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第十五話 ラッシュとカイと結婚式の話

 若き公爵、ラッシュ・シャルマーは、慣れない領主仕事にひどく疲弊していた。


 隣国ダグラスへの留学中に、(エレン)が婚約破棄されたという(しら)せを受け取ったのがもう二年以上前のこと。そして四ヶ月ほど前に急遽(きゅうきょ)留学先のダグラスから呼び戻され、どうしたのかと思えば(エレン)が婚約破棄される原因の一つとなった(ミスティ)が己の義妹(いもうと)になっているわ、父親であるレオニードが国王になることが決まっているわ、そのせいで己が早過ぎるシャルマー家当主にならなければいけないわと、信じられないようなことばかりが周りで起こっていた。

 目まぐるしい環境の変化に戸惑いながらも、レオニードから公爵としての仕事の引き継ぎを終えたのがほんの一月前。無理やり仕事内容を頭と体に叩き込まれたと言っても過言ではない濃密な三ヶ月だったと、(のち)にラッシュは語る。それからはあれよあれよという間に時間は過ぎ、父親が国王になる少し前に、ラッシュは正式にシャルマー公爵となったのだった。


 ラッシュはかつては父の、そして今は己の執務室で一通り書類に目を通し終えると、一旦休憩するために机の端に置いてあるベルを鳴らした。すると、部屋の外に待機していた執事が実に素早い、しかし上品な動きで主人の要望を聞くために現れた。


「いかがなさいましたか?」

「少し休憩したい」

「では、お茶の準備をいたしましょう」


 ラッシュの一言だけで彼の考えを汲み取った執事は、部屋の外に待機していた年配のメイドにお茶の準備ともう一つ指示を出す。すると、その年配のメイドは優しい微笑みを浮かべると、上品な所作でありながらも急ぎ足で、お茶の準備をするために厨房へと向かって行った。それからほどなくして、ティーセットとポット、そして可愛らしいお菓子が美しく盛られた皿が乗ったワゴンを押した年配のメイドが執務室に入ってきた。


「サラ様から旦那様にとお菓子をお預かりしておりましたので、そちらも一緒にお持ちいたしましたわ」

「おお、そうか!」


 メイドの口から『サラ』という名前が紡がれると、ラッシュは今までの疲れも忘れて瞳を輝かせた。


 サラとはラッシュの婚約者である伯爵令嬢だ。新米公爵であるラッシュの癒しは、その婚約者から送られてくる季節の花や果物、菓子や刺繍などの贈り物と、己の体調を気遣う優しい文面の手紙だった。

 ラッシュとサラとの結婚ももう一ヶ月半後に迫っている。美しい色をした木々の葉も散り、寒さも本格的になってくる頃で式には向かない日取りではあるが、どうしてもサラの誕生月に結婚式を挙げたいというラッシュとサラ本人の希望でそう決まったのだ。最近は手紙にも結婚式のことが書かれており、ラッシュは何度も読み返してはふにゃりと表情を緩ませていた。その様子は父母が見ていたならば叱責されるであろう失態だ。しかしここは己の生家。もし見ている者がいたとしても、それは昔からシャルマー家に仕えている執事やメイドくらいしかいない。彼らは幼い頃からの気心知れた間柄、ラッシュの気が緩むのも仕方のないことだった。


 メイドがお茶を淹れ主人であるラッシュに菓子と共に差し出す。本日のお茶は香りを抑えた紅茶だった。それは贈り物の菓子の風味を損なわないものをと選んだメイドのさり気ない気遣いだった。

 贈り物の菓子は、片手の親指と人差し指で摘まめる大きさの、最近人気のショコラと呼ばれるものだった。独特の深みのある香りと味わいが特徴で、砂糖のように甘いものから菓子とは思えぬほど苦いものまで、実に味の幅が広い。今回の贈り物のショコラはオレンジの果汁と合わせてある品らしく、爽やかな香りがラッシュの鼻腔をくすぐった。丸くつるりとした美しいショコラをひとつ摘まみ口に含むと、ショコラの深みのある味わいと爽やかな酸味が広がった。このショコラは甘めではあるがオレンジの酸味と実に相性が良く、次々に口に運べそうなほどにさっぱりとした味わいだった。


 愛しい婚約者からの贈り物を大事に食べながら紅茶を飲み一息ついたラッシュ。今度何かお返しをしなければと考えた時、そういえば、と結婚が決まった時に己の婚約者に贈った指輪について思い出していた。それはダグラスに留学していた頃に出会った、ディアーノから避難してきたというアクセサリー職人に作ってもらったものだった。


 そのアクセサリー職人の名はウィルフレッドといった。なんでも元はディアーノの公爵家の三男だったらしいのだが、そのあまりにも奔放な性格を理由に勘当されたのだという話だった。

 ウィルフレッドは幼い頃から手先が器用で、彫刻や彫金、そしてアクセサリー制作というものに興味をもっていた。だからこそ現在の職に収まったのだとは本人の談だ。笑いながら話をするウィルフレッドを見て、ラッシュは彼の生き方はなんと眩しいのだろうと思った。そう思ったのは、もしかしたらラッシュも自由に対する憧れを抱いていたからかもしれない。

 ウィルフレッドの作るアクセサリーは、元公爵家の人間ということで非常に洗練されたデザインをしており、ダグラスの貴族令嬢やご婦人に大層人気があった。そんな話題のアクセサリー職人であるウィルフレッドに、婚約指輪を作ってもらったのがラッシュだった。彼の奔放な性格からは考えられないほどに繊細な装飾の施された指輪は、ルクレストの公爵家令息であるラッシュの目から見ても実に素晴らしいものだった。


 そういえば彼は自慢の友人がいるんだとも言っていたな、などと考えていたところに追加の書類がやってくる。頭を抱えたラッシュは渋々といった様子で、逃れることのできない書類()を淡々と片付け始めるのだった。


  ***


 フォウの依頼を受けてちょうど一週間経った日の正午。ルクレストに戻ってきたロベルトとフォウは、ゲイル百貨店の前で話をしていた。


「良い商談がまとまりました。これもあなたのおかげですね、ロベルトさん」

「そこはお前の手腕だろうさ。俺はただきっかけを与えただけにすぎん」


 ディアーノの食糧事情についてフォウに相談したロベルトは、会ってもらいたい人がいるととある場所へと案内した。そこは再建の進んでいない城のすぐ近くに建っている小さな家だった。その家には以前ロベルトが『爺や』と呼んでいた老人……ポール・ノルドが住んでいた。

 突然のロベルトの来訪に目を丸くするポール。彼はロベルトのことを「ウォード様」と呼びそうになったところを、フォウの姿を目に留めたので寸でのところで飲み込んだ。無事に「ロベルト様」と絞り出したポールは、フォウを見て彼は何者なのかとロベルトに尋ねた。


「ルクレストにある『ゲイル百貨店』の主人だ」


 ロベルトがそう紹介してしばらくは和やかにお互いの話をしていた。しかしいつの間にか商売の話に移行しており、そこからはロベルトは蚊帳の外だった。高い安い、多い少ない、必要ある必要ない……ポールとフォウはそんなことを言い争っていたはずなのだが、気が付いたら『ゲイル百貨店』三号店――ちなみに本店はアレス、二号店はルクレスト王都にある――の出店の話になっていた。最終的にはポールにとってもフォウにとっても満足のいく結果になったらしい。二人共話し合いを始める前よりも肌がつやつやとしており、ついでに良い笑顔を浮かべていた。


「それでは、今回追加で依頼をした分の料金も上乗せしてギルドに振り込んでおきますので、後日お受け取りください」


 フォウはロベルトにそう言って頭を下げると、己の城である『ゲイル百貨店』に戻って行った。


 依頼も完了し手持ち無沙汰となったロベルトはひとまず拠点に戻ることにした。

 拠点……男二人で住んでいるその家は、今はしんと静まり返っていた。外出した一週間前と様子が変わっていないことから、カイはまだファーティマから戻ってきていないらしい。その事実にわずかに寂しさを覚えながらも、荷物を降ろしてからソファにどかりと腰を下ろすロベルト。さて、これからどうしようかと考えた時、視線の先に無骨なチェストが映った。


「ああ、そうだ……」


 ロベルトは小さく呟くとそのチェストの元へと歩き引き出しを開ける。そして奥の方に大事にしまっていた布袋に包まれたイヤリングを取り出した。赤いガーネットが美しい輝きを放つイヤリングは、エレンにプレゼントできずにいるものだ。おそらく今日は金獅子亭(きんじしてい)も営業しているだろう。ならば、エレンも金獅子亭(きんじしてい)にいるはずだ。そこまで考えて、ロベルトは金獅子亭(きんじしてい)に行くか行くまいか悩み出した。恋する三十過ぎの男は面倒臭いのである。

 軽く十分は悩んでいただろうロベルトだが、おもむろに顔を上げた。ロベルトがよく知る魔力が家に近付いてきていたからだ。ロベルトが顔を上げてから一分もしないうちに玄関のドアが開く音が聞こえてきた。それからばたばたと何やら慌てた様子の足音をさせながら、よく知る魔力の主……カイが、瞳を爛々と輝かせて、更には頬も上気させてロベルトの前に現れた。その表情から何か良いことがあったのだろうことが一目で分かった。


「ロベルト! お帰り!」

「ああ、ただいま。そしてお前もお帰り。それにしてもどうした、ひどく機嫌がいいじゃないか」


 ロベルトが尋ねると、カイは更に表情を明るくしてこう答えた。


「それなんだけどさ……この間城に呼ばれただろ? その時陛下から爵位を賜ったんだ! これで気兼ねなくクローディアと結婚できるってものさ!」


 まさか、あの時そんなことが起こっていたとはと、ロベルトは素直に驚いて目を丸くした。そして同時に嬉しさも込み上げてきた。この親友がここまで嬉しそうにしているのも久し振りに見た――ちなみにその前はクローディアとの婚約が決まった時だった――からだ。

 ロベルトは立ち話もなんだと、カイにソファに座るように促した。彼自身もイヤリングを再びチェストに戻してからソファに腰を下ろしカイにこう言った。


「しかし、良かったな! お前、ずっと悩んでいたからな、爵位を持たないことを」


 ロベルトのこの言葉にカイははにかむと、少しだけ困った様子でぽりぽりと頬を軽く掻いた。


「ああ。でもまぁ、同時に領地ももらっちゃったから、これから大変になるだろうけどさ……だけど、やりがいはあるよ」

「そうか、領地を……」


 領地という言葉を聞いて、ロベルトはふっと笑った。


「領地まで与えられたのなら、今までのような冒険者活動はできなくなるな。だがまあ、お前もそろそろ落ち着かなければならない頃合いだったから、ちょうどいいかもしれんな」

「あっ……そうか、そうだよな」


 冒険者活動できなくなるということに思い至ったカイは寂しそうに眉尻を下げる。


「そうなると『勇者一行』も解散することになってしまうのか? それはそれで寂しいな……」


 しみじみと言うカイだった。そんなカイに追い打ちを掛けるかのごとくロベルトがこう言った。


「そうなるだろうな。だがその心配よりも、これからは一領主となるのだから、領地運営の勉強を明日にでも始めた方がいいぞ。お前はこれまでそういった勉強はしてこなかっただろう?」

「うっ……そ、それは確かにそうだけど……そうか、勉強か……頭が痛いな……」


 本当に頭を抱えたカイを見てロベルトはくつくつと笑った。カイは今まで、その天性の感覚で冒険者として名を馳せてきた。しかし爵位を賜り領主となった今、その感覚だけでは生きてはいけないだろう。だからこそ今までやってこなかった勉強をしなければいけないのだ。


「クローディア王女に苦しい生活を送らせたくないだろう? なら、お前がやるべきことは一つだ。真面目に勉強して領地運営の方法を学べ。少しくらいは俺が教えてやってもいいから」

「え、マジで!? やった!」


 クローディアに苦しい思いをさせたくないカイは、ロベルトの善意に早速飛びついた。


 カイは駆け出しの冒険者の頃、貴族ではあったが学院には通っていなかった上に自主学習もろくにしておらず、魔法の一つも使う事ができなかった。そんなカイに魔法を教えたのが何を隠そう、このロベルトだった。

 ロベルトの教え、そして本人の才能もあり魔法の腕はめきめきと上達。今では規格外の転移魔法(テレポート)使いになり、他にも冒険に役立つ各種魔法を一通り使うことができるようになったのだ。


「ロベルトは教え方が上手いから分かりやすくていいんだよな!」

「言っておくが、俺も領地運営……というより、国の運営だな。その方法を学んでいたのはもう十年以上も前の話だ。今でも少しはかじっているが、どこまで教えられるかは分からんぞ」


 カイは長年ロベルトの相棒をやっていることもあり、彼がディアーノ王族の生き残りであることを知っている。だからこそ、ロベルトの『国の運営』という言葉を聞いても驚いた様子は見られなかった。

 にこにこと笑顔を浮かべながら、カイはロベルトにこう言った。


「それでも俺よりいろいろ知ってるってことだろ? なら、俺はロベルトに教えを乞うだけだ!」

「自慢げに言うな。少しは自分から勉強するという姿勢を見せろ」


 ロベルトの言う通り、カイは基本的には勉強嫌いだ。しかし冒険に必要だと思った魔法などはあっという間に習得できた。つまり、カイはもともと頭が悪いわけではないのだ。ただやる気が無いという、一番の問題を抱えているだけだった。しかしこれからは愛しい人を妻に迎え、いつかは子供もできるだろう。領地を得たということは領民の生活も掛かっている。もうカイ一人の人生ではないのだ。


「ん……まぁ、努力はしてみるよ」

「ああ、そうしてくれ。俺も爺やに何かいい本が残ってないか聞いてみるから」


 そんなやり取りをしてから二人は今後のことについて話し合いを始めた。


 カイとクローディアの結婚式まで、あと半年。

 今回の話を書くにあたり、キャラクターの年齢や時間軸に多少の矛盾が生じていたのを発見したので、先日修正をしております。その件は活動報告の方に載せております。ストーリーにはまったく影響はありませんので、ご理解をいただければ幸いです。

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