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尼僧の本 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ほ〜、この人形の兜の装飾、なかなか見事なものだねえ。

 一年の限られた時期にしかお呼びがかからないのに、この凝りようを見ると職人芸を感じざるを得ない。いや、限られた時期だからこそ、その機会を存分に生かすべく、力を入れるのかな?

 お人形は本体の造形もそうだが、身に着けるもの、手にする小物など、付属するものへ細やかな手が入ることもある。作り手によってまちまちだけどね。


 たとえば、武者人形が腰に帯びている刀。すらりと抜くこともできれば、鞘と一緒に固定されて、少しも動かせないつくりのこともある。

 まともに扱われれば目につかないところに、お金や手間をかけて質の高いものを用意する。これをぜいたくととるか、気構えととるかは人によって意見が割れるところじゃないかと思うな。

 私も昔はそれらの造形を見たり、触ったりすることにはまっていたんだが、とある経験があってからは控えるようにしている。これらの付属品は、どこまでも人形たちが主であって、私たちに向けたものじゃないのだと、感じる機会があってね。

 どうだい、聞いてみないかい?



 勤勉を象徴する人物像として、全国に知られる人といえば二宮尊徳が挙げられるのではなかろうか。たきぎを背負い、本を開いて勉強する、いわば「二宮金次郎」時代のスタイルはどこかで一度は目にしているんじゃないかな?

 私の地元にも、二宮金次郎像はしばしば見受けられたんだが、近所の神社にあった像は、同じように手へ本がおさめられているものの、女性のものだったんだ。


 頭巾と法衣を身に着けた、尼さんとおぼしき女性だ。

 しかし彼女は座り込んだ足の間に子供を乗せ、その子を抱え込むように腕を回しながら、本を両側から手で持ち、支えている。いかにも読み聞かせをしているかのようなかっこうだ。

 かの像は何を読んでいるのか? 当時、子供だった私たちの間で話題になったことがある。

 尼さんの像は、それの乗っかる台座が高い。真下からだとおとな数人分を経た高さに、ようやく彼女の法衣のすそが見えるといったところ。ジャンプをしても届かない。

 はしごなどを使えばいいのだろうが、それではもたついているうちに、誰かが目撃しかねない。もし自分を知っている人から親に伝われば、お目玉をくらいかねなかった。

 こっそり、すみやかに。子供の好む、いたずらの心得だ。

 私はどうにか、身一つで手早くことを終え、証拠も残さずに本をのぞいて見ようと考えを巡らせていたんだ。


 結局、行きついたのは自分の身体能力頼みの手。

 すなわち、尼さんの像にほど近い社殿の欄干を使い、その上から像へ飛び移ろうというものだ。重ねた石段の上に立つ社殿は、像と向き合うにほどよい高さを持っていた。

 判断がついたら、私はすぐ行動に移してしまう。

 さっそく、学校からの帰りに神社へ足を向けた。ときおり、神職と思しき人が境内を掃除していることもあるが、その日は出くわさなかったよ。

 もちろん、お勤めしている人以外に参拝者がいてもまずい。こっそり、すみやかに済ませるには運とタイミング、度胸が肝心だ。


 足音を忍ばせて立つ、社殿欄干前。向き合う像との間隔は2メートルもないはずだ。少し気合を入れた立ち幅跳びで届く。

 私は周りに人がいないことを確かめると、欄干の上へ両足で立った。

 深呼吸をひとつ入れ、ぐっと両足を曲げて溜めたのち、一気に像めがけてジャンプしたんだ。

 ほぼもくろみ通りだ。尼さんの像の乗る台座へ足をつけた私は、彼女が広げる本と、脚の間にいる子供の像を、またぐかたちで立っている。もちろん、彼らは無礼な私へいささかも反応しない。

 私はすっと視線を落とし、彼女と子供が見やっている石の本の中身を見る。

 

 ミミズをのたくったような、というたとえがこれほどあてはまるのも珍しい。

 授業中に、舟こいだ私が鉛筆を走らせたのと大差ない、理解不能の曲線たちが、石の表面に刻まれていた。

 これはこれで、手間がかかっているだろう。だが、意味の通る文章が用意されているのでは、という期待を裏切られ、落胆を隠せない私。

「こだわりが足りないな。しょせんはお仕事の限界か」などと、いっちょまえにうそぶき、私は台座を降りる。

 それなりの高さがあるんだ。かっこよく飛んで、脚をひねったりしたら面倒。私はそっと台座のふちで懸垂したうえで、慎重に着地した……はずだった。



 両足を着けたとたん、ぐらりと世界が揺れ動き、思わず私はうずくまる。

 立ちくらみ。何度かお風呂で経験したのと同じだ。動いていないはずなのに、頭蓋骨の奥が、海の波に揺られているかのようだ。

 でも、風呂上がりの時とは違う。目を閉じ、漆黒が支配するべき視界の中に、くっきりと浮かんだまま、一向に薄れないものがある。


 先ほど見た、石の本の中身。尼さんと子供が一緒に読み、私もまた見下ろした、あのミミズのごとき文字が、はっきりと暗闇の底に刻まれている。

 くらみがおさまり、目を開くと本はぱっと消えた。どこへ顔を向けても、カメラのフラッシュの残像のように、景色が潰されることはない。

 その代わり、たとえまばたきのような一瞬の闇であっても、私はあの本の文字が目の前に浮かぶようになっていたんだ。

 寝る時はもちろん、突然明かりを消されたり、厳重にカーテンで仕切られた空間にとどまったりと、他のものがまともに見えない状況に置かれれば、はかったように現れる。

 片時も休まることない目と頭。いかに子供ゆえの若さがあっても、日に日に私は、自分が疲れていくのを感じていた。ときに視力の悪さを覚え、頭の働きが鈍っているのが分かる。


 もう一点、私は気になることを耳にする。

 本の中身を見た翌日の学校で、私は親しい何人かの友達にことの次第を話していた。武勇伝のつもりだったんだ。

 しかし数日後。私は彼らにウソつき呼ばわりされる羽目に。

 どうやら彼らも、私と同じく像の台座のうえに立ったらしい。尼さんと子供の像に向き合い、彼女の広げる本の中身も目にしたんだ。

 しかしそこに、私の話したようなミミズののたくった文字はなかった。傷ひとつない、つるつるの面があるばかりだったという。

 私はその日の放課後。いまいちど神社に赴いてみるも、確かに彼らのいう通り、本はただ白紙ならぬ白石の面を私に見せつけるばかりだったんだ。

 いまや、尼さんの本の中身を正しく知る方法はない。私の頭の中をのぞいては。



 毎日のように、脳裏に浮かぶ本の文字。

 目にするたび頭が重くなる感じが抜けず、うつになりかける私はやがて気づいてしまう。

 あの本の中身を見てより3カ月後、闇に浮かぶ文字が並び方はそのままに、文字の種類だけが変わってしまったことに。

 いくら意識してまなこを閉じようと、新しくなった文字列はもう古いものには戻らない。

 ノートに書き出し、かの友人たちに見せるも、例の居眠り文字、もしくは私のオリジナル言語と思われたらしく、さんざんにからかわれたよ。誰にも教えたくなくなって、そっと心の中へしまった。

 それからまた3カ月後、列はそのままにまた文字が変わった。

 あの石の本の見開きに浮かんでいた文字は5文字が10列の50文字。それを3種見ているのだから150文字は記憶にとどめているわけだ。

 だがそこに、一文字もかぶりはない。アルファベッドや五十音などという文字の少なさではなかった。

 おそらく漢字並みに多い種類でもって、あのミミズ文字は成り立っているのだと、私は悟る。そして定期的に入れ替わっていく様は、やがて年をまたぐことになっても変わらない。

 

 私は想像したよ。きっといまの自分はあの尼さんの手に代わり、本を手繰るものになっているのだと。あの子供の像に読ませるためのね。

 もしかしたら、あの子供も私の近くにいたのかもしれない。ただ私は霊感ならぬ零感という奴か、ちっともその気配を感じられなかったよ。

 この現象がおさまるのに、足かけ12年がかかった。一度に2ページずつ、一年で8ページとするなら、100ページ近く。子供向けの児童書にしては、ちょうどいいかもしれない。

 12年ぶりに見る純粋な闇に安堵する私は、あれらの文字を綴ったノート類を見直すが、いずれも痕跡はかけらもなかった。

 おそらくあの本のもとへ戻ったのではないかなと思う。

 確かめる気はないな。また手繰り役を任されるのは勘弁だ。

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