夢境
タイトルや見出しの言葉の意味を調べながら読むと面白いと思います。ぜひ最後の1文まで読んでみて下さい。
一、延頸挙踵
高々と積み上げられた本を眺めながら私は立ち尽くした。よくもこんなに。たいして好きでもないくせに。その中の一冊を手に取り表紙を見る。「三千里の君の恋」ばかばかしい。これはもう何回読んだことやら。しかし何回読んでも納得いかないのだ。最後の一行がどうしても気に食わなかった。
「三千里先の君を今も思っている。」
なぜこんな言わずとも通ずることをわざわざ書いたのか。この一つさえなければすごくいいのに。
そんなことを思いながら元の位置に戻し、改めて下から上へと眺める。きっとそろそろ私の背丈を超えるだろう。
いつまでも立っておく訳にもいかず、私は腰を下ろした。よっこらせと、おじさんみたいな声を漏らした。それもしかたない。私は今年で四十七になる。無理はない。横に転がっている本を手に取り、読み始める。ちょうど内容に夢中になり始めたところで、どこからともなく猫がやってきて私の膝の上に乗った。そして猫は尋ねる。
「あなたは何をしにここに来たのですか?」
「あの人、あの人を探しに…というよりは待っているのかなぁ。もう私には時間がないのだ。」ふと見下ろすと猫は眠っておりゴロゴロと喉を鳴らすだけだった。それもそうとう、猫が喋るはずもないのだから。まだあの人は来ないらしい。本の続きを読もうとしたが持っていた本は白紙だった。本を横に転がして私は寝ころんだ。
「あなた名前は何というのですか?」
さっきの猫がまた尋ねてきた。「敏三だ」そう答えて目を閉じる。
「御成りですぞ。」猫はそうつぶやいた。私は起き上がり、耳を澄ました。遠くのほうから五人囃子の音色とともに誰かがやってきた。
「来たのか。」私はそうつぶやき、腰を上げた。
「いやはや、ご苦労でございました。あなた様のことをずっと待っておったのですが、なかなかお見えにならないものですから。ささ、おろしてくださいな。」
目の前の男は全く口を開かない。「本の本質に迫ったとき、きっと理解なさるでしょう。それはもう、にわか雨の狸の顔よりも美しいのですぞ。」男はそう言って消えた。
私は草履を履き、中庭に出た。太陽にリングを重ねた。真ん中から光が失われ、次第に暗闇が広がっていった。私は怖くなりその場から逃げ出した。
二、霓裳羽衣
古い館だがいい場所だ。私の視界は丸く切り取られた何かにさえぎられていた。周りを見るとその物が判明した。私は今、仮面舞踏会にいるのだ。ふと足元に目をやると何やらいつもより、地面が遠い。私はとりあえずワインを飲んだ。一気に飲み干しそのままトイレに向かった。
「お兄さん、トイレはあちらですよ。」
ウェイトレスが丁寧な口調で私に話しかけてきた。お兄さんなんて呼ばれたのはいつぶりだろうか。
私はトイレに行き、鏡を見ようとした。しかし鏡は灰色の何かに遮られていて何も見えなかった。しかし私は満足にトイレを後にした。
今日はかの有名なブリュショルリー夫妻がいらしていた。彼らの華麗な踊りを一目見ようと、たくさんの人で溢れていた。私も感心して見ていたら、まるでこの世の人ではないかのような美女が目の前をよぎった。私は思わず声をかけた。「ちょっと、私と踊りませんか?」美女は微笑みながらこう言った。
「もちろんですとも!」
私たちは踊りながら話をした。「あなた、名前は何と言うのです?」
「ジョセフィンです。姓はアベラール。あなたは?」
「私は敏三だ。苗字は山崎。」
「そうなのですね。今日はどうしてここへ?誰かのお供ですか?パートナーがいるのなら私とこうして踊っていていいのですか?」
「質問が多いですなぁ。一つずつ聞いてくれませんか?」
「あなたは何をしにここへ来たのですか?」
「君も猫と同じことを聞くのですね。私はあれが完成するのを待っています。」
あれとはいったい何なのか。私にはまだ知るすべがなかった。ジョセフィンはさっきの顔で言った。
「そのことでしたら私にお任せくださいな。いきますよ?」ジョセフィンはいきなり大きく息を吸い、胸にとどめた。コルセットがはじけそうなほど息を吸っている。そしてものすごい勢いで吐き出した。それと同時に真っ赤な薔薇の花びらが無数に飛び出した。その花びらの中には白いバラも混ざっていた。
「まだまだあれは完成しないようですよ。私にできるのはこれまでです。またどこかでお会いしましょう。」
そういうとジョセフィンは消えた。前ではただブリュショルリー夫妻が踊るばかりだ。彼女は私に何を残してくれたのだろうか。
三、金亀換酒
「マスター、もう一杯くれ。」私はグラスをテーブルに叩きつけた。幸いぎりぎり割れなかったらしい。
「お客様、飲みすぎですよ。ほどほどになさってくださいね。」マスターはバーボンと一緒に水を差しだした。私はバーボンを手にしてそれを置き、水を飲んだ。
「それにしても物騒な世の中になったものですよ。私にはつい先日オレオレ詐欺の電話がかかってきました。私の息子はまだ十七ですよ、とお話ししたら慌てて切ったのですよ笑。
お客さんも夜道は暗いですし、お帰りの際は気を付けてください。」
そこへあいつが来た。私は立ち上がった。そして座った。
「出たのか。よく帰ってきたぞ。みんな聞いてくれ。こいつは俺の親友でたった今むしょを出て娑婆に帰ってきたんだ。」
みんなは口々に言った。「なぜ刑務所にいたの?」と。
「こいつは人殺しの冤罪で捕まっていた。犯人の野郎、何も手がかり残さねぇから、彼女の恋人であったこいつが捕まったってわけだ。」
手元のバーボンを一気に飲み干した。そして友人の慶に尋ねた。
「どうしてたよ、中では。」
「なかなか退屈なもんだ。毎日本を読んださ。何千冊読んだかもう覚えてないよ。それに一番驚いたのは、看守が敏三そっくりなんだ。髪型もイケメンな顔も歳もおそらく同じくらいだろう。初めて見たときは俺に内緒で警察官やってたのかと思うくらいだ。読んだ本の中に面白いやつがあって、もう題名は忘れちまったが、内容は狸と狐が化け比べをする話なんだがそれが面白いのなんのって笑」
慶は楽しそうに話した。ひさしぶりに慶の笑顔を見て私も笑顔になる。慶にはもう、事件の話はしない。愛する彼女は殺され、自分は犯人にされ、真犯人は今も逃げている。きっと誰よりも大きい傷を心に負っただろう。一刻も早く犯人が捕まることを祈っている。
そこへ、一人の男が来た。
「あんた、今日釈放された佐藤慶だよな。ニュースで見たぜ。」そう言った瞬間その男は彼の腹へこぶしを入れた。慶はうっとうなり、次第に叫びだした。腹から離れる手には血が付いた包丁が握られていた。
「おまえ、何やってんだ!何をしたのか分かってんのか?!」
犯人はニヤリと笑い
「犯人探しとかされたら困るものでな。早く本質にたどり着け。夜明けはもう近いぞ。」
それだけ言うとグラスのそこへと姿を消していった。私は慌てて後を追ったが彼の姿はもうそこにはなかった。
四、道化芝居
何メートルあるのだろうか。軽く十メートルはありそうだ。
会場は緊張と不安で静かだ。大きく弧を描きフライヤーは棒から手を放す。キャッチャーはうまく手をとった。成功だ。大きな拍手を送った。
幕から虎が出てくる。調教師は虎を手なずけ、燃える輪の前へ連れていく。虎は全く動揺しない。
「それでは、皆さんの掛け声で行きたいと思います!五秒前からカウントをお願いします!せーの!」
皆が数え始める。一と言った後に何人かゼロと口にした者もあったが虎は一の声とともにすごい勢いで走り出した。そして見事に日の中をくぐって見せたのだ。大歓声が上がる。圧巻のパフォーマンスである。
次は何かと立ち上がると大きな球に乗ったピエロが出てくる。私は腰を下ろした。ピエロは五本のクラブでジャグリングをする。たまに落としたりして観客を笑わせている。そろそろ次の芸が始まる頃かと腕時計を見た。
二頭の象と小さなネズミが登場する。象は鼻を伸ばし、ネズミに「登ってくれ。」と頼む。ネズミは黙ってうなずき、象の鼻を登る。頭のてっぺんでネズミは二本足で立ちあがった。またも観客たちは大きな拍手をする。調教師の身長ほどの球に象が乗った。象はバランスを保ち、二、三歩前に進んだ。指笛や歓声が響く。
先ほどのピエロがまたも出てくる。ピエロは大きく笑った顔をしている。目の上には水色の眉毛が乗っていて唇は真っ赤だ。今度は両手に風船を十本ずつくらい握っている。前のほうに座っている子供たちを集めて配りだした。カラフルな風船に子供たちが興奮している。子供たちもそれぞれ席へ戻ると、ピエロは三歩下がった。
「今からおいらがすごいことをするから、みんな目を離さないで見ていておくれよ。」
そう言うとピエロは上を向き大きな口を開けた。その口の中に手を突っ込んだ。そして長さ約九十センチほどの剣を出した。観客たちはあっと驚く。大きく笑っていた彼の口は次第に真横に広がっていく。そして彼は左右にゆっくり揺れ始めた。観客たちもみな、彼に合わせて揺れている。ピエロはそのまままっすぐ私に向かって歩いてくる。手には先ほどの剣を持って。私はあたりを見回した。今までいた観客たちは消えていた。ピエロは私の前まで来ると、大きく剣を振りかざした。そしてまっすぐ振り下ろした。とっさに目を瞑った。しかし私は無傷だ。後ろを見ると知らない男が手に拳銃をもち、血まみれで横たわっていた。
「間一髪だ。もう少しでお客さんの頭から脳みそが飛び出ていた。もう分かったかな?あなたはなぜここにいる?」
そういい風船を渡してきた。風船にはcatと書かれている。
五、奇奇怪怪
五人囃子の音色はより一層大きく、美しく鳴っていた。私は光が失われた廊下を歩き玄関を出た。そこはまるで違う景色が広がっていた。宮殿のような建物の庭でお茶会をする狸と狐、真ん中にこの前の猫が座っている。狸はなぜか泣いていた。私は猫に尋ねた。
「そろそろではないのか。まだかね?」
「えぇ、もうとっくに完成していますぞ、敏三さま。ずっとお待ちしておりました。」
猫はそう言うと自分の腹を切り裂き、一冊の本を取り出した。歓喜の歌とともに視界は真っ暗だった。
「完成したのか。」
『夢路を辿る』
千里の道も一歩より、ということわざがある。全くとても遠いように感じる未来も少しずつこなしていけば必ずたどり着ける。
彼は夢遊病だ。今日も私の部屋まで寝たまんま歩いてきた。
「あなた今日も私の部屋まで歩いてきたわよ。いい加減医者に行ったほうがいいんじゃないの?」
「バカ言え。ワシは正常じゃ。お前が勝手にそう言っているだけだろうが。あんなビデオには騙されんぞ?」
いつもこうなのだ。私は気になって夢遊病について調べてみたが、ほとんどはストレスや持病によるものだとでた。しかし気になる記事を見つけた。『夢遊しだしたら死の合図』と。私はその記事を詳しく見てみたが、どうやら学生のふざけたこじつけだった。夫に持病は無いし、おそらくタバコをやめたストレスによるものだろうと一安心した。でも、敏三さん、たまに何かを食べているのよね。しかし一度も起こしたことはない。夢遊病者を起こしたら事故になりかねない。
やっとだ。やっとお迎えだ。死神さんよ、その手で私の魂を持ってっておくれや。妻のジョセフィンには申し訳ないが、私はずっと心臓病を隠してきたんだ。夜中にこっそり妻にばれないように薬を飲んでいたのだが、ついにはばれてしまって。しかし今この瞬間、全く痛みを感じない。そうか、ただの夢か。長い長い夢か。やけに場面がころころ変わったもんだわい。楽しかったなぁ。ずっと昔の自分に戻ったような。でも現実にはあり得ないことばかりだった。そういう意味では、夢と天国は似ているのか。この頃は幸せなことばかりいいことばかりだ。さて、今日は何をして過ごそうか。お、来た来た。五人囃子が来たぞ。
「こんなに幸せそうな顔をして…。いったいどんな夢を見ているのかしらね。」
読んでいただきありがとうございました。感想などありましたらコメントしていただけるとありがたいです。