第十六話 フリードリヒの現在とミレーユの見合い
ここは王都より離れた場所に位置する山間の寒村。そこに視察に訪れていたのは、かつてはルクレストの王太子であり、現在はアウロ男爵となったフリードリヒだった。
二年以上前に己が引き起こした婚約破棄騒動の責任を取るため、彼は廃太子され臣籍降下することとなった。そしてこのルクレストでも僻地にある寒村ばかりのアウロ男爵領の当主となったのだ。
男爵となってからのフリードリヒの生活は王太子の頃とは比べものにならないほど貧しいものであったが、この土地を豊かなものにするために奔走することに、彼は今までにないやりがいを感じていた。民の声が今までよりも近くにあり、直接耳に入るのも彼のやる気を増大させる力となっていた。
フリードリヒは元王太子のため、誰よりも上質な教育を受けてきた。その頃に勉強した内容を生かし、アウロ領が抱える問題を短期目標と長期目標に分け、少しずつ改善に取り組んでいた。その成果もあって、ルクレストの中でも厳しい冬を迎えることになるこの領の冬ごもりの準備も着々と進んでいる。あとは寒さによって引き起こされる病の対策に乗り出せば、年を越すまでの短期目標は達成できるというところまで来ていた。
「さて、この村の蓄えに対しての人口は……」
フリードリヒは寒さも忘れて村を見て回っては、各家の蓄えや備品の状態などを一つずつ確認して回った。この村の長老は、現在は男爵になったとはいえ、元王太子であるフリードリヒを盛大にもてなそうと伝えていた。しかしこれから冬を越すための村の蓄えを、今日視察に来た自分のために無駄に消費させるわけにはいかないとフリードリヒは断った。彼のその清廉な人柄に村人たちはいたく感激し、新たな領主になったのが彼で良かったと喜んでいた。
このアウロ男爵領は、元々きちんとした領主が存在していたのだが、運営が下手で借金ばかりが嵩み、結局国に領地を返還しなければいけない状況までになったという。それからは代理の領主が置かれ、そう悪い土地運営をしていたわけではないのだが、なかなか収入は上がらなかった。何せ土地が痩せており作物が上手く育たないうえに、織物などの名産らしい名産もない。そのせいで貧しさの悪循環から抜け出せない厳しい領地として一部では有名だったのだ。
そんな国からも若干見放されていたこのアウロにやって来た新しい領主はなんと元王太子。領民は元王太子がこの貧しい領地の生活に耐えられるのかと戦々恐々としていたのだが、杞憂に終わった。フリードリヒは今までとまったく違うだろう生活に一言も文句を言わず、それよりも領民たちのことを気遣い、どうすればこの土地が今よりも良くなるのかと真剣に考えていた。痩せた土地でも育つ作物はなんなのか、それよりも土地を肥やすことはできないのか、それができないとしてももう少し作業効率を上げて収穫量を増やせないか……そんな村の誰もが考え実践し、そして諦めてきたことを、フリードリヒはもう一度真剣に考え、そして己の魔法の力も使い改善に乗り出したのだ。
隣国ダグラスは『火』の国、ファーティマは『水』の国と呼ばれている。そして邪竜によって滅んだディアーノは『風』の国と呼ばれていた。ではルクレストはなんと呼ばれているのかというと『土』の国だ。それは王族に土属性に秀でた者が多く生まれる――付加魔法も土台は土属性だ――ことに由来する。元王族であるフリードリヒもその例に漏れず土属性の魔法に造詣が深い。つまりこの土地の問題解決にうってつけの能力を持っていた。
己の持てる全てを使いアウロ領の立て直しに邁進するフリードリヒは、王太子であった頃よりも輝いていた。
そんなフリードリヒが想うのは、今は己からは遠い所へと行ってしまった愛しい女性のことだった。
愛しい女性、それは己の一つ年下である『勇者』の妹ミスティのことだ。ミスティは婚約破棄騒動の余波によりオブサダン男爵家からシャルマー公爵家に養子入りした。その後にシャルマー公爵が王位を継承したために、フリードリヒが臣籍降下したのとは逆に王族となったのだ。
シャルマー公爵……現在はルクレスト国王であるレオニードもその妻であるバイオレットも人格者だ。ミスティのことを悪く扱っているとは思わないが、それでも彼らの大事な娘であるエレンを陥れた一原因であるのは事実。ミスティは今どうしているのか、息災なのか、それを確認したいという気持ちはあるのだが、現在は個人的に連絡などもってのほかであるほどに身分が離れており、そもそもフリードリヒは、己は彼女に会う資格すら無いと考えていた。己の短慮が招いた結果こそがあの婚約破棄騒動なのだから。
視察を終えて己の屋敷に戻って来たフリードリヒは、留守の間に何かなかったか執事に尋ねた。すると手紙を一通預かっていると返事があった。フリードリヒは後で己の執務室にその手紙を持ってくるようにと伝えると、まずはじめに目の前の執事に労いの言葉を掛けた。その後も、この屋敷を共に守ってくれている使用人たち一人一人に労いの言葉を掛けて回った。これはアウロ男爵となってから毎日――数日留守にする時は帰って来てからすぐ――行なっていることだった。
執務室に戻ったフリードリヒは、己に届けられた手紙を見て驚いた。真っ白な封筒に映える赤の封蝋に王家の紋章が捺されていたからだ。
フリードリヒは慌ててその手紙をペーパーナイフで開封する。そこには季節の花の香を漂わせた上質の便箋が二枚入っていた。その手紙は、愛しい女性であるミスティからのものだった。
手紙の一枚目はフリードリヒの現状や体調を気遣うもので、二枚目はミスティの近況報告だった。二枚目の手紙の内容によると、ミスティは今王族としてのマナーと教養を得る指導を受けているらしい。最近は義母であるバイオレットにも褒められることが増えて嬉しいと書いてあった。フリードリヒはその内容に思わず顔を綻ばせる。ミスティが元気にしていることが分かってフリードリヒも嬉しかったのだ。
じっくりと二枚目を読み、とうとう最後の行に行き着いた。その行だけなぜか文字が小さく、フリードリヒは不思議に思った。他より少し読みにくいその小さい文字を読むと、フリードリヒは驚きで目を見開いた。
――やはり、己の気持ちに嘘はつけません。だから、この手紙にしたためます。私は、いじめられていた学院時代から、フリードリヒ様をお慕い申し上げております――
フリードリヒはその一文を読んで、はは、と小さく笑いを漏らした。そしてフリードリヒもこう思ったのだ。ミスティと同じように、己の心に嘘はつけないと。
ミスティとは学院に在学中に出会った。フリードリヒが外の空気を吸いたいと、そしてなるべくなら少しの間だけ一人になりたいと、人の少ない裏庭に出た時のことだった。フリードリヒの思惑通り裏庭には人はいなかった。ただ一人を除いて。その一人こそがミスティだった。
ミスティは裏庭に設置されてある、他よりも少し汚れの目立つベンチに腰掛け昼食を摂っていた。令嬢がこんな場所に一人でいることが気になり、フリードリヒはどうして一人なのかと尋ねたのだ。その質問にミスティは、自嘲するように――もしかしたらこの時はフリードリヒが王太子であると気付いていなかったのかもしれない――ここにいる理由を中途入学したせいで悪目立ちをしてしまっており、友人らしい友人がいないからだと語った。それを聞いてフリードリヒは、ミスティが噂の『勇者』の妹なのだと気が付いた。
ミスティと出会ってからというもの、持ち前の正義感で彼女を気にかける――婚約者がいる身なので表立って行動することはなかった――ようになったフリードリヒ。なぜか己を避ける、当時婚約者であったエレンに『勇者』の妹が孤立しているようなので、気にかけてくれないかと伝えると「学年が違うのでどこまでできるかは分かりませんが、努力してみますわ」という返事――今思えばあの頃のエレンは二重にも三重にも猫を被っていたのだな、としみじみ思ったフリードリヒはわずかに苦笑した――があった。
しかしそれがいけなかったのかもしれない。フリードリヒがミスティを気にかけているという事実がミレーユを中心とした令嬢たちに知られてしまい、それが引き金となってミスティへのいじめが始まったのだから。
あの時ミスティと出会わなければ、フリードリヒはエレンと結婚していたかもしれない。もしかしたらミスティも、孤立していたかもしれないがいじめられはしなかったもしれない。そんなことをいろいろ考えたが、やはりあの時ミスティと出会えて良かったとフリードリヒは思った。なぜならミスティに出会ったことでフリードリヒは恋を知り、婚約破棄騒動を経たことで己が負う責任の重さを正確に理解し、王太子のままでは知ることはなかったであろう貧しい領地の生活、そしてその運営などを身をもって体験することができているのだから。
もしも、とフリードリヒは思う。
もしも、もう一度ミスティに会えるのならば、その時は彼女の、そして元婚約者であるエレンに恥じないような立派な男になっていたいと。
***
キャティシエル侯爵令嬢、ミレーユはその美しい容姿を盛大に歪ませていた。今し方、己の父親から見合いの話を持ってこられたからだ。
「お見合いなんて、私絶対に嫌ですわ! 私が愛しているのはフリードリヒ様ただ一人ですもの!」
ミレーユのその言葉に、キャティシエル侯爵は厳しい目を向けてこう言い放った。
「貴族の世界では恋だの愛だのは意味がない。それにだ、噂ではそのフリードリヒは『勇者』の妹に想いを寄せているというではないか。お前もいい加減諦めろ」
目を背け続けていた事実を告げられ、ミレーユはうっと言葉に詰まる。それを見たキャティシエル侯爵は呆れたように溜息を吐くと、夢見がちな己の娘にこう言った。
「お前ももう子供ではないのだから現実を見ろ。お前がどれだけ駄々をこねようと、明後日の見合いは取り消さんからな」
しかしこの見合い話も、キャティシエル侯爵の考えるベストではなかった。そもそもミレーユがばかなことをしなければ、今頃はもっといい縁談がまとまって彼女はもうその家に嫁いでいたはずだった。しかしあの婚約破棄騒動の影にミレーユがいたことが貴族界に知れ渡ってしまったため、彼女を貰い受けるような物好きな男はなかなか現れなかった。そんな中自ら売り込んで来たのが今回の見合い相手だった。彼はとある伯爵家の分家筋の次男という立場の人間だったが、ここ最近の事業の成功を見るになかなか優秀な男だった。だからこそキャティシエル侯爵はこの男ならまあ見合いくらいしてもいいかと了承したのだ。……と、表面では取り繕っているが、実際のところはキャティシエル侯爵もこのままでは行き遅れそうな娘をどうにかしたくて必死だったのだ。
有無を言わさぬ父の言葉にミレーユは何も言い返すことができずそのまま踵を返すと、キャティシエル侯爵の執務室から淑女としては眉をひそめるほどの大きな音を立てて出て行った。そんな娘の様子にキャティシエル侯爵もはぁ、と大きな溜息を吐く。この見目は良いが感情をむき出しにする愚かな娘を、相手の男はどう思うのだろうかと頭を抱えるのだった。
二日後、見合いの日がやって来た。
ミレーユは相変わらず機嫌の悪さを隠すこともなくソファに腰掛けていた。美しいハニーブロンドを指に絡ませながら、気の強さの現れたスカイブルーの瞳を見合い相手へと向けている。その様子を見た見合い相手は、気分を害した様子もなくただただ苦笑していた。
ミレーユの見合い相手はフォウ・ワーネ・ゲイルという、最近話題の『ゲイル百貨店』の経営者である年若い男だった。
緑がかった銀髪に青みがかった銀の瞳という神秘的な容貌のフォウだが、顔立ちは貴族男性としてはいたって普通の部類だ。容姿だけ見れば貴族界でも美姫と謳われるミレーユとは、とてもではないが釣り合わないだろう。
ミレーユは己に文句の一つも言わない、あったとしても表情にすら出さない目の前の男に更に苛立ちを覚えた。だから彼女はこう言い放った。
「私、結婚なんていたしませんから」
いい加減機嫌を損ねて帰ってくれないか、ミレーユはそう思っていたのだが、フォウはそんなミレーユの思惑などどうでもいいと言わんばかりに口を開いた。
「ただ一人をそれほどまでに想えるあなたが、私は羨ましい」
思いがけない言葉がフォウの口から出てきたので、ミレーユは思わず目を丸くした。そんな彼女に気付いているのかいないのか、フォウは更に話を続けた。
「私も恋愛などとは無縁の生活を送っているため、実は今回のこの見合いもビジネスの一環だと思っていました。しかし、あなたがフリードリヒ様をひたすらに想っている姿を見て羨ましいと思うほどには、私も恋愛に憧れを抱いているのかもしれません」
眩しいものでも見るように目を細めてミレーユに視線を向けるフォウ。その瞳からは蔑みや相手をばかにするような負の感情が微塵も感じられず、本当にミレーユのことを羨ましいと思っているのだと如実に語っていた。
「今回はあなたに心を開いてもらうことができませんでしたが、もし良ければまたお会いしていただけたら幸いです」
なんの成果も得られなかっただろうに、フォウは満足げに頷いてそう言うと優しい笑みをミレーユに向けてから立ち上がった。それを見たキャティシエル侯爵家の執事がフォウをどこかへと案内したため、この部屋には今、ミレーユだけが残されることとなった。
フォウの穏やかな大人な対応と自分のことを羨ましいと言ったその一言が小さな棘となり、ミレーユの心に刺さるのだった。
気付いたらミレーユが見合いしてたっていうかフォウが勝手に動き出した(驚愕)。
【2018年1月27日】
誤字その他修正しました。