第十二話 ロベルトとダグラスの友人とイヤリング
フリンはエレンのことが好きだった。過去形なのは、彼女に振り向いてもらえる可能性が皆無であることに気が付いたからである。あの王子様の中の王子様であるフリードリヒを好みのタイプではないと、生理的に受け付けなかったとエレンが金獅子亭の面々の前で宣ったあの日、調理員の同僚に慰められるように肩に手を置かれたことをはっきりと覚えている。フリンの見た目は女性同僚曰く、守ってあげたい王子様系らしかったから、エレンの好みからは思いきり外れていたのだ。ここに、彼の恋は終わりを告げた。
やがて彼女が好きになる男が金獅子亭にやって来た。その男こそがロベルトだ。同性と並んでも頭一つは飛び抜ける高身長に、戦士らしい筋骨隆々の肉体。仏頂面ではあるが整った顔立ちに、このルクレストではなかなか見ることのない黒曜石のような髪と瞳は異国の風情を感じさせた。どちらかというと寡黙な戦士である彼は、相棒である『勇者』カイと比較されることも多かった。カイは容姿が冒険者にしては爽やかで、ほどほどに真面目でムードメーカー的な面もあるため非常に親しみやすい性格をしていた。そんなカイとは対照的に、取っ付きにくいのがロベルトだった。見た目が堅物な上に、威圧感のある容姿に仏頂面と、親しみやすさのかけらもないとは同業者たちの談だ。しかしそんな男に一目惚れしたのがエレンだった。彼女は今日も今日とてロベルトのことばかりを考えていた。
そんな風にエレンに想われているロベルトは今。
「だーかーらー、もう当たって砕けろっての! そうしたらお前もいろんなことに気兼ねなく取り組めるだろうが!」
「くっ……! それができたら苦労せんわ!」
「なんだこの恋するオッサンめんどくさい!」
フリンがエレンの恋人だと勘違いしたまま、彼女に告白するしないでカイと言い争いをしていた。
「十年以上恋愛などとは無縁の生活を送っていたんだぞ!? 俺とてこの歳でこんな状態になるとは思っておらんかったわっ!」
「それを言うなら俺だってクローディアに出会うまで本気の恋なんてしたことなかったけどな!? それにしたって最近のお前めんどくさいんだよ!」
ぜぇはぁぜぇはぁと二人して肩で息をする。ただの言い争いだというのに、大型の魔物を相手取るよりも体力を使っているようだった。やがて二人の熱は収まり、その場にずるずると座り込む。
「あー……疲れた。不毛だ、これ……」
「……そうだな」
「とにかく、自分の気持ちに整理を付けろ。そうしないと、いつか冒険の途中でヘマするぞ。昔の俺みたいにな!」
「威張るな」
しかしカイがおどけた調子で言ってくれたおかげか、ロベルトも落ち着きを取り戻してきた。ロベルトもカイの言う通り、己の気持ちに整理は付けた方がいいと考えていた。ただ、その方法がカイ曰く「当たって砕けろ!」作戦なのだが。それ以外にも何か良い方法がないかと模索はしてみたのだが、結局これといったものは思い付かない。そういったわけで、ロベルトはカイの言う通り、エレンに告白をすることを決心したのだった。しかし告白すると決心したはいいものの、それすらもどうすればいいのか分からないロベルトは、恋愛に関しては己より先輩であるカイに尋ねてみることにした。
「カイ、想いを伝えるのはいいのだが、その……どうすればいい?」
「どうすればって、素直に好きだーって言えばいいと思うぜ?」
「……その素直にというのが難しいのだが」
「やっぱりこのオッサンめんどくさい! あー……あとはプレゼントとかもいいんじゃないか? エレンがこの間もらってたのは指輪なんだろ? それなら被らないように、イヤリングとかネックレスとか」
本当に面倒くさいのか、アドバイスをする口調が若干投げやりになるカイ。しかしそのアドバイスがそれなりに的確なところを見るに、カイがロベルトを十分に思いやっているのだということが分かる。ロベルトもカイのアドバイスを受けなるほどと頷くと、イヤリングとネックレス、どちらがいいか考え始めた。
エレンはいつもポニーテールにしているから首元を飾るネックレスもいいかと思ったが、よくよく考えてみると首元が開いている服を着ているのを見たことがない。そもそも、いつも見ているのは仕事着であり、普段着を見たのもあの恋人騒動の一回だけだった。そのためネックレスを身に付けるエレンの姿が想像できなかったロベルトは、耳を飾るイヤリングを贈ろうと思い至った。
そうと決まれば即実行、ロベルトは転移魔法を使用しカイの前から姿を消した。
「……ロベルトにここまでやらせるエレンって本当にすごいな……」
カイはロベルトが消えたことによって一人になった室内で、何やら感心しきった様子で呟くのだった。
ロベルトが転移魔法を使いやって来たのは、ダグラスに避難しているディアーノのアクセサリー職人の家の前だった。このアクセサリー職人はロベルトの昔馴染みであり、その腕も折り紙付きであった。
ロベルトは三回深呼吸すると、職人の家のドアを叩いた。家主が出てくるまでの時間はロベルトにとっては五分にも十分にも感じられたが、実際には一分も経っていなかった。がちゃりとドアが開き、家主が顔を出す。
「はい、どちら様……」
そこまで言って、ドアの前に立っていたのがロベルトだということに気付いた褐色の肌と黒い髪と瞳を持つ家主――男性だ――が驚いたように目を丸くし声を上げた。
「ウォードじゃないか! どうしたんだ、急に」
「う、うむ。そのだな……お前に頼みたいことがあるんだ」
ロベルトのその言葉に、男はかっと目を見開いた。男はロベルト――男はウォードと呼んでいたが――が己に頼みごとをするのがよほど信じられないらしく、畳み掛けるようにこう言い放った。
「俺に? お前が? 嘘だろう? お前が俺に何を頼むっていうんだ? まさかお前に恋人でもできたっていうのか?」
男の勢いにロベルトは口を挟めず、思わずうっ、と言葉を詰まらせる。それを見た男は更に興奮したのか瞳を爛々と輝かせると有無を言わさずロベルトを家の中に引きずり込んだ。
「そうかそうか、お前にもとうとう春が来たか!」
「いや、その、まだだな……!」
「あ? まだなのか? ちっ、面白くない」
「なぜ舌打ちした!? そして面白くないとはどういう意味だ!?」
ロベルトはカイとの口論から始まり、この男との会話と大声を上げっぱなしだった。そのせいかひどく体力を消耗しているようで、大男のロベルトが標準的な身長の男に引きずられるという、なかなかに面白い光景が広がっていた。
それほど広くはない家に後から誂えたらしい毛色の違う客間へとロベルトは通されると、主人に断りもなくソファにどかりと座り込んだ。ようやく一息つけるといったところだろう、はぁ、と大きな溜息を吐いていた。
「で? なんでうちに来たんだ、ウォード」
「来た時も言ったが、お前に頼みがあるんだ。あと、前も言ったが今の俺はただのロベルトだ。まったく、ディアーノ人はなぜ俺の言うことを聞いてくれないんだ……」
「ははは、そりゃあ、今のお前がただのロベルトだからだろうさ。と、まぁ、冗談はほどほどにするとして……俺に依頼ってことは、アクセサリーの注文だよな? お前が身に着けるとは考えづらいから……やっぱり女絡みだろう?」
「……否定できんところが辛いな」
「だが春はまだだってことだから……惚れた女に贈り物ってところかね? いやぁ、若いねぇ」
「若いって……俺と同い年だろうが、ウィル」
ロベルトがウィルと呼んだ男……ウィルフレッドは、ロベルトの言葉に声を上げて笑うと、その笑みを絶やさずにところで、と話を切り出した
「入国申請はしたよな?」
「……忘れていた」
「ああもう、これだから規格外の転移魔法使いの連中は! この間、お前の相棒のカイもうっかり忘れて三日も不法入国していたぞ! 先に依頼は受けるから、帰りに入国管理局に絶対に寄るんだぞ! 忘れるなよ!」
ウィルフレッドに鬼の形相で念押しされ、ただただ頷くしかないロベルトだった。
転移魔法は非常に便利な魔法であるが、ウィルフレッドの言葉の通り、使える人間にとっては不法入国し放題の大問題を抱える魔法でもある。だがその分習得が非常に難しい魔法としても知られており、転移魔法を使えるようになった人間はその時点で国への報告が義務付けられている。ただ、一般的な転移魔法使いは、各国にある決まった地点――転移魔法使いにとって転移先の目印となる魔力の溜まり場――への転移魔法がせいぜいで、ロベルトやカイのように、己の望む場所に自由に転移できる人間は非常に稀である。なので、基本的には各国にあるその地点に入国管理局が設けられており、そこで審査をして入国するというのが一般的な転移魔法使いの他国への入国方法なのだが、そんな大事な手続きをすっかり忘れていたのがこのロベルトだった。恋は盲目とはよく言ったものである。
ただただ黙って頷くロベルトを見てウィルフレッドははぁ、と大きな溜息を吐くと、それで、と話を促すように口を開いた。
「お前が俺に依頼をしてくれるなんて、明日は槍でも降るんじゃないかと思うくらい珍しいことだが……まずアクセサリーの注文依頼でいいんだよな?」
ウィルフレッドのその言葉にロベルトは頷く。そして己が思い描くアクセサリーをウィルフレッドに語った。
「その……お前の察しの通り、女性への贈り物だ。イヤリングを頼みたいと思っている」
「ほお、やはりか。なるほどなるほど……で、どんなのがいいんだ? 使いたい宝石とかは決まっているのか?」
使いたい宝石、とウィルフレッドに聞かれたロベルトは戸惑った。イヤリングを作ってもらおうとは思っていたが、女性に贈り物をするなど初めてのことで、どういったものがいいのかよく分からないのだ。そんなロベルトの表情を見たウィルフレッドはもう何度目かも分からない溜息を吐いた。
「使いたいものが決まってないか。それじゃ、質問するからそれに答えてくれ」
「あ、ああ」
ウィルフレッドはロベルトの返事を聞いて、送り先の女性についていくつか質問を始めた。どんな性格なのか、見た目は、普段のアクセサリーの着用率その他。一通りの質問に答えてもらったウィルフレッドは小さく頷くと一つの宝石の名を口にした。
「金髪に紺碧の瞳で溌剌とした性格ってことだから、赤い石……そうだな、ガーネットなんかいいんじゃないか?」
「ガーネットか……」
「そうだ。で、そのガーネットをこんなデザインの台座に……」
サラサラと紙にデザインを描いていくウィルフレッドと、それを食い入るように見つめるロベルト。それから二人はしばらくデザインについて話し合いを重ね、それがある程度のまとまりを見せた頃には日が傾き始めていた。
「おっと、もうこんな時間か。秋も深まってきたからか、だいぶ日も短くなってきたな」
「そうだな。さて、俺はそろそろ帰るとするよ」
「ああ。また……そうだな、一週間後に来てくれ。そのときはちゃんと入国管理局を通って来るんだぞ」
「分かっている」
そんなやり取りをして、ロベルトは本日二度目となる転移魔法を使い、ウィルフレッドの前から姿を消した。
「……あ。そういやウォードの奴、ちゃんと入国管理局に行っただろうな……?」
このウィルフレッドの懸念は概ね当たっていた。
ルクレストの入国管理局に転移魔法していたロベルトは、入国手続きを済ませてはたと気が付いた。結局ダグラスで入国手続きをしていなかったと。
こうして、ロベルトもカイと同様――カイよりはマシではあるが――ダグラスに不法入国した犯罪者になってしまったのだった。
ロベルトはウィルフレッドに指定された一週間後、ダグラスの入国管理官に「一週間前に入国していたが手続きするのを忘れていた」と堂々と言い放った。それを聞いた入国管理官の抱いた感想は「『勇者』パーティは二人ともこんななのか……」であった。
ウィルフレッドに依頼していたイヤリングを受け取ったロベルトは、その出来に感嘆の溜息を漏らしていた。
非常に細かく美しい装飾であるが、主張しすぎないデザインの施された銀の台座。その台座に収まった赤いガーネットは、小ぶりながらも美しい輝きを放つティアドロップ。留め具を摘めばその下で揺れる赤の輝き。それをまじまじと眺め、ロベルトはこのイヤリングを身に着けたエレンを無意識のうちに想像していた。
金の髪と対比する銀の台座。エレンの耳の下で揺れる赤いガーネット。頰を赤くして己を見つめる彼女の潤んだ瞳……と、ここまで想像して、ロベルトは想像が妄想へと飛躍していることに気がついた。これ以上は危ないと頭を振り意識を現実へと戻すと、ロベルトはウィルフレッドにイヤリングの代金を支払いながらこう言った。
「こんなに短い期間でこれほど見事なものを仕上げてもらって……すまない」
「気にするな。何せ、俺らの最上級のオキャクサマだからな、ロベルトは。その前に随分と稼がせてもらったからな、その礼みたいなものさ」
「お前の場合はあれは本職ではないだろう」
「それでもさ。それに、俺としても……」
ウィルフレッドは、ロベルトが肩に担いでいる白い布に包まれた大剣へと視線を移す。
「それの製作に携わることができたんだ。ディアーノ人にとってはこれ以上の名誉なことはないさ」
ウィルフレッドの言ったそれとは、百万ノーカムした大剣の鞘のことであった。この鞘の彫刻はウィルフレッドの作だったのだ。ウィルフレッドは本職はアクセサリー職人だが、彫刻や彫金も得意としていた。だからこそロベルトは、古くからの友人であるウィルフレッドに鞘の彫刻を依頼したのだ。
「そうか……すまない。いや、こういう場合はこう言うんだったな」
ありがとう、と。
ロベルトは感謝の言葉を述べると、照れからかウィルフレッドの返事も待たずに転移魔法を使用しルクレストへと戻るのだった。
ルクレストに転移したロベルトは、逸る気持ちを抑えながら金獅子亭へと向かった。昼食時だというのに本日はいつもより混んでおらず、ロベルトの目的の人物であるエレンもゆったりと余裕を持って働いているようだった。
「あ、ロベルトさん、いらっしゃいませ!」
とても魅力的な明るい笑顔でロベルトを出迎えるエレン。それを穏やかな表情で受け入れるロベルト。側から見ればただの店員と客の関係だが、二人は互いに想いあっている関係だ。しかし二人とも己の一方的な恋心だと思い込んでいる。そんな二人の関係はいわゆる「両片思い」とかいう、この国の王女が聞いたら悶え興奮するものだった。
エレンに案内され席に着きいつものように注文をしようとした時、緑の髪で少々幼い顔立ちの男……先日エレンと共に食事をしていた男がなぜか従業員専用の出入り口へとまっすぐと向かい、そのまま奥に消えて行った。それを見て疑問に思ったロベルトは無意識のうちにエレンに尋ねていた。
「エレン、今の男は?」
「ああ、フリンのことですか? 彼、この店のシェフなんですよー。今日はちょっと裏口が壊れちゃってて表から出入りすることになってて……やっぱり気になりますよね?」
エレンの返事を聞いたロベルトは驚いていた。まさか男……フリンがこの店の従業員だとは思っていなかったのだ。しかし同時に、同僚ならばエレンとフリンが恋人同士でもおかしくないとロベルトの気分が沈み出す。そんな時、エレンがこう言ったので思わずロベルトは顔を上げた。
「彼も結構女の子に人気なんですよー。この間もお花やお菓子の差し入れを受け取ってましたし」
エレンの口からまさかの発言を受けたロベルトは、彼女にかまをかけてみることにした。
「そうか。そんな男の恋人だと嫉妬で大変なことになるだろうな」
ロベルトのこの言葉を聞いたエレンはそれがですね! と話し出した。
「彼、恋人がいないんですよ! なんか失恋したばっかりでそんな気分じゃないとか言ってるんです」
エレンのこの言葉を聞いたロベルトは、心の中で右手を握りしめるとそのまま天を衝いた。そう、フリンがエレンの恋人ではないという事実を受けて、ロベルトは内心浮かれたのだ。そのため、今度はイヤリングをエレンに渡すタイミングを失うのだが、今のロベルトはそのことに気付いていなかった。
イヤリングに使う宝石はガーネットとルビーでしばらく悩みましたが、色々調べた結果、ガーネットに軍配が上がりました。
第十一話より「アルファポリス」にも同時に投稿するようにしてみました。各サイトの使い勝手とか仕様とかを調べる意味を込めています。
あと、視点変更以外で大きく時間が動く時とか、場所を移動するときは「***」ではなく改行を二行にするようにしてみました。
【2018年1月19日】
誤字脱字その他修正しました。