第十一話 ロベルトとディアーノ
第二部開始です。
己の目の前で実の弟が邪竜へと姿を変えたあの瞬間を、彼は一生忘れることはないだろう。
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「いらっしゃいませ!」
明るい表情を浮かべ己に向けて掛けられた言葉に、心が高揚する感覚を覚えたロベルトはああ、やはり自分はエレンに惚れているのだと改めて認識した。ロベルトは席に案内されるとエレンと簡単な会話を交わす。
「あれ、今日はカイさんは?」
「あいつは今度の結婚関係でファーティマに行っているんだ」
「あらー、そうなんですね。王族のお嫁さんをもらうから、カイさんも大変だ」
「……その王族になりかけたのはどこの誰だったか」
「私はただの平民ですー。血の繋がっていない妹が王族なだけなんですー」
会話の調子はいたって軽いものだったが、内容はどう考えても軽くはない。しかし二人はなんてことはないといった風に話をし、その後はいつものようにエレンがロベルトから注文を取り、厨房へと姿を消した。
一週間前、前王リチャードより、二年と約七ヶ月ほど前に起こった王太子であるフリードリヒの婚約破棄騒動の真相について、ルクレスト国民に知らされた。無実の公爵令嬢を貴族籍剥奪の上に王都から追放したその罪を重大なことととらえ、フリードリヒ、そしてリチャード自身に罰を与えることにしたと発表したのだ。フリードリヒは王族から除籍、そして王権の継承権を剥奪し臣籍降下させ、アウロ男爵とした。リチャード自身は王として、そしてフリードリヒの父親として息子の暴挙を止められなかったことに責任があるとし、クァティス大公となり臣籍降下する旨を宣言した。そして次期王太子であるジェラールが成人するまでの間、王権をシャルマー公爵に禅譲するとしたのである。
このルクレスト王家の一大ニュースは瞬く間に世界中に広がった。しかしながら元シャルマー公爵……現ルクレスト国王であるレオニードの手腕が良いのか、一度は大きな混乱が起こったものの、たった一週間の間でだいぶ落ち着いてきているようだった。
「お待たせいたしました! トマトのサラダと豚肉とキャベツのオイスターソース炒めです!」
そんな中、当事者であるはずのエレンは何事も無かったかのように、それこそ今も変わらず金獅子亭で働いていた。下手をすれば王族の仲間入りを果たしていたはずのエレンであるが、一ヶ月前のたった五人で行われた会談 の場で今まで通り自由であることを選び取り、金獅子亭に戻ってきたのである。ある意味相当な神経の図太さであった。金獅子亭の面々は驚きとともになぜか納得もしていた。実にエレンらしいと。その話を聞いたロベルトも、金獅子亭の面々と同じ感想を抱いたという。しかし同時に、どうせなら今の自分には手の届かない王族という存在になってもらえたのなら、この恋心にも諦めがついたのにと少々女々しいことも考えていた。
エレンが料理を置いて別のテーブルに注文を取りに行ったのを見て、ロベルトは食事を開始した。ロベルトの相棒であるカイは今頃、隣国ファーティマにて食事会の真っ最中であろう。堅苦しい場は苦手だと言っていた相棒であり親友でもあるカイの心労を思いながら、ロベルトは昼食をつつく。ここ最近はカイの結婚前の準備のせいで、彼とは別行動を取ることが多くなっている。そのため、ロベルトは金獅子亭にて一人で昼食を摂っているのだ。ロベルトはいつも通りのペースで食事を食べ終えると、勘定を済ませ店を出た。そして近場の道具屋で買い出しを済ませると、エレンに付加魔法を施してもらったあの大剣を担ぎ直す。
「さあて、様子を見に行くとするか」
ロベルトはそう言うと、おもむろに精神を集中させこう呟いた。
「……転移魔法」
ただの平民には習得が困難とされている高度な魔法を操り、ロベルトはアレスの街から姿を消した。
***
彼はいつも『ロベルト』としか名乗らない。平民でさえも家名を持つ、国同士の情勢が安定しているこの世界で、家名を持たないということは、なんらかの事情を抱える者が多かった。それこそエレンのような。むしろ、ロベルトが果たして本名なのかどうか、それを知るのは相棒であり親友でもあるカイだけであった。
褐色の肌に黒曜石のような髪と瞳は、ルクレスト、ファーティマ、ダグラス、この三国の人間の持つ特徴とは一致しない。ロベルトの色彩を持つ民族が多く住んでいたのは、かつて『魔の大陸』と呼ばれた大陸に存在していた国、ディアーノだった。
「……やっぱり、ディアーノ貴族の生き残りか?」
買い物を命じられていたフリンが、路地に入っていったロベルトの姿を目撃したのは偶然だった。特に意識することなく彼が入っていった路地を覗き込むと、そこにはちょうど転移魔法を使いどこかへと消えていくロベルトがいた。それを偶然見ていたフリンが先ほどの言葉を小さく呟いたのだ。ふわりとした緑の髪と白い肌を持つ童顔の彼は、その容姿の中では異彩を放つ黒曜石のような瞳を細めると、ロベルトが消えた場所をじっと睨み付けていた。
フリン・ジャッシュは実は難民である。彼はかつてディアーノに住んでいた平民であった。しかしディアーノの色彩を瞳にしか持たない理由は、父がディアーノ人、母がルクレスト人だからである。邪竜が出現し国が滅び難民となった彼は、母親の実家を頼りに両親とともに避難をしてきたのだ。その後成長した彼は、金獅子亭に雇われ今に至るという訳である。
フリンがロベルトをディアーノ貴族だと思った理由は、単純に魔法を使えるからだ。この世界の人間は大なり小なり魔力を持つ。高位の貴族になればなるほど魔力が高くなるのは、単純に魔力の高い者同士が婚姻を繰り返してきた結果だ。無論、平民の中にもそれなりに魔力が高い者が稀に存在する。しかし魔法を使える者となると話は変わってくる。なぜならば、魔法を扱うにはそれなりの勉強が必要になるからだ。専門的に魔法を学べるのは学院か、魔法師へ弟子入りくらいしかない。しかし学院に通うには莫大な金が掛かる。そのため、通えるのは貴族か金持ちの商家の平民くらいのものだった。次に魔法師への弟子入りだが、魔法師たちもただで己の秘術を教える者は少なく、学院ほどではないとはいえやはりそれなりに金が掛かる。独学で学ぶ方法もあるにはあるのだが、それでも高価な魔法の専門書が必要になる。だからこそ、ただの平民には魔法は無縁の存在なのだ。
しかしディアーノの血を持つものは、他国の人間とは少しだけ事情が変わってくる。実はディアーノ人は、他国の者が持たない特殊な能力を持っているのだ。その特殊な能力とは、魔力の感知能力である。平民には魔力の大小くらいしか分からないが、上位貴族になればなるほど個人レベルでの特定が可能になるほどの感知能力を持つと言われている。そのため、魔法の勉強に関しては他国とそう変わらない事情ではあるものの、魔力に触れる機会はディアーノ人の方が圧倒的に多いのだ。そういう事情もあり、フリンはロベルトの、エレンよりも遙かに高い魔力を感じ取っていたのだ。おそらくは、このアレスで最も高い魔力を持っているのはロベルトだろう。
「ま、だからあの時、わざとあの店を選べたんだけどね」
ふふん、と僅かに口角を釣り上げながら呟くフリン。そう、彼の言葉の通り、ロベルトがエレンに恋人がいるのだと勘違いをするきっかけとなったあの日、フリンはわざと彼が食事をしていた店を選んだのだ。それはちょっとした対抗心からだった。
「エレンに好かれてるんだ、少しくらいはいいよね。俺は見向きもされないってのに」
ふぅ、と息を吐くフリン。そして早く戻らないとオーナー兼料理長であるダヴィッドにどやされると思い至り、慌てて店へと走り出すのだった。
***
かつてディアーノと呼ばれていた大国が存在していた大陸。その大陸に、徐々に人が集まりだしている。その多くは祖国の復興を願うディアーノ人だ。大工や職人と呼ばれる男たちが集まれば、荒れ果てた街を一から建て直し始めるのは自明の理だった。しかし荒れた国にはならず者も多く集まる。しかもこの国は邪竜によって滅ぼされたのだ、魔物も多く出るというものだった。そんな復興を願う彼らを護衛するかのように、たくさんの冒険者たちが街を見回っていた。その中には第一級冒険者であるロベルトの姿もあった。
ロベルトは街を見回りながら、忙しく働く者たちに差し入れをしながら労いの言葉を掛ける。声を掛けられた者たちは、大げさとも言えるほどの感謝の気持ちを言葉と行動で表現していた。ロベルトはそんな彼らを眩しそうに目を細めて見つめる。そして一通り回り終えたところで、もっとも被害状況の大きいかつて王城があった場所へと向かった。そこには少々、他よりは身形の良い老人が佇んでいた。
「おお、ウォード様」
「私はまだただのロベルトだ」
「おお、そうでしたな、ロベルト様」
ロベルトのことをウォードと呼んだ老人は朗らかに微笑んだ。そんな彼の姿を見たロベルトもまた柔らかく笑むと、少しずつ元の姿を取り戻している王城の外壁に手をついた。その姿を見て、老人がロベルトに改めて声を掛ける。
「よかったのですか? 王城よりも街の復興を優先させて」
「民が暮らす場所がなければ、城などあってもただの大きな箱だ。まぁ、城の中に民が暮らす街を作るというのならば話は別だが」
「ははは、それは実に難しい要求ですな。そうなりますと、今の倍以上どころではない資材と人材が必要になります。やはり街の復興からで正解でしょうな」
朗らかに笑っていた老人は、次の瞬間には何やら難しい表情を浮かべると懐から帳面らしきものを取り出した。そしてその帳面をロベルトに差し出す。それを受け取ったロベルトは、その帳面をじっくりと読み込み始めた。
「あなた様が雇ってくださった冒険者たちのおかげで、ならず者や魔物の被害も随分と減りました。しかしながら、この国の被害の状況に対して大工の数がまだまだ足りません。ですが、仮設住宅の建設は随分と進んできています。この調子でいけば、大工や職人の数を確保するのはそう難しくはないでしょう。次に必要なのは、その大工や職人たちを支えるための農作物です。今のところは自給自足でどうにか足りておりますが、これ以上人が増えるとなると輸入も考えねばならないかもしれません」
老人の説明を聞きながら帳面のページをめくるロベルトの眉間にしわが寄る。それほどまでに厳しい数字が並んでいるのだ。ロベルトは一通り帳面の内容を頭に入れてから、これから必要になるであろうモノや金の算段を始める。今のままではやはり厳しいと思い至ったロベルトは、老人に帳面を返しながらこう伝えた。
「食物の輸入についてはこちらでどうにかしよう。しかし農夫の確保も急いでくれ」
「承知いたしました」
「必要な金もこちらでどうにかする。それまでこの国のことを頼む、爺や」
ロベルトが老人のことを『爺や』と呼ぶと、老人は深いしわの刻まれたその顔をくしゃりと嬉しそうに歪ませた。
「ほっほっほ、まさかこの歳でこんな重大な事業の指揮を執ることになろうとは思っておりませんでしたぞ。人生、何があるか分からないものですな」
「確かに……何があるか、分からないものだな」
ディアーノの崩壊から十年の時が経って出会った一人の女性、エレン。まさかロベルトも自分自身が、世間でよく聞く惚れた腫れたでこんなにも悩むことになるとは思ってもいなかったのだ。
「では、私はもうそろそろ行くぞ。次の依頼が入っているからな」
「ロベルト様自らをそこまで働かせてしまうことになり、わしとしても心苦しゅう思っております。その大剣を収める日が早く来ることを祈るばかりであります」
「それは爺やの働き次第かな」
「こんな老いぼれを馬車馬のごとく働かせて、まだ言いますか! やはりもう少しその大剣は握ってていただきましょうか!」
そんな他愛もないやり取りもロベルトには楽しく、そして貴重な時間だった。ロベルトは再び転移魔法を使用すると、老人の前から姿を消した。
「……ウォード様、あなた様の未来が輝かしいものになりますように、この老いぼれ、死ぬまで一生働き抜きますぞ」
老人は決意を新たに呟いた。
第二部はおそらくロベルトやフリン、ディアーノがメインの話になるかと思います。このままだとエレンには出番が無くなりそうなので、勝手に動いて頑張って出しゃばってもらいたい。
【2018年1月27日】
誤字修正しました。
【2018年1月16日】
誤字脱字ほか修正しました。