たった1つの願い事~拾った不思議な猫は、皆の思いも紡ぎます~
もう日付が変わってしまった深夜。道脇の街灯が寂しく道を照らす中、俺こと、尼ヶ崎拓はボーっとしながら帰宅の途についていた。
特に体が疲れているわけでもない、職場もそこまでブラックではない、同僚にも恵まれた方だろう……。
でも、何か物足りない……。日々が自宅と会社を往復する毎日。休みは家の掃除や買い出しで潰れ、趣味もこれと言ったものもなく、無感情にSNSを眺めるだけだった。
ごく平凡。そんな当たり前の、社会の歯車の一部だけの存在。俺はそんな変化もない毎日を退屈と思いながらも過ごしていた……。
「……彼女でもいれば違うんだけど……」
こんな生活の為、出会いなんて一切無い。そもそも今まで浮いた話も一切無い……。いや、昔に一度だけ……。
そんな過去の事を思い出していたら、ふと年季の入った赤い鳥居が目に止まった。
「あれ?こんな所に神社なんてあったんだ……」
チカチカと切れかけた街灯の明かりが鳥居を照らし、奥にはビルに挟まれる様にひっそりと佇む、小さな古い神社が見えた。
「……明日は休みか」
普段寄り道なんてしない、特にこんな残業で疲れた果てた終電帰り時などは……。
しかし、明日はどうせ寝るだけの暇な休日。何気も無しに足は鳥居をくぐり、神社に向けて歩を進めていた……。
「近くで見ると本当に小さいな……」
社は俺の頭より少し大きいくらいで、あまり手入れがされていないのだろう、所々に痛みが見て取れた。
社の右には古びた煎餅の空き缶に穴が開いているだけの簡素な賽銭箱。そこにちょうどポケットに入っていた10円玉を入れ、パンパンと手を叩き参拝する。
特にお願いなんて無かった……。なんでもよかった。気まぐれに参拝した神社に何も求めてはいなかった。
でもせっかくなので、つまらない願いでもしてみることにした。
(どうか、この退屈な現状を抜け出させてください)
目を開けると、夜中の静けさと冷たいビル風が頬を撫でる。
「……まぁ、なんもないわな……」
何をやっているんだ……さっさと帰ろう。馬鹿馬鹿しい……。
己の虚しさを覚え、帰ろうと振り向いた時だった……。
「ニャー……」
「ん?」
蚊の鳴くような声に目をやると、鳥居の下にガリガリで死にかけの猫がこっちを向き鳴いていた。
捨て猫か?子猫でも無いし、この近所でこんなガリガリに痩せた猫なんて珍しいな……。
この辺りには野良猫が多い。しかし、近所にデカイ公園や、餌をやるな!と言っても聞かない老人どもが結構いる為、野良でも丸々と体格の良い猫ばかりいるのだ。
そんな環境で、この猫はやせ細り死にかけている。
猫はヨロヨロと俺の足に歩み寄り、顔を少し擦り付けると、パタンっと倒れてしまった。
「おいおい、大丈夫か?」
特に猫好きではない。どちらかといえば犬派だ。けどそんな事も言ってられない。
俺は猫を抱き上げ、スマホで近くに24時間受付している動物病院を見つけ、連れて行くことにした。
別に助ける義理は無い。ただの野良猫だ。
しかし、こんな今にも命の火が消えそうなやつを放っておけるほど、ドライでも無かった。
病院に連れて行き「これ野良猫? それとも君の猫?」と聞かれ、少しの間を置いた後、つい「はい、うちの猫です」と言ってしまった……。
獣医さんは痩せこけた猫を見て眉をひそめてはいたが、栄養失調と脱水症状だろうから1週間後に受け取りに来るように言われた。
その後アパートに帰り、風呂にも入らず、ベットに沈み込むように寝てしまった。
次の日、昼前に目覚めた後、ひょんな事から猫を飼う事になってしまったなと頭を抱えてしまう。
しかし、これも何かの縁かと思い準備をする事にした。幸いアパートはペット可で、隣に住む猫を飼っているおばちゃんに廊下でざっくりと猫を飼うのに必要な事などを教わった。
猫を飼うのって結構金かかるもんなんだな……と思ったが後の祭り。猫が退院する1週間のうちに大まかな物は揃えることができた。
猫を受け取りに行くと、預けた時とは見違えるほどに健康的になっていた。獣医さんも、こんなに早く回復するとは思っていなかったと言っていた。
アパートに連れて帰ると、以前飼われていたのか、きちんと躾が出来ている、おとなしい猫だった。背中に丸い模様があったからマルと名付けた。
……それから、数ヶ月がたった。
「ただいまー」
「にゃーん♪」
出迎えてくれた相棒を抱き抱えると、自然と笑みがこぼれる。
猫がいる生活は思っていた以上に大変ではあったが『ただいま』と言える生活は俺の心の隙間を埋めていった。
そんなある日、帰り道で神社の前を通った時にふとマルを拾った事を思い出し、以前の生活のような退屈を感じなくなっていた自分に気づいた。
(神様への願いが叶ったのかな?)
そんな事を考えると自然と笑みがこぼれ、神社に軽く会釈をして帰路に着いた。
「ただいまー……」
帰ると猫が来ない。いつもは帰ってくるなり、玄関まで迎えに来ていたのだが……。
明かりをつけて部屋を探したら、なにやら布団がこんもりと膨らんでいる……。
「え? ……でかい……」
俺の布団の中で誰かがイビキをかいて寝ている……。
泥棒!? ……いや待て、もしかしたらしばらく実家に帰っていないから様子を見にきたオカンの可能性もある……。
社会人になって数年した時、仕事が忙しく全く実家に帰省も連絡もしていない時期があった。そんな時オカンが突然家に押しかけて来たことがあった。
もう、とうの昔に成人してるのにいつまでたっても世話を焼きにくるオカンには、ちょっと困りものだったのだ。
通報は、ちょっとめくって確認してからだな……。
俺は意を決して、恐る恐る布団をめくると……。
仰向けでイビキをかきながら寝ている、でかい猫がいた。
「は?」
あまりの光景に思考が追いつかず、言葉が出てこない……。なんだこいつ?
俺と同じくらいの体長、イビキをするたびに軋むベット、フサフサな体毛……。
え? ドッキリ? 中に人が入ってんの? でも着ぐるみにしてはリアルすぎる……。
フリーズして動けない時間が何秒続いただろうか……それは突然パチリと目を開け、ムクリと起き上がった。
「ん? お帰り。腹減った、飯」
「喋ったぁ!!!?」
「は? ……にゃっ? ……にゃんだこにゃー!?」
目の前の猫は自身の体を、目紛しい動きで確認している。
この猫喋ったぞ!? ん!? あの背中の模様……こいつマルか!? なんででかくなってんの!? なんで喋ってんの!? え? え? えぇ〜!?
ちょっとまて!? なんだこれ!? 夢でも見てんのか!? ラノベとかならここは猫耳美少女とかになって、イチャコラ展開になるはず……。
って違うそうじゃない!! コイツは雄だ!! 落ち着け俺!!
これは夢だと思い、顔をめいいっぱい引っ張たいた。
結果、めっちゃ痛かった……。これは夢じゃない……。
俺は半ば思考を放棄し、とりあえず飯を食べることにした。でかいマルも後からついてきた。
なんで二足歩行なんだよ!! 「飯か?」じゃねぇよ!! よだれ垂らすな!!
そして、俺の気を落ち着かせる為にこしらえた夕飯のカレーは、目の前のデカマルに食べられてしまった。
「なあ、猫ってカレー食べてもいいのか?てか、器用にスプーンで食うのな……」
「インドの猫は普通に食ってるニャ」
「いや……ここ日本だから」
ソファーに大股開けて座り、俺のカレーを貪るデカマル……。金玉見えてんだよ! 隠せや!!
「はぁ……おまえ、元に戻れるのか?」
「さぁ? わからにゃい」
「お前は化け物だったのか? 妖怪? ……いや、猫又?」
「にゃんだそれ? にゃーはマルにゃ」
「俺を襲ったりしないか?」
「にゃんで襲わないといけないのにゃ?」
話が通じるので色々と話してみたが、とりあえず害はなさそうだけど、流石に頭が追いついてこない……。その日は頭も体も疲れすぎたので寝る事にした。
次の日、マルはデカイままだった……。お気に入りの段ボールベッドは完全に潰れていて、すでに意味をなさない状態だった。
現実の光景に目を背けるように出勤し、この事を友達や同僚にも写真を見せて話してみたが、手の込んだ合成写真だなと笑われ、流された……。
そして、帰宅してからもマルはデカイままだった……。この日から俺と奇妙な猫との共同生活が始まった。
いつしかデカマルは炊事、洗濯、掃除などを覚え、俺は仕事と買い物を行なった。いつも俺の行動を見ていて覚えたのだそうだ……器用な猫だ。
家事が減った分、仕事に余裕ができ、視野が広くなって効率が上がっていった。
俺は不思議な共同生活を過ごしながら、徐々にこの生活が楽しくなってきていた。
* *
そして、しばらくそんな奇妙な生活が続いたある日……。
「おい! またカレーかよ! いい加減飽きたぜ」
「うるせぇにゃあ、これしか作れにゃいんだよ! だいたいカレーが作れる猫ってだけでもありがたいと思えにゃ!」
デカマルの料理のレパートリーはカレーとシチューの2択だった。
まぁ、俺がそこまで料理をしなかったのもあるが、最近は中身の具材が変わっただけで、5日続けてカレーだった。
「そんなに言うにゃら自分で作れにゃ!!」
「オイ! どこいくんだよ!」
「散歩にゃ!!」
カレーを作り終えたデカマルは、バンッ! っと玄関の戸を勢いよく閉めて散歩に出て行った。
「ったく、勝手にしろ!! ……っ!? いや待て!? お前そのままで外でたら!!」
急いで玄関を開けたが、もうそこにはデカマルはいなかった。
些細な喧嘩だった。ペットと喧嘩なんて何してるんだろう。
「チッ!! もう知るか!!」
そのうち帰ってくるだろうと思って直ぐに寝てしまったが、朝になってもデカマルは帰って来なかった。
一応こっそりと隠れていることも考え、部屋中を探してみる……。
よく潜り込んでくるベッドの下……いない。
風呂……いない。
トイレ……いない。
台所の戸の中……あっ! かつお節、全部食いやがったな!!
「くそっ、どこ行ったんだよ……」
元々野良猫だし、小さいマルの時はひょいと外に出ては朝には帰っていたんだけど……。
今回はデカマル状態で外に出てしまった……。無性にイラついて、頭をガシガシ掻いても状況は何も変わらないし、気になって仕方ない……。
「……っち、仕方ねえ」
その日、会社を休みデカマルを探した。
あのデカさで見つかれば妖怪だとか、未知の生物のだとか世の中を大混乱させるには十分な逸材だ!
しかし、周りは騒ぎになっていることもなくいつも通りの日常を送っていた。
俺はそんな中、朝から晩までデカマルを探し回り、周りはすっかり深夜になってしまった。
「ここが最後か……」
そこはマルを拾った神社だった。
マルを拾った時と変わらずチカチカと切れかけた街灯の明かりが鳥居を照らしていた。
ふと、社を見ると薄暗い中境内に腰掛けて、猫を撫でる女性が1人いるように見えた……。街灯の明滅とシンと静かな深夜の空気が、その不気味さに拍車を掛けている。
なんでこんな時間に……。
ここは人気のないビル街……深夜にこんな神社に座っている女なんて、普通に考えても怪しすぎる。でも、デカマルが行きそうな所はもうここしか……。
俺はゴクリと唾を飲み込んで決意を固め、その女性の陰に恐る恐る近づくと……。
「……あれ? 未央ちゃん?」
「え? ……拓兄ちゃん?」
その女性は、俺が学生時代のボロアパートの隣に住んでいた未央ちゃんだった。なぜか懐かれてしまい、勉強もたまに見ていた。
当時はまだ中学生で、ちょっと大人びた感じだったけど、引っ越しする時には子供のように泣かれて、後ろ髪引かれる思いだった子だ……。
未央ちゃんはまだ真新しいリクルートスーツの黒髪ショートで、縁の薄い緑のメガネをかけていた。当時のイメージからでも随分大人びた印象だった。
思いがけない数年ぶりの再会で隣に座り話を聞くと。最近就職したのだが中々仕事についていけなくて、なんとなくこの神社へ来ていたらしい。
さっきまで撫でられていた猫は、未央ちゃんの膝の上で大きなあくびをして動かない。
背中を見ると丸い模様……マルだ。なぜか普通サイズになっている……。いや、これが普通なのだ。今までが異常すぎて頭がおかしくなってる。
未央ちゃんの話を相槌しながら、マルから目を離さず監視して、話が一区切りした所で膝に乗ってるマルの話をふる。
「あのさ、未央ちゃんが今撫でてる猫……うちの猫なんだ。昨日脱走しちゃってさ、探してたんだよ」
「え? そうなんですか? 私がここに座ってたらいきなり膝に飛び乗ってきて、ずっと撫でてました」
「はは……ごめんね。すぐに連れて帰るよ」
俺は立ち上がってマルを抱き上げようと手を伸ばすが……。
「……あの……もう少し抱かせてもらってていいですか?」
未央ちゃんがマルを抱き寄せて、じっと見つめてくる。
いやいや……その猫普通の猫じゃないからね。またいつデカマルになるか、わからないから! 必死に探し回って見つけたから、正直疲れたし、早く家に連れて行きたいのよ。
「んー。ほらもう遅いし、終電なくなっちゃうよ帰らなくていいの?」
久しぶりの再会だったけど、とりあえず今はマルの確保が優先事項だ。未央ちゃん、大人しくマルを渡してくれい。
「……もう終電行っちゃいました……」
「え……」
「実は終電乗り遅れちゃって……朝までここに居ようかなって思ってて……寒いなと思ってたら、マルちゃんが来てくれて……」
えぇーーーー!!!? いやいや!! 未央ちゃん何してんの!? 終電逃したって……。
さっき住んでるとこ聞いたけど、ここからタクシーで返すにも結構な距離だし、まずこんな辺鄙なとこにタクシーなんて今からの時間、通るはずもないし……。
ぐぅぅ……こんな暗い神社に、女の子1人置いて行けるわけない……。
……仕方ない……これはマルを家に連れて帰る為だ……別にやましい事など微塵もないんだ。
「じゃあ……家にくる? そいつ好きなだけ抱っこしてていいからさ……」
「え? ……は、はい!! ありがとうございます!」
未央ちゃんは寒かったからだろうか、軽く身震いをして、元気な返事をしてきた。長話に付き合ったお陰か、暗かった表情も、心なしか明るくなったように思えた。
* *
その後、マルは未央ちゃんに抱かれたまま、俺のアパートに来る事になった。部屋に入ったら気を緩ませてデカマルに戻るんじゃないか……と思いもしたが、そのままで少し安心した。
「カレーしか無いけど……」
「あ、ありがとうございま……す……」
一日中マルを探し回って腹も減っていたので、昨夜デカマルが作ったカレーを温め直していたら、隣から盛大な腹の虫が聞こえてきた。
未央ちゃんは顔を真っ赤にしていたが、どうせこの量は1人じゃ食べきれないから、と言って出してやった。
「……美味しいです!」
マルもジーッとカレーを催促するように見つめてきたので、マルの分もよそって出すと一心不乱に食べ始めた。
未央ちゃんは、食べさせて大丈夫なんですか!? と聞いてきたがコイツはいつも食べていると言い聞かせた。
けど、カレーを食べるネコが珍しかったのか食べる様子をジッと見つめていた。
そのうち、未央ちゃんは余程疲れていたのか、カレーを食べて満足したのか、マルを抱いたまま寝てしまった。
大きくなったかと思っていたが、寝顔は勉強を教えていた時に見せた、居眠りの時の顔そのままだった……。
懐かしい……。そういえばこんな感じでよく勉強しながら、夕食を一緒に食べさせてもらってたっけ……。
きれいになったな……。
「さてと……」
未央ちゃんをそのまま寝かせるわけにもいかず、リクルートスーツのままで悪いがベッドに寝かせて、俺は毛布を出して畳で寝る事にした。
* *
「すいません! いつのまにか寝ちゃって!!」
朝、ベッドから飛び起きた未央ちゃんは寝癖がついたまま俺に謝ってきた。
「疲れてたみたいだし大丈夫だよ、マルも喜んでたみたいだし……ね?」
2人でマルを見ると、朝の騒ぎにも動じず、お気に入りの潰れた段ボールベッドで気持ちよく寝ている。
身仕度を整えて、家を出ようとしたら。
「あの……また、マルちゃん抱っこしに来ていいですか?」
未央ちゃんが鞄を胸の前でギュッと握り、モジモジしながら聞いてきた。
断る理由なんてない。だって彼女は……。
「はは、こんなクソ猫でよければ」
「……!! へへ……約束ですよ!!」
それから未央ちゃんは、俺がカレーばかり食べていると話したら「私が作りにきます!」と言って、ちょくちょくうちに来るようになった。
そして、俺の日常は以前の退屈な毎日でも、不思議な日常でもなくなっていった……。
* *
その日も夕飯はカレーだった。
目の前のマルは、相変わらずカレーを美味そうに食べている。
マルは依然喋ることも、でかくなる事もない。ただのカレーを食べるネコのままだ。
「なあ、もしかしてお前が代わりにカレー作ってくれるやつを見つけてきてくれたのか……?」
「にゃ〜」
マルは食べるのを一旦やめ、俺を見て一鳴きした後またすぐにカレーをがっつき始める。
「本当、カレー好きだな……」
一言マルにぼやきを入れ、俺もテーブルのカレーを食べ始める。
いつものカレー。でも今は、そのいつものカレーがとても美味しい。
俺の日常はいつのまにか、そんなありふれたカレーの皿が3枚になった事で、笑いが絶えない充実した日々を過ごすことになっていた。
退屈な日常から抜け出したい。
あの日神社でお願いした『たった1つの願い事』は、とても奇妙ながらも幸せな日常へと変えてくれる、神様からの贈り物……だったのかもしれない……。
おわり
お読み頂きありがとうございました。拓とマルと未央の今後は、皆様の胸の中で……。
注)本作でマルはカレーを食べておりますが、実際の猫にはカレーは与えないでください。