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第七話 静かに動きだす物語

「エレン、今日は時間大丈夫?」

「ん? どうしたの、フリン。まぁ大丈夫だけどさ」


 王子の婚約者発表から一ヶ月が経ったある日の、月に四回ある金獅子亭(きんじしてい)の定休日。

 その仕事が休みの日に、同僚であるフリンが自室にいたエレンを訪ねて声を掛けてきた。エレンはいったいどうしたのだろうかと疑問に思いつつ大丈夫だと返事をする。その返事を聞いたフリンは、その可愛らしい顔をぱあっと明るくさせるとにこりと微笑んだ。


「じゃあ、ちょっと一緒に買い物に行かない? ほら、以前エマさんが言ってたじゃないか、好きなもの買ってあげるって」

「……ああ! そういえば、そんなことも言われたような。冗談だと思ってたけど……本当にいいのかな?」


 以前確かに、エマからそういうことを言われていたと思い出したエレンは首を傾げながら言う。それを見たフリンは、クスクスと笑いながらこう言った。


「いいのいいの。エレンはそれだけこの店の売り上げに貢献してるんだから。それに、こうでもして連れ出さないと、いつまでも筋トレ? とかいうのやり続けるんだから」


 フリンの言葉の通り、エレンは予定が無ければ休日のほとんどを筋力トレーニングに捧げている。ちなみにだが、この世界では筋トレ、すなわち筋力トレーニングという言葉はあまり馴染みがないようで、エレン以外の人間はいつも疑問形で話している。しかしながら、エレンのプロポーションはこの筋力トレーニングによって維持されていると言っても過言ではない、日々の努力の賜物(たまもの)なのである。


「筋トレはいいぞ」

「いやうん、悪いことだとは思わないけどさ。というか、エレンってたまに変な喋り方になるよね……」


 エレンの発言に少々げんなりとしてしまうフリン。エレンは時折、明らかに変な発言をすることがあった。その理由は、いくら(おぼろ)げだとはいえ、前世の記憶がエレンの基本的性格や言動に多大なる影響を及ぼしているからだろう。

 公爵令嬢として生活していた頃は(しと)やかな女の仮面を被っていたエレン。しかしひとたび自由の元に飛び出した途端、今まで己の内にしっかりとしまいこんでいた思いが膨れ上がり、いとも容易くその仮面を吹っ飛ばしてしまった。あらゆる抑圧から解放された彼女は、実に生き生きと平民生活を楽しんでいる。今までやりたくてもやらせてもらえなかった料理に挑戦してみたり、学院(アカデミー)時代にはできなかった魔法の研究に没頭――その成果もあり(くだん)のとんでもない付加魔法(エンチャント)を完成させたのだが――してみたり、大衆演劇を観劇――運悪く己自身が悪役として描かれている演目だったが ――してみたりと、それはそれは充実した人生を送っていた。


 そう……エレンは、貴族社会に馴染めない公爵令嬢だったのだ。


 学院(アカデミー)時代のエレンは、シャルマー公爵家令嬢兼王太子であるフリードリヒの婚約者という、その権力だけを見ている者たちに囲まれ、本当に欲しかった普通の友人はとうとう一人もできなかった。それについては、王都を追放されてからだが、猫を被っていたことに原因があったのではないかとエレン本人は考えている。それほどまでに、学院(アカデミー)時代のエレンは現在の彼女とはまったくの別人だった。

 そういえば、とエレンは(申し訳ないことに生理的に受け付けなかった)フリードリヒには歳の離れた弟がいたことを思い出した。フリードリヒと婚約し一年経ったある日、エレンが学院(アカデミー)に入学する直前である十五歳の頃に、彼から弟であるジェラールを紹介されたのだ。その当時ジェラールはまだ七歳で、ふわりとした金の髪の実に可愛らしい少年だったと記憶している。そんなジェラールは現在十二歳になり、少しずつ社交の場にも出てきているらしい。しかし正式なデビューは十八歳になってからなので、それまでは彼の露出は少ないだろう。 今後のジェラールの苦労を思うと、エレンは己はなんと幸せなのかとなぜか申し訳ない気分になった。


「エレン?」


 急に黙り込んだエレンを心配してか、フリンが彼女の顔を覗き込んできた。想像以上に近くにフリンの顔があったので、エレンは驚いて思わず()()ってしまう。そんなエレンの反応を見て、フリンは実に悲しげな表情を浮かべた。


「エレン……そこまで露骨に引かれると、少し……傷付くよ……」

「ご、ごめん、ちょっと近すぎてびっくりしちゃって……」

「まぁ、今のは俺も悪かったかなって思うよ。で、もう一回聞くけど、買い物行くよね?」

「うん、行く行く! 準備してくるから、少し待ってて!」


 フリンの確認の言葉に頷いたエレンは何も持って行かないのも悪いと思い、財布だけを服のポケットに入れてから部屋のドアに鍵を掛ける。そしてフリンの隣に並んで買い物へと向かうのだった。


  ***


 ロベルトは金獅子亭(きんじしてい)が本日は休みのため、それなりの広さを持った店の一番奥の席で、この店自慢の魚料理に舌鼓を打っていた。

 先日エレンに付加魔法(エンチャント)を施してもらった大剣は、鞘の見た目だけでも高価な品だと分かるものなので、常に白い布で包んで持ち運んでいる。ロベルトの顔は冒険者たちにはそれなりに知られているためそうそう面倒には巻き込まれないだろうが、それでもゼロとは言い切れない。厄介ごとは極力避けるスタンスのロベルトだが、向こうから来られたらどうしようもないのだ。しかしながら、ロベルトの実力ならば軽くいなせるのだろうが。

 ロベルトが食後のコーヒーを楽しんでいると、新たな客が店のドアを叩いた。いつもは気にしないロベルトだが、今回は思わず顔を上げてしまった。なぜならば、よく知っている、己にとって特別な女性の魔力(・・・・・・・・)を感じ取ったからだ。そしてロベルトは目を見開いた。その女性が……エレンが、緑の髪の、童顔でありながらも整った顔立ちの見知らぬ男と並んで入店してきたからだ。


「あー、お腹空いた。ここ、初めて来たけどおすすめとかある?」

「俺、ここに来たらいつも魚を食べるんだ。ここは腕のいい輸送業者と契約してて、内陸部にあるこの街でも鮮度のいい魚が食べられるんだ」

「へぇ、そうなんだ。それじゃあ私も魚を頼んでみようっと」


 エレンたちの席からはロベルトの姿が見えないらしく、彼に気付いた様子はなかった。二人掛けの席に座り、仲良さげに会話をするエレンと男の姿に内心動揺を隠せないロベルトは、心を落ち着かせるためにカップに残っていたコーヒーを一気に胃に流し込む。ろくに味わいもせずに飲んだそのコーヒーが、なぜだかいつもよりも苦いような気がした。


「それにしても、本当によかったの? これ買ってもらっちゃって……」

「いいのいいの、そのためのお金なんだから。いつもエレンには助けられてるんだから、これぐらいはさせてよ」


 エレンの様子をそろそろと伺っていたロベルトが、あるものを見てびしりと固まった。そのあるものとは、彼女の右手の中指にはまっている可愛らしいデザインの指輪だった。


 男、指輪、二人きり、仲が良い。

 この四つが揃ったことによって、ロベルトは大変な勘違いをすることになった。


 特別な女性(エレン)には、恋人がいるのだと。


  ***


 シャルマー公爵邸、公爵の執務室。

 その執務室では一組の男女が何やら言い争いをしていた。


「あなた……あなた、もうっ、レオニードったら、聞いてるの!?」

「聞いているよ、バイオレット」

「もう、それならどうして……どうしてあの子を……エレンを陥れたあの娘を養子にするなどと言うのですか!?」


 顔を真っ赤にしてそう言ったのは、バイオレット・シャルマー公爵夫人。エレンの母親だ。艶やかなストレートのプラチナブロンドと紺碧の瞳が美しい、年齢を感じさせない女性だ。そして詰め寄られているのはレオニード・シャルマー公爵。この国でも一、二を争う格式高いシャルマー公爵家の当主である。青い瞳と、首の後ろで一つにまとめた長い波打つ金の髪が美しい、こちらも年齢を感じさせない男性であるレオニードは、憤る妻をなだめるようにそっとその肩を抱き、執務室に据えてあるソファに座るように促した。バイオレットの怒りはまだ収まっていないようだったが、ひとまずは夫であるレオニードの指示に従いソファに座った。


「あなた、(わたくし)が納得できる理由があるのでしょうね?」


 美しい紺碧の瞳をキッと釣り上げたバイオレットの表情には鬼気迫るものがあった。そんな妻を見てレオニードの額に一筋の雫が流れる。美人を怒らせたら恐ろしいと言うが、まったくもってその通りだとレオニードは思った。

 レオニードは一度深呼吸をし、覚悟を決めてから己の妻にこれからのことを語り出した。


「バイオレット、まずは一つ訂正だ。結果的にエレンを陥れた形になっただけで、ミスティ嬢は被害者だ。その被害には命の危険に晒されるものもあったという。むしろ本当に怒りを表すべきは、ミスティ嬢に危害を加えた真犯人と、強すぎる正義感ゆえに視野が狭くなり、婚約破棄を言い出した王太子殿下だ。まあ、それだけならばまだよかったんだが、むしろうちのエレンが……な」


 はぁ、と疲れたように溜息を吐いたレオニード。それを見てバイオレットも少し落ち着きを取り戻したらしい。疲れ切った夫を気遣うように今度は彼女が夫の肩を支えた。そしてバイオレットも疲れたように呟く。


「そうですね、うちのエレンが……どうして……あんなに嬉しそうに婚約破棄を受け入れてしまったのか……」

「本人があそこまで嬉々として受け入れてしまっては、こちらとしてもどうしようもない。だからこそ、貴族籍の剥奪と王都追放だけで赦してもらえるように手を回したのだから」


 なんと、エレンの処分にはそんな裏話があった。しかし、当の本人は知る由もない。今頃は欲しかった指輪を買ってもらって浮かれているところだろう。親の心子知らずとはよく言ったものである。


「ですが、だからといってなぜオブサダン男爵家の娘を養子に? 必要性を感じませんわ。ラッシュももうすぐダグラスへの留学から戻ってまいります。公爵家はすでに安泰でしょう?」


 ラッシュとはエレンの一つ上の兄だ。現在隣国のダグラスに留学しており、あと一年もせずにルクレストに戻って来て、婚約者である伯爵令嬢と結婚する予定だ。


「公爵家は安泰……確かにそうだな」


 レオニードはバイオレットの言葉に頷くと、しかし、と話を続けた。


「王家はそうではない。婚約破棄騒動を起こした王太子殿下に、真犯人であろうその王太子の婚約者であるキャティシエル侯爵令嬢ミレーユ。ミレーユ嬢のしたたかさは一国の王妃としてはありだとは思うがな。しかし、やり方がお粗末で内容もまずかった。エレンの追放からそうしないで真犯人に行き着いたくらいだからな」

「そうですねぇ」

「それがあるから、王家としても、これ以上王太子殿下を庇いだてできないのだ。しかし、陛下の親心か、興味無い(ふう)を装って健気に想い合っている二人を結びつけたいらしい。恋愛結婚だった陛下らしいお考えだが……甘いといえば甘い」

「そんなこと言って、ただの田舎の男爵家の娘だった(わたくし)を見初めて、妻にと()うたのはどこのどなたかしら? どうせあなたも陛下のお考えに共感してしまったのでしょう? (わたくし)も……あなたと結ばれなかったら、今頃どうしていたかと考えてしまうこともありますもの」


 実はこの二人、多大なる障害をものともせず、互いに想い合い結ばれた貴族社会では珍しい夫婦なのである。そしてそれは、現ルクレスト国王であるリチャードもであった。甘い恋物語に弱いのは、この夫婦とリチャードの欠点だった。


「なるほど、だからなのですね。でもそれでしたら、別にわざわざ養子になどしなくてもよろしいのではなくて?」

「そこはあれだよ。君も腹の虫が収まらないだろう?」

「あら。もしかして(わたくし)のためでしたの?」


 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべながら放たれたレオニードの言葉。それに(なら)うようにしてバイオレットも優雅でありながら意地の悪い笑みをうかべる。


「ふふ、そういうことでしたら、ビシビシ鍛えて差し上げますわ」

「頼むよ、私の愛する人よ。さて、次は王太子殿下への対応なのだが……その前に、エレンの方の近況報告かな。つい先ほどダヴィッド(・・・・・)から手紙が届いてね」

「あら! それならそうと早く言ってくださいまし! エレンは今どのような様子なのかしら?」

「まあ待て……ふむ、エレンは今……」


 かさりと手紙をめくる音が執務室に響く。その音の鳴る回数が増えるのに比例するように、公爵夫妻は疲れたような表情へと変わっていった。


「まったく……あの子はいったい何をやっているのよ……」

「きんとれ……筋トレ? エレンはいったい何を目指しているんだ……」


 アレスからの定期報告を受けるたびに、どうしてだか老け込む公爵夫妻だった。


 こうして、エレンの(あずか)り知らぬところで様々な思惑が動き始めるのだった。

 そして当の本人は、現在美味しい魚料理に舌鼓を打っていた。

 今回はエレン視点よりも他がメインです。

 あまりこの体裁は取りたくないのですが、エレン視点だけだと周りでは何が起こってるのか分からなくなるので、このような形を取ってみました。

 正直、どんどん話が勝手に転がっていきます。


【2018年1月24日】

 ラッシュの年齢を「エレンの四つ上」→「エレンの一つ上」に、「半年もすれば」ルクレストに戻って来て→「一年もせずに」に修正しました。


【2018年1月10日】

 誤字脱字修正と、話の流れはまったく変わっていませんが少々加筆しました。

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