第17話 ライマ
暫くして。
「んー、さっぱりしたぁ〜」
バスタオル1枚を体に巻きつけ、あられもない姿で彼女は扉から出てきた。
細く長い手足、女性らしい豊かな胸のふくらみ、柔らかな体の曲線と、きらきらとプラチナのように光を反射する左分けにした長くて美しい銀髪。 それはまるで白銀の世界から現れた妖精のような美しさで、軽やかに佐太郎が座っている中央のゴザのところまで歩いてくる。
どこにも青年教育係ラムールの面影はない。 いや唯一、柔らかみが出たもののその眼が放つ知的な輝きのみが微かに彼を予感させるだけだった。
「おう。髪も戻したのか」
佐太郎は彼女を見てそう呟いた。
「ん、きちんと染め直そうと思ってね」
彼女は佐太郎の正面に腰を下ろした。 佐太郎は大きなボウルの中で粘土のようなものをこね回している。
「んでよ、ライマ、フルバージョンはどこに注意すればいいんだ?」
手にへばりついた粘土のようなものを伸ばしたり引っ張ったりしながら、壊れた電化製品を修理に来た技師のように佐太郎が尋ねる。 その言葉に彼女は呆れた感じでため息をつきながら答える。
「だから、ラムール。 今の名前はラムールなんだって。 ね?……で、えっとね、フルバージョンはどこから見てもどんな格好してもばれないようにして。 座ったりしゃがんだりしても。 至近距離で見ても。 あ、お湯につかっても。 体に石けんがついても」
佐太郎は粘土のようなものの固まりを丸めて数個の固まりに分ける。
「何すんだ? いつもと違ってまたえらく注文が多いな。 フルカバーバージョンっつったら風呂の時か水泳の時くらいしか使う場所はないよな? 前にあの坊主達にやったみたいに男の体で義軍を風呂に入れてやるのか? もう何回もやったろ? おめぇさんが女と疑われるはずは無いと思うけどな?」
彼女はよくぞ聞いてくれましたとばかりに、しかし子供みたいに体を左右に揺らしながらだだっ子のような口調で説明した。
「あの子たちじゃないのー。 お風呂は正解なんだけどサ。 ――まったくもう、聞いてよ佐太郎ー? お風呂はいる事になっちゃったんだよ? お風呂。 しかも大浴場。 軍隊長と一緒に」
驚いた顔をして佐太郎が見る。 ラムールはぷう、とふくれて指先で地面をなぞる。
「なんでもさぁ、男が腹をわって隠し事なく話すにはもってこいなんだって」
「わっはははは。 たまにいるな。そいうい奴」
佐太郎は楽しそうに声をあげて作業を進める。
「ホントならねぇ、別に乗らなくてもいいやって思うんだけど、どーゆう訳か引くに引けなくて。 あーん、男だらけの大浴場に行くのヤだー」
「ふふ。 そうだな。 ……ああ、教育係も大変だ」
佐太郎は彼女の話を聞いてはいるのだろうが右から左に流す感じで生返事しかしない。しかしそれで彼女の方も一向に構わないようだった。
「そういやライマ、聞いたぞ。 また宰相になるの蹴ったんだって? 勿体ねぇなぁ」
ふと思い出したように佐太郎が別の話題を出した。
「宰相? ジョーダンきついよ佐太郎。 陛下も陛下で私が絶対断るって分かってるのに何度も打診するんだもんなぁ」
彼女もあっさりと答える。
「そりゃおめぇ、雇ったときは年端もイカねぇガキだったから教育係が精一杯だったんだろ。 それがどうだい。 今は立派に成長しておめぇが宰相になる事に意義を唱える重臣なんていやしねぇだろうが」
「自分の心情的にね、ていうか、、性別偽ってる事もあるし。 受けることはできないよ。 宰相なんて大役」
それを聞いて、ふーん、と佐太郎が口をとがらせる。
「面白くねぇなぁ」
「面白がるなぁ!」
彼女は笑いながら言い返した。
「そういやライマ、この前のヒゲ生え薬はどうだった?」
「あー、あれ、ナイスナイス。 夜飲んだら朝にはそりゃあもうイイ感じにヒゲ生えた生えた。 自分の顔にヒゲ生えるのってヘンな感じだねぇ。 なんかね、こー、チクチクするの。 でも面白かったよ」
「わっはは。 それこそ面白がるなよ。 ……さて、よし、ベースができたぞ。 ほりゃ、ライマ。 立て。 寸法計るぞ」
「はーい」
彼女は立ち上がる。 おおまかな寸法を測った後、佐太郎はみるみる間に手元にあった粘土のようなものをこねあげて男性の体を作り出していく。
「よし、後は微調整だ。 ……しっかしよ、腰はどんどん細くなるし胸はどんどんでかくなるし、男の体に作り上げるのがだんだん大変になってきたぞこりゃ」
佐太郎が愚痴った。
「お世話かけます」
彼女は床に手をついて少しおどけて深々と礼をした。
「いやおれはいいんだけどさ、ライマがきついだろうなと思っただけさ」
「だからラムールだってぇ」
「んにゃ、ライマだ。 おまえさんはライマ=ドムールだ」
彼女は困ったように眉をひそめると近くにあった小さめのボウルとハケ、2.3個の小瓶を取り出し、瓶の中身を開け近くの棒でかき混ぜ始めた。 液体がほどよく混ざり栗茶色の液体へと変化していった。
「その名は……私の名前じゃない」
混ざっていく液体を眺めながら呟くように彼女は続けた。
「教育係になった時に私の名はラムールになったんだ……」
液体がとろみを帯びて、はけにまとわりつく。
佐太郎は彼女に向き直った。
「そいつぁ知ってるさ。 だけどもよ、おれにとってはライマはライマだ。 今じゃあおれくらいしか呼ぱねぇ、っつーか、おれしか知らないんだろうけどよ。 おめぇをガキの頃から知っているおれにはおまえはいつまでたってもおてんばでちびっこいライマなんだよ」
彼女は何も答えずに黒茶色の液体をハケですくうと銀色の髪に塗り始めた。 月明かりのように淡い銀色の光を放つ髪が茶色に染まっていく。
彼女は丹念にゆっくりとハケを動かす。
「なぁ、ライマ」
しばらくそれを見ていた佐太郎が口を開いた。
「それだけの美貌を持って女に戻れば何も苦労しないと思わねぇか? 髪を染めて声色を使い、人工皮膚で体を覆い男を装い、誰にも知られる事がないように昼夜男として生きていく……辛くは、ないのか?」
彼女は間髪いれずに佐太郎の方を向きはっはりと言った。
「辛くはないよ」
鋭い凛とした目つきだった。
「私はこの国のありかたをもっと良くする為にこの身を捧げると誓った。 私の使命は王子を一人前の立派な王となるよう教育してこの国に住むすべての心優しき者達にすべての民に幸せを、この国に発展と栄光をもたらさんと誓った。 まだまだ、道のりは遠い」
一気に言い終わると彼女は再び液体の入ったボウルの方を向きハケですくい、髪を染めながら言った。
「辛いとか、感じてる暇はない」
彼女の瞳が、染まって様相を変えていく髪を追う。 茶髪と銀髪の混じった髪を見る彼女の瞳の奥に、時折、何らかの辛苦の記憶がゆらいでいた。
佐太郎にはライマのすべてが強がりではないにしろ、この道しか残っていないのだという張りつめた糸のような、そんな印象をいつも受けていた。
「そっか、すまなかったな。 変なこときいてよ」
「ううん。 私こそ、ムキになったみたいでごめんなさい。 ……それに、いつもありがとうね。 佐太郎。 佐太郎が協力してくれるから今でも私は男として教育係でいられるんだから。 感謝してる」
佐太郎を見つめる彼女の瞳は安堵に満ちている。 佐太郎はその瞳を見るたび自分が本当に頼られていることを感じた。
「バーカ。 それこそ一番つまんねぇ言葉だろうが。 おめぇは妹みたいなもんだと思ってんだからさ。 何でも自分でできそうな事は自分でやりやがって。 アホが。 いくらでも迷惑かけろや。 というかおめぇは人に迷惑かける位でちょうどいいんだよ」
乱暴な口調だが逆にそれが優しさを感じさせる。
「あはは。 それってよく一夢や新世が言ってた」
やっと彼女の表情に笑顔が戻った。
「だろー? っと、おお。 できたできた。 ライマも髪の毛染め終わったみたいだな。んじゃ、ほりゃ、着てみろや」
佐太郎はそう言って今作ったばかりの人皮を放り投げた。
それはつま先から履くような感じのスウェットスーツのように出来上がっていた。 精巧に出来ている為中身の抜けた人の抜け殻のようで、見た目はあまり気持ちのよいものではない。 しかし中途半端に一部分だけ覆うよりもはがれにくく体にもよくフィットする。 いわば人の着ぐるみである。
足の指もきちんと五本ある。 一つ一つに爪がつき、毛だって生えている。 かかとの所はすこし厚底になっている。 彼女はもともとが細身なので人皮をかぶっても丁度男性の細身程度の体になるので違和感はない。 長時間着るものなので苦しくないように極力締め付けないように人皮は作ってある。 ヒップとバストに合わせて肉付きを決めているのでウエストの周辺はとても皮が厚いことになる。 指先も彼女は細く長いのでフルバージョンになるとどうしても違和感がある。 それで今回は指先まで人皮は作られていた。 そして少しでもつなぎ目が分からないよう首のきわままで覆われていた。 つまり、顔以外はすべて人工皮をかぶったことになったのである。
彼女はとても伸縮性に優れたそれを身につけ、女性の体から男性の体へと変化していく。 すべてを身につけた彼女は皮膚のあちこちをつまんでは唸った。
「見事だね」
伸縮性に富んでいるとはいえ、人肌程度の体温にある程度の時間触れるとその人工皮は人の皮程度の伸縮しかみせず、つまんでも全く分からないのだ。 脱ぐときは引きはがすしかない。
「錬金術師の腕の見せ所ってトコロか?」
佐太郎は誇らしげに笑う。
「錬金術師というにはやってることが何か違うような……」
感謝しつつもつっこみながら、男性の皮を身につけた彼女は髪をすき、右前髪の一束を残してオールバックにする。 紐で髪を襟足でひとまとめにすると、青年ラムールの姿がそこにあった。
ラムールは床に置いておいた服を着る。 それを眺めながら佐太郎がはと思い出したように膝を叩く。
「そうだ! ラ ム ー ル 。 男と一緒に風呂入るんだろう? 礼儀っつーもんを教えてやる」
「礼儀?」
「そうそう」
佐太郎はニコニコしながら近寄る。
「まず、前は隠さない」
「隠さないの?!」
「もっちろん。 前なんか隠した日には笑い者だな。 堂々と胸を張って歩く。 そして他の男と目が合ったら……」
「合ったら?」
ラムールが不安そうに見る。
「一度目線を下げて相手のへそを見てから、おもむろに視線を戻し……口の両端をすこーし持ち上げる感じで微かに、微かにだぞ、フッ、と息を吐く」
佐太郎はわざわざ目線の流し方と不敵な笑みを実演してみせた。 生真面目にラムールははんすうして真似てみた。
「へそを見る……ねぇ……」
ラムールの頭の中には<へそ>で一杯である。
へそを見るのか……。 直接視線を合わせたくないときにタイを見るのと同じようなものだろうか……
ラムールがそう考えていると佐太郎はぺろっと唇をなめて真面目な顔で続けた。
「すると相手の対応は二つに分かれる。 ひとつはおじぎをする。 もうひとつは逆に胸を張って同じように微笑まれる」
「それで?」
「おじぎをされたら勝ったと……いやいや、スルーするんだ。 相手にするな。 相手が胸を張ってやってきたら、負けるな? 胸ははったままだ。 お互いに火花を散らすくらいに視線を合わせて向かい合う。 そして<なかなかやりますね>とでもいえば丸く収まる」
佐太郎は両手を一度ぱん、と打ち鳴らして満足げに頷いた。
「分かった。 ありがとう教えてくれて」
ラムールはにっこりと頷くと、急ぐからと言って佐太郎の家を後にした。
佐太郎。
ラムールを安々とはめることのできるただ一人の人物かもしれなかった。