうかもしれませんけど……」
マルガリータはだんだん自信をなくしていきました。ヴァレリーが彼女の肩をとんと叩き、主人に言いました。
「何年もかかったって、叶えたい願いがこの子にはあるのさ」
「どんな願いだね?」
マルガリータはその時ちょうどパンを噛んでいる最中だったので、代わりにヴァレリーが答えてくれました。
「願いの中身は、北極星に会うまで大事に隠しているんだよ」
部屋に戻ってから、マルガリータとヴァレリーは真正面に向かい合いました。マルガリータがそうしたかったのです。
昨夜は、ヴァレリーとろくに話もできませんでした。彼のことをよく知らないし、ヴァレリーもマルガリータのことを知りません。腹を割って、自分のことを相手に話すこと。これから一緒に旅をするために、きっと必要なことでした。
マルガリータは、はにかみながら口を開きます。
「大公ミハイロとロダの娘、マルガリータです。十三歳です。これからよろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします」
ヴァレリーも、心なしか少し照れているようでした。黒いあごひげをいじりながらあっちこっちに黒い瞳を走らせています。年は、五十そこそこに見えました。
「いや、もうとっくにわしの名前は知ってると思いますが……ヴァレリーと申します」
「わたしの旅に同行してくださってありがとうございます、ヴァレリー殿」
マルガリータが頭を下げると、ヴァレリーは困ったように両手を突き出しました。
「ただのヴァレリーとおよびください。あまり高貴な言葉遣いをしていては目立ってしまいますよ、お姫様」
「では、あなたもわたしのことをマルガリータと呼んでください。お姫様だと目立ってしまうでしょう?」
マルガリータはヴァレリーにそう提案しました。
「さっきあなたがここのご主人にそうおっしゃったように、あなたの娘のふりをします」
ヴァレリーは苦笑いしました。
「畏れ多いことですね。分かりました、あなたのことをお姫様と呼ぶのはやめましょう。誰かに聞かれたら、娘だと答えることにしましょう」
「これからいろんなことを教えてくださいね、お父様」
「庶民の娘は、父親をお父様とは呼ばないのですよ」
マルガリータはヴァレリーと笑いあいました。
「ところで、……マルガリータ。我々はこれからどこに向かうこととしましょうか? いきなり北を目指すよりは、まず配下の魔術師たちを探すのが良いと思いますが」
「そうね。彼らもどこにいるのか分からないけれど……」
「役に立つかは分かりませんが、地図を持ってきました」
ヴァレリーは自分の荷物から、四つに折りたたんだ地図を取り出しました。広げると、レゲンダ公国全域が鮮やかに描かれています。
「今我々がいるのがケドル……都のすぐ東です」
「この町に魔術師の誰かがいるってことはありえる?」
ヴァレリーは渋い顔をしました。
「ありえなくはないとは思いますが……探してみますか?」
「冗談です。そうだったら、楽だなと思っただけ」
ヴァレリーは地図を膝の上に置き、自分の荷物の中身を探り始めました。つられてマルガリータも、自分の鞄を開けました。
「あっ!」
鞄の中を見て、マルガリータは息を呑みました。
「どうしました?」
マルガリータは鞄から花束を出して、ヴァレリーの鼻先に突きつけます。花は、花びらの一片も落ちておらず、今もみずみずしく鮮やかなままでした。
「これ、お母様とお父様の結婚の時に、北極星たちが贈ってくださったものなんです! この花、都のどこにも生えていないらしいのですが、何か手がかりにならないかしら……?」
ヴァレリーは花束をじっと見つめて、笑みを浮かべました。
「この上ない手がかりになりそうです。花は、ちょうど八本ありますね。これらの花が生えている場所に、魔術師たちがいるのかもしれません」
「では、さっそくこの花を見た人がいないか、町の人たちに聞いて回りましょう!」
マルガリータがヴァレリーの手を取ってぶんぶん振った時、にわかに階下の酒場で大声が聞こえました。
「何でしょう……?」
ヴァレリーがさっと立ち上がり、部屋を出て階段を降りて行きました。そして、すぐに戻ってきてマルガリータに言いました。
「妃の追っ手が来たようです。いつでも逃げられるように、身支度を整えてください」