5 夕べあんなにお酒を飲んだというのに、
夕べあんなにお酒を飲んだというのに、ヴァレリーは少しも具合が悪そうなそぶりを見せません。マルガリータよりも早起きし、宿屋の周りを散歩してきたようでした。
マルガリータは、昨日見つけた古い服を着て、食堂でおかみさんからパンを袋いっぱいにもらいました。
「どれも、日保ちがするパンだからね」
「ありがとうございます……」
「気をつけて行ってくるんだよ。旅が終わったら、もう一度ここへ寄って、土産話を聞かせておくれ」
おかみさんはマルガリータを抱きしめてくれました。乳母のインハを思い出します。彼女も無事に逃げることができたでしょうか。
「お世話になりました」
マルガリータとヴァレリーは、宿屋の夫婦に手を振って出発しました。まだ早朝ですが、畑で町の人たちが働いています。昨夜食堂で一緒に食卓を囲んだ人もいて、マルガリータたちに気がつくと声援を送ってくれました。
歩きながら、ヴァレリーが確認します。
「まずは、隣町のグレブという花に詳しい者を探します。それでいいでしょうか」
「はい」
「先に聞いておきますが、もしその男が何も知らなかったら、次はどうしますか?」
「えっと……」
そこまで考えていなかったマルガリータは、言葉に詰まりました。
「ヴァレリーは、どうしたらいいと思いますか?」
彼はきょとんとした顔で、肩をすくめてみせました。
「わしは、姫様の言うことに従いますよ」
つまり、自分で考えろとマルガリータに言っているのです。マルガリータは迷いながら答えました。
「……また、別の町で手がかりを探します。それで、いいでしょうか?」
「いいですよ。どうやって探しますか?」
「食堂みたいに人が集まるところに行って、花を見たことがないか聞きます」
「誰も知らないと言ったら?」
「また、次の町へ行きます」
「そこでも手がかりが見つからなかったら?」
ヴァレリーは、意地悪を言っているのでしょうか?
「それでも、違うところで手がかりを探します!」
マルガリータはほとんどやけになって言いました。ヴァレリーが笑みを浮かべます。
「失礼しました。姫様がどこまで本気か、知りたかったんです」
「わたしはずっと本気です!」
マルガリータは頰を膨らませ、ヴァレリーを睨みました。
「どのみち、帰るところもないのですから、進むしかないでしょう?」
それから、ヴァレリーの返事を待たず、ずんずんと歩いていきました。
グレブという老人の庭は、実に見事な眺めでした。百を超えるのではないかと思えるほどたくさんの花が、貝殻を埋めて囲った花壇の中で咲き誇っています。赤や白、青、ピンク……散らばった花びらは宝石のような朝露をのせて、きらきら輝いていました。
グレブ本人は、花壇から少し離れた野菜の畑にいました。せっせと地面を耕していましたが、マルガリータたちが近づいてくるといぶかしげに顔を上げました。
ヴァレリーがまず声をかけます。
「こんにちは、グレブさん。わしはヴァレリーで、この子は娘のマルゴ。あなたに聞きたいことがあってやってきたんだ」
グレブは日よけ帽子を取って挨拶を返しました。
「こんにちは。あてにしてくれて嬉しいが、わしに分かるのは花と野菜の育て方だけだよ」
「その、花のことが知りたいんだ」
マルガリータは鞄から花束を取り出し、ヴァレリーに渡しました。グレブの目が大きくなりました。
「この中の一本でも、見たことがある花はないか?」
グレブは花束をそっと受け取り、顔を近づけました。慎重な手つきで花束をひっくり返したり逆さまにしたりして、考え込んでいるようです。彼の灰色の瞳がきらきら輝いていることにマルガリータは気がつきました。
「……これは、どこで手に入れたんだね?」
「それは、秘密だ」
「いくら出せば譲ってくれる?」
ヴァレリーはマルガリータを見ました。マルガリータは小さな声でグレブに言います。
「ごめんなさい。この花束は、誰にもあげられません。大切なものなんです」
「そうか……」
グレブはため息をつきました。
「いや、失礼した。あまりに珍しく、見事な花束だったから、ほしくなってしまって」
「見覚えは?」
「一本だけ、昔旅した町で咲いているのを見たことがある」
二人は声をそろえて聞きました。
「どこで!?」
「ベスパという火山のふもとの、大きな町だ。花は山の中で見つけたっけな」
ヴァレリーが地図を取り出しました。ベスパという文字は、ケドルや都から北東の方角にありました。そう離れていないようです。
「ありがとうございます!」
すっかり嬉しくなったマルガリータは、お礼を言ってグレブの両手を握りました。ヴァレリーが冷静に尋ねます。
「ベスパはどんな町なんだ?」
「火山が何年かおきに噴火する、恐ろしい町だ。わしが行った時は、運良く山が眠っている時期だったらしいが。それに……」
グレブは声を潜め、二人に忠告しました。
「娘さんにはちと危険すぎる場所だぞ。何故なら、太古より、火を操る恐ろしい魔術師が町を支配しているらしい……」