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蒼の痛み

作者: 来栖ハヤト

ブザーが鳴り響いた。

それは残酷にも終わりを告げていた。

貴方と、貴方たちともう此処には立てない。


此処で、終わり。



「玲っ(あきら)」


(そう)の視界の端で何かが傾いた。

ぶれる視線を向けると、其処には紺屋(こうや)に支えられた、支えられなければ立っている事さえできない状態の瀬名玲があった。


紺屋に体重を預ける身体からは汗が噴出し、僅かに開かれた目は充血し潤みきっている。

気分が優れないのか、疲労感からのか両眉は深い溝を刻み寄せられ、ぐったりと投げ出された腕は玩具の様に生気が感じられなかった。


「玲、」


「紺屋。奏は、」


紺屋の呼びかけに辛うじて応じた玲は、後輩であり、次世代の部長でもある奏の名前を呼んだ。


「奏、」


紺屋が離れている場所にいる奏に向かって呼びかける。

行かなくては、あの人の傍へ。

行きたいのだ、あの人の元へ。

しかし奏の足は思うように運ばない。


―この試合は、俺のせいで負けた。瀬名さんはあんなにボロボロになるまで頑張ってくれたのに、それなのに俺は…。


その思いが足を鉛のように重くさせた。

まるで地面に縫い付けられていくような、そんな感覚だった。


「…そ、う」


あの人の声がする。

弱弱しい、か細い、でも大好きなあの人の。


「瀬名さん…俺…」


時間をかけて瀬名の傍に着くと、紺屋は瀬名の身体を奏へと預けた。

触れる瀬名の身体は熱く、放っておいたらそのまま燃えて灰になってしまうのではないだろうかと思わせる程だった。


「瀬名さん、早くベンチ戻りましょう。立っているのは辛いでしょ、」


しかし瀬名は歩かなかった。

握力のない手で奏のユニフォームをつかんだ。


「あのな、奏…」


漆黒の双眼が奏を捕らえる。


「ありがとう。あと、ごめんな、」


玲の口から出た言葉は、奏の予想を大きく外れていた。

てっきり罵倒されるものだと、お前のせいで負けたと言われるものだと。

しかし玲は感謝と、そして謝罪を述べた。


玲の目は細められ、唇端は僅かに持ち上がり弧を描く。

困ったように眉尻を下げるその癖は、何度も、何度も数え切れない程見てきた。


「なんで…」


声が震えた。


「なんで貴方が謝るんですか。負けたのは、何もできなかったのは俺の…」


言葉にならなかった。

いつまでも続くと思った景色は、いつの間にか別のものへと変わって行く。

その境界線を、今自分は踏み越えようとしているのだ。


「お前のせいなんかじゃない。それに、この調子だと来年が楽しみだな、」


頭に柔らかな感触があった。

温かく、いつも励ましてくれた、大好きな手だった。

疲労感なのか、手は小刻みに震えていたが、それが疲労感のためだけでない事は用意に理解できた。


悔しいのだ、玲だって。

寧ろ、玲のほうが。


「…何ですか来年って。自分のことは…貴方はもう卒業してしまうのに、もうここでプレーはできないのに…なのに、何なんですか来年って…」


涙は絶対に流さない。

大会が始まる前に誓った、誓ったはずだった。

自分達は勝つから、最後の最後まで勝ちあがるから、そうしたら泣かずにいられるからと。

微笑みながら言う玲の姿が脳内にフラッシュバックした。


勝ちたかっただろう。

いや、勝ちたかった。


「だって、来年もお前がいるじゃないか。夏目も崎河も」


「でも…瀬名さんはいないじゃないですか…」


「奏、」


瀬名の真剣な、透き通った刃の様な声がした。

涙でくしゃくしゃになった顔を上げて、奏は合わせることの出来なかった視線を、瀬名へ向けた。


「もう、お前達の時代だ。奏があいつらを、皆を引っ張っていくんだ」


それに、と瀬名は続けた。


「奏がプレーしてる姿が好きだ。俺がパス出せないのは悔しいけど、けど、奏がまたここでプレーしてると思うと、それだけで楽しみなんだ」


奏は止めどなく頬を伝う涙を拭おうと手の甲を目元へ擦り付けた。

しかしそれはとどまる事を知らずに、決壊したダムのように、流れ続ける。


「瀬名さん…」


声はしゃがれ、震えていた。


「俺、頑張ります。きっと貴方みたいな立派なキャプテンにはなれないけど、けど、きっと来年もここでプレーしてみせます」


真っ直ぐ瀬名の双眼を捕らえて誓う。


「だから、だから楽しみにしててください」


その刹那、瀬名の身体は崩れ落ちた。

荒い呼吸、灼熱の身体、投げ出された四肢。

首筋には大量の汗が伝う。


しかし、瀬名は笑っていた。

嬉しそうに、満足そうに。


瀬名を支える奏の頭には、優しく微笑む瀬名の顔と、フロアを弾むボールの音が、ただずっと繰り返し、廻っていた。

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