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「あのーう、こちらはー金平珈琲さんでしょうかー?」
「だれが、金平コーヒーだ! どちら様――――あ!?」
部屋着のまま腹をかく。
玄関前に立っていたのは、昨日脱兎のごとく逃げ出した地味子だった。
その手には、クリスマスカラーのとち狂った色彩の名刺が二枚。
昨日、逃げられた後、残った二人に一枚ずつ名刺を渡したのだ。
ソレは、量子コンピュータ制作設計請負としてのもので、事実上とっくに廃業済みだけど、住所もアドレスもQID証明コードも、そのままだから気兼ねなく有効利用してる。
とち狂ったカラーリングは、クリスマスに開業予定だったのに合わせた結果だ。
結局、開業までに半年ずれ込んだあげく、一年を待たずに開店休業状態って――ほっとけ。
「やあ、き、昨日ぶり。……わるい。こんなナリで」
「いいえ、とってもよくお似合いですます!」
む? 俺ごときは上下で1500円のジャージを着こなしてろってことか?
すこしカチンと、こないでもないな。
コッチはただでさえ寝起きで、機嫌がすこぶるよくない。
「んー……なんか用があるなら話聞くけど。一階の茶店……いやインスタントならウチでも、コーヒーくらい出すけど?」
「ひゃ、ふぁい! ではお邪魔させてひひゃひゃひ、痛っ!」
舌をかんだらしい。舌を突き出し両目を閉じたその顔は、すこしかわいかった。
§
「いま、お湯沸かしてるから……よかったら、コレたべてて」
デニムと作業シャツに着替えて、かごに入った駄菓子を勧めた。
「はい。いひゃひゃきます!」
後輩が来るたびに残してくから結構、山盛りある。
その中から地味子は、どぎつい色のポン菓子をえらんだ。
「若い男女が……俺は若くもないけど、二人っきりってのはよくないから、いま、昨日居たやつを呼んだから」
「いえ、おかまいなく……もりもりもり」
地味子は口いっぱいに駄菓子を詰め込んでいる。
後輩を呼ばなくても平気だったかもしれん。
こう、年相応の色っぽさというか女子力というか、そういうのに地味子は欠けていた。
「昨日、いきなり逃げ出すから少し心配したんだぜ。残った女子二人からは、有らぬ疑いをかけられそうになったし……」
いやらしい目で地味子を見たつもりはない。
いまも、頭の先からつま先まで余すところなく観察しても、何の感慨も衝動も湧かんし。
でも、昨日から見たら、ちょっとだけ……オシャレしてる?
「もぐもぐもぐ……ごくん。そっ、その説は、大変ご迷惑を――二人にはちゃんと説明しておきました!」
「――並列プロジェクト主幹部5847389Ttr:v0・000・3858754742/r7……の事をか?」
「――――んむぐ!? ケホケホケホッ!」
あー、まってろ今、水を――。
――――チカッ。
狭いキッチン、視界の隅。
赤光がきらめいた。
なんだ?
なんかに照らされてる?
自分の体を見る。作業シャツの胸元を赤い丸がゆっくりと移動していく。
慌てて身をかがめ、周囲を見渡す。
――居た!
壁にぶら下がるフライパンの影。
見慣れない黒い箱が、俺を狙ってた。
商売柄、レーザーの特性は身についている。
作業シャツの胸ポケットに入れっぱなしだった遮光ゴーグルを、取り出して掛けた。
フライパンの影に、軽快な……虫みたいな動きで隠れる小箱。
四つ足がついたその上に、何かが見えた。
立ち上がって、フライパンを持ち上げる。
そこに居たのは――やや向こう側が透けて見える、小さな人型だった。
箱内部の大口径ホログラムレンズから、投影されている。
それはアニメキャラだった。
デフォルメされたフォルムを描く、色気を感じる描線。
パステルカラーを基調にした流行の色彩設計。
今日は手に長物を携えている。
やる気満々のその力強いまなざしが、勇ましくてかわいい。
顔を寄せてじっと見てたら、『並列プロジェクトMR実行部5847389Ttr』っていう著作権リンクがポップアップした。
昨日コメントに書いてあった名前は、たしか『並列プロジェクト主幹部』だった。
〝主幹部〟と〝MR実行部〟。それとアニメキャラをデザインしたのも居たっけか?
「なるほど、実行環境ごとに専門化。コレが並列って意味か」
スマホから出てきた〝素手でつかめるヤツ〟も入れると4体の〝並プロちゃん〟が居ることになる。
「そうです、そうです! よくおわかりですね!?」
なんか地味子からの視線が熱い。
「いや……キミのAIもロボット工作も、数段先を行ってるのはわかった。昨日はゲームでも負けたしな」
「いえ、そんなことはありません。金平珈琲じゃなくって、アナタは『>DRETσ:v13・000・0000000001/r0』ですよね!?」
「うっ!? なぜ俺のQID知って……名刺の裏に書いたっけそういや」
ドガン!
作業机兼ちゃぶ台に勢いよくたたきつけられたのは、量子コンピュータ調整用の超小型光格子レーザーノギス。
「へー、キミ、ハードウェアもやるんだ。女子でやってる人ってあんまり居ないよね」
才能ってのはあるところには無尽蔵にあるんだよな。
地味子はじっとこっちを見ている。
だからなんでそんな熱いの、まなざしが。
「ふーっ。ガチの〝量子コンピュータマイスター〟が、俺なんかに何の用なんだ?」
俺がとうとう到達できなかった量子コンピュータを、彼女はハードからソフトまでまるごと一式自前で構築できるってことだ。
地味子は答えず、アゴでテーブルを指し示す。
仕方なくもう一度、超小型光格子レーザーノギスを見る。
その台座の上にセットされている無骨なアルミ筐体。
「ちょっとまて。コレ、俺のじゃねーか!?」
「そうです。一年前、新星のごとく現れた謎の演算特化型の原子模型です! ムフーッ!」
原子模型てのは人造の原子のことだ。
量子コンピュータの心臓みたいなもので、俺の専門分野――だった。
「わ、悪かったな! どーせ、ぽっと出の超新星爆発だって言いたいんだろ! 業界誌でも取り上げられたしな! DRETσ型は無用の長物以下だって!」
さっき頑張って閉めたクローゼットを勢いよく開いた。
グワラララッ、ゴドゴド、ガコガロロン!
とうとう完成しなかった、焦げた原子模型が大量に転がり出る。
「笑えばいいさ! っていうか、わざわざこんな失敗作の山を見に来――――」
「うわわわわわわわわわわわわっ!? ――わわーっ!? ――っきゃーーーーっ!」
なんだ、どした?
失敗作を見るなり地味子マイスター様が、床に這いつくばった。
「おい、マジでどうした? そんな失敗作かかえて泣いたりして……びょ病院行くか?」
努めて優しく声を掛ける。
人間生きてりゃ、いろいろ有るのかもしれんし。
「なっ、なんてことしてんですか! アナタは大馬鹿ヤローですかっ!?」
失敗作を抱えた地味子マイスターが怒鳴った。
「なんだとっ、いきなり大馬鹿やろーとはなんだ! そーだよ! お馬鹿な俺には、人造原子を量子回路に組み込むまでが関の山だったんだよ!」
怒鳴り返す。情けないが事実だ。
「ならどーしてその先を、誰かにさせようと思わなかったんですかっ! ああああっ! まさか一年近く沈黙してたのって、ずっと原子模型を改良してたんじゃ……!? はぁぁぁぁぁぁぁっ一体何やってんのよーっ!」
すっごく怖い顔してなじられた。いきなり朝から押しかけてきてコレはない。
「いや…………本当にすまん。寝食を忘れて頑張ったんだが、とうとう完成させる事ができなかった。量子コンピュータの命令構文は、とても他人に扱える代物じゃないし、なっ?」
規格外の性能をたたき出す量子コンピュータを動かすためのD±言語。
そこまでは俺にだってできるし、実際に構文AIである〝補佐ちゃん〟を乗せるところまではうまくいくのだ。
ただ、その先、AIの魂と呼べる〝自我〟を乗せるには器が脆すぎた。
「私なら出来ますっ!」
――は? 今なんてった地味子。
「実際に自我を構築するには、左脳担当のQビットタイムプロセスと右脳担当のQ+nビットタイムプロセスのリアルタイムコーディングが必要になりますが――」
――コイツ!
俺の〝自我生成行程〟を熟知してる?
いやいやそんなばかな、俺だって扱えなくて、現に全部焦がしてんのに――――
「コピー用紙頂きます」なんていって詰んであったのから束で抜き出す地味子。
どうすんのかと思ってみてたら、高級そうなボールペンを懐から取り出した。
『……4:――――、――。
5:量子ビットレジスタを組み合わせ、可逆チューリングマシンを構築。
6:対となる演算レジスタを使ってリアルタイムで学習させる。その過程でサンドボックスゲームを構築する。
7:そのためには、的確に人間としての論理や規範や基本的な身体性を理解させることが必要。
8:――、――――』
カリカリカリカリカリカリカリカリ――――ッ!
脇目も振らずに何書いてんだと思ったらコイツ、俺が構築するはずだった量子回路を紙の上でリバースエンジニアリングしてやがる。
「まてまてまてまてっ!」
「信じていただけましたかっ?」
信じざるを得ない。散乱するコピー用紙何枚分もの図案や数式は、俺が研究室でやってきたのと同じだった。
怖えー、ガチの天才はコレだから怖いんだ。
「わかった。地味子が本当の天才だって事はわかった」
「何言ってるんですか! 天才なのはアナタですよ! えっと、なんとかコーヒー先輩! あ、ちょっと待って、地味子って私のことですかぁ!」
どうも、地味子の話は要領を得ない。
そして――――ピィィィィィィィィィィィィィィィィィッ♪
お湯が沸いた。
俺はヒートアップする謎の客に、インスタントコーヒーを入れてやる。
ふぃー、なんか気が抜けた。
ここしばらく使ってなかった頭ん中の深いところに、再び霞がかかっていくのがわかる。
「それで、俺……なんとか珈琲店に、何の用で来たんだ? 用件を言え――コーヒーどうぞ」
来客用のマグカップを、そっと差し出した。
「それわですね。私個人による〝並列プロジェクト〟は進行中で有り、現在部外者の存在は認めてないんですよ――あ、頂きます……ズズズズーッ」
「ハハッ、認めてないって言われてもな……もう見て聞いちゃったしさ……ズズズズーッ」
「ええ、ですから〝なんとか珈琲〟じゃなくって、〝きんぴら……〟」
「かなひらだ。金平緋加次、現在休職中の26歳。以後よろしく♪」
「でわ、〝金平緋加次〟さん! わ、私と――――業務提携してください!」
なにその初々しい仕草。かわいい。
そして、なにその分厚い書類の束。
ふつうそういう仕草で突き出すのは、ラブレターとかそういうのじゃないの?
そして、〝並プロちゃん〟の銃口は、俺の作業シャツ(2500円)に赤光の彩りを――ぷすぷすぷす。
「あっ!? ちょっとまて、焦げ臭い。並プロちゃんの出力まちがってるぞ!」
「え? そんなはずは……並プロちゃん緊急停止コード、184396159600032――」
「――いや、こりゃ……止めなくていい! 途中でやめられても困る」
――――ぷすぷすぷすぷす。
俺はキッチン横の姿見で、その出来映えを確認する。
「こりゃ立派なもんだな」
「――ご、ごめんなさい。コラッ、並プロちゃん、コラッ!」
地味子が怒っても、コンマ一ミリも怖くなかった。
§
「センパーイ、来ましたけどー。急に女子連れてこいなんて言うから……教授をお連れしま――むぎゅっ」
なんだと、どうせ大学構内でナンパしてるトコを見つかって、俺の自宅を吐いたんだろーが!
「よーう、緋加次ー。生きてたかー♪」
後輩を押しのけて入ってきたのは、ミニスカに白衣。
あんた、そのカッコで電車乗り継いできたのかよ……変わらねえなあ。
「あれ? 先輩、なんか焦げ臭いっすよ?」
――――――ぷすぷすぷすぷす、ぷすぷすぷすぷす。
索敵半径に入った闖入者2号3号に対し、俺の胸ポケットにしたのと同じレーザー刺繍をぶっ放す、並……じゃなくて、〝並プロちゃん〟。
それは、楽しげな並プロちゃんのロゴ入りイラストだった。
カラフルな色彩を精細なドットで表現する芸の細かさで、そこそこ評判がよかった。
「あれ? フツウじゃん」
部屋の中を見た教授が、失礼をのたまう。
「普通って、そりゃ普通ですよ。今でこそ自宅だけど開業当初はショールームや作業場も兼ねてたんですから」
「緋加次の部屋なんぞ屋根がついてりゃ、どうでもいいわい。私が言っとるのは〝フツウ〟のことだ」
そう言って〝ミニスカ白衣〟が、地味子に飛びついた。
「やぁめぇてぇくださぁーいー!」
あー、地味子は〝量子研〟の関係者だったか。
そりゃそうだな、うちの大学で量子研究しようものなら避けて通れるわけがない。
「それってパワハラじゃないんですか? いくら何でも『普通』呼びはないですよ」
かわいい後輩を、擁護してやる。
「貴様こそ、何を言っとる。〝フツウ〟は確かに普通だが〝フツウ〟で有る以上、それ以外の呼び名などあるまい」
ん? どうも要領を得ない。
さっき手渡された分厚い書類の一枚目を見た。
『鱵 ふつう』
サヨリが名字で、名前がフツウ。それはまさかの本名だった。