第45話 陽炎の館にて
その夜、リトは陽炎の館に呼ばれた。
山賊一味を捕らえたので褒美が出たこともあり、夕食をごちそうしてくれるというのである。
陽炎の館の一階では、世尊と義軍がじゃれあい、来意はカードをめくり、清流は本を読み、羽織が剣の手入れをしていた。 そしてデイが床にごろごろと寝そべりながらボールを天井に向けて投げたりして遊んでいた。 なんだかみんな本当の兄弟のようである。
「リトー。 運ぶの、手伝って」
厨房の方から弓の呼ぶ声がした。
「あ、はぁーい」
リトは喜んで立ち上がった。 おもてなしするんだから料理は私が作るわよ、と弓が言うので居間で椅子に座っていたのだが、正直もてあましていたのである。
ところが立ち上がったのはリトだけではなく、居間にいた他の全員が、そう、デイも含めてみんなが手を止めて立ち上がった。
そしてごく普通に厨房へと向かっていくのである。
厨房の台には料理が出来上がっており、各自がそれぞれ料理や皿を運び始めた。
よく躾けられている……。
リトはそんな事を思いながら最後に厨房に入る。
「はい、リトはこっちお願い」
弓からデザートのパイを渡される。
「みんな手伝うんだね。 少しびっくりしちゃった」
リトは思ったままを言った。
「小さい頃から手伝うように言われてたから、もう当たり前。 デイくらいかな。 最初に文句を言っていたのは。 羽織様達に逆にぶうぶう文句を言われるものだから最近では言う前に手伝ってくれるけど」
弓がそう言ってウインクした。
居間へ行くとすでにテーブルに食事が並べられ、席にフォークやスプーン、取り皿などが九つ用意されていた。
9つとはなんだかとてもにぎやかに見える。
リトが目だけを動かして人数を数える。
この場にいない巳白をあわせても、8。
ということは。
リトの表情に気づいたのか、弓が微笑んだ。
「巳白がね、首に縄つけてでも絶対連れてきてくれるって」
ちょうどよいタイミングで扉が開いた。
「間に合ったか?」
巳白だった。
「ひゅう♪旨そー」
すぐ後ろからアリドも一緒に入ってきた。
「アリド!」
「アリド兄ちゃん!」
リトとデイが声をかける。
アリドは二人を見ると何もなかったかのように、にかっと笑った。
「さあメシだ。 メシだ。 久しぶりだからな、弓の作ったメシは」
そう言ってさっさと席に着く。
そしてそれぞれが席に着く。
そして夕餉が始まった。
食事が済んでもアリドは館を出て行かなかった。 それどころか食事の後かたづけを一緒に手伝っているものだから、想像できない一面というか、リトは驚いてばかりだった。 食事の後かたづけといっても、全員で皿を下げた後、弓とリトが皿を洗う。 羽織と清流が水ですすぐ。 アリドが六本の手で洗われた皿をどんどん拭いていく。 来意と巳白とデイが皿を棚に戻す。 世尊と義軍はテーブルの上を拭く……という具合である。
「ほーらほら、もう拭いちゃったぜ? 早く次、渡せよ。 すすぎ係。」
なんてアリドが挑発する。
「待ってるんだけどね。 アリドぉ、早く拭いてくれよ」
と、来意もアリドの手が鈍るとつっこみを入れる。
「おめえらのパートは二人だろうがよ。 オレは一人だぜ? 待てよ」
と、アリドがふくれると
「腕の数では俺らの方が負けてるからな」
と巳白がからかう。
「弓。 負けるから、早く洗って」
羽織もせかす。
「リトちゃん。 汚れが落ちてない。 これは洗い直し」
と清流から駄目出しをもらう。
まるでゲームをしているような感覚でみんな笑顔で片づけを終わった。
リトはとても心地よかった。
デイもとても楽しそうだった。
その後、弓が食後のコーヒーを入れてくれ、みんな居間に戻ってそれぞれがくつろいでいた。
先日の山賊を捕らえた時の話で盛り上がる。
「うちには来意がいるからな。 弓が帰ってこなくてもあんまり心配はしなかったぜ」
弓が帰ってこなかった事について世尊が言った。
「俺は心配だったな。 心配で心配で」
「羽織はね。 だからその後の、本物の山賊を捕まえるための作戦会議にも身が入らなかったね。 勿論ぼくらも弓の事は心配だったけどそれよりアリドの方が先決だったからね」
「清流はシビアだよな」
羽織が言う。
「来意の占いで羽織が陽炎の剣を使って山賊の所に行くって言うもんだから、大変だったな」
巳白が笑った。
「なんでだ?」
アリドが尋ねた。
「だってね、いつ行くか分からないって来意にいちゃん言うんだもん。 おかげでボクはずっと巳白にいちゃんと遊ばなきゃいけなかったし、兄ちゃん達みんな羽織にいちゃんの後ろをぞろぞろついていくんだよ」
義軍が教える。 ちょっと言い訳がましく来意が説明する。
「だって羽織が陽炎の剣を使うときはいきなりというか無意識にというか、読めないんだよ。 やったことは無かったけど羽織が空間移動をした時に服とかはそのまま移動できてるんだから剣を振り下ろす時に羽織の体にでも掴まれば一緒に移動できるかと思ったんだけど……。 でも、空中に出るとは思わなかった」
「本当本当。 羽織の動きには、びくびくしたよね。 いつ消えるんだろうってね。」
「羽織はな〜、俺が陽炎の剣を使うってことは弓が危険な目に遭ってるってことじゃないか、これが落ち着いていられるかとウロウロオロオロするんだもんな〜」
「悪かったな」
「でも羽織様のおかげでまた助かりました」
弓がフォローする。
「サンキュ。 弓。 でも、弓もリトちゃんも頑張ったよ」
「そういえば、弓! あなた、魔法が使えるようになったよね?」
リトは思い出して言った。
「え?」
「本当?」
「っていうか、弓は魔法が使えなかったんだ?」
みんなに尋ねられて弓はうろたえる。
「ね、弓。 一回見せてよ」
リトが言う。
弓は頷いてブツブツと呪文を唱えて指を一本立てる。
みんなの視線が弓の指先に集まる。
「……」
「……」
「なぁんにもおこんないね」
待ちきれずに義軍が言った。
「……あぁ〜、ん、駄目。 出来ない」
ふぅっ、と諦めて弓が言う。
「えー?」
「どうしてだろう。 できたのに」
指先を見つめる弓を慰めるように来意が言った。
「火事場のなんとやら、ってヤツだと思うよ。 気にしない」
「ん〜」
弓もつまらなさそうだ。
「ま、まあ、絶対そのうちできるよ」
リトも慰める。
「なぁ、俺は一つ気になってるんだけど」
羽織が口を挟んだ。
「羽織。 火事場のなんとやらってのはたとえだよ。 弓が馬鹿力だと言ってる訳じゃないから。 念のため」
来意にあっという間に火消しされてしまう。
みんなクスクス笑っている。
それを満足げに見ていたアリドが急に立ち上がって、真面目な顔をして言った。
「話がある」
それを聞いて、みんながアリドを見つめる。
「もう――分かってるだろうと思うけど、オレは今日限りこの家を自分の意志で出ようと思う」
どうして? なぜ? と尋ねたのは、デイとリトだけだった。
他のみんなは黙って聞いている。
分かっていたというような顔だった。
「何回か、口にした事もあったし、オレの態度から気づいてたろうとは思うけど……オレは、ここを出て、裏の世界に入ろうと思う」
幼い義軍ですら、何もかも分かっているかのように、黙って聞いていた。
「どうしてなの?」
リトが尋ねた。
弓達が分かっていても、自分は分からなかった。 納得できなかった。
「オレの父親の仇を、討つためだ」
「仇?」
「オレの親父と、羽織の父親は、同じ男に殺されたんだ」
「え?」
リトが羽織を見る。 羽織は頷いた。
「そ、それが誰だか、分かってるの?」
震える声でリトが尋ねた。
「裏ハンター・ジン・ウォッカ。 ……それしか分からない」
アリドの代わりに羽織が答えた。
「裏ハンター?」
どこかで聞いたフレーズだとリトは思った。
「表の世界に自警隊があるように、裏の世界には裏ハンターといって、有名な自警隊、兵士、英雄、そういう者を狙って殺して名を上げる奴らがいるんだ」
信じられなかった。
「陽炎隊や自警隊がお尋ね者を捕らえたら評価が上がるように、裏ハンターは評価の高い自警隊員なんかを殺せば、奴らの評価は上がる……らしい」
「そ、それで、アリドや羽織くんの父親の敵が裏ハンターなの?」
「そう」
羽織が頷いた。
「そんな人たちがいるなんて……」
リトは信じられずに呟いた。
「知らなくて当然さ。 オレたちだって親を殺されたから存在を知ってるだけさ。 やつらの事は謎につつまれている。 そして羽織は自警団として名を上げることで、奴らの事を知りたいと思っているんだ。 オレは――」
アリドが一呼吸おいた。
「蛇の道は蛇。 裏の世界で名を上げて調べようと思う。 つーか、そいつが性に合ってる。 人様を助けて地道に名を上げて向こうさんから目をつけられるのを待つなんて、そんなのんびりした事はできない」
リトは何も言えなかった。
止めるべきだとは分かっていた。
「時期が来たんだ。 除籍されてお前達に迷惑がかかる事もない。 山賊をしたかという疑いも貰ったし、オレは、その道を行く」
全員が黙っていた。
巳白が黙って立ち上がると、棚に飾ってあった写真を手に取り、アリドの目の前に差し出した。
「アリド。 俺たちを育ててくれた一夢さんと新世さんの前で、たとえ周囲に誤解されても、二人に恥じる行いはしないって、誓うか? 誓うなら、俺たちは何も言わない」
巳白の問いにアリドは迷わずに答えた。
「死んで顔向けできねぇ事だけはしないさ」
「……ならいい」
巳白が頷いた。
他のみんなも頷いた。
リトはアリドの顔を見た。
育ての親の写真を見つめるアリドの瞳は切なげで、真剣で、悲しそうだった。
「……つーことで、オレは今日を最後にここを巣立つ。 お前ら、巳白の言うこと聞いて仲良くやれよ」
写真から顔を上げてアリドが言った。
「アリド兄ちゃん。 もう会えないの? 俺、嫌だよそんなの」
ずっと黙っていたデイが口を開いた。
「お前が会いたくないなら会わないけど?」
「会いたくない訳ないよ。 絶対!絶対だよ、また遊んでくれよな? アリド兄ちゃん」
「おう」
アリドはうれしそうに微笑んだ。
「そんじゃオレは行くわ」
「え? もう行っちゃうの? アリド」
「ま、な。 弓もリトと仲良くして元気でな。 ……安心しろって、ちゃんとこっちに来たときはメシ食いに寄るからさ」
「ご飯だけじゃだめよ。 アリドの部屋はちゃんとあるんだから――この家をアリドが出て行くって言っても――あるんだから――だってここは――」
堪えていたのか、弓が思わず涙を浮かべて声をつまらせた。
「大丈夫だよ。 弓。 泣かないで。 アリド。 必ず寝泊まりしに帰ってくるよ、な?」
羽織が弓の肩をさすりながらアリドを睨んで言った。 アリドが戸惑う。
「え、いや、メシ食い位には……」
「アリド。素直に帰ってくると言った方がいいぜ」
世尊が言った。
「弓ちゃん泣かしたら羽織お兄ちゃんが怒るよ?」
義軍も言った。
「泣かすって……なぁ、義軍……。 おい、清流、何とか言ってくれないか?」
「いやいやアリド。 ぼくとしても素直に寝泊まりに帰ってきますって言った方が得策だと思うんだけど。 それくらい予知能力の無いぼくでも分かるね。 さあ来意。 羽織がキれるまであと何秒くらいだい?」
知らぬ事よと清流が来意にふる。
「僕の勘ではカウントダウン65秒。 んん、弓がらみの羽織のキれ方は尋常じゃないからねぇ。 アリドはこのまんまじゃ出て行く前に羽織と大げんかして二人ともここのベットで一週間、治療しなきゃいけない体になりそうだなぁと」
手持ちのカードをピッと見つめて来意が言う。
全員でニヤニヤしながら声をそろえてアリドに尋ねる。
『さぁ、どうする?』
アリドは困ったように彼らの顔を見回す。
「あー、もー、分かった! 分かったさ、オレの負け。 はいはい。 ちゃんとこっちに来たときは寝泊まりに帰ってきます。 約束するって」
降参、とばかりに手を挙げてアリドが言った。
「よっしゃ」
「やったぜ」
「得策得策」
「おお、アリドがベットで寝込むビジョンが消えていく」
楽しそうに彼らは言った。
そして、誰からともなく笑いだし、あっという間にその場にいた者全員が大笑いした。
一緒に笑いながら、弓が言った。
「帰ってきてね。 この陽炎の館は、私たちの家だから」
アリドも、素直に頷いた。