第38話 行ってみましょうか、相棒
その夜中、一時すぎに、リトと弓はこっそり部屋を出た。
勿論、犬笛を使って山賊の住処まで行く為である。
最初はどちらが行くかでもめていた。
弓がオルゴールの時の危険性を言ったときと同じように、今回の場合も危険性は多大にあった。
この犬笛は、山賊のだという確証は無い。
仮に山賊のだとしても、しばらく放置されていたのだ、扉は一体どこをこの犬笛の所有者の居場所と認めるだろう?
見知らぬ人の家かもしれないし、山賊の住処かもしれない。
それともあの樹の場所に出るのか、はたまた所有者不明でラムールの部屋に飛び込んでしまうのか、全く見当がつかなかった。
当然、最初に思いついた弓が行くと言った。
しかしリトも引かなかった。
「二人で……いこうか」
そう言ったのはリトだった。
二人でいけば例えどこに出ても、一人で行くよりは残された方も安心だ、ということである。 そして一人ではなく二人なら、無茶もしないだろう、と。
弓も、どっちも引かないと、このままじゃ行くことすらできなくなるわ、と笑って納得した。
リトと弓はそれぞれ肩掛けバックを持ち、その中に懐中電灯、救命信号弾、そしてペイント弾を入れ、リトだけが何でも秘密兵器とやらを入れた。
二人は見回りの兵に見つからないように気をつけながらラムールの居室へと向かう。
「リト、いい? 約束よ?」
弓が言う。
「目的はあくまで山賊の隠れ家を見つけること。 場所さえ分かれば城に戻ってきて軍に来て貰えばいいだけだわ」
「うん」
二人は音を立てないようにラムールの居室へ続く階段をのぼった。
扉の前で、今度はリトが言った。
「弓。 私からも、お願いと、約束」
リトは少し緊張して口にした。
「ずっと一緒よ? もし――もし、山賊に捕まるときも――」
「うん。 一緒ね」
弓が返事をした。
二人はお互いに顔を見合わせて微笑み合った。
「こういうの、何ていうんだろ?」
リトが言った。
弓が少し照れくさそうに言った。
「きっとね、ちょっと男の子っぽいけど――相棒」
「相棒か」
「ふふ。 相棒」
「いいかもしれない」
リトは左手を差し出す。
「行ってみましょうか、相棒」
弓が右手でリトの手を掴む。
「了解。 相棒」
弓が左手に犬笛を持ち、そっと扉の下部の彫り物にあてる。
リトが右手にハンカチをかぶせて、ノブを持つ。
「いっせーの、で……!」
二人は扉を開けてその向こうへと消えていった。
干し草が舞った。
そして黒犬の集団が所狭しと横になって寝ているところへ、リトと弓はごろごろと転がり倒れた。
キャンキャンキャン!
ワオン!
ワンワンワン!
急に何かがぶつかってきたのだ。 それでは犬も驚くだろう。 その小屋の中はまるで戦争でもあったかのような大混乱に陥った。
「何だ!」
犬の声を聞いて男が二人、その小屋へと駆け寄ってきた。 扉を開けて灯りを照らす。
そこは元々は馬小屋らしかった。 干し草が散った床。 馬を入れておく部屋。 しかしそこに馬の姿はなく、小屋いっぱいに黒犬が30匹ほど思い思いの場所に寝転がっていた。
小屋の中央で二匹の犬がお互いに牙をむきだしにしながら睨み合っている。
「何だ……。 またおまえらのケンカか」
男は入り口の柱に打たれた釘にかけてあった犬笛を取ると、シュッ、と吹いた。 犬達の耳がぺたんと折れ、尾を股の間に隠してキュウ……と鳴いた。
「やかましくすんじゃねーぞ?」
男はそう言って扉を閉めると立ち去っていった。
男がいなくなると、小屋の隅で横になっていた熊のように大きな犬が一頭、クゥン、と鼻を鳴らした。
「あっ、ありがとう……」
その犬の前足をあげて、体の下からリトが這い出てくる。
そしてそのすぐ隣で横に並んで寝ていた中型の黒犬が一頭一頭立ち上がると、その下から弓が現れた。
「びっくりしたぁ」
弓が呟く。
するとまるで”静かにしなさい”と言わんばかりに大きな黒犬がクゥンと鳴いた。
リトと弓は立ち上がり体についた干し草をはたき落とす。
「ここは――どこなんだろう」
リトは自分を隠してくれた黒犬を見た。
熊のように大きなその犬は見覚えがあった。
初めてアリドと会ったときに、アリドが乗っていた犬に間違いなかった。
そして周りの黒犬達も、一頭一頭を覚えてはいなかったが、その雰囲気がリトを襲った黒犬だと感じた。
リトは少し混乱していた。
リトを襲った犬と、アリドが乗っていた犬が同じ場所にいるというのは何を意味しているのか?
そう、それはアリドが山賊だということだ。
「あら。 可哀想」
リトのショックも知らずに弓が大きな黒犬を見て言った。
大きな黒犬は重そうな鉄の鎖で足を柱に結びつけられていた。
幸い、鎖に棒を通しただけの簡単なつなげ方だったので弓は迷わずそれを外した。
黒犬は嬉しそうに弓の顔に自分の顔をすりよせた。
「こちらこそ、さっきは隠してくれてありがとう」
弓は犬の頭を撫でる。
「弓、行こうか」
リトは言った。 すると黒犬が顎をしゃくりあげて窓を向く。
「ここから出ればいい?」
弓はそう言って、ためらうことなく黒犬の背中を借りて少し高いところにある窓へと飛び移った。
「いこう?」
弓から声をかけられてリトも慌てて同じように犬の背中を借りる。
二人は窓から外へと飛び降りた。
当然の事ながら辺りは暗闇で、この周囲は森に囲まれているようだった。
梟の鳴く声がする。
雲が切れ、月光が差す。 リトと弓はお互いの顔を見る。
「ここって……何だろう」
リトが小声で囁く。
弓が馬小屋の左手にある少し広くなった場所へと歩いていく。 弓の足下には崩れ落ちた家のがれきがあった。
「火事……か何かで家は壊れたのね。 きっと。 馬小屋は無事だったんだわ。 南の地区でそんな場所に心当たりはない? 結構、古そうだけど……」
リトは首を横に振る。
「あと……さっき男がいたよね。 どこにいるんだろう?」
そして周囲を見回す。
微かに、ほんの微かに、笑い声が聞こえてくる。
弓が声のする方にこっそり歩いていく。
「あ」
小さくそう言って弓は引き返し、リトの手を取って崩れ落ちた家の物陰に隠れる。
「ほら見て」
がれきとがれきの隙間から二人は覗いた。
家の後ろには切り立った山があった。 そしてそこの山の一部にぽっかりと穴が空いて奥へと繋がっている。 声は穴の奥から聞こえてくるようだ。
入り口には男が二人、足下に灯りを置いて、座って酒を飲み交わしていた。
「見張りね」
リトが呟いた。
「あの奥がきっとねじろなんだ……」
「結構深そうな洞窟よ。 中で騒いでいる人の声が微かにしか聞こえないんですもの。 そして、かなりの数がいるわ」
二人は黙って入り口を暫く眺めていた。
「さぁリト、帰ろう? 場所さえ分かればいいじゃない?」
弓がリトの袖を引っ張った。
リトは返事をしなかった。 それを見て弓がおそるおそる尋ねる。
「もしかして……。 帰るつもりがない、とか?」
「うん。 だって、山賊かどうか分からないもの」
「じゃあ、どうするの?」
弓が尋ねた。
「証拠を探しに行く」
リトははっきりと言った。
「弓は……」
リトは言いにくそうに付け加える。 しかし弓は、迷うことなく「行くよ」と答えた。
「いいの?」
思わず確かめたのはリトの方である。
「だってリトはそうしたいんでしょう?」
「危ないかもよ?」
「そうねぇ。 じゃあ帰る?」
「え、いや、それは……」
逆にしどろもどろになるリトを見て弓が微笑む。
「でしょ。 じゃあ頑張りましょう。 相棒♪」
どうやら弓は相棒のフレーズが相当お気に召したらしい。
「……オッケー」
リトも覚悟を決めた。
「――さて、それじゃあ、何を探せば証拠になるのかしら?」
「それは私の持っていたのと同じ自動巻オルゴール。 あれなら言い逃れはできないでしょ?」
「確かに」
「じゃあまず、あの見張りをどうにかしなきゃ」
すると弓は黙って、持っていた犬笛を口にくわえた。
弓の瞳がほんの少し、悪戯っぽく輝いた。
フシュッ
弓が笛を吹く。 しかしリト達の耳には聞こえない。
――ところが。
ワォゥォォォォオオン
ワォゥォォォォオオン
犬小屋の中から遠吠えが聞こえた。
ワォゥォォォォオオン
ワォゥォォォォオオン
最初は一頭の遠吠えだけだった。 しかしそれは段々、二頭、三頭と広がっていき、やがて馬小屋の中にいる犬すべてが遠吠えをしだした。
それに気づいた見張りの者二人が持ち場を離れて馬小屋にやってきた。
扉をあけ、壁にかけてあった笛を取り、吹く。
すると再び、まるでラジオのボリュームを下げるように犬達の騒ぎは収まった。
「まったく、今日は何度も騒いでなんだっていうんだ」
男が吐き捨てるように言った。 そして再び持ち場に戻る。
――そう。 男達は気づいていなかったが。
弓とリトは男達が持ち場を離れた隙にまんまと中に入っていった。
「すごいじゃない、弓! 犬笛、使えたの?」
リトが弓を肘でつついた。 弓は笛を持ち上げて見る。
「使ったことはあるんだけどね、使えるというより、使ったら必ずこう遠吠えするのよね」
「……下手なのかな?」
「こら、リトっ」
弓がふくれ、リトは笑う。 二人はできるだけ音を立てないように気をつけながら洞窟の中へと入っていった。