さん/1617441480.dat
「でも先輩。コレ、『金平珈琲』って読めなくもないですよ? ――あ、僕、中トロもう一つ下さい」
やい後輩、加・減・し・ろ・よ?
へいっ、うぉまちぃ♪
大将も気っぷがいいけどさ、大企業と提携してない量子物理学研究者なんて、カツカツの貧乏所帯にきまってるんだから、ご予算通りでお願いしたい。
「うるっせー。あー大将、次はカッパで」
「んー、どしたぁ? 今日はオマエ達二人のぉ輝かしぃ門出だぁぞ? ぱーっと――ふにゃるれ♪」
早くもぱーっと、財布が潰れたな。
強めのポン酒を出してもらって助かった。いろいろダメな恩師だが、彼女は悪党ではない。
教え子の前でカッコつけて破産するのを、みすみす見過ごしては寝覚めが悪い。
ちなみに門出といっても、まだ業務提携のオファーを受けただけで、具体的な話は進んでない。
「でしょお? しかも、『加』の『口』から湯気が出てるからもうコーヒーカップにしか見えないですし、おすし」
などと言いながら、潰れた教授に自分が着てたカーディガンを掛けてやる後輩2。
「かーばやろーう。コレは、俺が焦がしてきた数々の試作品を模した名誉の意匠だっつの! あ、違崎、オマエ教授送ってけよ。配車代は出してやるから」
「えー、先輩の自宅兼作業場で、朝までゲームしないんですかー?」
「朝まで……ゲーム?」
あーもう、食いつくな食いつくな。そういや、地味子はガチゲーマーだった。
「今日は教授が潰れてる。また今度だ――大将、勘定お願いします。……足りっかなー」
懐事情は自宅兼作業場の惨状でわかるだろうが――
地味子が俺の袖をクイクイと引っ張った。
「なんだこりゃ? ――後輩が、そんなことすんな」
差し出されたのは、一枚のカード。
色は、開業当初付き合いがあった大企業の、お偉いさん達が持ってたようなヤツ。
地味子は、どうやら良いとこのお嬢様らしい。
「先輩も後輩も関係ありません。気兼ねなくお使い下さい」
あれ、この力強い表情。最近、どこかで見たような。
「そんな訳にいくか。っていうかそんなに使える金があるなら、俺なんかをプロジェクトに巻き込む必要ねえじゃんか」
いかん、これじゃまるで拗ねてるみてえだ。
「そういうわけには参りません。なぜなら〝DRETσ型〟が私の個人プロジェクトには必要不可欠だからです。いえむしろ、アナタの作った原子回路がすべての発端なんです!」
だからこの熱い視線、なんなんだよ。
「んーと、なんか勘違いしてるみてえだけどさ。地味子ほどの天才様なら〝原子回路〟の一つや二つ朝飯前だろ?」
いけねえ、ほんとうに拗ねてるガキだ。これじゃ。
「やっぱり、そっちこそ勘違いしてる! 本当に天才なのはアナタの方ですっ!」
昨日、会ったばかりでほぼ初対面の後輩が、ものすごい剣幕で俺を天才だと罵ってくる。
「ちょっとちょっと、どしたの二人とも怖い顔して。お金足りなかった?」
後輩1もとい、〝違崎海流(24)〟が心配そうに寄ってくる。
「はぁ? 俺のどこが天才だってんだよ……鳴り物入りで起業はしたが開店休業中。売れたのは〝量子超越性テスト〟用の初期ロット30個だけだぜ?」
なんか、言ってて悲しくなってきた。
スゥゥゥゥゥゥゥ――――
後輩2もとい、〝鱵ふつう(21)〟が大きく息を吸い込んだ。
「おわかりになっておられないようですねっ! 本当に〝量子超越性〟に到達したのは珈琲先輩、ア・ナ・タだけなんですよっ!」
なぜか詰め寄られ、お座敷の方に追い詰められた――ぺたり。
「何言ってんだ? 地味子だって出来るだろ、それくらい。同じ型のレーザーノギス使ってたじゃんか」
お座敷に座った俺は、地味子を見上げる。
こんな話、教授に聞かれたら、説教か大議論大会が一週間は開催されかねねえ。
「鳴り物入り先輩の記事は私も拝見させていただきましたが、フツウ出来ませんよ! 素手で格子ミラーのセッティングなんて頭おかしいっ!」
ほらみろ、俺は天才なんかじゃねーんだ!
当時はちょっと調子に乗ってただけで――――チィィィィィィィィィィィッ。
ん? なんか音が聞こえる――――チカッ。
後輩2に組み敷かれた、視界の隅。
赤光がきらめいた。
俺は見た。
地味子の馬鹿でかいサイコロみたいな髪留めのアクセサリーが、開くのを――――ソレは神業だった。ロボット工学および認知科学的に。
パカリと割れたサイコロから外界をのぞいていたのは――やや向こう側が透けて見える小さな人型。
ソレはサイコロを押し開き、立ち上がる。
デフォルメされたフォルムを描く、色気を感じる描線。
パステルカラーを基調にした流行の色彩設計。
今度は昼間に見たのよりも長大な長物を携えていた。
やる気満々のその力強いまなざしは、やはり勇ましくてかわいい。
小さな頭をゆっくりと回し、周囲を索敵する。
その視線を追うように照準する、サイコロ土台から突き出たカメラ部分。
――キュ♪
カメラ部分がもう一個追加された。
解像度を上げてる?
――キュキュ♪
もう一個……あれコレ、撮像素子じゃねえ――――
「――全員、動くな!」
俺は叫んだ。商売柄、レーザーの特性は身についている。
目に直接入らなければ、どうということはないが念のためだ。
――――――ぷすぷすぷすぷす、ぷすぷすぷすぷす、ぷすぷすぷすぷす。
索敵半径に入った闖入者4号に対し、俺達の胸ポケットにしたのと同じレーザー刺繍をぶっ放す、〝並プロちゃん〟。
それは、楽しげな並プロちゃんのロゴ入りイラスト。
カラフルな色彩を精細なドットで表現する芸の細かさで、板前姿には不釣り合いだったけど――大将は笑って許してくれた。
「ご、ごめんなさい! ここ、カード使えますよね? 割烹着代も一緒に精算してください!」
後輩2にふつうに押し切られ、なんとか会計を済ませた。
割烹着代は食事代の端数程度、しめて二万円也。
最後にもう一度、店主に謝り、店を出た。
後輩1と教授を送り出した頃、ようやく気づいた。
「あ、そしたら並プロちゃん……並列プロジェクト5847389TTRって、まさか――――」
「はい、もちろん先輩の原子回路上で動いています。すでにRSA暗号解読によりコヒーレンス時間の確保は証明済みです。耐量子計算暗号の実装は国際標準化想定範囲内において60%完了しています。安全規格IEC62368ー1に適合。それと口頭によるチューリングテストも一応クリア済み――――」
俺は、俺の製品のセーススポイントを並べ立てる地味子を、抱き寄せた。
「きゃぁ!? あのあの、先輩? こ、こういうのは、アッ、業務提携契約を締結してからじゃないと私――――」
そして、その細い肩にアゴを乗せる。
うるせー、モジモジするな。並プロちゃんの像がブレる。
「並プロちゃん緊急停止コード、〝ボスケテISO13850〟」
サイコロに向かって、できるだけ平坦な声で宣言した。
「――チチチチチチキッ、プツン」
サイコロ土台の四つ足にかかっていた動力がカットされ、コロリと落ちた。
ソレを難なくキャッチして、茹でダコみたいになった地味子を解放してやる。
「本当に〝DRETσ型〟で動いてるんだな?」
「ばっ、バックドア!? ソレって使用許諾契約違反――」
茹でダコが口をとがらせる。
「――じゃないぞ。オマエこそ許諾契約の追加条項を参照しなかっただろう?」
巨大サイコロは手にすると、意外と小振りだった。
「え、あ、ひょっとして、『〝量子超越性テスト〟のための限定ライセンス条項』!?」
「そうだ。ちゃんと『テスト用の開発ロットには非常停止規格に則った安全措置が講じられているため、商用業務への使用および設定されたテスト期間を超えての継続使用はできません。』って書いたからな」
手を伸ばし並プロちゃんを取り返そうとする地味子。
「――――じゃー、さっきの話、詳しく聞かせてもらおうか?」
サイコロを精一杯高く、持ち上げてみせる。
「素手で格子ミラーのセッティングをする、頭がおかしいマニピュレータ先輩の話ですか? ……それならご本人の方が、よくわかってらっしゃるのでわ?」
「違う、本当に〝量子超越性〟を達成したのは俺だけだって言う与太話の方だっ! 素手って話なら、地味子だって昨日並プロちゃんをひっつかんでただろうが、素手で」
「あー、うふふ。アレわですねー――――」
俺たちは、配車アプリで自動運転車を呼ぶのも忘れて、歩いて帰った。
§
「……なにやってるんですか。そんなボロボロになって」
自宅兼作業場は多種多様な量子コンピュータであふれていた。
昨日あの後、議論が白熱した俺たちは地味子コレクション(段ボール6箱分)を持ち込んで、全部を徹底的に調べ尽くしたのだ。
そしたら、手っ取り早く性能チェックが出来る〝RSA暗号解読〟を出来たのは、本当に俺の原子回路を組み込んだ場合だけだった。
「何ってみりゃあ、わかんだろうが。素手で原子回路を組み上げてたんじゃねーか。ひさびさに――」
ばたりと、ちゃぶ台に突っ伏す。
「まったく、先輩が普通子ちゃんをお持ち帰りしたって聞いたから、やっと先輩にも春が来たんだなーって喜んで顔を出してみたら――阿鼻叫喚? うわっとととと」
後輩が配線の束に足を取られて尻もちをついた。
「だれですかその〝フッ子〟って。フッ素化合物みたいに呼ばないでください――」
首にタオルを巻き、『数理物理学シンポジウム’07』の文字が書かれたヨレヨレのTシャツにぶかぶかの短パン。
天才女が、フローリングの床に突っ伏した。
地味子がいなかったら、俺は俺の製品の真価を知る事なく、クローゼットに葬り去ったままだっただろう。
「んだよ、全部嘘って、そりゃねーだろー?」
そう、業界まるごと全部嘘。……全部ってわけでもねえけど、全員グルなのは間違いねえ。
残念だが、全面的に地味子の言い分が正しかったことがわかった。
俺は足下に転がる数百万は下らない、くだらない張りぼての一流ロゴ入りの量子コンピュータを足で遠くに押しやった。
部分的に、限定的に、条件付けさえ設定してやりゃあ、大企業やベンチャーの製品も確かに動くし高性能だ。だが汎用性が、まるでねえ。
――フハハハッ、ハハハッ。俺の一年間は一体何だったんだ。
「わー、先輩が壊れたー!」
ホームサーバーにどぎつい危険色の有線で接続された、超小型光格子レーザーノギス。
その真空稼働状態を表す緑色のランプが、点滅してから消えた。
2セット有るレーザーノギス同士も、光ファイバケーブルで接続されている。
地味子いや、普通子ちゃん(21)の足下のノギスから起き上がったのは、四つ足が付いた巨大なサイコロ。
その色は明るい赤で、ややパステル気味。
「あれ? コレまた別の〝並プロちゃん〟? かわいー♪」
サイコロが開く。
徹夜明けの変なテンションで無計画に作ってしまった、今度の――『並列プロジェクトAR電影部5847389Ttr:v0・000・3913944506/r8』は、俺と地味子の技術力を全部注ぎ込んだ超特別製だ。
〝MR実行部〟が作戦行動可能な半実体の〝並プロちゃん〟なのに対し、〝AR電影部〟はプロジェクションマッピングのお化けみたいなヤツで――――スヤァ。
「わ、何コレ!? いきなり大穴がっ! なんかサメ居るし! わっちょっと待って! あっぶな、痛って――――」
どこかで違崎の断末魔が聞こえる気がしないでもないけど、いまは寝――――スヤァ。