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第十三話 カイとミスティとミレーユ

 エレンに恋人がいないと知ったロベルトは内心で小躍りする程度には浮かれていた。軽い足取りで現在主に使っている拠点である家へと戻り、いつもの場所へ大剣を置くと上着を脱ぐ。そしてリビングへ向かう道すがら中に着ていた服を脱ごうとして、胸のポケットから顔をのぞかせていた小さな布の袋が、音もなくぽとりと床に落ちたことに気が付いた。ここにきて己の懐に眠っていたイヤリングの存在を思い出したロベルト。彼は今度は、そのイヤリングをエレンに渡すタイミングを逃してしまったと嘆いたのだった。


  ***


 本日はロベルトと別行動をしていたカイが、疲れた様子で拠点として使っている家へと戻って来た。家の出入り口の鍵が開いていたので、ロベルトは先に戻ってきているようだと一つ頷くと、結果はどうだったのかと尋ねるためにこの家での彼の生息地であるリビングへと急いだ。そう広くない家なので、すぐに目的地であるリビングへ到達する。ロベルトはたしかにリビングにいた。ただ、大きな溜息を吐きひどく落ち込んだ様子でソファに座り込んでいたのだが。

 ロベルトがひどく沈んでいたので「これは砕けたか……」とカイは思い、彼に慰めの言葉を掛けようと口を開いた。


「ロベルト、だめだったのか?」


 カイのその言葉に声もなくふるふると頭を横に振るロベルト。それを見たカイはお、と言葉を漏らしたが、それならなぜこんなにもロベルトは沈んでいるのだろうか。それが考えても分からなかったので、どうしたのかロベルトに尋ねた。


「だめじゃなかったんならなんでそんなに落ち込んでるんだ?」

「……渡しそびれた」

「はい?」

「……あの男がエレンの恋人ではなかったと分かり嬉しくて……つい、イヤリングを渡すのを忘れていた」


 砕けるどころか当たってすらいなかった。

 カイはロベルトにつられたのか、はぁー……と大きく長い溜息を吐く。そしてロベルトの隣に腰を下ろすと、己よりだいぶ高い位置にある相棒の肩に手を置いた。


「その噂の男が恋人じゃないって分かったんだろう? なら後はもう当たりに行くだけじゃないか」


 カイのこの言葉にロベルトは顔を上げると即答した。


「それができたら苦労しない」

「やっぱりこのオッサンめんどくせえ」


 心底そう思ってしまったカイだった。

 しかしそれも仕方のないことだろう。カイはここのところ己の結婚の件で忙しくしているのだから、ロベルト(オッサン)の相手をしている場合ではないのだ。今日も今日とてルクレストとファーティマを行き来し、どの教会で式を挙げるのか、招待客はどうするのかなど、クローディアや実家のオブサダン家、更にはファーティマ王家と話し合っていたのだ。

 カイやクローディアに近い家族は二人を無条件に祝福してくれているが、その周りはそうはいかない。『ヒエロ』という英雄の称号を持っているカイだが、爵位は持っていない。更に言うと、男爵家の四男である彼は、次期男爵ですらない。そんな、下手をすればただの平民と変わらない男に、王家の大切な姫君を嫁入りさせることなどできようか、と、正式に婚約が決まった今でも反対する者は多い。そんな彼らを説得するのもカイとクローディアの仕事なのだが、そこまでなかなか手を回すことができないでいた。

 そのような悩みをカイも抱えているので、正直なところロベルトのお悩み相談に乗っている余裕は無い。薄情だとは思うが、ロベルトも同じようにカイの相談に乗っている余裕は無いのでおあいこというところだった。

 二人してそれぞれの悩みに頭を抱えている時、夜だというのに家のベルが鳴った。二人はそのベルの音が耳に届いた瞬間に現実に意識を引き戻す。二人は『勇者一行』と名高い冒険者だが、依頼は基本的にギルドを通して受けている。更には拠点を定期的に変えているため、このような来客などまずありえないことなのだ。なので、家に直接やって来るような連中は、二人を目障りに思っている何者かが刺客を寄越した――今まで一度も無いが――か、よほど面倒なことを押し付けたい――これは何度かある――かのどちらかだった。

 カイとロベルトは若干の緊張感を持って玄関へと向かい、ベルを鳴らしたであろう人物にドア越しに声を掛けた。


「誰だ?」


 カイとロベルト、その二人の警戒心を感じ取ったのか、ドアの向こうにいる人物が少々慌てた様子でこう言った。


「お、王城からの遣いの者です! か、かか、カイ・ヒエロ・オブサダン殿に、て、手紙を渡すようにと、言付かって、まいりました!」


 王城からの遣い、その言葉を聞いたカイとロベルトは「また面倒ごとか……」と頭を抱えた。しかしそこではたと気付いた。王城からの遣いは、カイに手紙を渡すようにと言われて来た、と。『勇者一行』にではなく、カイ個人にだ。そのことに気付いた二人は、警戒は続けつつもドアを開けた。そこには青い顔をした、新米の兵士らしき若い男が立っていた。


「ひぃっ! 殺さないで!」

「……演技か?」

「いや……この魔力の揺れは本気で言ってるな」

「……警戒して損したな」

「ああ……」


 まるで生まれたての子鹿のようにぷるぷると震える新米兵士を見て、カイとロベルトは申し訳なく思いつつもそう呟かずにはいられなかった。


 このあと新米兵士は怯えながらもカイに手紙を渡すと、逃げるように走り去って行った。一応自分たちは『勇者一行』なのだから、そう怯えなくてもよかろうに……とは、カイとロベルトの談である。

 二人はリビングに戻ると、王家の紋である獅子の封蝋が施された手紙をしばらく眺めた。ロベルトが調べたところ、特に変な魔法も仕込まれていないようだった。その点ではひとまず安心できたカイは、早速雑に手紙の封を切った。ロベルトがペーパーナイフを用意する間も無い出来事だった。

 その手紙にはこう書かれていた。


 明日正午、王宮に来られたし。



 翌日、手紙に書かれていた通り、正午きっかりに王城に転移魔法(テレポート)したカイは、その姿を確認されるなりとある場所へと案内された。その場所というのがこの謁見の間で、そこには新王であるレオニードが玉座に座している。その姿はついこの間まで公爵の地位にいたとは思えないほどに堂に()っていた。

 カイはそんなレオニードの姿を見て、こんなに堂に()っているのは、先日発表された通りレオニードにも王家の血が入っているからだろうかとか、よく見れば前王リチャードと同じ色彩だな、などと考えていた。

 そんなカイに気付いているのか気付いてないのか、上の空の彼を無視してレオニードが何やら側に控えていた文官を呼びつけた。その声を聞いたカイはさすがに現在に意識を戻す。

 いったい何を言われるのかと内心恐々(こわごわ)としていたカイ。そんなカイの内心などお構いなしに、レオニードは文官が持ってきた書状を開くと淡々と読み上げた。


「カイ・ヒエロ・オブサダン。そなたのこれまでの功績を讃え、アシュマールの領地を与えると共に伯爵に任ずる」

「……え?」


 カイは己の耳を疑った。それこそ、王の御前だというのに思わず疑問の声を上げるほどに。しかしそんなカイの態度を不敬だと言う者はこの場には一人としていなかった。むしろ戸惑っているカイの様子を微笑ましいものでも見るかのように眺めている人間が大半だった。


「聞こえなかったのか? そなたをアシュマール伯爵に任命すると言ったのだ」

「え、え?」


 言い直されたところでカイにとって信じられない発言には変わりない。カイはただただ視線を泳がせることしかできなかった。そんな終始戸惑いっぱなしのカイを見て、レオニードはどことなく意地悪い笑みを浮かべた。


「これでうるさい連中も黙るだろう」


 その一言で、カイは己の円滑な結婚のために便宜を図ってくれたのだと悟った。その考えに思い至ると、カイの胸がじんわりと暖かくなり、更に両目に薄く水の膜が張る。カイはそのことを誤魔化すように深々と頭を下げるとそのまま口を開いた。


「陛下……ありがとう、ございます」

「何を勘違いしているのだか。一国の姫君の輿入れだ。ルクレストの沽券にも関わるからな、爵位も持たぬ男に嫁がせるわけにはいくまいて」


 レオニードはそう言って何かを誤魔化すように小さく咳払いすると、文官に先ほどの書状……伯爵任命状をカイに持たせるように命じる。カイはその書状を震える手で、しかしそれを悟られないように恭しく受け取ると、もう一度深く深く礼をした。


「カイ・ヒエロ・オブサダン……いや、本日よりカイ・ヒエロ・オブサダン・アシュマール伯爵だったな。その爵位に恥じぬよう、今後も国のため、ますますの働きを期待しているぞ。ではもう下がって良いぞ」


 レオニードのその言葉を受け、カイは顔を上げると堂々とした足取りで謁見の間を退室した。この朗報を、そしてそれ以上の喜びを、己の愛する者と共有するためファーティマへと急ぎ転移魔法(テレポート)するのだった。


  ***


 レオニードは退室するカイを見送ると、本日の大仕事は終えたと言わんばかりに息を吐き、ゆったりとした足取りで己の執務室へと戻った。そして、いつぞやの騒動で義娘(むすめ)となったミスティを呼び付ける。ミスティは義父(ちち)となったレオニードの急な呼出に文句も言わず、身支度もそこそこに彼の執務室に現れた


「お義父(とう)様、いかがなさいました?」


 義娘(むすめ)の教育方針にはレオニードは口を挟んでいない――というより、挟めないでいる。女の世界というのは実に恐ろしいものだと言うのは、前王であり友人である、リチャード・クァティス大公だ――が、新たな義母(はは)となったバイオレットの教育が十分に行き届いているようだ。ミスティの身のこなしは実に優雅になり、王族――期限付きだが――として、このルクレストの姫君として及第点を与えられるほどになっていた。

 そんな義娘(むすめ)の様子に満足気に一つ頷き、レオニードは話を切り出した。


「お前に一つ伝えておこうと思ってな」

「私にですか?」

「ああ」


 いったいどんな話をされるのか。想像が付いていないらしいミスティは可愛らしく小首を傾げる。それを見てレオニードは「まだまだ隙があるな」と心の中で呟き、後で妻に報告することにした。ミスティにとっての地獄が始まると決まった瞬間でもあった。

 レオニードは小さく咳払いすると、ミスティに伝えたいことを話し始めた。


「お前の気持ちが本物であれば、奴のところに……アウロ男爵となったフリードリヒの元に降嫁させよう」


 この言葉にミスティは驚いたように目を丸くする。そして本当に良いのかと確認するように小さく呟く。


「私がフリードリヒ様の元へ降嫁……」


 ミスティのその言葉にしかし、と言葉を続けたのはレオニードだった。


「中途半端な気持ちであれば許さん。少なくとも、お前をいじめていたミレーユはいまだ諦めていないぞ」


 ミレーユという人物の名を聞いて、ミスティは顔を強張らせた。


 ミスティをいじめていた張本人であるミレーユ・キャティシエルは、本気でフリードリヒのことを愛している。しかし彼女のその想いは行き過ぎているきらいがある。その行き過ぎた愛情の表現の方法を間違っていたために起こったのが二年と七ヶ月ほど前の婚約破棄事件が起こるきっかけとなったミスティへのいじめだった。


 ミレーユは『勇者の妹』というネームバリューを持つミスティをいじめ、その罪を当時フリードリヒの婚約者であったエレンに着せたのだ。全ては己がフリードリヒの婚約者となるために。しかしそのやり方は――箱入りの令嬢としては頑張っていたが――少々粗があり、きちんと調べればエレンに罪を着せることは難しかったであろう。ただ、エレンの方が予想の斜め上の行動を取りその罪を喜んで被ってしまったため、きちんと調べられることがなかった――レオニードはしっかり調べていたが――のだ。もしもエレンが普通の公爵令嬢だったのであれば、ミレーユはミスティをいじめたと非難され、フリードリヒの婚約者になることは叶わなかったであろう。

 そんなミレーユだが、ミスティをいじめていた犯人ではあることに間違いはない。しかし婚約破棄事件の責任はあくまで王太子であるフリードリヒにあるとして、それに関しての処分は特になかった。むしろ貴族令嬢の世界では少々のいじめや嫌がらせを受けることは有名税のようなものであり、それを上手くかわせるように立ち回れるようになってこそ一人前の淑女だとする風潮すらあった。なので、ミレーユには王太子のような重い処分は課せられていなかったが、それでも世間体を気にしたらしい父親であるキャティシエル侯爵から、しばらく自宅での謹慎処分を言い渡されていた。しかし、今のミレーユにとってそんなことはどうでもよかった。彼女にとっての一番の罰は、元王太子、現アウロ男爵であるフリードリヒとの婚約解消だった。

 フリードリヒが王太子ではなくただの男爵となった時、ミレーユとの婚約も同時に解消されていた。理由は、侯爵と男爵では身分の釣り合いが取れないといったものだった。この婚約解消はキャティシエル侯爵からの申し出だったという。相手が王家の人間でなくなった今、侯爵家にとって何一つうまみが無くなったのだ。

 しかしミレーユにとってはまさに寝耳に水の出来事だった。身分差ごときでどうしてフリードリヒを諦めなければならないのかと憤慨していた。そんなフリードリヒを諦めきれないミレーユの激しい一方通行の愛情は、いまだ彼のみに向けられていた。


 ミレーユが過去にやったことは褒められたことではない。しかしレオニードは、この独り()がりでありながらも、ミレーユの激しくまっすぐなフリードリヒへの愛を超えてみせろと、静かに義娘(ミスティ)に言ったのだった。

 ふわっとミレーユが出てきました。自分で書いててアレだけどめっちゃヤンデレの素質ありそう。


【2018年1月22日】

 誤字脱字他修整しました。

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