第二話 『勇者一行』
長い金色の髪を高い位置で一つに結い、ポニーテールにしている女性……エレンが働いている食事処、金獅子亭。その金獅子亭でのエレンの主な業務は給仕――力仕事ばかりしている気がしないでもないが――だが、実は、金獅子亭のお得意様となった客だけが受けられるメニューがあり、それこそが彼女のもう一つの仕事だった。
そのメニューを受けられる客が、昼の営業が始まってから一時間後、金獅子亭に来店した。それを最初に発見した給仕が、その客を席に案内してからエレンに声を掛けた。
「エレン! 『勇者一行』の来店だよ!」
「はいはーい! 今日はどんな注文かな?」
エレンは洗ったばかりの手を拭いてから、『勇者一行』と呼ばれた者たちが案内されたテーブルまで足早に向かう。そこにいたのは、爽やかな笑顔を浮かべたふわりとしたブラウンの髪を揺らし、髪と同じ瞳を爛々と輝かせる青年と、良く言えば表情のあまり伺えない、悪く言えば仏頂面の、このルクレストでは珍しい褐色の肌と黒曜石の様な長髪を持ち、その黒髪を後ろに撫で付け一つに結い、髪と同じ色の瞳を伏せた筋骨隆々で彫りの深い精悍な顔立ちをした大柄な男性だった。
この二人組こそが『勇者一行』だ。二人しかいないのに『一行』と呼ばれているのは、この二人が『一行』と呼べるほどに冒険者何人分もの強さを誇っているからである。
ブラウンの髪の青年が『勇者』カイ。フルネームをカイ・ヒエロ・オブサダンという。オブサダンという家名から察せる通り、エレンが学院でいじめていたとされる、ミスティ・オブサダンの兄だ。
カイはオブサダン男爵家の四男坊でそれほど裕福な家の出ではなく、学院に通えたのも男爵家の跡取りである長男だけであった。そんな家に生まれたカイが冒険者になった理由は、なんてことはない、幼い頃に読んだ冒険物語に憧れていたからである。
カイが冒険者になったのは五年前、十八歳の時のことだ。家族の反対を押し切り、幼い頃から地道に貯めていたお金で剣と簡素な防具を買い、勢いのまま家出同然の形で未知の世界へ飛び出したのだ。その時に出会ったのが、褐色の肌と黒髪黒目を持つ大男、当時冒険者として五年の経験を持っていたロベルトだった。ロベルトの目から見て、駆け出しの頃のカイはどうにも危なっかしいところが多かったらしく、先輩として色々と指導をしていたらいつの間にかコンビを組んでいたのだという。
その後二人はあらゆる依頼をこなし、三年前についに、カイが『勇者』と呼ばれるようになり、更に国から英雄の証である『ヒエロ』の称号を得るに至った偉業を成し遂げたのだ。そのようなこともあり、このアレスの街だけでなく、世界中の女性たちの間で『結婚したい男ナンバーワン』と言われているとはエマ談である。
エレンはそんな二人の元に向かうと素早くメモ用紙を取り出した。
「お待たせ致しました! ご注文をお伺いいたします」
「俺、キャベツと鶏肉のクリーム煮と白パン一つ、あ、あと麦酒ね」
「俺は牛肉のトマト煮込みとライ麦パン二つに赤ワインだ」
注文の内容を聞いたエレンはおや、と口の形を変える。
「この時間からお酒ということは、一仕事終えたところですか?」
「そんなとこかな。今日のは報酬のわりに簡単な仕事だったよ」
「……あなた方の手に掛かれば、ほとんどのお仕事は簡単なように思うのですが」
「えー、そんなことないぜ? それなりに難しい仕事もあるよ。『魔の大陸』での仕事が別格だっただけで」
「その別格の仕事を二人で片付けてしまったのはどこのどなたですか」
エレンはカイの言葉に若干呆れたように返した。
カイが言った『魔の大陸』というのは、このルクレストのある大陸とはまた別の小さな大陸のことだ。十年ほど前に突如として現れた邪竜によって、その大陸を取りまとめていた国が一夜にして滅んだ。その後、その大陸を中心に世界中の魔物が爆発的に増え始めたのだ。不思議なことに、邪竜は『魔の大陸』からは出ようとしなかったので、他の国々は己の国の周囲の魔物退治に専念することにしたのだ。その関係で、冒険者や騎士の数が邪竜が現れる以前よりも増えたのだ。
その邪竜が三年前、このエレンの目の前に座る二人組、カイとロベルトに倒された。それからというもの、魔物の増殖も落ち着き、徐々に元の世界の姿に戻りつつある。
カイとロベルトは邪竜退治の功績を讃えられ、一生遊んで暮らせるほどの多額の報奨金を受け取ったとういう話だが、二人とも冒険者を辞めるつもりはないらしい。今でもこうしてアレスを拠点にして世界中を飛び回り、魔物退治や要人の護衛、希少な素材の採取など、様々なことをやっているとのことだ。
「あ、そうそう、料理の他にもいつものもお願い」
エレンが『勇者一行』の偉業を頭に浮かべていたところに、カイのそんな声が響いた。エレンは思考をサッと仕事モードに切り替えると「ご注文承りました」と言って厨房へ注文内容を伝えに向かった。
「注文入りましたー。キャベ鶏クリーム煮一と牛トマト煮一、白パン一、ライ麦パンニ、麦酒一、赤ワイン一でーす」
エレンの報告を聞いた料理長であるデイヴィッドが顔を上げると一つ頷いた。
「了解。ところで、今日は?」
「いつものも入りましたー」
「ぃよっし! 頼んだぜ、エレン。何せ、それもうちのいい収入源なんだからよ」
「私に感謝して下さーい。主にボーナスという目に見える形で!」
「はいはい、無駄口叩いてないで、次の仕事に行った行った!」
デイヴィッドとエレンの軽口の叩き合いを強制的に終わらせたのはエマだ。二人に対して厳しい目を向けつつも、その瞳の奥にはデイヴィッドと同じ色が浮かんでいた。
エマは、慌てて仕事に向かおうとするエレンに軽くウィンクすると、ニッコリと微笑んだ。
「何か欲しいものがあったら教えてちょうだい。今度買ってあげるから」
「やったー! エマさん、ありがとうございます!」
「おいエマ! その金一体どこから出ると……!」
「もちろんあなたの財布に決まっているじゃない」
エマの言葉に愕然とした表情を浮かべるデイヴィッドを見て、フリンを筆頭とした調理員たちが必死に笑いを堪えている。ちなみにエレンはというと、笑いを堪えることなく逃げるように仕事へと戻って行った。
エレンの背後の厨房からはまだ賑やかな声が聞こえてくる。エレンはホールまでの道の途中で足を止めると、胸に手を当て一度大きく深呼吸をした。
御歳二十歳、婚約破棄をされ嫁入りの遅れてしまったエレンには想い人がいる。それは『勇者一行』のカイ……ではなく、黒髪褐色の偉丈夫、ロベルトだ。世の女性たちが線が細く甘い顔立ちの王子様のような男性に憧れているのに対し、エレンはロベルトのような精悍な顔立ちで実に男らしい身体付きの男性が好みなのだ。エレンの元婚約者であるフリードリヒは、王子の中の王子と言えるほどに完璧なまでの王子だった。こんなことを言えば世の女性たちに殺されかねないが、実はエレン、フリードリヒのことは生理的に受け付けなかったという事実がある。だからこそ、紆余曲折を経たのかどうかはよく分からないあの婚約破棄を、エレンはあれほどまでに喜んでいたのだ。
「……ふぅ、さぁて、仕事仕事!」
エレンは大きく息を吐くと、しっかりと働くために気分を変える。
それと同時に来客を告げるドアのベルが鳴った。
「はーい、ただいまー!」
客を出迎えるために早足でホールへと向かうエレン。その彼女の後ろ姿、金のポニーテールが実に嬉しそうに揺れていた。
誤字脱字報告・感想等お待ちしております。
自分でも驚くほどのブクマ数に恐縮しております……!
【2018年1月27日】
誤字を修正しました。
【2018年1月23日】
物語の整合性が取れないことに気付いたので、ロベルトの冒険者の経験を「十年」→「五年」に修正しました。
【2018年1月9日】
誤字脱字修正