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第10話 出てきやがれっ

 リトはオクナル家の門を出た。

 胃、胃が痛くなりそう。

 ふらふら、ふらふら、とよろめく。

 危なかった。

 それはもう、危なかった。

 倒れかかった壺を押さえたら、近くの皿に足が当たり、皿がまるでドミノ倒しのように倒れはじめ、侍女の一人が慌てて皿を止めたはいいが、破損していないか、欠けていないか、確認している間はもう生きた心地がしなかった。

 幸い、何ともなかったが、侍女達も冷や汗だらけである。


「いよぅ」


 そんなリトに背後から声をかけた男がいた。

 ああ、この軽い口調。

 胃が痛くなりそうなのと、胸が浮き立つのとでなんだか変にミックスされた感じ。


「アリドー」


 リトは振り向きながら言った。

 そこにはやはりアリドがいた。 とても、安心する。


「お前、今度からここの手伝いに行くようになったのか?」

「うん」


 リトは頷く。


「おまえってそそっかしそーだから、ヤばいんじゃねぇ?」


 笑いながらアリドが言う。 ご名答ー、とリトは答えた。 アリドには馬鹿にされているっぽいが、不思議と腹はたたない。 リトの返事をきいてアリドはくくっ、と笑う。


「ま、がんばんな」


 アリドはそう言って背を向けるとその場を去ろうとした。

 ところが背後から。


「アリド兄ちゃん!」


 この声は。

 アリドが振り返る。


「お、デイ」


 振り返ったアリドの目の前にフードを被った男が駆けてきた。

 男は勢いづいて止まれずにアリドに体当たりをする。 アリドは慌てることなくその体を押さえる。


「お前は猪か?」


 アリドが笑う。


「んな事いってる場合じゃないだろ? アリド兄ちゃん。 除籍されたって知ってんの?」


 デイはアリドに掴みかかるとゆすりながら言った。


「除籍?」


 リトもデイの言葉を聞いて驚いた。

 リトですら除籍の意味は知っている。 戻ることの出来ない縁切りだ。


「もう村から書類が提出されてるから国に承認されちゃうよ? ヤバいよアリド兄ちゃん、今から一緒に行こうよ城に!」

「……おまえ、オレを捜しに城から抜け出して来たのか」


 アリドが困ったように言った。


「んな事どうでもいいからさ、今ならまだきっと間に合うって。 俺もアリド兄ちゃんが除籍されないようにお願いするからさ? 兄ちゃんは何も悪くないって言うからさ」


 デイも必死だった。


「ち、ちょっと待って、デイ。 もしかしてアリドが除籍される原因って……」


 リトが尋ねた。


「昨日、岩を私達に投げたのが原因?」


 それしかなかった。

 デイは頷く。


「な? りーちゃんもアリド兄ちゃんは悪くないって思うよな? 怒ってなんかいないよな? 命の危険なんか感じなかったよな?」

「うん、全然感じてないよ? え? まさかアリドが私達に危害を加えようとしたって思われてる訳? 嫌、ダメだよそんなの。 デイ、私も行く。 行ってアリドは悪くないって言……」


 興奮する二人の頭をポンポン、とアリドが優しく叩いた。

 デイとリトは一緒にアリドを見る。

 アリドはとても嬉しそうだった。


「サンキュ、な。 でも何もしなくていい」

『何で!?』


 リトとデイは声を揃えた。


「ケツの青いガキと小娘にゃ、分かんないさ」 


 アリドは微笑みながら言う。


「いいか? 何もしなくていい。 誰にも文句も言わないでいい。 マジだ。 分かったか? 返事は?」


 アリドに親のように言われて二人はゆっくりと頷く。


「よっしゃオッケー」

「アリド兄ちゃん、また……遊んでくれるよな?」


 デイの問いにアリドは頷く。「トーゼン♪」

 そしてアリドは二人の頭から手を離すと今度こそ背を向け、一言だけ、告げた。


「ラムールさんに、伝えてくれ。 サンキュ、ってな」


 デイとリトはただ町並みに消えていくアリドを見送るだけだった。

 何が起ころうとしているのだろうか。

 リトの胸にいいようの無い不安が広がった。





 リトがまず一番心配だったのは弓の事だった。

 アリドが除籍処分になってどんなに心を痛めている事だろう。

 もしかしたら除籍が取りやめになるように何か行動しているかもしれない。

 そのとき私はどうすればいいのだろう。

 リトは暗い顔をして白の館に入った。


「ねぇねぇ、リト、聞いた?」


 驚いたように、でもどこか嬉々としてランが駆けてきた。


「アリドが除籍処分になったわ」


 やはりか、とリトは思った。

 ここは騒ぎ立てず、さらっと流した方が――


「とうとうラムール様も愛想を尽かしたんだわ」


 ランが言った。


「え? 今、何て言ったの?」


 リトは驚いて尋ね返した。

 ラムールとアリドの関係をみんな知っているのだろうか。


「何って、リトも知ってるでしょ? ラムール様があの孤児院の責任者であるって事くらい。

あの方はあそこの出身なんだから。 もっとも、ラムール様の生まれはある国の王侯貴族の出、不運にも赤子の時に旅の途中のご両親が亡くなられてあそこに引き取られたのだから孤児扱いなんて出来ないけど。 おいたわしい」


 ランは続けた。


「なのに責任感の強いお方だからきちんと世話していらしたのよ。 教育係の仕事が忙しいから滅多に帰ることは無かったらしいけど。 だから責任者不在というように誤解までされて……。 それをいいことにアリドは悪さ三昧で何度ラムール様が後始末やお詫びに走られたことか」

「ラン。 あなた知ったふうに話しているけど、実はついさっき除籍問題が発覚したときに知っただけでしょ?」


 ルティがやってきて口を挟んだ。


「え? いいえ、あの……そんなことどうでもいいでしょ。 とにかく、ラムール様はアリドに愛想を尽かしたのよ」


 そこにリンスもやってきて言った。


「ねぇねぇ、それじゃあ、弓もラムール様が保護者って事になるの?」


 リトは何故だかぎくりとした。


「それなんだけど……」


 ランは声をひそめてこれしか結論は無いというように話し始めた。


「多分弓も除籍されるのはまもなくだと思うわ」

『ええっ?』


 みんなで一斉に声を上げる。


「だって考えてごらんなさいよ。 普通、保護者なら弓に色々世話を焼いたり、周囲に弓をよろしくお願いしますとか何かあってもよさそうなものじゃない? リト、あなた髪結いで働いている時、何か言われた?」


 リトは首を横に振った。 だって村祭の時まで何も聞かされていなかったからだ。


「ほぅらやっぱり。 私の予想は正しいわ」

「え? ね、ね、どういう事なの?」


 ランは鼻の穴をぴくぴくさせて興奮しながら言った。


「ラムール様が弓との関係を公にしなかったって事は、彼にとって弓は関わりたくない間柄だったって事だわ。 そりゃそうよね、毎夜、男と乱れた生活をしている女なんて関わりたくもないわよね」

「ラン、弓はそんな子じゃないよ?」


 リトは反論した。 しかしランは気にもしていないようだった。


「はいはい。 リトは優しいわねぇ。 でも何も知らないでしょ? アリドは少し前まで毎夜毎夜娼婦達をたぶらかしていたわ? 何人の女が泣いたかしら? アリドに惚れてメロメロになって女官の職を辞めて飲み屋の女になって人もいるわ? アリドの女癖の悪さといえばそれはもう凄いわよ? そこに同じ屋根の下に、責任者のいない屋根の下によ? 女好きの男と年頃の女が一人。 一晩ではなく毎晩毎晩。 そして魔法が使えない弓。 あなたはどうだか知らないけど、普通だったらいきつく結論は一つだわ。 ラムール様だって同じでしょ。 だから白の館では弓を徹底的に無視したのよ。 もし保護者として弓が大切ならば色々なトラブルのとき助けにくるはずだわ? リト、あなたがその証拠じゃない。 ラムール様はあなたの為に色々と力をお貸しになってくださってるじゃない。 赤の他人に親切で、身内に冷たいなんて事があると思う?」


 リトは言葉に詰まった。 スジが通っている気がする。 反論できない。


「だから弓が除籍されるのも時間の問題。 弓はきっと自分がラムール様に嫌われている事を分かっててリトに近づいたんだわ。 間を取り持ってもらえるように。 間をとりもつ……何の為にかしら……。 そうよ、もしかしたら弓、赤ちゃんでも出来ちゃったんじゃないかしら!!」

「きゃーぁ! アリドとの???」 

「不潔ぅー」


 いつの間にか声の大きくなったランの周りには多くの女官が集まり大騒ぎになっていた。


「やっぱり汚らわしい女の行き着く先はそこしかないわね」


 その言葉でリトは頭にかっと血が上った。


「弓はそんな子じゃない!」 


 リトは右手を振り上げてランの頬を打とうとした。 ところがルティが手首を掴んで離さなかった。


「ルティ!」

「落ち着いて、リト」


 ルティの手に力がこもる。


「ねぇちょっと、見て見て! アリドよ!」


 窓側にいた女官の一人が外を見て叫ぶ。

 一斉に女官が窓から外を覗く。

 リトも隙間から顔を出して外の庭を見る。

 アリドが立っていた。

 白の館の門の前に、アリドが立っていた。

 門番の兵に立ち入りを遮られている。 なにやら揉み合っている。


「うぉらぁっ! ラムールっ! 出てきやがれっ!」


 アリドが大声で叫ぶ。


「いかん、君は勝手に入っちゃいかん」


 兵士が敷地に入ろうとするアリドを押さえる。


「やっかましい! おらおら、ラムールきょーいくがかりさまよぉっ! さっさと出てこねーかよボケ!」


 アリドは大声で罵声を浴びせる。 教会側からもどんどん人が集まってきた。


「んだよ?! 見せ物じゃねーぞコラ?!」


 リトの知っているいつものアリドではなかった。 そこにいるのはただの不良だった。


「き、許可無く、中に入っちゃいかん……」


 兵士がアリドの前に立ちふさがる。


「んだよオメーは。 それでオレ様に何かしてるつもりなのかよ?」


 アリドはそう言うと兵士にしがみつかれたままずんずんと敷地内に入っていく。


「こ、こら、やめんか!」


 兵士は慌てて呼び笛を吹く。 ピイー、ピィー、と高い音が敷地内に響き渡る。 その音を聞きつけて敷地のあちこちから兵士が駆けつけてくる。


「ジョートーじゃん。 オレ様を止めるつもりなのかよ?」


 アリドは押さえかかる兵士をものともせずずんずんと敷地内に入ってくる。 ついに庭の中央まで来た。


「おらぁっ! ラムール! 出てこいやぁっ!」 


 獅子の咆吼のようにアリドが叫ぶ。

 白の館からごつい男が一人出てきた。 軍隊長ボルゾンである。


「アリド!」

「んだよ、熊みてーなおっちゃん。 オメーに用はねーんだよ。 ラムールだ、ラムールを出せや、あのクソ生意気なラムールをよぉ」 


 アリドはくってかかる。 ボルゾンはアリドの前に立ちはだかり言う。


「話は聞いた。 除籍だそうだな。 まぁ、今までしっぽは掴みきれなかったが散々悪いことをしてきたんだ、当然だろうな」

「んだと? やっかましい。 何もできねぇ弱っちろい軍隊のくせにえっらそーに。 偉そーっつったらラムールも同じか。 聖人みてーなツラしておきながらやる事ぁえげつねぇんだからな。 はっはっはっ。 オレを除籍してこらしめるつもりだったんだろーけど、おあいにく様だ、こっちはせいせいしてらぁな! オラオラ、出てこいラムールよぉ!!!」


 アリドが威勢良く叫ぶ。


「呼びましたか」


 そこに物静かな落ち着いた声がする。

 全員の視線がボルゾンの背後に集まる。

 白の館の中からゆっくりと、ラムールが出てきた。


「何のご用です?」


 ラムールは口調こそ物静かであったが見下すような軽蔑するような、そんな雰囲気がありありと見て取れた。


「除籍だぁ? ナめてんじゃねーぞ? コラ!」


 アリドはまるで燃えさかる炎のように勢いよく言い返す。


「私もほとほと愛想が尽きたのですよ」 


 それに対してラムールは冷え切った氷のように冷たく固く言い返す。


「いつもいつも口うるせーことばっかりやりやがって」 

「それは失礼。 でも除籍となってあなたもさぞやせいせいしているのでしょう? とっとと好きなところへどこへでも行きなさい」


 ビリビリと空気が震えるようだった。


「前からそのツラ気にくわなかったんだ、一発……」


 アリドはぐっ、と気合いを入れるとしがみついていた兵士達をはねのけた。 そしてラムールに向かって飛びかかる。


「殴らせてもらうぜ!」


 ものすごい早さでアリドの右拳がラムールを襲う。

 きゃあ、と女官から声が上がる。


 バシィン!


 乾いた音がした。 空気が弾けるような音だ。

 そして弾かれていたのはアリドだった。

 ラムールの周囲はしゅうしゅうと音を立てている。 見えない空気のバリアが施されているようだった。 アリドはそれに弾かれ後方に飛ばされ、やっとのことで体勢を整えて着地した。


「愚かな。 百年早い」


 軽蔑したようにラムールが言い放つ。


「次に悪さをする時は手加減は無いと思いなさい」


 アリドはペッ、とツバをラムールに飛ばしたが、やはり見えない空気のバリアでツバも弾かれて粉々になる。


「もぅ来ねーよ! あばよ! 国の飼い犬さん!」


 アリドば毒々しげにそう言い放つとくるりと背を向けて庭を出て行く。 見物客が左右に分かれて道を開け、そこを悠々と通っていった。

 アリドの姿が見えなくなったとき、巳白に運ばれて弓が空からやってきた。 弓は庭に降りると何事があったのかと周囲を見回し、ラムールに目をやった。

 ところがラムールは何も言わずくるりと背を向け、白の館へと入っていっただけだった。

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