にじゅう/1626631200.dat
「代表先輩、やりましたよ! 出たじゃないですかっ、〝鬼〟! ――コッチくんなっ♪」
なんだ、代表先輩って。
丸めた雑誌を振り回す地味子。
――――ポゥン♪
バックハンドで打ち返された折れ線グラフみたいなのが、ギザギザした軌道で遠ざかっていく。
――――ポカン――ポコカカ♪
作業台の縁をかすめた金属棒の先端が、鋭利な軌道で天井と壁の境目にヒット。
金属質な角棒は、水平に近い軌道で跳ね返った。
この敵はなんつーか、高度にゲームナイズされてて緊張感に欠ける。
軽いモノにしか影響なくて助かったが――――コチラのテリトリーにまで進入してきているのだ。巨大重機程ではなくても、脅威には違いない。
「うわっ、打ちづらい角度だな~♪」
キッチン方向にゆるーく降りていく、金属棒。
ネットワークを完全切断した途端に即、介入してきた反応からみて、俺たちは相当前から特区に目を付けられていたと観るべきだろう。
「いまだ!」
金属棒が遠ざかったタイミングで、作業台の下に潜り込んだ。
キュロラララッ♪
自走カート(並プロちゃん一式)も横へ、走り込んできた。
「さすがに執筆どころでは、なくなってしまいましたわね❤」
なんで、楽しそうなの?
――――コワァン♪
小気味よい音に振り返る。
第三打者が手にしてるのはフライパン。
軍用PC(ジュラルミン製)で叩いた時には、あんな音はしなかった。
つまり、材質か形状を区別したってコトだから……あの〝金属製折れ線グラフ〟の先端に、光学センサが搭載されているとみるべきか?
でもいくら、軽いモノに影響を及ぼす程度の半実体があった所で、ありゃ――映像でしかないはず。
「いや、たとえ実体映像がイメージセンサの役割を果たしても――」
ソレを外部に伝えるネットワークは、いま遮断されている。
ボゥン――カキン――ポコガキキッ♪
ゲーマー二人がにじりより、金属棒を捕獲しようとしている。
うん、ゲーマーとしても地味子+1名はとても優秀だ。
ポカポカポポカガカ――――ッ♪
うるささに顔をそむけた瞬間、音がすっぽ抜けた。
見ると、違崎の体を突き抜けた金属棒が、背後に有る冷蔵庫に――ポコゥン♪
うっわっ、映像とわかってても、ありゃおっかねーな。
この件が収まったら、ヤツにはなんか美味い飯……近所のラーメンでも奢ってやろう。
俺は腕を伸ばして、近くにあったホワイトボードを、盾代わりに引き寄せた。
「うーん、一定以上、押さえ込まれると突き抜ける。そして人体も通過可能か」
捕獲するのは。無理かもしれない。
「あの、透過性能はやっかいですわねぇー。ウフフ❤」
だから、なんで楽しそうなの?
ふにゃられてるよかイイけど……なんか気楽すぎない?
弊社製品である君らを狙ってきてる可能性が、もっとも高いんだけど?
「あ――」
機能特化型の個別機体を7体、量子単位を9個持つ並プロちゃん一式を見てたら、思い至った。
「――あの長い実体映像全部で、処理回路の役割を果たしてるのか!?」
自宅兼作業場が有る、このマンションは電磁気的だけでなく、光学的にも堅牢に守られている。
全てのガラスが盗聴や可視光通信を防ぐための、通信阻害コーティング済み。
量子教授にも「どこに住んどるか知らんが、もし全館通信セキュリティー完備の物件なら、すげー高いからガラスだけは割るなよ」って、かなり前に釘を刺されたっけ。
つまりあの〝金属製折れ線グラフ実体映像〟は、いまオフラインだ。
並プロちゃん達とは別の実装アプローチ。
金属棒は、あの先端から末端までの〝長さ〟で回路を形成していると、推測できなくもない。
通信遮断した俺たちを探ることが出来なくなったヤツラは、先兵として単独行動可能な〝実体映像〟を送り込んできたのだ。
実体映像を投影装置のない空間に送信する技術。
しかも、ガラスに施された通信阻害コーティングを突き抜けてなお、機能を維持している。
ゲーマー特区なんて言われてるけど、とんでもねえ。
世界征服を企む、悪の特別区域って言われた方がしっくりくる。
でも、そのワリには、なんつーか。
敵は意外なほど、せっかちで底が浅い。
「並プロちゃん、特区に関する情報って、いま出せる?」
「おやすいごようですわぁー♪」
自走カートから突き出たのは、〝MR実行部〟の小さな機械腕。
ソレがキュイ――パチリ。
ホワイトボードの機能パネルに、突き刺さった。
チチチ、ピッ♪
――ウィィィィィン♪
目の前に突き出されたのは、真っ白い電動アーム。
自走カートが有線で、ホワイトボードをハッキング。
ホワイトボードに付いた、大きな電動アームを操作しているのは、つまり並プロちゃんだった。
真っ白い電動アームが差し出したのは、カートから伸びた長いケーブル。
ソレを受け取り、軍用PCに接続。
「本日10:30分以降の情報は未収得だけどぉ、汎用言語解析器と参加型辞典への接続が可能ですわー♪」
「サンキュー♪」
並プロちゃんが情報フレームサイトを、横断検索していく。
オフライン使用可能なこのバックアップは、ネットワーク接続を維持できなくなったときのためのモノだ。いま使わなくてどーする。
§
電子防壁で囲まれた”VR拡張遊技試験開発のための革新的技術推奨特別区域”、通称ゲーマー特区……正式名称長すぎだろ。
いくつもの市区を合併して作られた、円形状の広大な敷地。
地脈水脈のない巨大な岩盤の上に再構築された、世界でも類を見ない未来都市。
その地中には大規模な地下都市空間が有り、主に量子コンピュータによる研究開発が行われている……らしい。
地上中央部分にも研究施設が存在し、”緩衝エリア”と呼ばれる真円を描く平地で区切られている……ようだ。
そして、その外周に生活圏があり、さらに最外周にはアミューズメント色の強い各種のVR施設やイベント会場が点在していると。
非公式の情報とは言え、なんか……妙な違和感があるな。
それこそ、並プロちゃんじゃねえけど――言葉にならないっつーか。
「うーん。ゲーセンのお化けみたいなもんかと思ってたけど、金融工学からエリート教育まで、ありとあらゆるモンが地球最高水準で実践されてんのかよ――」
――こんな面白ぇーもんに、何で俺が関わってねえんだ?
ようやく言葉に出来た違和感は、ソレだった。
俺が大学を決める頃には、ゲーマー特区はすでに選定されている。
特色である量子コンピュータ開発と、VR関連技術の躍進はめざましかったはずで……どう考えても、俺が興味を持たないはずがなかった。
「エリート教育の方はわからないけど金融工学の方は、町中にあふれる空間映像を投影処理するためのバカでっかいGPUが真下に埋まってるんだから、マイニングははかどるんじゃないですか? よっと、あ、ごめん。ちょっとズレちゃった!」
仮想通貨発行のためのデータマイニングは、並列演算に優れたグラフィックチップ(GPU)を使って行われるのが主流となっている。
「ちょっと、違崎君……高性能演算分野と量子コンピューティングを同一視するのは、履修科目的に問題があるわよ。まってまって、もうちょっと右――――」
いま、違崎と地味子は、金属棒……〝自律型空間探査プログラム〟をL字型リビングの端っこに、閉じ込めようとしている。
端から見てると、ARゲームに熱中する面白い人たちにしか見えない。
「向こうわ、楽しそうねぇー♪」
ホントにな。金属棒は捕まえたら――体感型アミューズメント施設か、スポーツジムなんかに売れそうだ。
§
「ううむ……地味子はどう思う? 特区のデータセンターは本当に稼働していると思うか?」
俺は参加型辞典の『ゲーマー特区』項目ページを開いている。
ポゥン――――――――ポコゥン――――――――♪
ゲーマー特区最下層に存在するという、量子データセンター。
その現物を見学でも出来りゃ、二人で発見した〝量子超越性〟の真偽に決着も付くってものだが。
「量子コンピュータの桁外れの演算能力を起因とする、目視確認可能な光学的レトリック。ひょっとしたら〝量子超越性〟を実現している可能性もあるかもしれません――――限定的にでは有りますけど」
ポゥン――――――――ポコゥン――――――――ポゥン――――――――ポコゥン――――――――♪
いま金属棒――件の光学的レトリックの現物は、天井と床の間を垂直に、寸分のズレもなく行ったり来たりしている。
「鱵家っていうか、家業のコネを使っても……見学は出来ねーわな」
「見学はしましたよ? 高校二年の時に、都心からバスツアーで」
「は? 現物見た? しかもバスツアーっ!?」
全然、知らんかった。
そんなにオープンで、セキュリティは問題ないのか?
地味子はソファーで、印刷されたレポートに赤ペンを入れている。
こんな奇想天外な攻撃を受けてる最中に、何やってんだと思わないでもない。
だが、違崎のレポート提出期限は明日だ。
いまやらないと、量子教授が怒鳴り込んでくるキケンが有る。
小さくなったり大きくなったり左右にぐねぐねしたりと、いそがしい違崎もここ数日、真面目に取り組んでたから、出来る限りの事はしてやりたい。
ポゥン――――――――ポコゥン――――――――♪
「製造工場ごと人造地底湖に沈められ、一切非公開。外から見ても大して面白いモノでもなくて、添乗員の方に聞いても区外秘の一点張りで頭にきちゃって。結局私は地元のゴゴ大を受けることにしたんです――量子教授もいましたし」
キュキュキュッ――キュキュキューッ♪
次々と赤を入れられる違崎レポート。
提出者の表情はにこやかなまま、苦渋に満ちていく。
俺も〝投稿作家〟として、ずっと〝わたボ狐狸さん〟に校正されてたから、違崎の気持ちはわかる。
まあがんばれ。教授の提案なら、かならず見返りはデカい。
「実地運用レベルでの、完全なブラックボックス化がされてました。けど、代表と一緒に検証済みの既存の量子回路を使用していると、公開情報に書かれていますよ――違崎君、ココは、どういう意図があってグラフ添付したの? あと枠線取って、図番号も全文通しの連番に直して……」
「必要かなって思って。はい……はい」
背筋を伸ばし、ただただ頷く機械と化す違崎留年生。
地味子相手じゃ仕方ねえけど、年下に頼りきりも情けねえ……いや、もし俺が現役だったら……もっと頼り切ってたかもしれん。
現にいまヒープダイン社は、地味子さん無しでは、一日だって回らねえ。
「……あの、一番デカかったヤツか?」
地味子コレクションの中でも一番巨大な段ボール。
玄関ドアを通すのに苦労させられた上、起動するのにクローゼットの一番奥から〝車載用変圧器〟まで引っ張り出す羽目になった。
とにかく、すっげー面倒な目に遭わされた――アレか。
たしかに動きはしたが限定的で、地味子仕込みの人格特化型強化学習ライブラリに耐えるだけのキャパは無かった。
「私は、代表の原子模型、DRETσ型〟だけが本物だと思っています。現に特区サイドから、量子コンピュータの設計に関する特許は出願されていませんし……はい、やりなおし♪」
地味子から紙束を突っ返された違崎が、膝をついてうやうやしく受け取る様を、極至近距離で見つめる並プロちゃん一式。
「限定的……空間定位技術にのみ、特化しているのか?」
チラリと、背後を振り返る。
ポゥン――――――――ポコゥン――――――――ポゥン――――――――ポコゥン――――――――♪
完全に無限ループに入ってる。
「その可能性はあります。ただ、バックアップの名目で従来型コンピュータの製造ラインも確保されていたので、当時の私には、よけいに判断が出来ませんでした」
高校生の頃の地味子。
ソレはさぞかし、地味子だったのではと想像できる。
「従来型コンピュータによる量子演算シミュレートも、ニューラルネットワークの手法として間違っちゃいねーしな」
「独自のCPU/GPU開発並びに高集積化のためのノウハウが、特区の母体となった企業連合体にはありましたから、〝従来型〟と軽視も出来ません」
違崎が言ってたデータマイニングの話は、間違ってねえんだな。
「うーん。空間定位技術ひとつとってみても……並プロちゃんの上位互換だしな」
さっき並プロちゃんの半実体化を目にしたときは特区の技術と同等なんじゃと思ったけど――――――――ポゥン――――――――ポゥン――――――――ポコゥン――――――――ポゥン――――――――ポコゥン♪
いま金属棒――件の光学的レトリックの現物は、天井と床の間を寸分のズレもなく伸び縮みしていて、少しキモいほどの解像度だ。
折り返した棒が折り重なる部分の、臨場感をともなった非現実感は、日がな一日見てても飽きない気がする。
アレを見せられちまうと、電影部ですら多少、見劣りするのが現状だった。
「実際にゲーマー特区が請け負う業務形態の中には、RSA暗号解析が必須のモノも存在していますし、並プロちゃん達を遙かに凌駕する演算能力を有しているのは確かです」
量子暗号解析。ソレは俺たちの大きなアドパンテージだ。
そのアドバンテージを覆す程の、物量的な疑似量子演算。
将来的に食い合うくらいの、シェア拡大を目論んでは居る。
だが現状、火種にすりゃならんはず。
差は歴然で、並プロちゃん達の売りはカワイイだ。
その一点に特化している。
あれ? そしたら、なんでいま攻撃されてんだ?
「なんで俺たち、攻撃されてんだ?」
声に出してみた。そしたら、なんか理不尽な暴力にさらされてる気がしてきた。
§
1:警察消防へ通報――――
「映像に攻撃されてるんです。助けてください!」……満場一致で却下。
2:特別区域の総合案内にクレーム――――
「映像に攻撃されてるんです。助けてください!」
「ご来訪ありがとうございます。え、訪れたことがない? それでは、法務部の方へおつなぎいたしますので――」……1対3で却下、ヤル気なのは並プロちゃんのみ。
3:並プロちゃんに戦ってもらう――――
ゲーム機のライブラリをいくら探しても、『ひーぷだいん™VSしんぎゅらんⓇ』は見つからず、地味子的には5、6号機を拠点で有る社内で起動させるのは避けたいとのこと。
違崎と並プロちゃんが、攻撃の意思あり。2対2で保留。
4:量子教授に助けを求める――――
曲りナリにもヤツは量子演算のプロだ。量子超越性に到達していなくても、俺や地味子の持つ技術やノウハウを的確に運用できるくらいの――経験がある……3対1で可決。
反対は違崎。レポート提出前日に、もめ事なんてとんでもないっすよ。
5:その他――――
バーナーで燻しても、バケツの水に沈めても、映像が消えることはなく、軌道も変わらなかった。
藤坪氏ならなんとかしてくれそうな気もしたが、やはり専門外のコトで煩わせるのは忍びない。
答えは一択。ココまで面白いことになっちゃうと、どっちにしろヤツを呼ばないと――後が怖い。
░
「私、一里塚教授のことは、信頼してましてよ。大学付属オンライン図書館への貸し出しIDを、即時発行してくださいましたもの♪」
――――シシシッ♪
表示されたウインドウには、貸し出し番号:73261番の貸し出しカードが表示されている。
現物のカードを持ってるのかはわからんけど、あの教授のヤりそうな事だと思った。
でも、ソコまで並プロちゃん達とも、面識があるなら――――根幹となる原子回路の真価を、あの好事家が無視できるはずがないと思うんだが。
いま更ながら、俺の研究によくも、絡んでこなかったよなー。
「俺、ひょっとしたら教授に……妬まれてる?」
垂直に伸び縮む金属棒を眺めつつ、心情を吐露する。
「「「へ?」」」
何その、意外そうな返事。並プロちゃんまで。
「え、いやだって、俺の類いまれな頭脳は、人類の宝じゃんかー?」
地味子程の天才じゃねーけど、仮にも量子超越性に唯一到達した男だぞ、俺ぁ。
「クスクス――ようやく自覚が出てきたみたいで、安心しました❤」
「プッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャァー!」
「あら、そんな軽口叩いてるお暇が有るなら、本日分の更新を所望いたしますわ~♪」
三者三様、好き勝手なこと言いやがって――地味子は、その半端に分厚い信頼はやめろ。
「緋ぃー加ぁー次ぃー! オマエも偉くなったもんだなぁぁぁぁー?」
なんだ、このドスが利いた声。
ネットワークに接続すると、どういう形で足がかりにされるかわかんねえから、一階の茶店の公衆電話から呼ぼうと思ってたんだが――――向こうから来た。
コンココン♪
ヤツがそこに居た。
真っ暗な玄関先。
開いたドアの向こう。
空、雲、隣のビルの貯水タンクが見切れてる。
切り取られた景色の中に、教授が立っていた。
ヒールのままズカズカと、リビングに入り込んできたミニスカート。
白衣から取り出したのは……立方体?
並プロちゃんより一回り大きなソレには、握りが付いてて――――チキッ♪
大きなムネをそらし――かまえる。
応接セットに座る俺たちに向けられる、銃口のない立方体装置。
作動ランプが揺れ、立方体を動かすたびに、ヴォヴォンという耳障りな電源ノイズが発生する。
なんかの回路が確実に作動していて――おもちゃには思えん。
「わっ、すんません! 調子に乗ってました!」
俺は、闖入者もとい――破天荒量子物理学者に向かって、両手を挙げた。
俺に倣う、違崎と地味子――キュイッ!
並プロちゃんの機械腕が上がる音も聞こえたけど、手を上げたのか安全強襲ライフルを構えたのか、どっちかわからねえ。
「コイツらはともかく、俺だけは助けてくれ!」
俺は立ち上がり、シリアス顔の破天荒に向かって、軽口を叩く。
ヴォヴォゥィ――――立方体が揺らめく。
部屋の隅へ向かって腕が突き出されると――――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴィィーーーーッ♪
けたたましいほどの電源ノイズが轟いた!
リビング隅の――――ポゥン♪
金属棒に狙いが定まる程に、ノイズが大きくなっていく!
無限ループ中の金属棒の軌道が、銃口に惹かれるように――ブレる。
カチリ――――引き金が引かれ――――バリバリバリバリバリリィィィィーーーーッ!
放電する稲光のように、刻々と形を変える〝金属製折れ線グラフ〟が――――ポキュム♪
一瞬で、銃口に吸い込まれ――――ガチャリッ♪
サイの目のないサイコロみたいだった、装置先端形状。
ソレがまるで十字キーのように、立体的に膨張した。
捕獲された――のか?
「よーし、全員ケガはないなー?」
ふだんの、明るい振る舞い。
量子物理学者には見えない、いつもの態度。
「「「っはぁーっ!」」」
俺たちは、張り詰めていた空気を吐き出した。
壁際の耐震ラックの上に、ドカリと置かれた十字キー(立体)。
「な、なあんだ。僕たちを助けに来てくれたんですねー、教授~」
なんだか都合が良すぎる話だが、未知の実態映像相手に手をこまねいていた俺たちが、助かったことに変わりは無い。
「あのう、ソレって一体何なんですか?」
地味子が、怖ず怖ずと質問する。
また抱きつかれないように、用心してるんだろう。
腰が引けてる。
「こりゃ支給品の、デバッガだ」
デバッグツール?
論理回路の疑いが有る実体映像に、有効な電子装置。
〝自律型空間探査プログラム〟を隔離したと考えるなら、ウイルス除去装置かもしれない。
で――ソイツは誰が支給したってんだ!?
「並プロちゃーん、もう銃を下ろしても平気だよ?」
という、違崎の声が聞こえていないのか、並プロちゃんは銃口を、量子教授から外さない。
うん、気持ちはわかる。この破天荒物理学者は、存在が規格外すぎる。
§
「まあ、ちょっとした業務提携先の一つだ」
「「業務提携先?」」
俺と地味子の目が合う。
「オマエにやった私の名刺にも、ちゃんと書いてあるぞ? ――ズズズ♪」
耐震ラックに寄りかかり。地味子が入れた紅茶をすする、美人量子物理学教授。
俺は財布から、一枚の名刺を取り出した。
『牛霊正路御前大学
理数光学研究室
量子物理学博士
教授 一里塚日菜子』
入学当初、本人から頂いたモノだ。
ずっと財布に入れっぱなしだったから、ヨレヨレで少し破けてる。
その何の変哲もない紙製の名刺に、俺たちが知る以上の肩書きは書かれちゃいない。
「牛霊正路御前大学教授。量子物理学博士。ソレ以外、なんも書かれてないっすけど?」
裏を見ても英字の文面が、同じようにレイアウトされているだけだ。
「はは♪ そりゃ、個別の情報統制が効いてる証拠だ」
「「「個別の情報統制?」」」
「よーく見るんだよ。目を皿のようにして、裏も表もまんべんなく」
俺が特区に興味を持たなかった――原因。
この〝全てを看破する、物の見方〟を正確に理解するのは、もう少し後になる。
ゴゴ大のマーク。牛が付けてる鈴みたいな。
その輪郭に何かの図案が、隠れているような……気がしないでもない。
そう考えた瞬間。
ヨレヨレだった名刺が、ピカピカのプラスチック製に変化した。
「わっ……まさか、コレも実体映像!?」
「あ、ホントだ。何コレ面白い。並プロちゃん面白いよ?」
「え? 実体映像!? ドコがっ!?」
地味子には、元の紙製のヨレヨレに見えたままらしい。
立体視や錯視の一種でもある……のかもしれない。
『演算複合体 しんぎゅらんⓇ
牛霊正路御前大学担当官
排他処理請負
ディスクリート量子』
「ずるい! 私もみたい、コツとか無いの!?」
押し黙る俺たちに、地味子が文句を言う。
「――この大学のマークあたりをじっと見るんだ」
「――四隅の破けたあたりを、全体的に眺めてみてよ」
個人差はあるらしいが、地味子もスグに見方をおぼえた。
「あ、見えた! 何コレ……しんぎゅらん!?」
名刺の裏には、本人証明のための各種IDや、写真が印刷されていた。
『前髪が短い感じの眼鏡の女性』の画質は荒かったけど、画像のNFTは正常。
地味な前髪女性。撮影日時から察するに、教授の若い頃の写真だ。
「ふふふふふっ、あーっはっはっはっはっはっはっはぁーーーーっ!」
ドスの利いた笑い声。
「我々は、将来有望な技術や人材を発掘するのが仕事で、私は極力介入せず見守ってきた」
――――チキッ♪
再び向けられる、銃口の無い銃身。
ただし、〝立体十字キー〟には、金属棒が捕獲されている。
「そう、君たちは我々〝演算複合体〟の敵と認定された。喜びたまえよ!」
再び引かれる引き金。
視界いっぱいに、オレンジ色の角棒が見えたと思ったら――――ヴジョルリグュニョルルッ♪
不気味な効果音。
ショールームを縦横無尽に寸断する、オレンジ色の糸くず。
その動きは、〝わたぼこる〟の挙動と同じだった。
糸くずが回転する三角形になり――爆発した。
白煙となって消えるオレンジ線。
薄暗かった室内が、一気に明るくなった。
南側のベランダ方向が消しゴムをちぎったみたいに、大きくえぐり取られている!
削れた天井や床の向こうには、上階で開催されているらしい料理教室の女性たちや、階下のオフィスの様子が見えた。
現実に現れた糸くずみたいな――オレンジ線。
部屋の壁天井床を消失させる程の――脅威。
「緋加次君!」
地味子が投げてよこしたのは、穴が開いた黒い板。
並プロちゃんをいつもぶら下げてた、髪留めだ。
黒板には数字が書かれている。
「緋加次君!」
――――キュロラルラッ♪
俺と地味子の間に走り込む、自走カート(並プロちゃん一式)。
「並プロちゃん! 量子教授相手に――」
「――勝算はあるの?」
「私たちに不可能はございませんわふーにゃーるりれー♪」
あ、ダメっぽい。
「あっはははははっ♪ 緋ぃー加ぁー次ぃー! オマエも量子物理学者の端くれなら、コレくらい避・け・ろ・よぉーーーーーーーーーーーーーーーー!」
――――――――ヴァリヴァリグジャルラ――――――――バキュヴァキュグヴァヴァヴァヴァァァァァッ――――――――――!!!
いろいろダメな恩師だが――彼女は悪党だったらしい。
それとアンタから、こんな馬鹿げた実体映像(怪光線)の避け方なんて、習ってねえからなーっ!?




