3話③ 「こんな世界さっさと滅べばいい。」
「アステリス!?」
ジクウは慌てて駆け寄り、彼の肩を抱く。すると、彼は意識を失い、ジクウの胸の中に倒れ込んだ。
「……中身は、アステリスじゃないな?」
ジクウの声が、ワントーン下がる。アステリスの身体を抱き上げながら、目の前に現れた、背の高い男らしき人物を見据えた。
「何見てんだよ」
その者は、白いローブに身を包み、フードで頭部を隠していた。そのせいで、表情は見えない。
だが、こちらを向いていることは確かだ。
「貴様なんざに名乗る名前は持ち合わせてない」
「おい、アステリス。説明してくれ」
ジクウがそう言うと、アステリスの口角が僅かに上がる。そして俺を突き飛ばすようにして離れた。
「こら。ダメだろう、人間と言葉を交わしては。君達は、人間との会話を禁じているはずだ」
アステリスの身体、声で、白いローブの者に、優しい声で言う。それは、とても愛おしそうな口調だった。
ローブの者は、アステリスの背丈よりも低く跪くと、頭を垂れる。
「わかってくれて、ありがとう。さすがは私のかわいい使徒だね」
アステリスはそう言って、ジクウの胸から離れる。そして、ローブの者に近づき、頭を撫でた。
「アステリス。どういうことだ?使徒って……」
ジクウは、アステリスに問いかけるが、彼は答える気が無いようだ。
「まぁいい。とりあえず、今日は綺麗な満月だ。僕は散歩するよ。……ジクウ君、またね」
「待て!アステリスの身体で、どこに行く気だ!」
ジクウは、アステリスの身体を奪い返すために、走り出す。しかし、白いローブの者がジクウの前に立ち塞がってそれを阻止した。身長差数十センチ。見下ろさるが、そんな圧力など気にせずにジクウは睨みつける。
「んだよテメェは!邪魔をすんじゃねぇ!」
ジクウは拳を振りかぶる。だが、少年の拳は虚しくも、相手の掌に収まる。
もう片方の拳を同じく振りかざし、当然それも受け止められた。ジクウは、何度も拳を振るうが、その全てを受け流される。
「くそっ!」
そんなジクウを嘲笑うかの如く、男はジクウの両拳を掴んだまま、上に持ち上げた。
「ぐああッ!!離せッ!!」
ジクウは抵抗するが、びくともしない。相手の力は強く、あっという間に宙ぶらりんの状態になってしまう。掴まれている拳は、このまま握りつぶされてしまうのではないかと思うほど、痛む。しかし、涙目になろうとも、ジクウは歯を食いしばって、声を押し殺す。
「……こら。大人しくしたまえ。人間と戯れさせる為に、君を連れてきたんじゃないぞ。その子を離してやりなさい」
アステリスが振り返り、そう言うと、ローブの者は大人しく手を放した。
「……ッ!」
ジクウは、地面に足がつくと、そのまま膝が崩れるように座り込む。痛みに耐えながらも、顔を上げ、アステリスを見た。
「アステリス。教えてくれ。このでけえ奴は何者なんだ?」
「何って、使徒だよ。私の創ったかわいい子ども達。天使って言ったらわかりやすいかな?」
「てんし……?」
「あぁ。天の使者さ」
アステリスは目を細め、薄く笑ってそう答えた。
『創造神』
ジクウの脳裏に、その言葉が浮かんだ。
「もしかして、アンタは創造神リデスティアか!?」
創造神リデスティア。この広大な大地・アスノアを創造したと古くから言い伝えられている神だ。元々、彼は最初にこのヒノン国を建国した王であったそうだ。絵本や伝承の類では、魔王を倒し、世界を救った英雄として語り継がれている。そして、その功績から、創造神として崇められるようになった。それが、創造神リデスティアだ。
「おや、今更かい?この身体を通していたとはいえ、君とは随分前から話していたんだけどなぁ」
アステリスの身体で彼は呆れたように言う。
「いや……俺ずっと、悪魔か魔物がアステリスの精神を操ってると思ってたから……」
俺がそう言うと、ローブの者がピクリと動く。けれどアステリスの視線で、また姿勢を正した。
「本当に失礼だよね。まぁ、そんなことは今更だしいいや。そういうことだから、ジクウ君。私にはもっと敬意を持って接してくれ。この創造神に無礼を働くなんて罪は重いよ」
するとジクウは、その場に平伏し、頭を地面につけた。そして、そのまま懇願するように叫んだ。
「お願いだ!アステリスを解放してくれッ!!」
しかしアステリスはキョトンとした顔で首を傾げる。
「何言ってるの?解放も何も……アステリスの身体はアステリスと私のものだよ。だってアステリスは私の魂の一部の生まれ変わりだからね。君は何か勘違いをしているようだ」
「……は?魂の一部?どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。輪廻転生って知ってるかい?要は生まれ変わりだ。肉体は魂の器である。その肉体が滅びたら、魂は1度天に昇り、次の器が決まればそこへ宿る。それを簡単に言うなら“生まれ変わり”だ。それでね、ヒューマン族が崇め伝承しているリデスティアが私の魂の一部が宿った器の方だ。私の魂の一部を適当な肉体に宿して、伝記や絵本に記されていることをした。それで器が滅びる度に新たな器に宿って世界を見守ってきたんだ。そして今、現代ではこのアステリスと名付けられた肉体が現在の転生先だ。だから、この身体の所有権を持ったのは私の魂の一部であるアステリスと私。創造神リデスティアのものだ」
「は?ええっと、アステリスの身体はリデスティアの物……アステリスの魂はリデスティアの一部だから……?」
ジクウが混乱していると、ローブの男が口を開く。
「……主よ。散歩はまだですか」
「あぁ、そうだね」
「犬かよテメーは」
ジクウは、ローブの男にツッコんだ。けれど普通に無視され、妙な沈黙の間が流れる。
「つまりそういうことだ人間くん。だから、君の言う『解放』って言葉もおかしなものだよ。アステリスは創造神リデスティアのもの。覚えておくように」
背を向けようとしたアステリスの身体。その中にいるリデスティアに向かって「待て!」とジクウは引き止める。
「でも!アステリスには心があって、感情がある!アステリスは乗っ取られてること知らないみたいだったぞ!アステリスと相談してないだろ!?」
「アステリスに真実を伝え、乗っ取るのをやめて欲しいと言われても私はやめないよ。アステリスの魂より私の力の方が圧倒的に上……。どうせ支配権は私にあるのだから、相談する理由などないだろう」
「じゃあせめて、今俺に言ったことアステリスに伝えろよ!何も知らないままは、可哀想だろ……」
「あぁ。君が勝手に伝えなよ。別に隠すことでもないし」
リデスティアは近くにポツンとあった礼拝堂の予備の丸椅子に腰をかけると、足を組んで座った。
アステリスだったら絶対にしない行動だ。
ジクウは、立ち上がりアステリスを睨みつけた。怒りが収まらない。腸が煮えくり返るとはこういうことを言うのだろう。だが、何も出来ない自分に対するもどかしさと悔しさで、胸がはち切れそうだった。
「そもそも、部外者の君がこの世界の神である私に意見するのかい?傲慢にも程がある。たしか君のいた世界では“郷に入っては郷に従え”という言葉があるだろう。覚えてるかい?」
「……俺が、転生する前にいた世界のことか?」
「それしかないだろう。“ 異物 ”」
彼は目を細め、吐き捨てるようにそう言った。
「全く、どこの誰のイタズラだろうね?魂が消えて肉体が機能しなくなる為、親の顔を知る前に滅びる予定だった赤子に、よそ者の魂を与えたのは。だから、7年前に君を元の世界に還そうとしたけれど、特別見逃してやったのはどこの慈悲深い神様だったかな?」
ジクウは、何も言い返せなかった。そして、その話はしたくない。なので逸らすように話題を変える。
「……んで?その慈悲深い創造神サマがおっきなワンちゃん連れてこれから散歩すんだって?何企んでんだよ」
「散歩は散歩だよ。私は満月の日は地上で夜空を散歩するって決めてるからね。月の光に照らされながら、夜風を感じて歩くのが趣味さ」
リデスティアはそう言うと立ち上がり、フードの男を連れて礼拝堂の扉の方へと向かった。
「アンタならわかるんじゃねえのか?ここは平和だ。番犬連れてるってことは、なんかあんだろ。言えよ。アステリスの身体で魔物がいる国の外へ行くなら許さねえ」
ジクウの言葉に足を止めると、彼は少しだけ顔を後ろに向ける。そして何も言わず、ただ目を細めて口角をあげるだけだった。
「おい。何か言えよ」
「アステリスの身に何かあったら困るかい?」
「当たり前だろ!!」
ジクウは声を荒らげた。そんな様子にリデスティアは嬉しそうに笑う。
「困るのかい?」
「あぁ。困るに決まってんだろ」
ジクウがそう言うと、リデスティアはまた笑った。そして、ゆっくりと口を開く。
「……だったら、アステリスの身に危機が迫ってるとしたら……君はこの子を守るために戦える?」
「もちろんだ。敵が神だったとしてもな」
ジクウは即答する。
リデスティアはアステリスの瞳を通して、睨みつけてくるジクウの瞳を真っ直ぐと見つめる。
そしてじわじわと口角が上がり、目が三日月のように細くなる。
「そうか……。そうかそうか。ジクウ君、私は異物である君を少しだけ好きになっちゃいそうだよ」
リデスティアは、恍惚とした表情でそう言った。ジクウは、背筋に冷たいものを感じた。
「そうだなぁ……!これからもアステリスといたいってことか!そっかそっか!」
リデスティアは、子供のようにはしゃいでいる。だが、それと同時に何か不気味さを感じた。アステリスの足が進み、ジクウへと近づいてくる。
「……何が目的だ」
ジクウがそう尋ねると、リデスティアはピタリと足を止めた。
「さっきも言ったと思うけどね?君の魂は、別の次元から誰かによって連れ出された“異物”なんだ。だから隙あらば君を排除という形で元の世界に還したいと私は思っていたよ」
リデスティアはそう言うと、アステリスの身体でジクウの頬を優しく撫でた後、顎を掴んで上へと向かせる。そして、そのまま顔を近づけて耳元で囁いた。
「君はこの世界の“異物”だ。追い出されたくなければ、勇者になれ」
ジクウの鼓膜を、アステリスの低い声色が揺らす。
「な……」
「勇者になって、魔王を倒せ。そしてこの世界を救ってくれ。そう言えばわかるかな?」
「は!?急に何の話だよ!ふざけんな!」
ジクウは、アステリスの手を振りほどくように突き放した。だが、彼はまたすぐにジクウに近づいてくると、今度は両手で頬を包み込んだ。
「嫌かい?」
「嫌だ」
ジクウは即答する。リデスティアは、少し残念そうな顔をした後、ニヤリと笑った。
「……アステリスを殺すと言ったら?」
その言葉に、ジクウの思考が止まる。リデスティアはそんな様子に気を良くしたのか、さらに続けた。
「アステリスの身体も魂も、私はどうすることも出来るんだ。寿命、または何かしらの事故で肉体が無くなれば、お決まり通りに再び新しい器を与えるだけ。だからね、別に今すぐ新しい器に交換してやってもいいんだよ?」
「そん、なの……」
ジクウは、言葉が出なかった。リデスティアが言っている事は本当だろう。アステリスの身体も魂もリデスティアの支配下だ。その身体の死期など、簡単に操れるに決まっているのだ。
ジクウは、拳を握りしめる。爪がくい込んで血が滲んだ。今すぐ殴り飛ばしたい衝動にかられるが、それは出来ない。彼の身体はアステリスなのだから、手を出せば彼が傷付くだけだ。それを見透かしたリデスティアはニコリと微笑むとジクウから離れた。
「君の言う通り今は平和だ。返事は明日でもいいよ。子どもは寝る時間だから、大した判断力もないだろうし」
そう言うと、リデスティアは背を向けたまま手を振って歩き出した。
ジクウは「待てって!アステリスの身体で散歩すんな!」と呼び止めるが、彼は振り返らずにそのまま歩いて行った。
「待ちやがれリデスティア!!!」
「様をつけなよ、人間。私は寛大だから今夜だけは君の無礼を許してあげるよ。けど、あまりに無礼がすぎると……」
「アステリスを殺すってか!?ふざけんな!!生まれ変わりがなんだろうとアステリスはアステリスなんだよ!アステリスにはアステリスの自我があんだ!命を軽く見やがって!神のすることかよ!?邪神!鬼!悪魔!」
ジクウは喉が裂けるかと思うほどの大声で叫ぶ。礼拝堂にその声は響き渡り、外まで聞こえていた。
リデスティアは、ジクウの声に動じること無く、振り返りもせず歩き続けた。
「今の声で誰か来るかもね。これ以上構ってたら散歩の時間が減る。ギルヴィア、この人間に子守唄でも歌ってあげなさい」
リデスティアがそう命じると、ローブの者……ギルヴィアと呼ばれた使徒はいつの間にかジクウの目の前に立つと、自身の胸元へと引き寄せた。
「は!?」
突然のことに抵抗しようともがくが、ギルヴィアの力には敵わない。
そして、耳元で優しい、子守唄のような声が聞こえた。それはまるで、母の温もりのようで……。
「え、ええ声や……」
ジクウは、全身の力が抜けていく。何とか神経
を研ぎ澄ませて、抵抗する。
「……くっそぉお……!」
ジクウは悪態をついたまま、虚しくも意識を失った。
◆◇◇◆