第11話 分かるけど、極端ですか
アリドに何もするなと言われたが。
リトは悔しくて悔しくてたまらなかった。
しかもその日の午前中の授業は最悪だった。
アリドとラムールの一悶着のせいもあり、もはやランの憶測はみんなの真実となり、これ以上悪くはならないだろうと思っていた弓の状況は更に最悪となっていた。
だが、弓は何もなかったかのように無表情だった。
他人の視線など気にしないようにふるまっていたが、二晩も弓とともに過ごしたリトには分かっていた。
弓は無理していた。
精一杯強がっていた。
それでもリトは良い慰めの言葉一つかけてあげることができなかった。
昼休みになって、弓はいつも通り庭に出てお弁当を食べるという。
リトは食堂に行くからと言って弓と分かれた。
しかし向かった先はラムールの事務室だった。
トントン、と扉をノックする。
心なしか荒いノックだったと思う。
返事はなかった。
しかし程なくしてノブが回ると扉が開けられた。
扉の向こうにはラムールがいた。
「やはり来ましたね」
ラムールは言った。 怒るでなく、悲しむでなく、いつものラムールだ。 こちらも表情からその気持ちは読めない。 まるで数日前の弓のようだ。
ラムールはリトを事務室に招き入れるとソファーに座らせた。
机の上を見ると新聞の切り抜きの途中である。
ラムールはそれらを一つにまとめると、リトにお茶を入れて真向かいのソファーに座った。
「なかなか……手伝いが急にいなくなると、はかどらないものですね」
ラムールは自分の方のお茶を一口飲み、寄せた新聞に目をやった。
「さてと」
ラムールは一呼吸ついてリトをまじまじと見た。
どう切り出してよいものか迷っているようにも見えた。
先に口を開いたのはリトだった。
「アリドの事はいいんです」
予想外だったのだろう、ラムールが少し目を見開いた。
「そりゃあ、言いたい事は沢山あるんですけど、そっちはいいんです。 とりあえず」
「はぁ、とりあえず……?」
ラムールが間の抜けた復唱をした。
リトはしっかりとスカートの裾を握りしめながら言葉を探した。
ラムールを前に、喉が変に渇いた。
「ゆ、弓の」
リトの声が裏返った。
慌ててお茶を飲む。
ラムールは黙って見つめている。
「弓の事でお話があるんです」
ラムールは見つめている。
反応が無い。
触れてはいけないグレーゾーンなのだろうか。
でも口に出した以上ひっこめる訳にもいかない。
「どうしてラムー……」
…ル様は弓に何もしてあげないのですか、と尋ねようとしたのだが見透かされたように
「私は弓に何もしてあげるつもりはありません」
と先に言われてしまった。
「……どうしてですか」
「彼女と私は関係ないからです」
ラムールはあっさりと言い放った。
「そんな言い方って無いと思います!」
思わずリトは立ち上がって机にドン、と手を乗せた。
ラムールは身じろぎもせずリトを見つめ返す。
「では私が弓に対して、どうして欲しいのです?」
「それは……」
リトも返事に困った。
「私が保護者ですと全面に出て世話を焼けと?」
リトは首を横に振った。
「私に弓の友人をみつくろえと?」
リトは首を横に振った。
「私の髪結いにして大事にしろと?」
リトは首を横に振った。
「……しても良かったんですけれどね。」
ラムールはぽつりと漏らした。
ラムールが、目を逸らした。
リトはラムールの顔を見つめた。
「でも何もしてあげるつもりは無いんです。 あの子の人生ですから。 してあげたく無いんです。 私は保護者ですからね、あの子がどんな事があっても私の力を借りないで乗り越えていって欲しいって思うんですよ」
「でも、でもでも、ラムール様、それはあんまりじゃないですか? 弓に自分の力で困難に打ち勝って欲しいっていうのは分かるけど、だからと言って何もしてあげないよと突き放すのは……分かりますけど、極端だと思います。 そりゃあ全面的に頼ったら自立できないかもしれないけど、少しも頼ることができないのなら保護者とは言えないと思います。 赤の他人と変わらないじゃないですか?」
リトのその言葉にラムールはひどく驚いてリトの顔を見た。
「分かるけど、極端ですか」
リトは頷いた。
ラムールは視線を机に落とすと、右手の拳を額に当てて参ったように言った。
「これは驚いた。 私も成長していないなぁ……」
リトは思わぬ反応に次の句が出なかった。
ラムールは少し考えていたが、ゆっくりと言葉を選びながら言った。
「でも……そのおかげで弓は良い友達が出来たと私は思っています。 私は弓に、うわべではなく弓そのものを見て友達になってくれる子と出会って欲しかったんです。 あの子の置かれた環境は複雑ですから……。 でも確かにいつも館にいる訳でないし、相談に乗ってやれている訳でもない。 少しも頼れなければ保護者ではない……そうですね。 保護者は……難しい」
ラムールは黙って何か考えていたが顔を上げ、リトをまっすぐ見た。
「もしリトが私の言葉を重く真剣に捉えないでいてくれるならば」
だが、ラムールの表情は真剣だ。
「ただの保護者の希望というか、社交辞令もかねていると思ってくれるなら」
そしてラムールが頭を下げた。
「ずっと弓の良い友達でいてやって下さい。 あの子のこと、助けてあげて下さいね」
リトは一瞬、どきりとした。
こんなに丁寧に友達でいてくれと、助けてあげてくれと言われたら、義務を背負わされたような感じがしたからだ。
特にラムールがここまで言うと見えない命令のように思えないこともない。
きっと最初からラムールがこれを女官達にしていたならば、きっと弓は今頃宮廷中のみ
んなからちやほやされていただろう。 赤の他人のリトが髪結いにったときも周囲はすごかったのだ。 まして弓はラムールのいわば親族と同じようなものである。 リトの比ではない。
保護者の色や力に染まらないで弓自身の関係をラムールは作ってほしかったのだ。
ラムールの立場も難しいのだと思った。
しかし。
「あっ、あの……でも、ラムール様、私じゃ助けきれないこともあるんです。 私、それが悔しくて」
「どんな事です?」
ラムールが尋ねた。
リトは思い切って言うことにした。
「弓は魔法が使えないでしょう? だからみんなが何と言っているのか知っていますか?」
声が震えた。 ラムールは首を軽く横に振るだけだった。
「……弓は、弓は、汚れているって」
リトがそう言うとラムールの眉がぴくりと反応した。 リトは続ける。
「孤児院で同じ年頃の男と一緒に生活しているから幼い頃から男をしっているって。 今も毎夜……毎夜……勿論、そんな事はないって私は思うけど……でも、でも、だって、弓が汚れていると……言われてでもどうしようもできなくて。 何もできなくて……」
リトは思わず泣きそうになって声が詰まった。
ラムールは静かに言った。
「……風評というのはそういうものです。 あなたは何もできなくていいのですよ。 ただ、弓を信じる、それだけで十分彼女の友達としてやれることをやっています。 それで十分なのですよ。 ありがとう」
「でも……」
ラムールはリトの反論を制止するかのように続けた。
「噂を否定するのは簡単です。 弓の純潔を公にすればいいだけですから……でももし、弓がそれを望まなかったら、または逆に純潔でないことを証明する事になったなら……あなたはどうします?」
リトは押し黙った。
「だからあなたにできる事はなくて当然なのですよ。 私も純潔を証明してくれと弓が言うのならやりましょう。 でも、本人以外の意志で本人のプライベートを暴露させたくはありません」
反論できなかった。
でも何もできないものなのだろうか。
弓が辱められているというのに、他に力になれないのだろうか。
リトはぐっと唇を噛みしめた。
女官達の嫌な笑い声が頭の中でこだまする。
しかし、ラムールが言った。
「とはいえ私もあの孤児院で育った者として、そのような間違った噂で私のふるさとを汚されたくはありません。 安心なさい」
リトが見るとラムールはにこりと微笑んだ。
何かを思いついた顔だ。
リトの心に光が差し込んだ。
「アリドがねぇ、散々やらかしてくれたものだから弓も大変だ」
ラムールが疲れたようにため息をついて背もたれにもたれた。
その時、リトはアリドがラムールにあったら礼をしてくれと言ったことを思い出した。 だけどそれはあの一悶着の前の話だったので触れない方が良いだろうとリトは判断して、何も告げない事にした。
翌日。
教会の聖水を作る係が人手不足になったので誰か手伝って欲しいと女官長から告知があった。 明日の早朝、かなり未明に近い時間帯が聖水を作るのに最も適した日時なのだが、シスターが急用ができたので代役が必要になったのである。 聖水は本堂奥の聖なる井戸からくみ上げ瓶につめ、神の御前でお祈りをして封をする。 その封は、清らかな娘のみができるのだ。
手伝いは強制ではなかった。 希望者のみである。 たいていはプライベートが分かってしまうので朝からの仕事を理由に参加しない。 ルティは勿論手伝うと申し出た。 リトはどうしようかと悩んだが、ルティと目があったので手伝うことにした。 すると女官の一部の者が「弓もしたらいい」と言い出した。 この作業は誓いであり魔法ではないので、清らかでありさえすれば誰にでもできるのだ。 弓は通いだったので朝からその作業を手伝う為には相当早起きして教会に来なければならなかった。 だから拒否しても何ら変には思われない。
ところが弓は快く応じた。
意地悪な女官達はにやにやと笑った。
そして翌日。 弓は立派に仕事を終えた。
数人の心ない者が弓が手伝う姿を見物していた。 ある者はきちんと封がなされているかこっそり確認しようとした。
が、それらはすべて無駄であった。
封は一寸の歪みもはがれもなく、美しく完全なものであった。
この作業にはまやかしは通じない。
弓は清らかだったのだ。
それを自慢するでもなく、安堵するでもなく、ただただ無心に聖水をつめて封をする弓の姿は確かに純潔であり、美しかった。
そしてリトは証拠こそなかったが確信していた。
シスターの急用はラムールの仕業だと。
きっとラムールは今までも表に立たずこっそりと手助けしてくれていたのだろう。
リトの心にはラムールへの感謝でいっぱいになった。
時を同じくして、この世界で一番巨大な国「オルラジア」で小さな変化があった。 一人の男がどこからかやってきたのである。
彼は「籍」を持っていなかったのでどこの出身かは分からなかった。
籍を持たない彼ははみ出し者として生活する他無かった。
当然オルラジア国のごろつきどもが手荒い歓迎をしようと彼にちょっかいを出したが、みな完膚無きまでに叩きのめされた。 その血の気の荒さが認められ、彼は裏社会の住人として認められた。
彼の仮の名は「R」。 六本腕のR。
そう。 彼とはアリドだった。