第二十三話 秘密の部屋にて
空に星が瞬く時間。
ディアーノの王城の一角に、四人の人影があった。その影の正体はこの国でもっとも貴き者たち……すなわち王族だった。
まだ子供の王子たちを連れ、ディアーノ国王と王妃が誰にも見付からぬように、王族だけが知る秘密の通路を通ってどこかへと向かっていた。
「父上、母上、どこに行くのです?」
「護衛もメイドも付けないで……」
ウォーディアスとリカルディアスは不安な気持ちを抑えながら、己らの両親である国王と王妃に尋ねた。その言葉に王妃は足を止め子供たちの方を向くと、にこりと柔らかな笑みを浮かべる。そして息子たちにこう言った。
「私たちだけが行ける秘密の部屋ですよ」
秘密の部屋。それは幼心を刺激するには十分な響きを持っていた。
ウォーディアスとリカルディアスは王妃の言葉に瞳を輝かせる。それを見て王妃はクスリと笑うと、王子たちのまだ小さな手を取り、丸い透明な石のついたブレスレットを一人ずつはめる。子供たちは自分の右手首に収まったブレスレットを見て、双子らしく同時に首を傾げた。
「これはいったいなんですか?」
「あれ? 石が赤くなってきた?」
「ふふ、それはですね、秘密の部屋への鍵なんですよ」
「そうだ。ほら、二人とも、秘密の部屋への扉が見えてきたぞ」
国王が闇を照らすランプを掲げると、そこには質素な作りの扉があった。国王は扉の取っ手を握り、辺りの様子を伺いながらゆっくりと押し開ける。そして扉の先に人がいないことを確認してから、四人はゆっくりと狭い通路から広い空間へと出た。
そこは城の一角にある、王族のための談話室の目の前にある廊下だった。扉の先が見慣れた光景だったので、子供たちは拍子抜けしてしまう。秘密の部屋が談話室など、何も面白くないからだ。
「秘密の部屋って、この談話室のことですか?」
リカルディアスが両親に問うと、国王がニヤリと何かを企んでいるかのような笑みを浮かべた。
「ふふふ、そうだ。だが、とびきりの仕掛けがある。さあ、二人とも中に入ってみるといい」
国王はそう言うと、子供たちを談話室の扉の前に立たせる。そして二人に中に入るよう促した。
ウォーディアスとリカルディアスはお互いに顔を見合わせると、とびきりの仕掛けとはいったいなんなのか疑問に思いつつ、二人並んでゆっくりと談話室の扉を開けた。
扉の先は、見慣れた談話室そのものだった。仕掛けなんてないじゃないか、二人はそう思いながら談話室に足を踏み入れる。するとどうだ、二人の目の前には見知らぬ光景が広がった。
「え、え!?」
「どこだここ!?」
あまりの驚きで二人は目を丸くする。そんな二人の後ろには、いつの間にか国王と王妃が優しい笑みを浮かべて立っていた。
「どうだ、驚いただろう?」
国王が得意げに我が子に尋ねる。子供たちは興奮した様子で国王の言葉に大きく頷いた。
彼らが立つこの部屋は、四方を分厚い石壁で囲まれており、窓も無いため光が届かない作りとなっている。しかし天井から辺りを照らす魔道具が吊るされているため、部屋の中は夜だというのに昼間のような明るさだった。部屋の中央にはシンプルな作りの丸いテーブルがあり、そこに椅子が四脚並べられている。四人の背後には質素な作りの扉があるが、現在は閉まっていた。それ以外は、この部屋には何も無い。王城に存在するにはいささか殺風景にすぎる部屋だが、それでも突然現れた見知らぬ場所に、子供たちは目を輝かせいた。
「さて、まずはそこの椅子にでも座ろうか」
国王はそう言って適当な椅子に座る。その隣に王妃が座り、子供たちも空いた椅子に腰を下ろす。全員が席に着いたのを確認して、国王はゆっくりと口を開いた。
「ウォーディアス、リカルディアス。二人とももう十歳になったな」
「はい」
「このディアーノ王国の王族には、十歳になるとあるものを授けることになっているのだ」
「あるもの……ですか?」
ウォーディアスとリカルディアスはお互いに顔を見合わせる。授けるものというのがいったいなんなのか、二人にはさっぱり予想できなかった。国王はそんな二人を微笑ましく眺めながら、小さく咳払いをすると話を続けた。
「そうだ。それは王族だけに与えられる『秘密の名前』だ。さて、二人とも、簡単な質問だ。父である私の名はなんだ?」
「テオドール・ディアーノ……ですよね?」
間違えようもないが、リカルディアスが確認するように父の名前を口にした。ディアーノ国王・テオドールはその答えに満足げに頷くと、そういえば、と突然話を切り替えた。
「お前たちに寝物語に聞かせてやっていた本があったな」
「ええ。『トムの大冒険』ですわね」
「二人ともあの本が大好きでなぁ。その本以外のものを読み聞かせようとしたら駄々をこねて大暴れすると、乳母が泣きついてきたこともあったよ」
「ふふ、そういうこともありましたね」
己らの両親が昔を懐かしむように話すのを見て、双子はなんだか恥ずかしくなって俯いた。そしてそれと同時に、今話題に上っている『トムの大冒険』の内容を思い出していた。
『トムの大冒険』とは、このディアーノでは知らない者はいないとされているほどの有名な本だ。その内容は、トムという少年が、己の剣一つでディアーノ王国の困っている人々を助けていくという、よくある冒険物語だ。その本の変わっているところは、一般的な冒険譚のように地方からではなく、王都のちんぴら退治から始まる点だ。そして順に王都から離れ、大きな街、小さな町、大きな村、小さな村と進んでいくのだ。最後には国の端にある小さな貴族領を困らせている魔物の群れに単身挑み見事勝利を掴み取ると、その領地を治めている貴族の娘を連れて王都に帰還する。しかしその後はトムもその貴族の娘も人々の前から姿を消し、物語は終わるのだ。
「あの、『トムの大冒険』がどうかしたのですか?」
おずおずとリカルディアスが尋ねると、テオドールがにんまりと口の端を釣り上げた。
「実はな、そのトム少年の本当の名はトーマスというんだ」
「え?」
「トーマス?」
「そして物語の最後に出てくる貴族の娘の名はグレウスというんだ」
「え」
「え……え? グレウス……?」
グレウスという名前を聞いた双子は、錆びついた全身鎧を着ているかのような動きで首を動かし、己らを優しく見つめている母親を見た。
彼女の名こそ、グレウス・ディアーノ。そして話の流れから考えて、テオドールの秘密の名がおそらくトーマス。
つまり、二人が大好きだった『トムの大冒険』という本は、この国の王・テオドールの若かりし頃の冒険譚を書いたものだったのだ。
秘密の部屋に、双子の絶叫がこだました。
こうして、双子の頭の中の整理もままならぬうちに、兄にはロベルト、弟にはフィリップという秘密の名前が与えられたのだった。
「本当はもう一つ秘密の名があるんだが……それは、私とグレウスだけの本当の秘密だ。いくら息子とはいえ教えられないな」
もう一つの秘密の名。
双子は結局、その秘密の名を知ることはなかった。リカルディアスにいたっては、そのもう一つの秘密の名を得る機会を永遠に失うことになる。
未来に起こる悲劇を、誰も予想などできないのだから。
***
その部屋は、まるで王族のために用意されているのではないのかと思うほどに立派だった。
五階の部屋に連れて来られたエレンは、内装や間取りの豪華さに思わず目眩を覚えた。まず、広々とした廊下。この廊下を区切るだけで一般的な宿屋の客室が何室できるだろうか。中央の大扉の左右に使用人用らしき飾り扉があったことから、彼ら専用の控えの間があるのも容易に想像できた。更には風呂トイレ、キッチンも完備されている様子だ。寝室も五部屋あり、室内の調度品や備品はもちろん最高級の品で揃えられていることだろう。他にも執務室や書斎まであった。この部屋はもはや屋敷と言っても過言ではなかった。それほどまでの部屋であるというのに、使用者はエレン、ロベルト、ポールの三人しかいなかった。
応接室に案内されたエレンは、最高級の革張りのソファにロベルトと並んで座っていた。そんな二人の元に、お茶が載せられたトレイを持ってポールがやって来る。ポールはソファの前にあるローテーブルに淹れたての紅茶を並べると、ロベルトに促されてからエレンたちの向かいにあるソファに腰を下ろした。
ロベルトは一つ深呼吸をすると、ポールを真っ直ぐに見てこう言った。
「彼女はエレン。俺の……恋人だ」
緊張した面持ちのロベルトに対し、ポールは穏やかな笑みを浮かべている。よく見れば彼の目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。
ロベルトに紹介されたエレンは、一度立ち上がり淑女の礼をとる。そして改めて名を名乗った。
「ロベルトさんとお付き合いさせていただいております、エレンと申します」
その挨拶を聞いてポールは感極まったらしく、ぽろりと一筋の涙をこぼす。その涙を胸ポケットから取り出したハンカチで拭うと、ポールは改めてエレンとロベルトに向き直った。
「エレン様、どうぞお掛けください」
その言葉に甘えてエレンはソファに座り直す。彼女が落ち着いたのを確認してから、ポールが穏やかな口調で語り始めた。
「ディアーノの滅びよりもうすぐ十二年。今ではずいぶんと復興も進んできましたが、かつての姿を取り戻すにはまだまだ時間が掛かりましょう。しかし、この老爺が生きている間にロベルト様が恋人をお連れになるとは……いやはや、なんと喜ばしいことか! これでディアーノの未来は明るいものとなりましょうぞ!」
ポールがエレンの存在を喜んでいる姿を見て、ロベルトが申し訳なさそうに視線を泳がせる。それに気付いたポールはおや、と目つきを鋭くした。
「ロベルト様、何かおありですか?」
「いや……その、だな。実は……エレンには、まだ何も言ってないんだ」
「……なんですと?」
ポールの目つきだけでなく声までも鋭くなる。そして彼は主人の目の前だというのに大げさに肩を落とした。
「まったく……ロベルト様、昔から浮いた話の一つも聞かなかったあなたですから、万に一つも無いとは思いますが……エレン様とは遊びの関係だとでも?」
「そんなわけないだろう!」
ポールの言葉に声を荒げるロベルト。初めて聞く彼の声に、エレンは驚きで目を丸くした。ポールはそんなロベルトに対し、穏やかに、諭すように言葉を紡ぐ。
「ならば、あなた様からエレン様にご説明するべきです。誠実でありたいと思うなら」
「それは……分かっている……」
ロベルトは力なく呟くと、ちらりと隣に座るエレンを見た。彼女はロベルトとポールがいったい何を話しているのか分からないため、困ったように二人を交互に見つめていた。
「……久方ぶりにお説教を、と思いましたが、エレン様がいらっしゃいますからな。本日のところは何も言わないことにします。さて、老爺は風呂の支度でもしてまいりましょう。ああ、それよりもお食事が先ですかな? ルームサービスを頼みますか?」
「いや、一階のレストランで食べることにするよ」
「承知いたしました。では、食事よりお戻りになりましたら風呂の準備に入ります」
「頼んだ」
ポールは立ち上がり優雅に一礼すると、応接室を後にした。
エレンはポールを見送ると、彼に淹れてもらった紅茶に手を伸ばす。久しく飲んでいなかった最高級の茶葉の香りを堪能し、こくりと一口飲んだ。
「……美味しい」
「だろう? ポールは昔から紅茶を淹れるのが誰よりも上手いんだ」
「そうなんだ。ぜひとも淹れ方を教えてもらいたいなぁ」
エレンがほくほくとした笑顔で言うと、ロベルトもつられて笑みを浮かべる。
「これを飲んだら食事に行こう。ここのレストランも美味いと評判なんだ」
「金獅子亭よりも?」
「はは、それは難しい質問だな。だが……俺は、金獅子亭の方が好きかもしれないな」
「ええ? 自分で質問しておいてなんだけど、庶民の食事処と高級宿のレストランを比べてもいいものなの?」
「普通は比べないな」
「ふふっ……だよねえ」
紅茶を飲みながら二人でそんなことを言い合っている間に、ロベルトの表情も穏やかなものになっていた。
この高級宿『高貴なる風』の一階にはカフェ・バーラウンジやレストラン、サロンがあり、二階が一般的な富裕層、三階が貴族相手のフロアで、それぞれ六部屋ある。そして四階が特に裕福な貴族相手のフロアで、客室は二部屋、そして四階と五階に宿泊している者だけが利用できるサロンがある。五階はワンフロア全てがいわゆるスイートルームとなっており、利用できるのは限られた者のみである。
その限られた者こそが王族。
エレンが抱いた感想は、結局のところ間違いではなかったのだった。




