第42話 山賊として裁かれる日
夜が明け、人々が続々と広場へ集まってきていた。
今日はアリドが山賊として裁かれる日だ。
広場には被告人が立たされる台と、その正面に軍隊長、警察署長、裁判官が席を並べて座る。 その三席の横には焼きごてを持った兵士達が立っている。
まだ当事者は誰も来ていないが、見物人だけはどんどんとふくれあがり広場はぎゅうぎゅう詰めであった。
そこにはルティ達の姿もあった。
「ねぇマーヴェ、弓とリトは?」
「知りませんわ。 ああもう、どうしたらいいのかしら?」
「知らないの? 仕方がないね。 少しでも裁判が始まるのを伸ばそう」
「ええ分かってよ。 やってみますわ」
ルティ達は周りを見回した。
会場のどこにも、弓、リトの姿はもちろん、陽炎隊の姿も、巳白の姿も、ラムールの姿すら見あたらなかった。
「リト……弓……」
時間は刻一刻と過ぎていく。
その頃。 王族居住区ではバトルが繰り広げられていた。
「せんせー! せんせーってば! 開けて! 開けてってば!」
デイが大声で喚きちらしながら大きな扉をドンドンと叩いていた。
「デイ王子。 この扉は開けぬようにとの教育係からのお達しです。 開けるわけにはまいりません!」
扉越しに近衛兵がなだめすかすように告げる。
デイは宮殿の中の一室に閉じこめられていた。
その部屋は吹き抜けになっており天井は高く窓はすべてはめ込みになっており、通気口はあるものの人が出入りできる大きさではなかった。
その昔、倉庫として使用されていたものである。
デイは兵士居住区で二度も騒ぎを起こしたと叱られ、その部屋で反省するようにと昨晩放り込まれたのである。
部屋には布団以外何もなく、デイは窓を割ることも扉を開けることも出来ない。
デイは窓から外を眺めた。
もう大分日も昇っている。 もうすぐ裁判が行われるはずだ。
――アリド兄ちゃんが、無慈悲な山賊なんてする訳がない、弁護しなきゃ!
デイはそう思って、一秒でもここから早く出ようとドアを一晩中叩き続けた。
「せんせー! せんせ、開けてよ! 俺は行かなきゃいけないんだよ! せんせ、せんせーってば!」
力任せに叩き続けた手には血がにじんでいた。
それでもデイは扉を叩くのを止めなかった。
ガチャリ、と鍵の開く音がした。
デイは一歩足を引いた。
扉がゆっくりと部屋の中に開き、ラムールが入ってきた。
「せんせ……」
デイは肩で息をしながらラムールの顔を見つめた。
ラムールはそっとデイの手を握ると治癒魔法をかけた。
「まったく……馬鹿ですね。 こんなになるまで扉を叩いて」
「せんせ、俺、行かなきゃ!」
ラムールの手をふりほどいてデイは扉へ向かおうとする。
しかしラムールは手を離さなかった。
「行ってはいけません」
穏やかな声だった。
「なんで!?」
納得できずにデイは声を荒げた。
「訳はありませんけどね」
苦笑しながらラムールが答えた。
そして付け加えた。
「ここからは裁判が終わるまで、決して外に出しません」
「どうしても?」
「ええ」
ラムールは窓の外に広がる青い空を見つめた。
デイを掴んだその手に、ほんの少し力が入る。
デイは手に伝わるラムールの力を感じながら、じっとラムールの横顔を見つめた。
外で鳥がさえずるのが聞こえた。 これからアリドが罪人と決められる、そんな一大事が起ころうとしているなんて嘘のように。 静かに。 穏やかに。
「行かない方が、いいの?」
言葉を選ぶように、デイは呟いた。
「あなたが行かないように、私はここで見張ります」
デイの問いには答えず、ラムールは出入口にいた近衛兵に目配せをする。 すると近衛兵は一礼をして部屋の外に出ると扉を閉め、外からかんぬきの鍵を、がちゃんと閉めた。
ラムールが掴んでいたデイの手を離す。 そして出入口の扉の前で扉を背にして床に足を伸ばして座ると腕を組み、目を閉じた。
デイは窓の外とラムールの顔を交互に見比べると、少しやけくそ気味に「ふんっ」と息を吐くと、その場に寝ころんだ。
マーヴェは人混みをかき分けて、自分の叔父の姿を探した。
叔父は書記官だった。 彼がいなければ裁判の内容を記す者がいないので裁判は始まらないはずなのだ。
そして叔父はマーヴェにめっぽう甘かった。 そう、きっとマーヴェが叔父を見つけてお腹が痛いとでも言えば、慌てて病院に連れて行ってくれるはず。
ところが人の数が多すぎた。
どこを探せば叔父の姿があるのか見当もつかない。
その時、少し離れたところで笛が鳴った。 そしてその笛の合図とともに人が道をあけた。 先頭に軍隊長がいた。 そして取り囲んだ人の視線が軍隊長の背後に注がれる。
軍隊長の後ろに裁判官、警察署長、そして書記である叔父の姿が見えた。
「叔父さ……」
マーヴェは叔父を呼ぼうとした。 しかしその場所はあまりに遠く、多くの群衆のざわめきの前ではマーヴェの声は叔父には届かなかった。
マーヴェは唇を噛んだ。
ルティは裁判の行われる場所の最前列にいた。
笛の合図とともに白の館の方角から人が別れて道を作り、そこを軍隊長達が歩いてきた。
軍隊長や警察署長、裁判官等の後、兵士に守られてオクナル商人が歩いてきた。 ラムールによって山賊に痛めつけられた体の傷は全快していたが、その表情は険しく、怒りに満ちていた。
彼らはそれぞれ自分の座るべき席へと着く。
被告人の立つ台に誰も立っていない分、妙に浮き立って見えた。
「アリドは……?」
ルティはつぶやいた。 アリドの姿が見えない。
一瞬、ルティは、アリドが無罪であるため裁判は行わないことになったとか、アリドが脱獄して行方不明なので裁判が出来ないとか、裁判官が言うのではないかと期待した。
ところが期待はあっけなく裏切られた。
アリドを除く全員が着席し、裁判官がコホンと遠慮がちに咳をすると、後ろに控えていた兵隊が銅鑼を鳴らし、その響きが辺りに響き渡った。
「今から、山賊の罪を働いた嫌疑でアリドの裁判を始める」
よく響く声だった。
「アリドを、ここに」
警察署長が言った。
全員の視線が人が別れてできた道へと集まる。
兵士の姿が見えた。
あれ、と誰もが首をかしげた。
アリドの姿が見えないのは、周囲の人混みが多いので見えないだけだろうと思っていたのだが、すぐ側を通るはずのアリドに対して群衆から野次が飛ばないのである。
このろくでなし、馬鹿野郎、屑、
そんな野次が飛んでも全く不思議ではないのに。
しかし、その理由はすぐにわかった。
一人の兵士の後ろに、二人の兵士が続いてきて歩いてきた。
二人の兵士はアリドの両脇を掴み、引きずるようにアリドを連れてきていた。
「アリドさんっ!」
叫び声を上げたのは、ルティと同じく最前列で見ていた、雑貨屋の二代目だった。
アリドは昨日縛られた縄のせいで、後ろ手に縛られた手はそれぞれ紫色に腫れていた。 縄で縛られた足首から先も同じように紫色になり、足首につけられた鎖の重りのせいで縄が足首に食い込み血が流れている。 顔は土気色で生気が無く、歩く体力も残っていないようだった。 まるで何時間も何時間も拷問を受けた後のように。
「ひでぇ…。 なんだ? ありゃあ……」
「痛そう……」
「拷問でもあったのか?」
見物人が口々に言う。
とても凝視できるような姿では無かった。
アリドの膝ががくっと折れて地面にドサッと崩れ落ちる。
きゃあ、と女達の悲鳴が上がる。
こんな弱々しい姿をした男に、誰も野次を飛ばせる訳がなかった。
アリドは倒れたまま起きあがらない。
死んだのではと思うくらいだ。
「あんなに弱っているのに……縄をほどいてもいいんじゃないの?」
誰かが言った。
死んだのではないか、大丈夫なのかと、ざわざわ、ざわざわと周囲が騒がしくなる。
「軍隊長。 どうしてあやつはあんなに弱っているのだ?」
裁判官が尋ねた。
ちらりと裁判官の顔を見てから、ボルゾン軍隊長は困ったように答えた。
「昨日、捕まった時に暴れたものですから、教育係が術のかかった縄でしばりあげましてな。 あの縄で縛っている間は赤子位の力しか出ないとの事だったのですが……」
「しかしあれでは、弱りすぎであろう。 縄をほどいて足首だけの重りでもよいのではないですか?」
見かねて裁判官が言った。
「私もそう思います。 私も沢山、罪人は見ていますが、ほら、あれでは虫の息です。 このままでは裁判すらできない」
警察署長も言った。
「むむう……」
ボルゾン軍隊長はじっとアリドを見つめた。
周囲に教育係の姿は無い。
「絶対見に来ると思ったのだが……教育係はどうした?」
ボルゾン軍隊長は兵士に尋ねた。
「はっ。 教育係殿は王子が居住区から出てこないように見張られております」
兵士が敬礼して答える。
「昨日、王子はさんざん悪戯なさったからな……。 それも仕方ないか」
ふぅ、とボルゾン軍隊長は息を吐く。
「おい。 アリドの縄を解いてやれ。 ただ、足首の鎖だけは外すな」
命令が下ると、アリドの横についていた兵士二人がアリドの縄を解く。 ほんの少し楽になったように、アリドは伏せたまま息を吐いた。
「さあ、行くぞ」
兵士はアリドを立たせて歩かせた。 アリドは少しは体が自由になったのか、さっきよりは少しだけ軽い足取りになって歩き出した。
アリドが被告席台に立った。
アリドはうつろな眼で前を見ていた。
「それでは、裁判を始める」
裁判官が告げ、書記が記入した。
「まず、おまえの名はアリドに間違いないか?」
「…あい」
ぼそりと、アリドが答える。
「証拠品をここに」
警察署長が言うと、兵士が緑色の花模様が描かれたオルゴールを持ってきて裁判官に渡した。
「まず、これをおまえが持っていた、それは間違いないな?」
「はい」
アリドが答えた。
最前列の縄一本隔てて聞くルティは、震えながら見つめるのが精一杯だった。
「では次に、オクナル。 このオルゴールはそちのに間違いないな?」
「はい。 間違いありません。 このオルゴールは初期型の品で、同じ形の物が二つあるのですが、今は亡くなりました父が商売を始める時に、母がとても気に入ったというので二つとも購入したものでございます。 ところが私が幼い頃重い病にかかりました時、片割れの一つを治療費代として手放したのでございます。 その後行方はさっぱりと分からなくなり、私は幼い頃から片方しかないオルゴールを見て育ちました。 私はいつか私のために離ればなれになってしまった対のオルゴールを見つけて一つにし、その音色を親に聞かせてやりたいと、ずっと思ってきたのでございます。 間違いございません、オクナル家に伝わっていたオルゴールでございます」
オクナルは一気に説明した。
裁判官が頷く。
「それでは――アリド。 これをどこで手に入れた?」
皆の視線がアリドに注がれた。
「一昨日、南の森で。 旅の途中の奴らから奪い取りました」
アリドは何度も練習したかのようによどみなく答えた。
「そうか。 では山賊行為を働いたというのだな?」
「はい。 そうです」
「仲間は」
「仲間……は、黒犬を犬笛で操っただけだから、オレだけです」
ボルゾン軍隊長の眉がぴくりと動いた。
「ちょっと待てアリド。 城下町のすぐ側の村で弓達を襲ったのもおまえだというのか?」
「さぁ、どうだっけ。 忘れました」
「山賊、というのは何人もいないと賊とはいえないと思うが?」
警察署長も言った。 アリドは肩をすくめる。
「犬がいたから十分でした」
「犬は? どこにいる?」
「さぁ?」
アリドの態度に周囲がざわめいた。
「おまえの言葉を信じるとすると、おまえは一人で多くの山賊行為に及び、多くの人を傷つけ、富を得たことになるぞ。 今回のオクナル商人の件だけではなく、今まで起こった南の森での山賊行為もすべてお前がやったのだな?」
裁判長が尋ねた。 アリドはぽりぽりと頭をかきながら足下の砂を蹴った。
「面倒だなぁ。 そーだよ、オレがやりました。 やったって言ってるんだからさっさと有罪にして焼きごて押して島の監獄にでも放り込んでくれりゃあいいじゃん」
アリドはガツガツと地面を苛々しながら蹴った。
「オレは全然かまわないからさ?」
じっとアリドを見つめていた裁判長は背筋を伸ばした。
「ではその通りにしよう。 アリドを第2級窃盗犯、山賊の罪で罪人印を押してバル監獄に投獄する」
ぴしりとアリドを見つめて言い切った。
アリドは唇の端をすこし上げた。
書記官が記録をする。
兵士が焼きごての準備を始める。
よく焼けた鉄の焼きごては手のひらほどの大きさの×の形だ。
腕を組んでまっすぐ立つアリドの周囲を兵士が囲む。
「見くびるなよ。 焼きごて位で、別に暴れたりしねぇさ」
アリドはさらりと言ってのける。
「ああ、や、やめて下さい! 間違いです! これはきっと何かの間違いです!」
最前列に張られた縄を乗り越えて雑貨屋の二代目が飛び出てきた。
ところがすぐに兵士に捕まる。
「間違いです! アリドさんは、そんな、そんな事をする人じゃありません、山賊だなんて何かの間違いです、きっと誰かをかばっているんです、お願いです! お慈悲を!」
二代目は泣きながら叫んだ。
「そうよそうよ!」
今度は別のところから黄色い女の声が上がった。
けばけばしい化粧をした女達がロープから身をのりだして叫ぶ。
「アリドは優しいんだから!」
「お金なんかには興味ないンだから!」
「もっときちんと調べなさいよ!」
彼女たちも兵士に制されながらも叫ぶ。
「おまえら……」
アリドが意外そうに呟いた。
「しかし! 本人がしたと認めているのだ。 そしてこの品は山賊に盗まれた物なのだ! これをどう言い訳する! 仮に誰かを庇っているとしてもだ、その庇われた相手はどこにいる? なぜ出てこない! 仮にいたとしても、そいつが山賊ならアリドも仲間には間違いない! 監獄に送って取り調べを受ければさらに真相は明らかになるだろう!」
騒ぎを納めるように大声で裁判官が言った。
「でも…!」
「ええい、お前達も逮捕されて取り調べられたいか!」
警察署長が一喝した。
「アリドは昨日は疲労激しく取り調べはできなかったが、今はもう、これから取り調べできるのだぞ! そうすればすべてが明らかになる!」
取り調べ――有罪になった後の。 それは拷問を意味していた。
ひっ、と女たちが息を呑む。
アリドは困ったように微笑んだ。
「ま、お前らを騙して悪かったな」
兵士がアリドの両脇を固める。
そしてアリドの背後へ、一歩一歩、焼きゴテを持った兵士が近づいてくる。
「いやっ!」
ルティが耐えきれずに視線を逸らしたその時。
――……め……――
遠くから、少女の叫ぶ声がした。




