君の心に触れたい
君と妻が知り合ってからは、
僕と妻と君と子供達と、五人一緒にしか会わなくなった。
それでよかったのだけど、
僕と二人でいるときよりも、
妻や子供達といる君のほうが楽しそうで、
なんだか急に
君をとられた気がして、少し寂しい気持ちになった。
でも、少しずつ笑顔が増えていく君に、
僕の心も少しずつ救われていった。
そうやって五人で遊ぶようになって
また一年過ぎた頃だったろうか。
「私たち離婚しよ」
今日は何故か遅くまで子供達は眠っていて、
朝食は二人きりだった。
朝食が終わりテーブルの上を片付けた終えた後、
僕の向かい側に座っていた妻に
突然そう告げられた。
あまりに突然のことで、
僕は一瞬まだ夢の中かと思った。
「なんで、また急に」
妻はまっすぐ僕を見据えて言った。
「急じゃないよ。この一年ずっと考えた。
何がいいか、どうするべきか」
状況を理解出来ていない僕に
妻は落ち着いたトーンのまま話を続けた。
「大切にしたい人がいるんでしょ?」
妻にそう問われ、
すぐに頭に思い浮かんだのは妻ではなく
君の顔だった。
「なんて顔してるのよ。私は最初から気がついていたわ」
「彼女とは何も!」
僕が否定するさえぎりもむなしく、妻が言葉を続けた。
「最初あなたたちを見かけた時、浮気してるんだと思った。
でも、彼女と話をして、この一年、一緒に遊んでみてわかった。
あなたと彼女の間には何も無いこと」
「だったらどうして!」
俺は声をあらげた。
「ううん、何もないのとは、ちょっと違うわね。
そうね、彼女の言葉を使わせてもらうなら、
あなたと彼女は『心の深いところ』でつながってる。
……ねぇ、そうでしょ?」
そう妻に聞かれ、
僕は言い返す言葉が出てこなかった。
「たくさん悩んだわ。何が一番幸せか。
子供のことももちろんだけど、私とあなたの未来を想像した」
普段は絶対泣かない妻の目に涙が浮かんでいた。
「私、幸せじゃなかったの」
目に溜まった妻の涙が頬を伝う。
「だって、あなたの見つめる視線の先には、いつも彼女がいたから。
例え目の前にいなくても、あなたの中には彼女のことでいっぱいだったから」
僕は妻に何も言い返せなかった。
その通りだと思ったからだ。
「だから離婚してあげる。……子供達には私からなんとなく話してあるわ。
ママが居なくなっても、あの子達ならわかってくれる。
それに子供達、彼女にもとてもなついてた。……彼女にまかせれば
子供達も素敵な大人にきっと育ってくれると思うから」
妻はそこで言葉を切ると、
立ち上がり、寝室から旅行鞄に入った荷物を持ってきた。
僕はどうしていいかわからず、
椅子に座ったまま動くことすら出来なかった。
「しっかりしなさいよ!……彼女、私に似て相当頑固そうだから、
私とあなたが離婚したぐらいじゃ振り向かないかもよ。
再婚できるように頑張んなさいよ!・・・じゃあね、あなた」
妻はまるでこれから買い物にでも出かけるかのように
僕に手を振った。
「待てよ」
荷物を持って出て行こうとする妻の手を掴んだが、
その手はすぐに振り払われた。
「彼女なら、あなたの叶えられなかった夢も叶えてくれるんじゃない?
もし彼女に振られたら、言いなさいよ。
その時は、子供の面倒ぐらいはみてあげるから」
僕はこの時、妻の決意した目を見て、
もう何をしても取り返しがつかないのだと悟った。
僕と妻の離婚はそれからまもなくして成立した。
離婚が成立して一ヶ月が経とうとしていた。
相変わらず優柔不断な僕は、
君に連絡をするのを戸惑っていた。
君との次の約束の日は、
よりにもよって、
2月14日のバレンタインデーだ。
僕の家でパーティーをする予定だった。
君には妻と離婚したことはまだ言えないでいた。
「ねぇ~お姉ちゃんはいつくるのぉ~?
2月14日は、お姉ちゃんとデートするんでしょ?」
七歳の息子に突然そういわれ僕は面食らった。
子供達は妻の言う通り、君にとてもなついていて、
君のことを『お姉ちゃん』って呼んでた。
「僕たちその日はおばあちゃんの家に泊まるから、ゆっくりしてきていいよ」
意味がわかっているのかいないのか、
子供はたまに怖いことを言う。
「お姉ちゃん支えるんでしょ?
ぐずぐずしてたら駄目なんだって!お母さんが言ってた!」
僕は子供に何を言わせているんだろう。
こんな頼りない父親で、僕はこの先大丈夫なんだろうか。
「安心して、お父さん。お姉ちゃんね、お父さんのこと好きだよ。
僕に話してくれたもん」
「あーにぃ~たん、それないちょだっておね~たん、ゆってたよ~」
もうすぐ三歳になる娘だ。
「あ、そうだった!お父さん!今のは聞かなかったことにして!」
僕は二人の子供達を抱きしめた。
「おとーさん?」
いつの間にか、君は子供達の心の中にこんなに入り込んでいたんだね。
「よし、父ちゃん頑張ってくるぞ!」
小さな子供達に励まされながら、
僕は君に待ち合わせ場所変更のメールを送った。
一ヶ月ぶりに見る君はまた痩せたように思えた。
「よお」
「あれ?今日、奥さんとお子さんは?」
「いくぞ」
僕は君の質問には答えず、君の手をとると歩き出した。
「なんで、手、つなぐの?」
不思議そうにする君に僕はつまらない言い訳をした。
「今からいくところが、すっごい人だから迷子防止」
君はその言葉に納得したのか、
僕の手をしっかりと握りなおした。
素直すぎるのも本当に危なっかしい。
「花火、きれーい」
君は空にあがった花火にみとれている。
冬の祭りに、冬の花火。
プロポーズには最適な環境だ。
「どうしよー。みんな見つからないね。
花火、はじまっちゃったし」
僕らは川沿いを二人並んで歩いていた。
「混んでてスマホも圏外だし」
君は僕とつないでる手とは反対の手で、
スマホを振りながら電波を探している。
「ドン!」
君は誰かに背中を押され、
前へ転びそうになる。
僕はつないでいた方の手を自分の方に引き寄せながら、
君を抱え込むように両腕の中に支えた。
「あ、ありがとう」
すぐに体を離そうとする君を
僕は抱きすくめた。
戸惑う君に、僕は耳元で囁いた。
「君が好きだ」
僕の言葉は人ごみにかき消された。
「え?なに?聞こえなかった」
でもそれでよかった。
僕は焦りすぎて順番を間違えたのに気がついた。
まだ君に伝えてなかった。
「ちょっとこっちいい?」
僕は君を連れて一本道を入った静かな場所へ移動した。
僕は君にきちんと話した。
一ヶ月前に妻とは離婚したこと。
今は子供達と家族三人で暮らしていることを。
「私のせい?!家族の間に入りすぎたよね?本当にごめんなさい!」
ひたすら謝る君をそっと抱きしめた。
「俺に君を守らせてくれないか?」
化粧で頑張って消してはいたが、
君の頬にはあざが出来ていた。
僕は君のその頬に優しく手をあてながら、
「君の悩みを聞いても何もしてあげられないとかもう嫌だ!
君を傷つけるやつから守りたい」
「ありがとう」
彼女はそういって僕から少し離れた。
「でも、私は大丈夫!
……奥さんには戻ってもらえるように私から話すよ」
「俺は、君がす……き」
僕がそう言おうとした時、大きな花火の音がしてまた掻き消された。
「今まであなたに甘えすぎてた。本当にごめん」
僕は君にとってただの迷惑でしかないのか?
「奥さんに連絡してちゃんと説明しなきゃね、あ、圏外か、どうしよ」
君の本心が知りたい。
僕は少し強引に君を自分の方へと抱き寄せた。
抵抗する君に僕は強引に唇を重ねた。
「っや……」
唇を離そうとする君の抵抗がなくなるまで、
僕はなんどもその唇を這わせた。
僕は最初に君とホテルでキスしたときのことを思い出していた。
君の心の中が知りたい。
君の内側に……心に触れたいんだ。
何度目かのキスで僕は唇をそっと離した。
「君が好きだ」
「ダメ」
首を横に振る君の頬には涙が流れていた。
僕はその涙をそっと拭う。
「君が好きだ」
僕は何度でも君に言った。
その度に君は首を横に振った。
僕は泣きじゃくる君を腕の中にそっと抱いた。
「俺に頼ってくれよ。支えるから。
めんどくせーことも、俺が君ごと全部引き受けるから」
僕のプロポーズと同時に、
夜空にはスターマインが打ちあげられていた。
ー 完 ー