第43話 大満足♪
急に群衆の後方が騒がしくなった。
その騒ぎにみんなが視線を向ける。
大きな黒い影が、群衆の頭上を飛んだ。
その影はみんなの視線を浴びながら、群衆をひとっ飛びし、裁判が開かれているその場所、アリドと裁判官達の間に着地した。
熊のように大きな体。 しかしすらりと伸びた逞しい四肢、つんと上を向いた長い尻尾。 口から出る赤い舌。
それは大きな黒犬だった。
グルルル、と犬がうなる。
兵士達が驚いて一歩後ずさる。
「おまえ……」
アリドも驚いて犬を見る。
犬の背中で、何かが動いた。
しっかりと犬の背中にしがみついていたが、ゆっくりと体を起こす。
「リト……」
信じられないというように、アリドもルティもマーヴェも口に出した。
「おまえは」
ボルゾン軍隊長も驚いて乱入者を見つめた。
リトは体を起こすと黒犬の背中から滑り降りる。
そして胸に何かをしっかりと抱いて、迷うことなく中央に座った裁判官の前まで歩いた。
想像外の出来事に裁判官も呆然とリトを見つめていた。
「と、突然、申し訳ありません」
リトは口を開いた。
「アリドは、一昨日、オクナル商人を襲った山賊ではございません。 これが、証拠の、オクナル商人が山賊に奪われた自動巻オルゴールです」
リトは息をなんとか整えながら胸元に抱いた緑色の花模様のオルゴールを差し出した。
「これは……!」
裁判官も驚いてその品を手に取る。 そのオルゴールは軍隊長と警察署長も手にとってから、オクナル商人に渡された。
オクナル商人がその品をまじまじと見る。
「そして、あの人がオクナル商人や他の人を南の森で襲った山賊の頭です」
リトは続けて黒犬の背を指さした。
するとそこには白目をむいて気絶した山賊の頭が、縄でぐるぐる縛られて黒犬の背中にくくりつけられていた。
「おい、そやつを下ろせ!」
ボルゾン軍隊長が命令をすると兵士が犬にくくりつけられた縄を切って山賊の頭を背中から下ろした。
「これはどういう事だ?」
警察署長が尋ねた。
「山賊の一味を――隠れ家を見つけました。 陽炎隊が山賊を全部捕まえました。 今、こちらに向かっています。 私は――私は時間が無かったので頭だけを連れて先に来ました」
「陽炎隊がか!」
返答したボルゾン軍隊長にリトは頷く。
「アリドは山賊なんかじゃありません」
リトは裁判官に一歩近づいて言った。
「しかし――オクナル、どうなのだ、その品は本当にお前が盗まれた自動巻オルゴールなのか?」
裁判官はオクナルに尋ねた。
「は、はあ……確かにこの二つとも、私の自動巻オルゴールに間違いございません。 しかしどちらが山賊に盗まれたものかは正直判断がつきませんし、仮に両方本物だとしても、この世に二つしかないものがここにあるということは私の家にあるはずの物が無いということになりまして……」
「アリドが持っていた自動巻オルゴールは私が預けたんです」
リトは言葉を遮って言った。
「私、自動巻オルゴールを壊しちゃって、アリドに修理に出してもらうように頼んで預けたんです」
裁判官が頷く。
「それが本当ならばアリドが持っていたのは山賊の品では無いという事になるな。 とすると山賊であるかどうかすら怪しくなってきたのか」
裁判官の問いにリトは頷く。
「やや、おまえは!」
その時いきなりオクナル商人がリトを指さして叫んだ。
「お前は確か、うちで働いている女中だな? どうりで顔を見たことがあると思った。 ならば合点がいく。 お前はこの自動巻オルゴールを我が家に手伝いに来ている時に盗んだのだな? それで私の家にあるべきはずの品物がこうしてここにあるという事か。 署長さま、どうかあの娘を引っ捕らえて下さい」
「ち、違います!」
リトは慌てて反論した。
「それはオクナル家の大奥様から頂いた品でございます」
「何を? 母上はこれをとても大切にしておられたのだ。 二つあるうちの片割れしかないけれどと言ってずっと大事にしまっておられたのだぞ? 息子の私ですらほとんど触ることもできなかった品だ、それをどうして女中ふぜいに……!」
オクナル商人は怒鳴り散らした。
そのとき、ひゅっとスリッパが飛んだ。
スリッパはパコンといい音を出してオクナル商人の頭に当たった。
「娘が出来たらやろうと思っておったのじゃよ」
そしてよく通る声が、群衆の中から聞こえた。
群衆をかき分けて、ハルザがやってきた。
「お母さん!」
「ハルザおばさま!」
オクナルとリトは一緒に声を上げた。
ハルザはゆっくりと前に進み出る。
「お母さん、いつお帰りになったのですか?」
オクナルが駆け寄り尋ねる。
「今朝方さ。 なんだか広場が騒がしいので来てみれば、なんじゃいなんじゃい、この大騒ぎは」
ハルザは裁判官に向き直って一礼をした。
「突然失礼致します。 私はハルザ=ドビュッシー=オクナル。 詳しい事情はよく分かりませんが、私の持っていた自動巻オルゴール、それをこの娘、リト=アロワに譲ったのは間違いありません」
「これはどういうことだ? とするとアリドは山賊ではないのだな? どうなのだアリド?」
裁判官が尋ねる。
アリドは目を閉じて何か考えていた。
そしてゆっくりと口を開く。
「別にどっちでもいいんだけど」
「は?」
「はぁ?」
アリドは意味が分からずぽかんと見つめる人々の視線も気にせずに背伸びをした。
「ま、陽炎隊が捕まえちまったっていうんなら、もうオレに用はないわな」
そして、にかり、と笑うと「これなーんだ」と言って一本の手で鎖を持ち上げた。
鎖の先には、重しが。
そして足にくくりつけてあったはずの鎖が、アリドの手に。
「ま、待て! 兵士よ、アリドを捕まえろ!」
慌ててボルゾン軍隊長が指示を出す。
さっきまでの弱り切った体はどこにやら。 アリドは高くジャンプして捕まえに来た兵士を避け、柵の上にすたりと降り立つ。
手足をぷらぷらと振る。
「いやぁ、縄が外れたら体が軽い軽い」
もう、アリドの手にも足にも、紫色に腫れていた形跡は一切見られなかった。
アリドは晴れ渡った空を見上げると、指笛を高らかに鳴らした。
つむじ風が起こる。 しかし空には何の変わりもない。
しかし、リトには分かった。
「よっ!」
アリドは柵からジャンプすると、空中で何かを掴んだ。 そしてそのまま、空にふわりと舞った。
変化鳥だ。 変化鳥が助けに来たのだ。
リトはそれに気づいたが、変化鳥の存在を知らない他の者達はアリドが空を飛んだと大騒ぎである。
その時、ワンワン、と黒犬がけたたましくほえた。
まるで自分を連れて行けといわんばかりに。
「元気でな」
それに対してアリドはそう答えた。
アリドの言葉が分かったのか、黒犬は身軽になった体で一気に群衆を飛び越え走り去った。
「ま、待て、黒犬も捕まえろ!」
警察署長が慌てて叫ぶ。
「んじゃ、ごきげんよう」
アリドはそれを見て満足そうに微笑むと軽く手を振った。
「ま、待てアリド! 再度取り調べを受けないと、お前の無実は証明できないぞ! このままでは山賊を行い、裁判中に脱走したことになるぞ! それでもいいのか?!」
ボルゾン軍隊長が叫ぶ。
「大満足♪」
心底満足そうに、アリドは答えた。
あんぐりと口を開けたままのボルゾン軍隊長を見ながらアリドの姿が空の上へ上へと上っていく。
「誰か! 奴を捕まえろ!」
ボルゾン軍隊長が叫ぶ。
しかし相手は空中にいるのだ、誰がどう手出しができよう。
「空を! 空を飛べる奴はいないのか! 教育係! 教育係殿は!」
警察署長も叫ぶ。
「ラムール殿は王宮で王子の目付をされていまして、こちらにはお見えではありません!」
警官が申し訳なさそうに答える。
「なんて事だ!」
あっはっはっは、とアリドの笑い声がする。
アリドは何もすることが出来ないみんなを眺めながら、ゆっくり、空を飛び、いつしかその姿は見えなくなった
「ラムール殿! ラムール殿!」
壊れるのではないかというくらい、ものすごい勢いで扉がノックされた。
「?」
中央でふて寝をしていたデイが身を起こす。
ラムールは音など聞こえないかのように、扉を背にして座ったままぼうっと外を眺めている。
「せんせ?」
デイが声をかける。
ラムールの視線がゆっくりとデイに向けられる。
どうにもラムールらしくない、のんびりとした態度であった。
ラムールはゆっくりと時間をかけて立ち上がる。 そうしている間にも、扉はドンドンと叩かれ続けている。
ラムールはひとつ背伸びをして、体をほぐした。
「ラムール殿! ラムール殿! 大変です! 緊急事態です! ここを開けてもよろしいですか!」
緊急事態だというのに、ラムールはゆっくりストレッチまでしていた。
「ふう」
何事も無かったかのように一息つくと、ラムールは真面目な顔になり、扉に向かって言った。
「何事です! 騒々しい!」
「も、申し訳ありません! アリドが、アリドが逃げました!」
扉の向こうで兵士が告げた。 逃げたという言葉を聞いてデイが驚いた。
「逃げる? まさかそんなはずはありません、とにかく扉を開けてかまいません、開けなさい!」
ラムールが言うとかんぬきが外される音がして扉が開いた。
「デイも来なさい」
ラムールにそう言われなくてもデイはついてくるつもりだった。 二人は部屋を出て兵士の前に立つ。
「アリドが逃げたとは、本当ですか? 術のかかった縄で縛り上げていたのですよ、あれでは赤子ほどの力も出せないはず、どうやって逃げたのですか?」
ラムールが尋ねた。
兵士が冷や汗を流しながら頷く。
「そ……それが……縄は裁判の時に外されてしまい……」
「なんて事を! しかし、それでも簡単に逃げることなどできないでしょう!」
「そ……そうなんですが、その、そ、空を飛んで逃げまして。」
『空を?』
デイとラムールの声が重なった。
「空では誰も手出しできません。 それで、ラムール殿に追って頂きたく……」
「なんて事だ! それで、アリドはいつごろ、どの方角に、どの位の早さで飛んでいったのですか?」
慌てた口調でラムールが尋ねる。
デイはちらりとラムールの顔を見た。
ラムールはデイが見ても予想外、という顔をしている。 だが……
「そ、そのう、アリドは、こちらにくる前ですから五分以上前の話でして、方角も、雲の上まで上がりましたので、そのう、どの方角かなどは全く……」
兵士が申し訳なさそうに答える。
「……そうですか。 そんな前にどの方角に行ったか分からないというのであれば……申し訳ありませんが、私が今更後を追っても力にはなれないであろう、と軍隊長達にご連絡頂けますか?」
兵士はそれを聞いて、ははっ、と了解する。
「私がそちらにいれば対処できたのですが……。 行かなかった私のミスです。 申し訳ありませんと付け加えて申し上げておいて下さい」
ラムールはとても残念そうに伏し目がちに告げた。
デイはじっとラムールの顔を見ていた。
兵士がその場を去ると、ラムールがデイの方に向き直り、
「まさかアリドが空を飛んで逃げるなんて、考えもしませんでしたねぇ、デイ」
と、ことさら予想外だったとでもいわんばかりの口調で言った。
デイはクスッと笑った。
「せんせー、こーなるって思っていたの?」
ラムールがそれを聞いてわざとらしく首を横に振った。
「まさかまさか」
デイが笑顔になった。
「せんせー、遊びに行ってもいい?」
ラムールは頷いた。
「もう、いいでしょう」
そしてにこりと微笑んだ。
デイがきびすを返して遊びに行こうとしたその時。
「き、教育係! 大変です!大変です!!!」
悲鳴に近い叫び声を上げて別の兵士が駆けてきた。
「どうしました?」
ラムールが素早く答える。
「あのあのあの、広場で、ば、爆弾が……」
兵士のろれつが回らない。
「行きましょう」
ラムールは即答するとふわりと浮き、すぐ側の窓から外に飛び出して広場へと向かう。
デイはそれを眺めながら言った。
「やっぱりこれがせんせーらしいよな」