第13話 これが噂の山賊犬
そして次の日。 リトは弓につきそって城下町からほんの少し南に小山を一つ越えた所にある名もない村まで来ていた。
なんでもここに、いい糸屋があるらしい。
村はといっても5軒しか家屋は無く、その一番古めかしい家が目当ての糸屋だった。 看板もすり切れて文字は読めない。 しかし一歩中に入ると色とりどりの色々な種類の糸が所狭しと並べられていた。 店内も客が3、4人いた。
リトは弓が糸を選んでいる間、店内を見て回る。 タコ糸から絹糸まで、種類はさまざまだ。
「お嬢ちゃん。 この店を知ってるったぁ、通だねぇ」
リトに声をかけたのは旅の商人だった。 手に色々な縫い糸を持っている。 支払いも済んでいるその男は背中に背負っていた道具箱を床に下ろすとがちゃりと開け、中に買った縫い糸を納める。 リトは見るとも無しに中を覗いた。 中には薬草からネックレスのような装飾品までこまごまとした小さなものが沢山入っていた。
「ここの糸は質がいいんだ。 よく売れるんだ」
商人はそう言ってリトの顔を見る。 「何かいるかい? 安くしとくよ?」
リトは慌てて首を横に振った。 商人は笑いながら蓋を閉め、胸元に下げていた袋に糸の代金のおつりの金貨をじゃらじゃらと入れていた。
「リトおまたせ」
そこに弓がやってきた。 胸元に小さな紙袋を握っている。
「買えた?」
「うん。 どうしても欲しい色があったんだけど、見つかって良かったわ」
弓はとても嬉しそうに答える。
「あんたたち、気をつけて帰るんだよ。 最近じゃここらにも山賊が出るからね」
店を出ようとするリト達に店主が声をかけた。
「なんだい、ここいらにも出るのか?」
商人が返事をした。
店主は頷いた。
「ちっと前まではもっと南の方でしか出なかったんでけどねぇ、昨日も犬が夜うろうろしてさ。 今じゃ少しでも暗くなったらさっさと家に入って鍵閉めてるよ。 ぶっそうなもんさ」
アリドはこのあたりにいるのだろうか。
きっと、リトと弓は同じ事を思ったはずだ。
二人とも無言で村を出て城下町の方へと進む。
たった、小高い丘を一つ越えるだけだった。
丘を越えたらその先の開けた所から城下町の門が見えるはずだった。
リト達より先をさっきの商人が歩いていた。
丘の上には茂みになっていた。
リト達の前を歩いていた商人がふと足を止めた。
「弓!」
先に異変に気づいて足を止めたのはリトだった。
どこかで一度、同じ雰囲気を感じたのだ。
低いモーターのような、複数のうなり声。
今回のそれは、前に感じたときよりも危険に思えた。
「リト?」
弓は異変に気づいていないようだった。
「……ダメ、行っちゃダメ」
リトは弓の手を握る。 手が汗ばむ。
前を歩いていた商人がゆっくりと後ずさりする。
リトと弓の視線が商人の目の前の茂みに注がれる。
黒い犬だ。
一匹…二匹…三匹…十数匹がぞろぞろと現れる。
「ウソ? まだ昼なのに、こんなところまで?」
弓が声を上げる。
三人は後ずさりをする。
「お嬢ちゃんたち、今から犬の気を逸らすから、合図したらさっきの村まで走って逃げるんだ、いいね?」
商人がリト達の方を向かずに告げる。
商人がポケットから干し肉を出して犬たちの後方に放り投げた。
「今……! あっ?」
商人は干し肉で犬たちの注意を引きつけるつもりだったのだろう。 ところが犬たちは全く見向きもせずにじりじりと近寄ってくる。
その犬の視線は商人の荷物と、リト達が持っている手提げ袋に注がれている。
「ちくしょう……こいつは野犬じゃねぇ……。 貴重品にしか興味はねぇってか……」
商人が憎々しげに呟く。
その時、背後の村から空に向けてひゅぅ、と音をたてて信号弾が一発打ち上げられた。 信号弾は空でパンパンン、と音と煙を立てる。
先ほどの糸屋の店主が屋根の上からリト達に向かって叫んだ。
「今、軍に救援信号送ったぞ! 早くこっちに逃げてこい!」
商人が同時に叫ぶ。
「走れっ!」
商人はきびすを返して村へと走り出す。
一瞬リトは動けなかった。
こんな時なのに、いやこんな時だからか、アリドと黒犬が現れるのではないかと思ってしまったのだ。
「リト!」
弓に手を引かれてリトは正気に戻る。 二人も村へと走り出す。
弾かれたように犬たちがけたたましく吠えながら追いかけてくる。
リトは思い出した。
あの日もそうだった。
敵意まるだしの犬たちに追われたのだ。
そしてアリドに出会ったのだ。
仮にアリドが山賊の一味だとしたら、今、弓やリトを襲わせるだろうか? それとも除籍処分を受けて人間が変わってしまったのだろうか?
考え事をしていたのがいけなかったのかもしれない。
「あっ!」
リトは足下の草に足をとられて倒れた。
「リト!」
弓が慌てて抱き起こそうとする。 ところがリトの足首に鋭い痛みが走った。
「痛っ」
くじいたようだった。
弓は追ってくる犬をちらりと見ると、迷わずリトの手提げ袋を取って荷物を犬に見せびらかすかのように持ち上げて、横に逸れて走っていた商人の方へと走り出した。
「弓っ!」
リトは叫んだ。
犬たちは正直だった。 荷物を持たず座り込んでいるリトには目もくれず、大きな箱を背負って走る商人と、手に袋を持って走る弓の方向に進んだ。
商人は荷物が重くてあまり早く走れない。 弓と商人は大木の側まで来るとぐるりと周囲を犬たちに取り囲まれた。
ぐるる、と犬たちはうなりながら近づく。
荷物を力づくでも奪い取るつもりのようだった。
「ぐ、軍はまだ来ないのか……?」
商人が裏返った声で叫んだ。
丘を越えないと城下町の門の様子は見えないので、軍がこちらに向かっているのか、全く分からない。 しかし今、軍が丘を越えて現れても犬たちが荷物を奪うには十分時間が余っているように思えた。
あるいは荷物を放り投げたら犬達は弓と商人には見向きしなかったのかもしれない。
しかしもう遅すぎた。
「ゆみぃっ!」
リトが叫んだ。
一匹の犬が大きく跳ねると弓に飛びかかった。
弓はその場に座り込みながら叫んだ。
「――羽織さまぁっ!」
その可憐な声が響き渡った時である。
バシイッという大きな音とともに弓の体の前に稲光のような閃光が走った。
土煙が上がる。
空中にいた犬の体が、壁にぶち当たったように跳ね返されてキャウンと悲鳴が上がる。
土煙の中に立っていたのは――
「弓! 平気か?」
羽織だった。
黒い細い棒のようなレイピアを構え、弓の体の前に彼女を守るかのように羽織が現れた。
羽織の姿に弓の顔がぱっと明るくなる。
「羽織様っ」
羽織はちらりと弓の方を見、くるりと周囲を見回すと状況を理解したようだった。
突然現れた羽織に犬達も一瞬たじろぐ。
「これが噂の山賊犬か……」
羽織は冷静に犬達を見る。
そのとき羽織が足下にあった小石を一つ拾うと遙か100メートルは離れた所にある樹に向かって投げた。 小石はものすごいスピードで葉が生い茂った樹の中に突き進んだ。 すると石が命中したのか、樹の枝の上に立っていたのだろう、何やら人影のようなものが地面に落ち、その影は慌てて樹の側に繋いであった馬にまたがるともの凄い勢いで南方へと駆けていった。
すると今まで統率のとれていた犬達が糸の切れた凧のようにざわざわと体を動かした。
「去れ!」
羽織が剣を一降りした。 犬達は羽織の号令に従うかのごとく逃げていった馬と人の後を追って駆け出した。
みるみる間に犬達は遠くへかけていく。
羽織はそれを見届けると手にしていた黒い剣を背中の鞘に収めた。
ブルルルン、と丘の上で馬のいななく声がした。
見ると数名の騎馬隊を連れた軍隊長ボルゾンが馬にまたがり今起こった事を見つめていた。
「ぐ、軍だ……。 助かった……」
商人は安心してへなへなと崩れる。
軍隊長達はゆっくりと丘を降りてくる。
リトも一安心して弓の方を見る。
剣を納めた羽織が弓に近づき手を差し出している。
「大丈夫? 弓? 怪我は? 怖かった?」
羽織は弓に返事する間も与えずに尋ねた。
弓は羽織に手を引かれて立ち上がると羽織の胸へと飛び込んだ。
「羽織様」
まるでこの世に何の不安も存在しないかのように、弓は安心しきった表情になった。
「弓。 良かった……」
そして胸に飛び込んだ弓をそれはそれは大事そうに羽織が抱きしめた。
思わず見ていたリトの方が赤面してしまう程だった。
弓がリトの存在を思い出し、慌てて羽織から離れる。 羽織もリトに気づいて弾かれるように弓から離れる。 そして二人は顔を真っ赤に染め上げた。
「お前、名は?」
羽織が振り向くと、馬に乗ったボルゾン軍隊長がすぐ側まで来ていた。
「陽炎隊、隊長。 羽織」
羽織はしっかりとボルゾン軍隊長を見つめて臆することなく返事をした。
逆に陽炎隊という名前を聞いてボルゾン軍隊長の方が顔色を変える。
「……おまえが陽炎隊か」
羽織が頷く。
ボルゾン軍隊長は何か尋ねたいようなそぶりをみせたが言葉にならないようだった。
「さあ、帰ろう。 弓」
羽織はボルゾン軍隊長に構わずに弓の手を引く。
「あ、羽織様、待って、リトも」
弓が慌てて羽織の手を引き戻す。
「リト。 帰ろう?」
弓に言われてリトはゆっくり二人の側に行った。
「足は? 平気?」
弓が尋ねる。 リトは頷く。 幸い、少し痛むが歩けないことはない。
「荷物は俺が持つよ」
羽織はそう言って弓とリト、二人の荷物、といっても軽い物だが……を持って片手で弓の手を引きながら先を歩き始めた。
ブルルン、ともう一度馬が鳴いた。
「待てい」
ボルゾン軍隊長が羽織を呼び止めた。
羽織が立ち止まる。
「テノス国軍に入るつもりはないか?」
ボルゾンがはっきりとした口調で尋ねた。
振り向いた羽織の答えも、迷わずにさらりと出てきた。
「ありません」
ボルゾンはそれが意外だったようで目をおおきく見開いた。
「失礼します」
羽織は軽く一礼すると歩き出した。
彼は決して後ろを振り向かなかった。
三人が城下町の門をくぐって城下町に入ったとき、弓は羽織がしっかりと握っていた手を軽く持ち上げて言った。
「羽織様。 もう大丈夫、かな?」
「そっかな……?」
羽織はまだ不安そうな顔をしながらも弓に言われて手を離した。
「ずいぶん久々だったけどやっぱり使えたな。 この剣」
羽織の独り言に弓が頷く。 そして三人は城下町の中をこちらに急いで駆けて来る人物に目をやった。
「おい羽織―! 大丈夫か?」
世尊だった。
「おう」
羽織が軽く手を挙げて応える。 世尊はすぐ側まで来ると肩で息をしながら言った。
「いきなりだったからさ、びっくりしたぜ。 やっぱり山賊か?」
「正確には山賊の犬、かな」
「で、そいつらどうした?」
「どうしたって……帰った。 多分アジトに」
世尊がこれはしめたとばかりに目を生き生きさせて羽織に詰め寄った。
「で? アジトはどこだ? 今から行くか?」
「い、いやー」
「来意達が来てからか? ちくしょう、だからオレが早く行こうぜって言ったのに。 あー、早く来ないかなあいつら〜」
世尊は後ろを振り返り人混みの中に来意達の姿がないか探した。
「こっちだよ、世尊」
そのとき世尊の死角になる横の路地から来意と清流が顔を出した。
「うわびっくりした。 おどかすなよ来意。 いやいや、こんな事してる場合じゃない、さ、行こうぜ? 山賊のアジトに」
意気ごむ世尊を見て清流がため息をついた。
「世尊。 来意の言うことは最後まで聞くべきだね」
「どういう事だよ?」
世尊が不思議そうに眉間にしわを寄せる。
「つまりは犬の後を追わなかったってことさ。 そうだろう? 羽織」
清流の回答に羽織はうんうんと頷く。
「うっえー? 馬鹿? 馬鹿か羽織ぃ〜? 今は南地方に出る山賊は超オススメだったんだぜ〜」
「世尊と違って羽織は手柄うんぬんは考えないんだよ。 分かるだろう?」
来意が呆れたように言う。
「だから急がなくてもいいって言ったのに、聞かずに走っていくんだからなぁ……」
世尊は憤りを感じたようで肩をいからせながら抗議する。
「ナニ言ってんだよ? せっかく正式に自警隊として受け付けされたんだぜ? 今までと違ってどんどん目立ってバンバン解決してジャンジャンやってかなきゃいけねーだろ?」
「どんどんバンバンジャンジャンとうるさいなぁ、世尊は。 弓がらみの事件に手柄だとか色んな事を羽織が考えるハズないじゃないか? 来意じゃなくても分かるね」
「まーそりゃ、分からなくもないけどさ。 あー、でっかい魚を釣ったと思ったらエサだけ取られて逃げられた感じだよ、とほほ〜」
しょぼんとした世尊に羽織が片手を目の前で拝むようにして詫びる。
「ゴメゴメ」
あー、ちっくしょー、と世尊が未練たらたら呟く。
「え〜っと、リトは……訳が分からないよね?」
弓がやっとリトに問いかけた。
「うん。 えっと、どうして何が起こったかって分かってるの? 来意君の勘ってやつ?」
「うん、そう」
来意が頷く。
「それは何となく予想ついたんだけど、ね、どうして羽織君はさっき助けに来ることができたの? さっきはどこから現れたの? どこに隠れていたの?」
リトはそれが聞きたかった。
ここまで来る間に何度も思い出して考えてみたが、さっきはまるで魔法のようにその場に現れたとしか思えないのだった。
「俺、説明するのって苦手だなぁ……」
羽織が困ったように頭をかく。 弓もなんとなく言いにくそうに羽織の顔をちらちら見る。 そんななか、ぼくが説明するねと言ったのは清流だった。
「羽織の剣の中で一本、レイピアみたいな剣のことだけど……刃が黒い棒のようにしか見えないものがあるだろう? これが空間をつなげたのさ。 この剣は持ち主が守りたいと思う人が危険な目に遭った時に剣の持ち主の名前を叫んだとき、その人を守るためになら、一振りすればどんなに離れていても助けに行ける剣なんだ。 広場で訓練していたら、いきなり羽織がこの剣を取り出して振り切るんだ。 びっくりしたよ。 消えちゃうしね。 小さい頃はたびたび見ていたけどここ数年は使う所も見てなかったから驚いたね」
ねぇ、と清流は来意達に同意を求める。 来意達も「小さい頃、弓が崖から落ちそうになった時も助けたよ」とか「迷子になった時もだったぜ?」と頷く。 どうやら小さい頃から羽織は弓のナイトだったようだ。
「ま、蛇足になるけど、そこで来意が羽織は城下町の南の村あたりに弓を助けに行ったと勘がはたらいて、どうせ行ってもすることないぞと言う来意の言葉も聞かず世尊は猛ダッシュでここまできた、と。 そゆこと。 わかる?」
清流が子供に話しかけるように少し首をかしげた。 リトも頷いた。
それにしても大切な人を守る為なら空間すらも切り裂いて助けに来る剣だなんてとても信じられる話ではなかったが、リトは現に目の当たりにしたのだ。 信じない訳にはいかない。 そして。
「羽織くんの剣もすごいけど、来意くんの勘もすごいね。 私も助けて貰ったことあるけど、勘っていうより見てきたみたいね」
「まぁ、勘だから……。 たまに外れることもあるよ」
来意が思いがけず褒められてちょっと照れくさそうに頬をかいた。
――が。
来意の表情が一瞬にしてこわばる。
それを見て羽織達の顔が引き締まる。
「どこだ?」
羽織が尋ねた。
「東の村。 水難」
目だけを動かして来意が答えた。
「今なら間に合う」
「行くぞ!」
羽織の声と一緒に、来意、世尊、清流の三人が駆け出す。
ところが羽織はすぐさまUターンして弓の所まで来ると優しい手つきで持っていた弓とリトの荷物を渡した。
弓はそれを受け取り大事そうに抱えると「いってらっしゃい」と声をかけた。 弓と見つめ合ったまま羽織が頷く。 そしてすぐさま来意達の後を追う。 弓は姿が見えなくなるまで羽織の後ろ姿を見ていた。
「……なんというか……」
リトがそんな弓の姿を見ながらつぶやいた。
「羽織君のことがとても大事って感じ?」
リトの言葉で弓が真っ赤になるかと思いきや、弓はもう姿の見えない羽織の痕跡でも探すかのようにじっと遠くを見つめたまま、頷いた。
「いつどうなるか分からないから……」
リトはその言葉を、人はいつ死別するか分からないから、という意味で取った。
本当は全く違う意味だと気づくのはずっと後の事である。