5 木の扉の奥から、
木の扉の奥から、暖かい空気とざわめきがあふれてきます。ボフダン公の側近アルテムに招き入れられ、マルガリータとインハは狭い家の中に足を踏み入れました。そこにはぞろぞろと大勢の男たちが、窮屈そうに身を縮めながら座っていました。一台しかないベッドも、固そうな椅子も、端が欠けた大きなテーブルもすべて埋まっています。天井から吊り下げられた玉ねぎやベーコンが彼らの頭に何度かぶつかり、マルガリータは笑いをこらえました。
そこにいる男たちは、そのほとんどが見覚えのある者でした。皆祖父に仕える騎士や従者で、小さなマルガリータともよく遊んでくれました。彼らはマルガリータを見るなり、いたわるような笑顔になりました。
「姫様、ご無事で何よりです」
マルガリータはじろじろと見つめられているのが恥ずかしくなり、うつむきました。アルテムがマルガリータの正面に立ちます。
「我らがボフダン公__あなたのお祖父様のこと……我々は非常に悔やんでおります。姫様にお会いになるのをあんなに楽しみにしていたのに、どんなに無念だったことでしょう」
マルガリータは、こくりとうなずきました。
「わたし、お祖父様に最後のあいさつもしないで、出てきてしまいました……」
「今はそれで良いのです。姫様がご無事であられることこそ、ボフダン公の望みなのですから」
アルテムも、インハも、家の中の男たちも深刻な顔をしています。……いえ、一人だけは違いました。マルガリータの知らない黒いひげの男が壁ぎわに座っていましたが、ボフダン公の家来の輪には交わらず、カナリアらしき小鳥を指に止まらせて遊んでいるようです。
アルテムが言いました。
「ボフダン公はおそらく、大公妃らの陰謀で殺されたのです。姫様を亡き者にして、自分の子どもを大公の位につけるために。我ら一同、姫様をお守りし、大公の位を取り戻すことができるよう尽力いたします」
「陰謀……」
マルガリータは呆然とつぶやきました。まさか、自分にそんなことが起こるはずがない。そう思いながらも、ダリヤ妃の冷たい目としつこい嫌がらせの数々を思い出すと、あの継母ならばありえそうだとも思ってしまうのでした。
「みんな、そのためにわたしを待っていてくださったのですか?」
家来たちはうなずきました。
「最初は城に留まるようにと大臣たちに言われましたが、目障りな我々を捕らえようとする魂胆が見え見えでしたから、都に潜伏することにしたのです」
「では、この家は、お祖父様の……?」
その時、こほんと大きな咳払いが聞こえました。マルガリータの知らない、壁際にいた黒いあごひげの男が、アルテムにじっと視線を注いでいます。アルテムは頭をかきました。
「いえ、姫様、実を言うとこの家は、好意で提供してもらっただけで……」
「提供?」
黒いひげの男が、からかうように大声で尋ねました。
「あんたがたが急に押しかけてきたんで、一晩だけ貸してやるつもりだったんだがね」
「分かってる、分かってるよ。ヴァレリー。今後のことが決まったら、ちゃんと出ていくとも」
「本当だな? 大公の兵隊どもにこの家を壊されてしまったらかなり嫌なんだが」
「大丈夫、大丈夫」
「だいたい、こんなちっぽけな家の中に二十人も居座る奴があるか。うちは酒場でも宿屋でもないんだぞ」
ヴァレリーと呼ばれたこの家の主人は、そう文句を言いながらも立ち上がり、マルガリータとインハに温かいお茶を振る舞ってくれました。
お茶をすするマルガリータに、アルテムがせかせかと言いました。
「姫様、とりあえず今から、都を脱出して我々の領地に避難いたしましょう。もう城には戻らない方が良いですから。我々の元で成人するまで健やかに過ごしていただいて、ゆくゆくはボフダン公の跡継ぎとなっていただければ……」
インハが口をはさみました。
「大公様が戻ってこられたら、どうします?」
「大公がダリヤ妃を抑えつけ、姫様を守ることができるのなら、喜んでお帰しします。ダリヤ妃の方を大事にされるのであれば、こちらにも考えがあるというだけです。こっちには、大公の軍にも負けない軍備がある」
「場合によっては、大公やダリヤ妃を倒し、姫様に新しい大公となっていただいては……」
アルテムたちは盛り上がりましたが、話がどんどん物騒な方向に膨らんでいくので、マルガリータは目を白黒させました。
ヴァレリーがぼそりと、しかし全員に聞こえるように言いました。
「ずいぶんと話を遠くまで走らせているが、お姫様がどうしたいかが一番大事じゃないのかね」
アルテムたちははっとして口をつぐみました。そして、一斉に目をマルガリータに向けます。
マルガリータはどきりとしました。
「姫様、大変失礼しました。姫様のお考えも聞こうとせず……」
「いえ……いいんです」
アルテムが、優しくマルガリータに尋ねました。
「姫様は、これからどうなさりたいですか? どんなことでも、我らがお手伝いいたします」
マルガリータは口を開きました。
「わたしは……」
わたしは、どうしたいのだろう? その時まで、何も考えていなかったのです。ただインハの言うままに城を逃げだし、成り行きに身を任せていただけでした。
城でも、いつもそうでした。勉強も、お稽古も、誰かと語らうことだって、いつも相手の言うままにしていただけでした。誰も、マルガリータ自身にどうするのかとは聞きませんでした。
マルガリータは、家の中の人々を見回し、言いました。
「わたしは……北極星に、会いに行きたい」
マルガリータの言葉に誰もが驚きました。インハははっと息を呑み、アルテムは目を丸くしています。他の家来たちは顔を見合わせて口々に何か囁き合っていますし、ヴァレリーは飲みかけていたお茶にむせて激しく咳き込みました。
マルガリータは小さな声で続けます。
「北極星と七人の魔術師様に会えば、何でもお願いごとをかなえてもらえるのでしょう。お祖父様を生き返らせてもらうこともできるんじゃないかしら。お祖父様が生き返ったら、みんなが一番嬉しいでしょう」
「でも姫様、北極星たちに会えた人間は、ほとんどいないのですよ」
「過酷な旅になります。途中で、命を落とす危険もある。それでも行くとおっしゃるのですか?」
「無謀に思えますが……」
マルガリータはうなずきました。
「それでも行きます」
アルテムは渋い顔をしながらも、感心していました。小さな、引っ込み思案の可愛いマルガリータ姫が、こんなに大胆な決意をするだなんて。思いもよらないことでした。
「お気持ちはよく分かりました、姫様。では、行きましょう! 我々全員がおともいたします」
「ちょっと待て、そんなぞろぞろと集まって旅をするつもりか?」
水を差したのは、ヴァレリーでした。彼は呆れたようにアルテムたちを見回します。
「あんたたち、妃や大臣に顔を覚えられて、都ではお尋ね者になるかもしれないとさっきわしに言ったじゃないか。魔術師に会うより先に妃の兵隊に捕まるぞ」
「だったら、私が……」
インハが名乗りを上げましたが、彼女こそダリヤ妃のすぐ近くで働いていたのです。インハとマルガリータが並んで歩いていたら、都を出る前に見つかってしまうでしょう。
ヴァレリーがため息まじりに言いました。
「わしがついていこう。こう見えて兵隊のご厄介になったことは一度もないし、若い頃にはレゲンダ中を旅して回ったこともある。案内ぐらいはたやすいものさ」
家来から不満の声が上がりかけましたが、マルガリータはヴァレリーをまっすぐ見据えて聞きました。
「本当に、いいのですか?」
ヴァレリーは肩をすくめました。
「いいですとも。この人たちがいきなり扉を開けて飛び込んできたのも、何かの縁だと思えばね。それに、北極星を探す旅は、お姫様一人では危険すぎる」
「ありがとうございます、ヴァレリー殿」
マルガリータは、ヴァレリーに右手を差し出しました。ヴァレリーがその小さな手を、節くれだったごつい手で握ります。
これから長い時間を共に過ごす二人の、旅の始まりでした。
毎週更新できたらいいなと思っています。