2話。いつまでもこんな幸せが続けばいい◆挿絵あり
目が覚めると、ジクウは自分の部屋にいた。
「……夢だったのか?お告げみたいな?」
汗ばんだ額に手を当てて呟く。寝ている間に声が聞こえたような気がした。耳元で囁かれたみたいで、耳がなんだかくすぐったい。
だが、すぐに興味がなくなり、ベッドから起き上がる。
時計を見ると時刻は午前9時前だった。
夜更かしをした訳でもないのに、普段よりも3時間遅めに起きた。
ジクウは汗ばんだ服を脱ぎ捨て、シャワーを浴び、昨日洗濯して乾いた服に着替えると家を後にした。
向かう先は、町外れにある小さな礼拝堂。
毎朝午前10時に礼拝を行うことは、このヒノン国のヒューマン族の日課だ。
アニカ町の礼拝堂でも、多くの信者が祈りを捧げに訪れている。
ジクウは行列に並ぶのが苦手だったのでいつもは早めに来ているのだが、寝坊した故に既に行列ができていた。
30分以上待ち、やっと礼拝堂へ足を踏み入れる。
奥の祭壇の中心には大きなシンボルが立てられていた。それはこの宗教のシンボルであり、国民は皆、このシンボルのついたネックレスや指輪をしている。
この世界は、【創造神リデスティア】によって創造されたとされている。
言い伝えによると、その創造神のシルエットを簡易的な図形にし、それをもとに作られたらしい。
視えない存在を崇める宗教があるのは、この世界ではヒューマン族だけだ。ほかの種族は、国の王様などを崇め奉っているらしい。
「シスターさん、おはようございます」
「あら、ジクウくん。おはよう」
教会のシスターに挨拶すると、彼女達は優しく微笑んだ。
そしてついに自分の番が来た。ジクウは祭壇の前に立つと、シンボルの前で両手を合わせて祈る。
『どうか、今日も平和に過ごせますように』
特に勝負事といったような何も予定がない日は、いつも心の中でそう祈るようにしている。適当だ。シンボルの前で祈る内容は自由なので、適当に祈った。
(25、26、27、28、29、30……そろそろいっか)
いつものように数秒数え、ジクウはそっと目を開けた。適当だとは思われたくないので、ちょっとだけ時間をかける。幼少期は「ちゃんとお祈りできて偉いねぇ」と褒めてくれたことがある。
後ろで待つ信者に譲り、ジクウは礼拝堂を出る。
「ジークーウーくん!」
背後からその声が聞こえた時、ジクウの心臓は大きく跳ね上がった。振り返ると、そこには笑顔の少女がいた。
「ア、アルピーちゃん……」
アクアマリンのような輝く髪、大きなタレ目。そして、透き通るような白い肌。その美しい容姿は、目の前にしてしまえばきっと、男女問わず魅了するであろう。
「ねぇねぇ!お花に困ってない?今月が旬の花、今朝咲いたんだ!」
屈託の無い笑みを浮かべる彼女を見て、ジクウは頬が熱くなるのを感じた。
「あー……えっと……」
ジクウは顔を背け、彼女から視線を外す。不思議なことに、彼女を前にすると、上手く言葉が出ないのだ。
何よりも、普通の女の子より背が高い。彼女は俺より年上の19歳なのだが、それでもその辺の19歳の子よりは背が高い方なのだ。
若干見下ろされている感じが、緊張感を増す。
「ん?どうしたの?」
「……いや、なんでも……。じゃあ、貰おうかな……兄さん、庭に植えるとおもう……」
ジクウがそう答えると、アルピーは嬉しそうな表情になる。
「やった!じゃあさ、今日はお店に来てね!絶対だよ!」
「わ、わかった……」
「じゃあね!」
アルピーは満面の笑みを浮かべて走り去る。ジクウは彼女の背中を見送りながら、ため息をついた。
「相変わらずデカいな……」
「こら、ジクウ。女の子にそういうこと言わないの」
ちょうど教会から出てきた兄に頭を小突かれ、ジクウはハッとする。
「兄さん、いつから見てたんだよ」
「お前が、『兄さん、庭に埋めるとおもう……』って言ってたあたりからだな」
「あっそ。で、植えるだろ?植えないなら俺が植えるけどな!」
「おやおや。じゃあ、今日は花壇の準備をしておくよ」
兄は、やれやれと肩をすくめると、ジクウに歩幅を合わせるように歩き出す。
ジクウの兄は引きこもりだが、割と人並みの生活をしているので、見た目以外は普通なのだ。何故か髪を切らず、ボサボサの伸ばしっ放しの長髪。伸びきった前髪で顔も見えない。
以前理由を聞いてみたが、「顔を出してモテすぎたら困る」だの「インパクトは大事」だのヘラヘラと適当に答えられた。
顔を最後に見たのは、たしか半年前。強風に煽られている時、ふと見えたのだ。家族で見慣れてるからか、顔は多分普通だ。しかし、髪型とボロボロの服は、さすがに見る人を寄せ付けない汚らしい雰囲気を醸し出しているので顔面偏差値所では無い。
風呂にはしっかり入ってるので、臭わないのが幸いだ。だから気にせず隣を歩くことはできる。
今日はなんだかフローラルの香りがする。
「兄さんシャンプー変えた?」
「あ、わかる?市場で買った素材用の花が余ったから試しにシャンプー作ってみたんだよ。いい匂いだろ?」
「匂いだけはな。ヒゲくらいは剃れよ兄さん。まだ、21歳だろ?似合わないぞ」
「ほっとけ。お前だって似たようなもんだろう。13歳のくせに大人ぶっちゃってさ。その歳なら、男でも可愛こぶれば、ちやほやされるぞ。兄さんだって、13歳の頃は……うっ……嫌な記憶が……!」
「なに勝手にダメージ受けてるんだよ。詳細は聞いてやらないからな」
「冷たい弟だ。あ、そうそう。アルピーちゃんの好みの男性は、長髪だってよ」
兄によるアルピーの新情報を聞き、ジクウはピクリと反応する。
「はぁ!?なんでそんな事知ってるんだ」
「アルピーちゃんに聞いたらが教えてくれた」
「へぇ……兄さんってやっぱりキモイな……」
「新情報入ってよかったじゃないか。あの子可愛いし、お前もまんざらじゃないんだろう?」
「ベッッッ……!別にィ!?」
ジクウは、大声で否定すると、わずかに見える兄の口角がニヤリと上がった。
「照れるなって。兄さんは応援してるぜ」
「違うって!あー!気持ち悪いぃ〜!」
「わかったわかった。じゃあ、これからは気をつけろよ」
「……何に?」
「あー……そうだな。まず、花屋に行く時は、いつもよりオシャレをするとか」
「そ、それは無理。気があると、思われる……」
「あるんだろ?好意ってのはアピールしてナンボだ。『あ、ジクウくんって私に好意があるんだ!』って気付かせて、どう対応してくるのか、相手の反応を見るのが恋愛において大事だぞ。そうだなぁ〜まずは、もっと笑顔で接するとか」
「……黙れバカ兄。見た目に説得力ねぇんだよ」
ジクウはそう言うと、気まずいので足早にその場を去った。そして、教会の傍に建つ、小さな孤児院に入る。
「ジクウ!おはよう!」
「お、アステリスじゃないか。おはよう」
ジクウの姿を見つけたアステリスが駆け寄ってくる。彼はこの孤児院で産まれ育った子どもで、ジクウの2歳下の幼馴染で友人でもある。
「ねぇねぇ、今日もボクと遊ぼう。ジクウについて行っていい?」
「おう、勝手について来やがれ!」
ジクウは笑顔で答える。アステリスは、ジクウにとって一番仲の良い友だった。
ジクウは孤児院の子ども達と仲が良い。なので孤児院に来れば、遊び相手に困らないのだ。
そして毎朝なんとなくを装って孤児院に来ては、一番最初に駆け寄ってくるアステリスを見て、ジクウは心の中で嬉しく思う。
「やった!じゃあ、早く行こう!みんな〜!ボクはお外行ってきまーす!」
アステリスは、ジクウの手を引くと外へ飛び出した。
2人は、教会の敷地にある花屋へとやってきた。店の前には、色とりどりの花が並んでいる。
そこに溶け込むようにいたのは花屋の娘、アルピーだ。
「あ、早速来てくれたの?ありがとう!おっと、アステリスくんも一緒なんだね!」
「うん!ついてきた!」
「ふふ。君たちって、いつも一緒で微笑ましいなぁ」
「うん!いつも一緒だよ!ボクは、ジクウの子分だから!」
アステリスは、屈託の無い笑みを浮かべる。すると、アルピーはジト目でジクウを睨む。
「子分……?ジクウくん……アステリスくんの扱い、雑すぎない……?」
「えっ……」
予想外の言葉に、ジクウは言葉を失う。きょとんとするアステリスの頭を撫で、アルピーは優しい声で話す。
「ねぇ、アステリスくん。私の方が意地悪ジクウよりも優しくしてあげれると思うんだけどなぁ。アルピーお姉ちゃんと一緒に、お店手伝わない?」
「嫌だよ。だって、ジクウが嫉妬しちゃうもん。ね、ジクウ!」
「……し、しないよ……」
ジクウは照れながら苦笑いを浮かべた。すると、アステリスはすんすんと鼻を鳴らす。
「あれ?新しいお花の匂いだ。そのお花、この季節に咲くお花だよね?」
「そうそう!ジクウくんが買ってくれるって聞いたから、さっそく準備したよ!1鉢、銅貨1枚だけど、どれくらい欲しい?」
「じゃ、金貨1枚分で」
ジクウは、決まったと言わんばかりのドヤ顔で言った。金貨1枚。つまり、銅貨100枚分の価値だ。よって、100鉢買うことになる。
(決まった……!)
ジクウはチラッとアルピーの顔を見る。期待の反応と違い、彼女は少し困ったように笑っていた。
「……いや、ジクウくん……いくらなんでも買い過ぎでしょ……在庫はあるけどさ」
「……いいや、俺は本気だ。100鉢出しやがれ!」
「……うーん。そうだ!だったら、この種類の花だけ植えるより、他の同じ値段の花も植えてみない?そしたら、お庭賑やかになると思うよ!」
「たしかに。じゃあ、アルピーちゃ……お前の、おすすめで選んでくれ。俺の庭に合う花を、だ」
ジクウはあえて声に若干の吐息を混ぜる。アルピーは数秒キョトンとしていたが、ふふっと花のような笑顔を見せた。
「うん、いいよ!任せて!じゃあ、100鉢分のお花選んであげるね!時間かかるから、選んだ後はジクウくんのお家に送るけど、それでいい?」
「ああ。よろしく頼むぜ」
「はいは〜い。まいどあり〜!また後でね!」
ジクウは金貨1枚を、奇妙な動作で差し出す。会計を済ませると、アルピーは奥の部屋に入って行った。
ジクウは、店を出て少し歩いたところでアステリスに向き直る。
「なぁ、アステリス。お前も男だから教えてやるぜ。愛は金で買えるんだ。覚えておけ」
「うわぁ……。あ!それってつまり、アルピーお姉ちゃんが好きってこと?もう告白しちゃいなよ!」
「こ、こく……!?」
ジクウは顔を真っ赤にして慌てる。すると、アステリスはニヤリとした。
「ジクウ。アルピーお姉ちゃんは、この間頼れる子が好きって言ってたよ!だから、助けてあげよう!」
「な、なんの話だ……?」
「ほら、今アルピーお姉ちゃんがジクウの注文のせいで100鉢分を運ぶお仕事できたでしょ?お花を台車に運ぶの手伝ってあげなきゃ!」
「え?あ、ああ……」
ジクウは、アステリスに背中を押されながらアルピーの元へと戻り、暇だから手伝ってやると言った。
アルピーは喜ぶ顔を見せたので、ジクウは張り切ってお手伝いをした。
……それから数時間後。
「ふぅ……よぉし。これで全部運び終わったかな」
アルピーは、額に浮かべた汗を拭った。大きな台車には、100鉢の花々が並べられている。
「ジクウくんお客さんなのに運んでくれて、ありがとう!おかげで助かったよ〜」
「植木鉢、運んだだけだし。そんな大したことじゃ、ないし」
「ううん。ジクウは力持ちで頼りがいがあるね!昨日も、オーガ族の街まで行ったんでしょ?すごい体力だね〜。騎士団長様から聞いたよ!」
「ま、まあな……」
ジクウは、照れ臭そうに頭を掻いた。そして、ふと疑問に思ったことをすぐ口にする。
「あれ?騎士団長、アルピーちゃんに話したのかよ。俺は、オーガ族の街行ったこと、内緒にしろって言われたのに」
「あはは。実は昨日、路地裏で騎士団長様とジクウくんが話してるとこ偶然見たんだ。昨日ジクウくん朝からいなかったでしょ?だから気になっちゃって。それで、騎士団長様に私から聞いて、オーガ族の街に行った時の話を聞かせてもらったの。ダメだった?」
「いや、別に。内緒にしろって言ったの、騎士団長だし。むしろ、俺としては話してもらえて嬉しかったかも……」
「あはは。なによそれ。ジクウくんは面白くて飽きないなぁ」
アルピーは、笑顔を見せる。それは、ジクウの胸を何度もときめかせた笑顔。
(アルピーちゃんの笑顔、可愛いなぁ……)
ジクウが見惚れていると、アステリスがをジクウの袖をグイグイとひっぱってきた。
「ねぇねぇ、ジクウ。ボクも一緒にお手伝いして、疲れちゃったよ。お腹空いた。朝ごはん食べに行こー」
「ん?そうだな。あぁ、じゃあ……俺、最近できたレストランに行こうかな……」
「えっ!?ジクウくん、そこ行くの!?」
アルピーは、目を輝かせて食いついてくる。ジクウは、内心ニヤリとし、自慢げに言った。
「ああ。あそこの料理、美味しいらしいんだ。あぁ、たしか"デザート"が凄く人気なんだってさ。奢るけど、一緒にどう?」
「うん!もちろん!私デザート食べたーい!」
「おう。じゃあ、この台車を俺の家に置いてから、行くぜ。あ、これ金貨1枚な。選んでくれてありがとよ」
「うんうん!毎度ありー!じゃあ準備に時間かかるから、現地集合ね!」
アルピーは、元気よく返事をする。こっそりガッツポーズをするジクウに、アステリスは小さな拍手を送る。こうして、ジクウは、また一つ大人の階段を上るのであった。
遅めの朝食のつもりだったが、早めの昼食を済ませた。ジクウは胃だけでなく、心も満たされている。なんせ、愛しのアルピーに、大好物のスイーツを奢ってあげたことが、何よりも嬉しいのだ。騎士団長の依頼は、かなりキツイものだったのだが、その報酬によって、宝石のような笑顔が見れたのである。
「ごちそうさま!ジクウくん!アステリスくん!またね!」
「うん。またな!」
「ばいばーい!」
◇
アルピーと別れた後、ジクウはアステリスと二人で歩いて、適当に遊ぶ。時間が過ぎるのが早い一日だ。
そして夕飯を食べ終わった後。
なんとなくアステリスに手を引かれ、礼拝堂の中へ連れていかれた。
誰もいない礼拝堂で2人並んで椅子に腰をかける。アステリスはずっと黙って教会のシンボルを見つめていたので、ジクウは背伸びをしながら口を開いた。
「いやぁ、もう今日はいい一日になったぜ。この後、何が起きてもいい一日だ!いつまでもこんな幸せが続けばいいのに!なぁ、アステリス?」
声をかけられ、彼はゆっくりとこちらを見る。そしてふわりと笑顔を浮かべた。
「そうだね!ジクウ君!僕も楽しかったよ!」
「……へぇ。お前も楽しんでくれたのか。お前は、いつもつまらなそうな顔してるから心配してたんだ。良かったな!」
「え?僕、いつも楽しいよ!だってジクウ君と一緒にいると楽しいことばかりだもの!」
アステリスは、ニコリと笑う。ジクウもつられて笑みを浮かべるが、すぐに顔を曇らせる。
「……じゃあさ、アンタは俺を殺すの……もうやめる?」
ジクウは、目を逸らさぬよう意識しつつ、声を振り絞るように尋ねた。すると、アステリスの顔からは笑顔が消え、真顔になる。
「ううん。殺すよ」
アステリスは小さく笑う。
「でも、ジクウが苦しそうなのは嫌だから、痛くないように一瞬で殺してあげることにした」
「……そうか」
アステリスは椅子から立ち上がると、数歩歩いて祭壇に登るとシンボル像の前に立つ。
「あは。アステリスを返して欲しい?」
アステリスは、振り返る。その笑みは、いつものように無邪気な子どものようだったが、どこか不純にも見えた。
「ああ。頼む。今日は良い一日で終えたいんだ。まだ間に合うから、何も言わないでくれ」
「いいよ。今日は特にジクウ君と話すことないし」
アステリスはそう言うと、ジクウに近付き優しく抱きしめる。そして、魂が抜けたように力無く項垂れた。
そしてすぐにパッと目を覚ます。
「……う、ん?あれ、ジクウ……?ボク、いつのまに……あれ……?わっ!?」
ジクウは、黙って彼の小さな身体を抱きしめる。アステリスは腕の隙間から顔を出して酸素を確保する。
「うぇ?ジクウ……。苦しいよぉ……」
「ああ。悪い。でも、もう少しだけ……」
ジクウの弱々しい声に、アステリスは何も言わず、ただじっとしていた。