第二十八話 前に進むために
その話は『高貴なる風』に戻り夕食をとり、ポールが食後の紅茶を二人の前に並べ終えたところでロベルトから切り出された。
「エレン、俺はルクレストに戻ったら、国外に避難しているディアーノ貴族の許を訪問して回る予定なんだが……その前に、エレンのご両親に挨拶を……しないと、いけないな」
「……う、ん。私は形式上は勘当されてる身だけど、しないと……いけないよね……」
香り高い紅茶を一口だけ飲んでカップをソーサーに戻したエレンが重々しく呟く。現在は平民の身となっているエレンだが、元は公爵令嬢だ。更にはエレンの婚約破棄から始まった騒動により、王位が彼女の父親であるレオニード・シャルマーに移譲されている。つまり、エレンの両親は現ルクレスト国王と王妃ということになるのだ。レオニードの私兵であるダヴィッドを通して目通りを願う手紙を届けることは可能であろうが、一国の主であるレオニードに謁見するには、たとえ実の娘であるエレンであってもどれほどの時間が掛かるのか想像もつかない。
「うーん、手紙を書けばお父様の許に届けてはくれると思うんだけど、返事が来るのは早くて一月後とかじゃないかな……」
「だろうな……」
エレンの言葉に、彼女の事情を理解しているロベルトも同意する。ロベルトはそしてしばらく何か考え込むと、意を決したように小さく頷いた。そしてポールに執務室を使うことを伝えると、出されていた紅茶を一気に飲み干して立ち上がる。そんな突然立ち上がったロベルトを不思議に思いエレンが声を掛けた。
「ロベルトさん、どうしたの?」
ロベルトは彼女のその問いに、簡潔に答える。
「俺が手紙を書く。ディアーノ最後の王族……国王として、な」
***
ルクレストに戻って来たエレンとロベルトは、金獅子亭へと向かう前に一軒の民家に足を運んでいた。その民家の広さは平民の家として見ればなかなかのものだが、『勇者一行』の片割れが住んでいるにしては少々狭いように思える。しかしそれも、ロベルトが冒険者活動の拠点として使用している家のうちの一つであると聞かされれば納得できるというものであった。
エレンはロベルトに手を引かれ、その民家の飾り気の無い玄関の先にある殺風景な居間に通されていた。居間にはソファとローテーブルといった必要最低限の家具しか置かれていなかったが、そのどれもが上質な品でありロベルトの育ちの良さを窺わせる。しかしそれなりの広さとはいえ、一般的な民家にそれらの家具が置かれていると考えると、どこかちぐはぐさも感じられた。
エレンがしっかりとした作りの革張りのソファに座ったのを確認してから、ロベルトもその隣に腰を下ろす。そしてどちらともなく隙間を埋めるように寄り添うと、しばらくは会話もせずにお互いの体温を感じていた。
それからどれくらいの時間が経過しただろう? おそらくは五分と経ってはいないのだろうが、ただ寄り添い合うだけの心地良い空間は二人の時間感覚を惑わせる。
そんなゆっくりと流れる時間を正常に戻したのは、ロベルトの小さな呟きだった。
「……俺が過去から前に進むために、もう少しだけ付き合ってくれるか?」
その言葉にエレンは頷くと、彼の左手に己の右手をそっと重ねる。それを合図のようにして、ロベルトは己の胸の内にしまい込んでいた思いや考えをぽつぽつと語り始めた。
「ずっと……考えていたんだ。どうしてブラック侯爵があんな暴挙に出たのか、どうしてリカルドが邪竜へと姿を変える直前に、己は死ぬと分かっていながら『勝ち』などと言ったのか……」
当時は国が滅びたのだという現実からブラック侯爵の真意など考えることもできなかったロベルト。しかし一年二年と時間が経つにつれ、少しずつではあるがあの夜の出来事が起こるに至った経緯について考えられるようになっていた。そうしてロベルトが時間を掛けて考え出した答えは、救いようのないものだった。
「ブラック侯爵は本当はフカイの王になどなるつもりはなかった。むしろ……フカイを滅ぼしたかったんだ。そしてフカイだけではなく、ディアーノも」
「どうして……?」
「きっと許せなかったんだろう。己の血縁であるフカイの王家を滅ぼした者たちを。そして助けを求めていたフカイの王家の手を払いのけたディアーノを。まあ、これは俺が導き出した答えなだけで、当のブラック侯爵の口から聞いたわけではないからな……真実は闇の中、さ」
ディアーノとしては、他国の内政に干渉するつもりがなかっただけのことなのだが、それでもブラック侯爵にとってはフカイの王家を見捨てたことに等しかったのだろう。ロベルトも後で知ったことなのだが、ブラック侯爵家に嫁いできたフカイの姫君はずいぶんと長生きをしたらしく、幼い頃のブラック侯爵とも面識があり、たいそう可愛がっていたそうだ。
そんな、優しき曽祖母の血縁者であるフカイの王族は、内乱が勃発してからというもの、ディアーノに救援要請をたびたび送っていたという。しかし先々代の王はそれに応えることはなく時間だけが虚しく過ぎてゆき、ついにフカイの王族は革命軍に命を奪われたのだ。その時ブラック侯爵はいったい何を考えていたのだろう。それはもう誰にも分からない。
謀叛を起こしたブラック侯爵の真意は依然として謎のままであるが、もしもロベルトの言葉の通りならば彼は十分に目的を果たしたと言えるだろう。邪竜誕生によりディアーノの王城は一夜にして火の海に飲み込まれ、それから三日と経たないうちに、城の中から異常発生した魔物の大群に王都は襲われ全てが破壊し尽くされた。そしてその魔物の大群は大陸中を蹂躙し、ディアーノだけでなくフカイやその他の小国、国に満たない自治領、少数部族の集落など、ありとあらゆるものを滅ぼしていったのだ。
そんな邪竜誕生から魔物の異常発生までのわずかな時間、王都や各地の騎士や兵士、魔法使いたちが協力し民衆を大陸外に避難させるために奔走していた。そのため、この未曾有の大厄災にも関わらず、多くの民が生き延びることができたのだ。もちろんすべての民が大陸を脱出することはできず、決して少なくない数の人間が犠牲となったのは覆しようのない現実だった。
「ブラック侯爵の思惑通り……なのかは分からないが、リカルドが邪竜となって一月程度で、あの大陸には凶悪な魔物が溢れかえることになり、とてもではないが人間の住めぬ土地になった。フカイとて無事では済まなかったさ」
ロベルトはそう言うと一呼吸置いた。己の心の内を整理するのは、いくら自分自身では飲み込んだ過去だと思っていても、エレンの支えがあるとはいっても、どうしても精神が疲弊するのだ。ロベルトは目頭を軽く揉むと、気持ちを入れ替えるように大きく息を吸い込み、細く長く吐く。そうして頭の中が幾分かすっきりしたロベルトは、話を続けるためにゆっくりと口を開いた。
「……フカイの内乱は、大飢饉にも関わらず例年通りの税を課した王家に対する不満から始まったとされている。しかしそれも結局はきっかけの一つに過ぎない。それまでにも少しずつ積み重ねられていた国に対する不満や不信感が、その大飢饉で爆発したんだ」
歴史を紐解けばそれなりに出てくる事案だ、とロベルトは曖昧な笑みを浮かべながら淡々と告げる。
「そう……歴史。ディアーノの歴史書はあの日の夜、多くを失うことになった。邪竜の吐き出した炎が城を燃やした際に、王室所蔵の貴重な本の数々が灰になってしまったんだ。王立図書館も大量発生した魔物に荒らされて、まともに読める本はほとんど残っていなかった」
だからロベルトは、地方都市の図書館や貴族の屋敷には残っていないだろうかと期待して、かつての館の持ち主に許可を取り探してみたそうだが、成果は上がらなかったという。だから彼は、今度は国外に避難した者が持ち出した本がないか調べたそうだ。しかし緊急避難の状態で持ち出す物として本は優先順位が低い。そんな中でもいくつかは見つかったそうだが、国の興りからを詳しく記述した歴史書ではなく、ごく一般的な教材程度のものだったらしい。しかしそれでも歴史が記されている本には違いなく、ロベルトはその本を買い取ると、今度はその歴史書に記載されていない事柄を調べるために、他国の歴史書や公式記録にディアーノのものが残っていないか方々を駆けずり回ったのだという。しかし大陸を隔てた国となるとどうしても記述が少なくなるようで、ロベルトの望むような結果は得られなかったとのことだった。
「俺一人ではとても手が足りなかったが、ディアーノの土地に人が集まれば、無事な歴史書も見つかるかもしれない。しかし、それでも見つからなかったら……」
苦しげに眉を寄せるロベルトの手をエレンはそっと握り、紺碧の瞳を彼へと向ける。そして一歩を踏み出せないロベルトの背中を押すように、明るい、しかし穏やかな声で囁いた。
「……その時は、また一から歴史を作っていけばいいよ。ううん、作っていこう。新しいディアーノの歴史を、私たちで」
「……ああ。そう、だな」
エレンの言葉にロベルトは俯きながら頷く。彼はエレンに、今の己が浮かべているだろう情けない表情を見せたくなかったのだ。だが頭一つ分の身長差がある以上、エレンは簡単にロベルトの顔を覗き込むことができてしまうし、むしろ見ようと思わなくても見えてしまう。だから、見てしまったのだ。
今にも泣き出してしまうのではないのかというほどに、表情を歪めているロベルトを。
初めて見る彼のその表情にエレンは目を見張る。そしてロベルトが必死に歯を食いしばっているということに気が付いて、エレンはいてもたってもいられず、彼の全てを受け止めるようにその大きな体を抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だよ、ロベルトさん」
「エレ、ン」
「今はあなたと私の二人だけだから……だから、大丈夫。でも、そんな顔をしていいのは今日までだよ? あなたは新しいディアーノの王様なんだから、しゃんとしないとね」
大丈夫、大丈夫と何度も繰り返されるその言葉にロベルトの表情が和らぐ。彼はおずおずとエレンの肩に己の両目を隠すように押し付けると、彼女の言葉を真似るように何度も復唱する。その時エレンは肩にじわりと冷たいような、温かいような何かが染み込んでくるのを感じていた。
「……そうだな、大丈夫だ。俺はもう、大丈夫だ」
ロベルトはゆっくりと顔を上げる。その表情は先ほどの泣き出してしまいそうなものではなくなっている。しかしながら、エレンに情けない姿を見せてしまったことが恥ずかしかったのだろう。少しだけ赤くなっている目元を隠すように俯いて苦笑いを浮かべていた。
「エレン、ありがとう。ようやく前に進めそうだ」
そう言って顔を上げたロベルトの表情は晴れやかなものだった。
「そうそう。そうやって胸を張って、しっかりと前を見ないとね」
「ああ。情けない姿など、民たちには見せられないからな……エレンの言う通り、しゃんとしないとな」
ロベルトは少々大げさな動作で胸を張り背筋を伸ばしてみせる。エレンはそんな彼の仕草がなんだかおかしくて思わず小さく吹き出してしまった。そしてどちらともなく笑い声を上げると、殺風景で寂しい部屋が暖かいもので満たされていく。
ああ、この何も無い部屋も、エレンと二人なら存外悪くない。
そんなことを思いながら、ロベルトは笑顔を浮かべるエレンを愛おしげに見つめていた。
***
「エレンが結婚!?」
営業時間が終了した金獅子亭に、ダヴィッドの驚きの声が響き渡った。
ダヴィッドが驚きのあまり目を丸くしている様子が面白く思えて、エレンは苦笑を浮かべながら隣に立つロベルトを見やる。ロベルトも彼女と同じような表情を浮かべており、わずかに肩をすくめると懐から一通の手紙を取り出した。
「突然の報告で申し訳ない。それで……ダヴィッド殿」
「お、おう」
「エレンのご両親……国王夫妻にもご挨拶をしなければならないと思ってな。この手紙を陛下に届けてはもらえないだろうか」
ロベルトから差し出された手紙を困惑の表情のまま受け取るダヴィッド。そこでようやく彼は意識を取り戻したかのようにはっとなり、直接手渡された手紙をまじまじと眺めて今度はさっと顔色を変えた。具体的な色を言うと、青色に。
ダヴィッドの目は封蝋……正確に言うと、その刻印である六枚の竜の翼が円を描いているだけのシンプルな紋章に釘付けとなっていた。
「こ、この紋章は……!」
「……頼まれては、くれないだろうか」
「頼まれるも何も、断れませんって!」
「デイヴさん、面白いくらい顔真っ青ですよ」
エレンの言葉に返事ができないほどにダヴィッドは慌てふためいていた。それも仕方のないことだろう、何せ封蝋に刻まれている紋章は、ディアーノ王家の中でも国王だけが使用できる特別なものだからだ。
ダヴィッドの主たるレオニードはロベルトの正体を考察し、その可能性を考え、彼がディアーノの双子の王子のどちらかではないかというところまで絞り込んでいたのは知っている。しかしまだ答えは確実ではないという理由により、ダヴィッドには伝えられていなかった。それが裏目に出た形が、今の彼の状況だった。
ダヴィッドはそろりと己の手の中にある手紙の封蝋を改めて検分する。刻まれている印は見る角度を変えようが何度瞬きをしようが変化はない。つまり、そこに刻まれている内容は事実として受け入れることしかできないということに他ならない。
ダヴィッドは数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、よしっ、と気合を入れて腹をくくった。そして姿勢を正すと、いつもの彼とは思えない丁寧な口調と真摯な瞳をロベルトに向け、一礼する。
「そのご依頼、このダヴィッド・ゴルドレオが確かに承りました。この手紙を必ずや陛下の元へお届けいたしましょう」
そして一日でも早い返事を、とダヴィッドは内心で続けると、この手紙にきっと頭を抱えるだろう己の主の姿を思い浮かべ、胃をきりきりと痛めるのだった。




