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恐怖して安心

作者: 明槻亮

目が合った。背筋がぴん、と凍りつき動悸が激しくなる。

逃げなければ。相手の動きを確認する間も無く振り返る。走れば余計に目立つ。人混みの中を、平静を装い歩いて行く。


ここは商業施設の中のようだ。白く光る照明の中、右へ左へ人々が行き違う。今日は休日だっただろうか、と思い出そうとする。人はかなり多く、ぶつからないように歩くだけで精一杯だ。曜日だけではなく、自分がなぜここにいるのかすら分からない。


大丈夫だ。僕以外にも人は沢山いる。

きっとすぐに僕のことは見失うだろう。いや、もしかすると目が合ったことすら気のせいかもしれない。


額を伝う汗を意識しながら、そう言い聞かせ呼吸を整える。

カラフルな紙袋を幾つも下げて楽しそうに話す若い女性達とすれ違う、さらに前からは子どもを抱き抱えたお父さんらしき男性が歩いて来ている。誰も、僕の恐ろしい状況には気付いていないようだ、そう分かった瞬間、僕の恐怖は膨らみ上がった。


そんなはずがないだろう。こんな人混みの中にあんなやつがいたら、すぐにでも悲鳴が上がって騒ぎにならなければおかしい。

やつはこんな大都会で、人々が歩き回るこの白い建物の中で目にするには、あまりにも異質過ぎている。

見間違いか・・・?


より一層激しくなる動悸を感じながら、おそるおそる、すれ違う人々を目線で追いかけるようにしてゆっくりと振り返る。


どくん・・・


心臓が皮膚を突き抜けるような衝撃が走る。

そいつは確かに追いかけてきていた、僕を。地面を滑らかに這っている姿に誰も気付いていない、僕以外は。するりするりと人々の間を抜けていくその姿は、見た物を恐怖で震え上がらせる存在とは思えない程の鮮やかさを身に纏っている。


恐怖のあまり呼吸が苦しくなる、今にも意識を失いそうだ。追いつかれたら最後だということは本能が教えてくれていた。歩かねば、逃げなければ、その思いだけが身体を動かしている。

僕はもう装いだけでも平静でいることはできなかった。

人々の視線を気にすることなど忘れ、無我夢中に人混みを掻き分け、なるべく奥へと走る。掻き分けた人混みが入り混じり僕の姿を隠してくれることを願いながら。


どこまで追ってきているのか、或いは見失ったのか、それを確かめる勇気はもう無い。ひたすらに前を向き、できるだけ紛れ込める所を探す。訳も分からず右へ左へと曲がる。

すると、ある扉の前へ行き着いた。


頑丈そうな扉だ。閉めてしまえばきっとやつも入って来ることはできないだろう。


ゴールが分からない鬼ごっこに疲弊していた僕がそう考えるのも当然で、すぐに扉の中に駆け込む。

倉庫のようだ。薄らと明かりがついていて、段ボール箱が積み重なっているのが見える。


早く・・・!!早く、扉を閉めなければ!!


扉に飛びつき、思い切り引き寄せた、その時だった・・・


遅・・・かった・・・。


あと少しだったのに。本当にあと少しだったのに・・・。


ほんの僅かな隙間からやつはするりと、本当に可憐に通り抜け、僕が救われるはずだった、僕を救ってくれるはずだった部屋の中へ、滑らかな動きでするする入ってくる。


もう無理だ。恐怖が身体中を駆け巡り全身が硬直する、身体の中を蝕み尽くした恐怖が喉の奥から込み上げて来る。気が付くと僕は恐怖の塊を吐き出したようで、地面にはぐしゃりと吐瀉物が広がっている。

やつは僕がそれを確認するのを待っていたかのように、今までの滑らかで可憐な動きを終わらせた。

全身の神経を集中させるように身体の動きを止めたかと思うと・・・


っっっ!!


僕は瞬時にやつに背を向けていた。本能的に身を守ろうとしたのかもしれないが、この状況においてそんなことは無意味であった。口を180度近く開け一気に飛びかかってくるやつの姿が目に焼きついている。僕が身体を捻らせた次の瞬間にはもう、背中に鋭い痛みが走った。


背中の痛みに意識が集中する、身体が揺れているのかと錯覚する程、どくん、どくんと激しく脈打っている。


どくん、どくん、どく・・ん、


段々と、張り裂けそうだった動悸が弱くなる。

心臓に仄かな温もりを感じる程だ。

僕はその温もりに身を委ね、そっと目を閉じる。

背中を突き刺している痛点から、つーっと冷たいものが僕の中に入ってくる。

それは僕の中を駆け巡り全身に広がり、今まで強張っていた全ての神経に働くのをやめさせる。

僕は目を閉じたまま、それらがそうさせるまま緊張から解き放たれた身体を床に倒れ込ませる。

床が冷たいのかどうか分からない、僕の神経はもう、それを感じないようだ。

呼吸が浅くなっていく。麻痺して緩み切った心にはもう恐怖は残っていない。

動くことのないどっしりと重たいあたたかいものが心を包み込んでいる。

もう、動かなくていい。解放という安心に包まれながら、僕の呼吸はゆっくりと止まっていく。


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