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「どうだ、落ち着いたか?」
「はい……大変ご迷惑おかけしました」
「いや。いま、この間の友達二人を違崎に迎えに行かせてるから」
「いえ。少し休んだら、ひとりで帰ります」
起き上がる天才青たん女。
「いーから寝てろ。その顔で帰すなら、女子に付き添ってもらった方がいいだろ」
落ちたぬれタオルを、右目のあたりに押し当ててやる。
「すみません……でも、並プロちゃんが無事で、本当に良かった」
ソファー近くに持ってきたちゃぶ台の上、並列プロジェクト主幹部5847389Ttr:v0・000・3913944506/r1が、ジャイロリングを回転させ反応している。
その隣に重ねて置かれた黒と朱のサイコロも、ガタコト揺れだした。
「いや、ホント。地味子の一世一代の大ジャンプを、ちゃんと見たからな。絶対に忘れないから」
地味子の手を握ってやる。
「な、何をしみじみ語ってるんですか! はやく忘れてくださいっ!」
普通に手を振り払われた。
「……並プロちゃんをロストしてたら、立ち直れないところでした……ふぅ」
安堵の息を吐き、ちゃぶ台をみつめてる。
「まあな。俺たちのコレからは全て、この鳥かごとサイコロ達に掛かってると言っても過言じゃないからな――よっと」
振り払われた手を、返す刀で差し出した。
ドサリッ――――ぐはっ!?
例の契約書を腹に載せられた地味子が、息を吐いた。
「あ、悪い。重かったな。スマンスマン。ひとまずコイツに全部目を通したんだが、一カ所だけ訂正させてほしくてな」
「はい。ソレは私と『並列プロジェクト』からの要望です。先輩の要望はまだ――」
「いーから、聞いてくれ。この……『この業務提携契約は〝並列プロジェクト〟の終結を以て解消される』の部分だ」
コクリと、青たんが上下する。
「まず共通の認識として、サイコロ……並プロちゃん達が自我を獲得していることは疑いようがない――よな?」
「はい」
くるくるくるん、ガタガタ、ゴトゴト。
重ねてあったサイコロの、上のヤツを下におろしてやった。
何重もの耐衝撃機構が作動していて、特に量子エラーはソレ用の内臓原子回路に吸収される。
それでも、事故がないとは言い切れない。
「――当然、法人格を有するに値する人格を備えているわけで、俗に言う〝強いAI〟の完成形だ。ココまでは良いだろ?」
「はい。問題ありません」
くるくるくるん、ガタ、ゴト。
「じゃあ、並プロちゃん総体としてのAI人格権は俺の〝HeapDyne社〟が存続する限りにおいて全責任を持つ。明記するなら製造物責任法と労働安全衛生法だけじゃなく、ISO13482を取得する」
「……製造物責任は私に有りますけど」
「並プロちゃんのポテンシャルは未知数だ。対外折衝の為にも並プロちゃんの〝AI法人格〟をヒープダイン™が裏付ける」
「……随分、私と並プロちゃんを買ってくれてるんですね」
「おうよ。なんせ俺の製品始まって以来の、上客だからな。契約書の訂正箇所は、この部分だけだ」
「なら余計に、先輩の会社側の利益を保護する明文を――」
「それはイイ。並プロちゃん達の活躍で、俺の原子回路の〝量子超越性〟が話題にならない訳が無い――だろ?」
「そ、そう言う事でしたら、コチラに異存はありません。多分、並プロちゃんにも」
ふう、問題はココからだ。
「じゃあ最後に、ひとつ聞いておきたい」
早くしねえと、違崎が帰って来ちまうしな。
「はい、なんでしょう?」
「俺の原子回路設計は確かに画期的だ。……多少、自画自賛が入るが聞き流してくれ」
「いえ――――はい」
くるくるくるん、ガタ、ゴト。
いやこの先は、並プロちゃん一式には関係ないけど。
いや関係あるけど、議題そのものっていうか。ちょっと静かにしててくれ。
揺れるサイコロ達の上に雑誌を載せて、おとなしくさせた。
「じゃあいくぞ。演算に特化するのが当たり前の量子回路設計においてなお、その設計思想は暴力的なまでに演算特化型だ。量子ビットレジスタに投げる指数オーダのビット列も莫大になる」
上に乗せた雑誌が押さえてくれて、部屋の中は遠くから聞こえてくるバイクの排気音だけになった。
「だが、それだけだ。現に俺は自分の設計通りのスペックを引き出せず、何個回路を焦がしたかわかりゃしない」
原子回路には高出力な超小型量子カスケードレーザー発信装置が内蔵されていて、使い方を誤れば当然火事になる。
緋加次だけにな……うるせえ。
「そんな製品のどこが――――おまえの心を打ち抜いたって言うんだ?」
ビシリと指を突きつけてやった。
「量子回路のセッティングを問題に特化させることなく、プログラムのみで公開鍵暗号を解いたからです」
あれ? 簡単な答えが返ってきたぞ。
「そ、そんなの、出来の差こそあっても、誰でも出来るだ……出来なかったな確かに」
「まだまだ認識が甘いですよ、先輩。私は〝DRETσ型〟に出会うまで、父から許された資金の全てをつぎ込みました。けれど、とうとう私の望んだ諸元を持つ製品には出会えなかった」
壁の時計を睨む後輩。
「えっと地味子、いや鱵家ってのは……金持ちだな」
「ええまあ。個人的な学術研究用途になら、幾らでも領収書を切れる程度には、ですけど」
そーなの? どんな程度かはわからんけど、仲良くしておいて損はあるまい。
「……なんですか急にニタニタして、通報しますよ」
「うるせえ、話を続けろ。違崎達が来るまでなら、ちゃんと話を聞いてやる」
もう、愛想笑いなんて一生しねえ。
「じゃあ……続けます。ある日、父の秘書の方が、持ってきてくれたんですよ」
「何を?」「先輩の量子コンピュータに決まってるじゃないですか!」
話の腰を折らないで、い・た・だ・け・ま・す・か?
片方だけパンダみたいになった目が、そう言っていた。
「悪い、続けてくれ――ソレで?」
「フン――ソレて初めて、私のプログラムは、マシンを暴走させることなく実行されたんですっ!」
状況はわかったけど――
「個人で購入? あ、ひとり居たな。熱心だけど、妙にズレた事ばかりメールで聞いてきた研究者が」
「彼は有能ですけど、研究者ではありませんので。研究に没頭し憔悴していく私をみかねた父が手配してくれたと、後から聞きました」
「ふーん、なるほど?」
鱵家は、秘書が付くくらい規模が大きい。覚えておこう。
「続けます――ようやく、自作プログラムの有用性を確かめられた私は、平行して手がけていたAIの自我獲得に取り組みました。ソレはもう寝食を忘れて――」
「――そうしてようやく、並プロちゃん1号が誕生するに至ったワケだな――ふぅーー」
長くなってきたから、ちゃぶ台に片ヒジを突いた。
また話の腰を折ってしまったが、話はそこで終わりらしく咎められなかった。
「まー、それを、〝部品を融通し合うウィンウィンの関係〟なんて、設計製作者である俺から言われたら、まあ泣くわなー――――すまん」
正座して、頭をもう一回下げた。
「いえあの、もうイイです。コッチこそ色々と、ごめんなさい。実は量子教授に、あちこちの第一線級の研究機関を紹介してもらって、著名な量子化学者に話を聞きに行ったりもしたけど、だれもがあと一歩とどかなくて……逆にコッチのプログラムの有効性を……疑われる始末で」
ソレがとても悔しかった――と顔に書いてある。
「提出した論文も、ソレが元で却下されてっ! もうっ!」
本当に悔しかった! ――と顔に書いてある。
「よし。話はわかった。地味子の家の重大な事情とか、命に関わるような深刻な話なんてのじゃなくてホッとしたよ――っこらせ」
そろそろ違崎達も来るだろうから、コーヒーでも入れよう。
狭いキッチンに立って、ヤカンに火をかける。
「あれ、でもさ? 入学当初なら、俺は最前線で量子コンピュータに打ち込んでいたはずだろ? なぜオマエは接触してこなかった?」
「えーっと、そのう、先輩の製品を秘書の方から受け取ったのは、本当に……気の迷いでして。『素手で光格子レーザーのセッティングを出す〝ナノスケールの貴公子〟』なんて持ち上げられてる大道芸――お調子者が〝量子超越性〟に唯一届いてたなんて思いも寄らなかったから――」
「なるほど、敬遠してたってワケだ」
「いえ、軽蔑してました。だから大学も授業に出る以外は家に籠もってひたすら、市販品の量子コンピュータの調整に明け暮れてました」
そこ、言い直す必要あるか? まあ、もうどうでも良いけど。
――カチャカチャリ、コトコトン………………なぜか、黒い方の巨大サイコロが、来客用のコーヒーカップの中に混じってた。
俺は黒くて四角いのを、なるだけ揺らさないようにフンワリとソファーに投げた。
「わっきゃっ――――危ない!」
箱をキャッチした天才数理物理学者(負傷中)が、「何てことするんですか」と怒り出す。
いやあ、大丈夫だろう。黒いのの機動性は尋常じゃない。
ソレだけ神出鬼没に動けるって事は、量子エラーも論理エラーも文法エラーも出てないって証拠だ。平気平気。
あの黒い箱に関しては、アウトドア用の機体ということもあって、普段から相当ラフに扱ってしまっている。
本当のことを言えば、いくら耐ショック仕様でも、量子コンピュータの扱いとしては大問題だ。
けど、ぞんざいな扱いも俺たちの管理下で行われるなら、立派な耐久テストになる。
「あー、でも。教授から紹介していただいた一線級の技術者達には、感謝しないといけないかも知れません」
「えー……何を?」
「いまの量子コンピュータに疑いを持つことが出来た事をです。あの時間は無駄じゃなかった。それが、いまは嬉しいです! ね、並プロちゃん♪」
「ソレは俺もだ。一年くすぶってたしな。でも、俺は最初に会った時みたいに学食に出入りしてたよなー?」
ソファーを振り返るとモジモジした地味子が、巨大サイコロを知育玩具のようにクルクルとひっくり返したりしてる。
「だ、だって――――見た目が全然違うんですもの! とても同一人物には……」
そういうことか。土台の黒いのが抜けて、斜めになった業界紙の表紙。
小さく写真付きで特集された俺は、ややイケメン風で売出し中の量子物理学者で、スタイリストに寄ってたかって毛繕いされた直後だ。
ソレと比べるべくもない今の俺はドコから見ても、後輩にたかりに学食に入り浸る〝売れない投稿作家〟でしかない。
でもそうすると、俺たちは奇跡的に今こうして出会えたワケだな。
万が一、出会えてなかったら、先の人生、どうなってたかわからない。
地味子は俺の製品無しでは、自分のプログラムを走らせることも出来ず、論文はリジェクトされ、特許申請にすら漕ぎ着かない。
俺だって、彼女が居なきゃ、製品である原子回路を完成品である量子コンピュータの形にまで持って行けない。ましてやAIに自我を獲得させることなんて、夢のまた夢だ。
そう言う意味で俺たちはいま、人生最高に恵まれた状態だった。
――――ピィィィィィィィィィィィィィィィィィッ♪
お湯が湧き、「せんぱーい、来ましたよーー♪」なんて声が聞こえてくる。
火を止め、再びトレーの上でお湯を注がれようとしている、黒いのを持ち上げた。
中をのぞき込んだらガチリと、貝みたいに閉じられてしまった。
§
立て付けが悪くなったドアの修理をするのに、ちょうどいい長さのバールのようなものを借りた帰り。
電磁シールドされた複合金属製の製図ケース(バールのようなもの在中)を担いで大学構内を歩いてたら。
フォローしてるQID関連のアラートが鳴った。
スマホの画面を見ると、【学生課】【広報】なんてレイヤーが表示されてる。
「ん? 違崎が放校にでもなったか?」
簡易的なVRグラスにもなる遮光ゴーグルを掛けて、周囲を見渡した。
すると、目の前の生け垣の中をARタグが、ゆっくりと移動中だった。
「コラ違崎、観念して学生課にいくぞ。俺も一緒に謝ってやるから――」
製図ケースを生け垣にプスリ。
「きゃあっふぅん❤」
「だっ、なんて声出しやがるっ!? ――と思ったら、地味子かよ」
「え、なんで? 珈琲先輩!? もぉーっ、な、なんてトコを突き刺すんですかぁあぁ! 事案ですよ事案っ!」
小股を押さえ、生け垣から這い出てきたのは、我が優秀な業務提携先だった。
「どうした、QIDにARタグつけられてんぞ? ……リンク先は……大学の広報サイトか?」
「わーわーわー! 先輩は見なくていいです! 見ちゃダメですっ!」
ん、なんで邪魔をする? そして、なぜソッポを向く?
ついこの間、醜態を晒したし、気まずいのはわかるが、そりゃお互い様だろ?
それにしても地味子、今日はヤケにピシッとしとるな。
黒系の春用コートに、紫のタイ。
いつもより、やや短めのタイトスカートにストライプのブラウス。
もう一度、製図ケース(真っ黒い巨大鉛筆型)で脇腹をつついてやった。
「あふぅん――って、ちょっと本気で、やめてください! 訴えますよ!」
隠されていた、右側の顔面があらわになった。
「うっわーーーーっ、カッケーぇ…………のか? 判断に困るけど、それ眼帯?」
ネクタイと同色の大きめの眼帯の真ん中に、大きな『並』の白抜きロゴマーク。
「あーもうっ、見られた! だから、いやだって言ったのに!」
「その『並』って並プロちゃんのマークだろ? なら悪くねえよ」
並プロちゃん自体の萌えキャラな造形と比べたら、おとなしいもんだし。
たまに流行る高額PCパーツのパッケージには大抵、萌えキャラのイラストがプリントされてるしな。
いや、パッケージどころか、パーツ本体にレーザー彫金されてるか……。
「……並プロちゃんがらみで商品展開を考えても、イイかもしれんな」
タイピンやコートのボタンなんかにも『並』ロゴマークが使われてる。
「え、本当ですか? なら〝造形部〟のデザインセンスも、そんなに悪くは……」
「まあ、成人女性が普段着にしたら、アウトだけどな」
「ほらみなさい、やっぱり、そーじゃないのっ! 並プロちゃんはもう、もうっ!」
「でも地味子は元が美形だし、スタイルの良さとあいまって、悔しいが……素敵と判断するしかあるまい……不本意だが、実力は正確に評価されるべきだ」
「それは、……恐れ入ります。えへへ……ちょっとうれしいかも❤」
あー、クネクネすんな。往来の邪魔だ。人通りはねえけど。
「なんかの衣装って考えたら……スグにでもステージに上がれそうだよな」
「そうだった! 追われてるんです、いま!」
「あーーーーっ! いたーーーーーーっ!」
腕に『報道』とか『広報』とか書かれた腕章を巻いた連中が、駆け寄ってきた。
「うをわっ!? 〝ナノスケールの貴公子〟まで居やがるっ!? 引っ捕らえ……もとい、おもてなしして差し上げろぉっ!」
うーーをーーわーーっ!
腕章連中に取り囲まれた俺たちは、落成間もない野外講堂に引っ張り込まれた。
§
それは新入生達をもてなし盛り上げるための、ガイダンスイベント。
もう、そんな時期か。
さっき地味子が隠した、大学の情報サイトを開く。
『今月のミスキャンパス/物理学科3回生 鱵ふつうさん』
なぜかカメラ目線でピースサインを決めている、地味子。
「ぶわぁーーはっはははっ! 地味子オマエ、何やってんだ!?」
「友達にだまされたんです、ほっといてください! それより新入生の子達、もう集まってるんですから、とっととずらかりますよっ!」
俺の腕をとって逃げ出そうとする地味子もとい、『今月のミスキャンパス』。
まあ、仮にも業務提携先だし、助けてやるか。
俺がミスキャンパスの手を取り、出口を確認したとき――――シュルルルルッ!
腕章連中から飛んできたのは、ICカード。
掴んだソレをひっくり返したら、学食の年間パスポートだった。
コレさえありゃ一年間、食いっぱぐれる事がなくなるという魔法のチケット!
「……コホン。地味子、業務命令だ行って来い」
地味子を、のしを付けて売ることにした。
「なら、珈琲先輩もいっしょですっ!」
「イヤ俺は、そんな中二病な服持ってねえから」
「ココに用意してあります! 並プロちゃんによる立体採寸に誤差はありませんよ! 貴公子とか呼ばれてたし、よくお似合いだと思いますよ♪」
かくして、母校の新人歓迎カンファレンスに、電撃登壇することになってしまった。
こういうときのために違崎を飼っておいたのに、イザって時にいねえし。
§
いくらコールしても出ねえと思ったら、ヤツはすでに登壇中だった。
メインMCとして――――
「レディースエンドジェントルメ――――痛ってぇ~~~~!」
さっき下駄箱で拝借した大学名入りのスリッパで、ヤツの前頭部をしこたま張り倒してやった。
ワハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハッ――――♪
よし、ウケてる。つかみはこんなもんでいいだろ。
あとは、若い連中に任せときゃスグに終わるだろうから、とっととずらかるに限る。
とおもったらコメンテーター席の末席で、雨に濡れた子犬みたいになってる恩師を発見。
あんた何やってんだ!
「で、では、ドーソ皆様温かい拍手をー」
違崎の野郎は、あとでシメる。
「先輩、量子教授も一緒ですよ。すこしホッとしました……ヒソヒソ」
「いや、よく見ろ。ヤツは物理学全般と酒と講義にしか特化しとらん……ヒソヒソ。こういうハレの舞台は――――」
雨に濡れた子犬が縋るような目で、コッチを見た。
駄目な恩師といえど、彼女は悪人ではない。
このまま放って逃げたら、寝覚めが悪い。
逃げるチャンスを失った俺たちは観念し、用意された座席についた。