第二十四話 王都ディアスを歩く
「爺やの淹れる紅茶って本当に美味しいよね」
「メイド長が『執事長に勝てない!』って嘆いてるのを昨日見たぞ」
「彼女の淹れる紅茶ももちろん美味しいんだけど……爺やには敵わないんだよね」
「でも、ハーブティーはメイド長が淹れる方が美味しいよな」
「僕は彼女の淹れるフルーツティーが好きかなぁ」
「……本当に甘い物が好きだよな、リカルドは」
紅茶に三個目の角砂糖を投入する弟を見て、ウォーディアスは少しだけ疲れた様子で呟いた。
ウォーディアスとリカルディアスは現在、城の一角にある衣装室の隣の休憩室にて、遅めのティータイムを楽しんでいた。彼らは今まで学院入学前の準備として、制服の採寸を行なっていたのだ。
今年十六歳になる双子の王子は来年度から学院に通うことになっている。ディアーノの法律で、王侯貴族の子女たちは十六歳から十八歳までの間は国の定めた学院にて勉学に励まなければならないのだ。そしてその学院では制服が採用されている。学院で学ぶ間は生徒たちの家柄などで上下関係が決定されず、平等でなければならないという思想の下……というのもあるが、学校にやるのも難しい貧乏貴族の子女でも通いやすいように――私服というものは実家の資金力の差がもろに現れるから――という配慮であった。
王族であるウォーディアスとリカルディアスも、もちろん制服を着用しなければならない。そしてそれは彼らが普段身にまとっている衣服に比べ、ずいぶんと質が落ちるものだった。しかしそれに文句を言うほど二人は愚かではない。もしも文句を言おうものなら、国王であるテオドールの命令を受け、双子が爺やと慕う執事長から小一時間ほど説教を受けることになるだろうことは想像に難くなかった。
「学院か……義務とはいえ、面倒だな」
「ウォード、またそんなこと言って。僕は楽しみだよ」
ウォーディアスの言葉を窘めるリカルディアス。しかしそんなリカルディアスの言葉にウォーディアスは顔を顰めて大きな溜息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「絶対面倒なことになると分かりきってるのに、お前は楽しみなのか?」
「楽しみだよ。その面倒なことも含めてね」
「……リカルドは心の広いやつだな」
ウォーディアスは呆れたように呟いた。
ウォーディアスが言う面倒なこととは、権力にすり寄り王族に取り入ろうとする者たちを相手にしなければならないというものだ。特に面倒なのは、二人の婚約者になろうと躍起になる女と、その親たちだろう。
「しかし、どうして父上は俺たちの婚約者を早々に決めないのか……」
「父上自身が自分で婚約者を決めたようなものだからじゃないかな?」
「それはそれで一国の王としてどうかと思うが……」
「……王位継承者が何やってるんだろうね」
二人はそんな会話をして顔を見合わせる。改めて己の父親であるディアーノ国王の過去について想いを馳せると、彼の王位継承者にあるまじき無謀ぶりに呆れて溜息を吐くことしかできないのだった。
***
ディアーノ滞在二日目。
エレンたちはポールお手製の朝食に舌鼓を打っていた。
ふわふわのオムレツに、一階にあるレストランでも提供されている白パン、野菜とベーコンを細かく刻んだコンソメスープ、季節の野菜のサラダ。食材の旨味を最大限に引き出しているためしっかりとした味があるが、塩は控えめのあっさりとした、しかし大変満足のゆく食事だった。
食後の紅茶を飲んでホッと一息ついたのを見計らい、ピシリと執事服を着込んだポールがロベルトに尋ねた。
「ロベルト様、本日のご予定は?」
その言葉にロベルトはしばらく思案すると、何やら覚悟を決めたように力強く頷いた。そしてちらりとエレンに視線を送る。その視線に気付いたエレンは、手に持っていたカップをソーサーに戻してロベルトに声を掛けた。
「ロベルトさん、どうしたの?」
「ああ……エレンに一緒に来て欲しい所があるんだ」
「一緒に来て欲しい所?」
「ああ。そこで……大切な話があるんだ」
そう言って強い意志を宿す瞳をエレンに向けるロベルト。その瞳に射抜かれたエレンは大きく心臓を高鳴らせる。ロベルトのその瞳は、エレンが今までに見たことのない光を宿していた。エレンはその瞳に、何よりも強い覚悟を感じ取っていた。
ロベルトはポールに視線を移す。それだけでポールは何かを察したらしく、真っ直ぐだった背筋を更にピンと伸ばした。
「ポール、留守は任せた」
「承知いたしました」
ポールが了承したのを確認してから、ロベルトは再びエレンに視線を移す。そして彼女の飲みかけの紅茶に目を留めると、少々硬かった表情を柔らかくした。
「エレン、紅茶が冷めてしまうぞ」
「あ、うん」
ロベルトに言われ、エレンはいそいそとカップに手を伸ばす。そして紅茶を一口飲んでそうだった、と思い出したように声を上げた。
「ポールさん」
「はい、いかがなさいました?」
「今度この紅茶の淹れ方を教えていただいてもいいですか?」
「紅茶の淹れ方ですか? ええ、かまいませんよ」
「ありがとうございます! とっても美味しいから、自分でも淹れてみたくて」
そう言ってはにかんだエレンを見て、ポールは眩しいものを見るかのように目を細めた。そして柔和な笑みを浮かべると、誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「ロベルト様……実に、良いお嬢様ですな」
そんなことを言われているなどとまったく気付いていないエレンは、幸せそうな笑顔を浮かべながら紅茶を飲み干すのだった。
***
食後の紅茶を飲み終えたエレンとロベルトの二人は揃って宿屋を出ると、目的地へと向かう道すがら復興途中の王都を見て回ることにした。
しかしロベルトは王都を見て回るだけだというのに、なぜかあの大剣を背負っていた。
エレンたちが宿泊した宿屋は、貴族や富裕層のための宅地や商店用として区画整備されている王都の東側にある。そしてこの区画には宿屋協会の会長が組織した民間の復興組合の拠点もあった。ロベルトは街の中心部へ向かう前にその復興組合へ顔を出す。そしてロベルトが用事を済ませる間、エレンは応接室で待つこととなった。
復興組合には宿屋協会の会員をはじめ、ディアーノに基盤を持っていた豪商や商人、国内でも有数の農場や牧場を経営していた者など実に様々な者たちが所属していた。そしてその中には、彼らへの出資者という形で国外に避難しているディアーノ貴族も名を連ねていた。
ディアーノから避難せざるを得ない状況となった貴族たちは、国外に持ち出すことのできた己の資産を切り崩し細々と生活する者が大半だった。しかし中には他国で個人事業を興し、邪竜が討伐されるまでの間に一財を築いた優秀な者たちも存在したのだ。財を成した者の多くはディアーノ国への忠誠を誓った貴族たちであり、その中にはロベルトの友人であるウィルフレッドの実家である公爵家の存在もあった。
エレンが応接室で待つこと十分。
用事を終えたらしいロベルトが迎えに来たので、二人は並んで復興組合の拠点を出た。
復興組合のある通りは広めに作られており、その道を西に向かい真っ直ぐ歩くと三十分ほどで大通りへと出ることができた。
王都の入り口から真っ直ぐと伸びる大通りは美しく整備されており、綺麗に敷き詰められた赤茶色のレンガ道が朝日に映えていた。道の左右には露店や商店が並んでいるが、そのほとんどが住民向けの食品や生活必需品、冒険者用の消耗品や装備を売る店のようで、嗜好品や娯楽品、宝飾品などを売る店はゼロではないものの数が少ない。王都らしからぬ品揃えだが、復興途中の国ではこの状況も仕方のないことなのだろう。しかしそれでも、街はずいぶんと活気に溢れていた。店主が大きな声で客を呼び込む姿など、アレスの街やルクレスト王都と何も変わらない。
大通りを歩いていて、エレンは一つ気付いたことがあった。エレンとロベルトの二人にはなぜか声が掛からないのだ。人々の視線はむしろ多く集まっているというのに、誰一人として声を掛けてこない。ロベルトは売り子たちのそんな反応に苦笑すると、めぼしいものを見付けては少しばかり買い物をする。そうすると店主がひどく感激して二人に感謝の言葉を捧げるのだ。エレンはそんな人々の様子に首を傾げるばかりだったが、ロベルトが困ったように微笑む姿を見て、別に悪いことではないのだからと気にしないことにした。それよりもロベルトの故郷が生き返りつつある姿を見て、エレンは自然と顔を綻ばせるのだ。
大通りの先には市民の憩いの場である中央広場があった。広場には休憩用のベンチがいくつか置かれているが、今は誰も利用していない。代わりに土木工事関係の男性や大工らしき人の姿があちこちにあり、朝から黙々と作業を進めていた。
ここでもロベルトは人々から畏敬の念を集めていた。そしてロベルトの隣に立つエレンの姿を見て、驚いて目を丸くするのだ。いったいどうして驚かれなければならないのか分からないエレンは、彼らの視線を受けて妙な居心地の悪さを感じていた。しかしそれでもエレンは機嫌を損ねることはなかった。なぜなら、その視線には悪意といった類のものを一切感じなかったからだ。
ロベルトはこの中央広場の作業員たちにも労うように簡単な挨拶をして回る。ロベルトに声を掛けられた作業員たちは、感激のあまり言葉を失っている様子だった。先ほどの大通りでの商人たちの反応といい、少々大げさにすぎるようにエレンは感じていたのだが、彼らにはそれが当たり前であるらしい。ここでもやはりロベルトは困ったような笑みを浮かべていた。
ロベルトが作業員への声掛けを終えてから、二人は中央広場のシンボルマークとなる時計塔の設置場所へと足を運んでいた。まだ建設は始まっていないようだが資材の運び込みは終えているようで、近々工事が始まることだろう。早く完成して復活したディアーノの時を刻んで欲しいものだとエレンは思った。
中央広場を真っ直ぐ北に抜けると、そこには作業員用の仮設住宅が並んでいた。そしてその仮設住宅の先には、建設途中ではあるが勇壮な建物の姿があった。
その建物こそ、このディアーノの王城だった。
王城の本棟一階は完成しているようで、現在は二階部分の建設作業を行なっていた。しっかりと組まれた足場には城壁用の石を積み上げる作業員の姿があるが、その人数はとても数えきれないほどだ。
王城建築の作業場から離れた場所には、大きく広々としたテントが何張りも立っていた。そのテントの中では女性たちが野菜や肉類の切り込みを行なっており、一つの戦場のような様相を呈していた。ロベルト曰く、そのテントでは作業員用の食事の準備を行なっているとのことで、これがなかなかに美味しいらしい。この食事が作業員たちの楽しみの一つにもなっているとのことだった。
ロベルトは建設途中の城を遠目からしばらく眺めると、エレンを連れて人目を避けるようにして城の裏側へと回る道へと入っていく。十五分は歩いただろうか、城の裏門跡と思しき場所に二人はやって来ていた。
裏門から先は深い堀となっており、それより先に行くためには跳ね橋を下ろさなければならないようだった。その跳ね橋は真新しく、最近になって建設されたことが窺えた。
ロベルトは跳ね橋を迷いなく下ろすと、更に先へと進む。しばらく歩くと森の入り口に到着し、ロベルトの足がそこで一旦止まった。ロベルトは大きく深呼吸すると、エレンの手を取ってゆっくりとした足取りでその森の中に入っていく。目印になるようなものが何一つないその森をロベルトは迷いなく歩いていき、やがて二人の目の前に木の葉に隠れる苔むした石の板のようなものが現れた。
ロベルトはその石の板のそばに座り込むと、己の魔力を流し込む。すると、その石の板の左右が窪み指を引っ掛ける部分が現れた。ロベルトはその窪みに指を掛けるとその石を持ち上げる。その光景を見てエレンは驚きの声を上げた。なんと、その下には古い時代に作られただろう階段があったからだ。
「ここからもまだ歩くが……大丈夫か?」
「うん、それは平気だけど……ロベルトさん、これは……」
「そうだな……目的地までまだ時間が掛かる。歩きながらでも話そう。俺の……昔話を」
ロベルトはそう言うとエレンの手を取り階段を下りる。そしてゆっくりと語り出した。
このディアーノの滅びの物語を。




