第1話 専属係、解任。
小説「陽炎隊」の続編、つまり後半部分です。
勝手が分からなかったので一つの小説を二つに分けてしまいました。スミマセン。
初めての方は「陽炎隊」の方から読み進めて頂ければ幸いです。
翌日。 リトの朝の目覚めはすこぶる良かった。
窓から見える外の天気もいいみたいだし、まるで羽でも生えたかのように軽やかにリトはベットから抜け出して身支度を始めた。
「おはよう。 リト。 おや、どうしたの? 今日は朝からいい顔してる」
ルティが合同洗面室でリトを見るなりそう言った。
リトはえへ、と笑って言った。
「弓と友達でいることにしたの」
その言葉を聞いて洗面室にいた女官達がざわめく。 ルティも驚いた顔をしていたがすぐ柔らかな笑顔になった。
「……そう! リト……。 良かった!」
そしてリトにルティは抱きついた。 急だったのでリトは椅子から転げ落ちそうになった。
「危ないよぉ、ルティ」
リトは口をとがらかせる。
「だって嬉しい。 何だか分からないけど嬉しいよ。 ありがと、リト」
ルティはリトをきつく抱きしめた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、リト、」
プルルが口を挟んだ。
「どうしてなの? 弓からイラクサの布渡されて縁切ってもいいって言われたんでしょ? 平気なの?」
「そうよそうよ。 孤児院で男達と毎日何やってるか分からないようなふしだら女と友達になんかなったらあなたの評価が下がるわ」
ランが言った。 リトはムッとしたが先に注意したのはルティだった。
「ラン。 そういう想像でものを言うは止めなさい」
厳しい言い方だ。 ランはぶうう、とふくれていた。 リトはルティに感謝した。 リトはそんなにはっきりと言える勇気は無かった。
「リトは弓と友達でいるって決めたのだから他の人がとやかく言うことじゃないよ。 そうだよね、リト?」
ルティが言った。 リトも昨日感じた事を口にした。
「イラクサの布は渡されたし、受け取ったけど、私はやっぱり弓と友達でいたいの。 縁を切りたくないって気づいたんだ」
はああ、と女官達が不思議そうにリトを見る。
「まぁ……リトは優しいからねぇ」
「リトの自由だから止めないけど……」
ユアやノイノイはそう言ってくれた。
リトは頷いた。
だがランはまだ納得がいかないらしい。
「騙されてるわ、リト。 あなたってお人好しだから絶対弓に言いくるめられてるわ。 きっと……そうよ、きっと弓は王子付教育係のラムール様にお近づきになろうとしているんだわ。 卑しい女ですもの、ラムール様や王子と仲良くなって玉の輿を狙ってるんだわ。 そうよ、そうに違いないわ。 絶対そのうちラムール様の髪結いを手伝わせてとか言ったり、プレゼント渡してって頼んだり、一緒にお茶に誘ってって言うはずだわ。 本当にいやらしいわ。 だからリトと一番の友達になろうとしているんだわ」
ラムール教育係。 十才の時に並み居る大人を退け、リトと同じ年の皇太子デイの教育係に任命された青年。
現在若干二十歳にて、容姿端麗、頭脳明晰、品行方正。 知に富み魔法・武術に長け、情け深い。 褒め言葉をすべて使っても足りないというような人物である。 お近づきになりたいと望む人間は星の数ほどいるとはいえ……ランの言葉にリトもルティも開いた口がふさがらなかった。
「それはランも同じに見えるわね」
そう言ったのはマーヴェだった。
「弓もランも自分の魅力だけじゃ足りないからあがくのね」
そう言ってフフと笑う。
ランは顔を真っ赤にする。
「失礼ね! 私はラムール様のことを思って言っているのよ? もっと弓がリトと仲良くなって教育係室に出入りするようになってごらんなさいよ、絶対良い噂は流れないわ。 あんな女を相手にするとなったらそれこそラムール様の評判はガタ落ちだわ」
「それはあるかもね。 でも……」
マーヴェは何か続けようとしたが止めたようだった。
「えっとさ、ラン、いい?」
ここでやっとリトは口を開いた。
「ラムール様のことなら心配ないと思う。 私、来週からでも専属の髪結い係を辞退させていただこうかと考えているから」
「ええええええ?」
女官が一斉にリトに詰め寄った。
「だって私なんかじゃお仕えするの力不足よ。 今までは好意で使って頂いたけど、もっとラムール様の髪結いの仕事はふさわしい方がなるべきじゃない?」
そして、そうすればランのように弓をよく思わない者も回避できるし何より女官達だけに限らず、商人や貴族など、リトを利用しようという者達とのつきあいはそろそろ嫌気がさしていたのだ。
仮にリトが髪結いでなくなっても、弓は絶対友達でいてくれるだろう。
ラムールのおかげでリトは四面楚歌の状況から救われた。 しかしだいぶん他の女官とも打ち解けた今、ラムールの影響だけで友達ができるのは嬉しくはなかった。 きっとラムールも理解してくれると思った。
リトは弓と友達でいたかったのだ。
「そう……、リトがそこまで言うなら私は何も言わないわ……」
ランはそう答えたが頭の中は”次の髪結い係に私はなれないかしら”という事で一杯だった。
「えらいよ、リト」
ルティが軽くつついた。 リトはちょっと恥ずかしそうに笑った。
そしてこうなるまではドキドキしていたが、実際そうなってみると、意外と平気なものだとリトは感じた。
「髪結いを止めたい?」
事務机で作業をしていたラムールは少し驚いた感じでリトを見た。
「はい」
リトはしっかりと返事をする。 ラムールの机の前に立っている。
覚悟は決めていたとはいえ、やはり告げるのは勇気がいった。
『使ってやったのに自分から止めたいとは何様のつもりですか!』
『教育係に反抗するというのですね。 どうなるか分かっているのですか』
『女官の分際でえらそうに』
『分かりました。 さっさと荷物をまとめて自分の村に帰りなさい。 ここにいたくないのならどうぞご自由に』
リトの頭の中でラムールが怒る姿が色々なパターンで浮かんでは消える。
さあ、どう返事がくるの?
リトはぎゅっと目をつぶって俯いた。
ラムールはそんなリトを面白そうにしばらく眺めていた。
「リトの意志ですね?」
ラムールは確かめるようにそう言った。 リトは頷く。
ラムールはふぅ、とため息をついて背もたれによりかかる。
「……ま、いいでしょう」
リトはラムールの顔を見ていなかったのでラムールがどんな感情を表しているのか分からなかった。
怒ってる?呆れてる?
リトは次に来る言葉を待った。 いや、このまま無視かもしれない。 そうしたらどうしようか。
「……あ、来た」
ラムールがぽつりと呟く。 いつもどおり程なくしてテノス国王子、デイが事務室に駆け込んできた。
「せんせー、りーちゃん、おっはよー」
バッターンと扉が開きデイが飛び込んでくる。
「あれ?」
デイは部屋の中に入ってきて動きを止めた。
リトがラムールの机の前に立って俯いており、ラムールは椅子に座って背もたれにもたれたままリトを見ていた。
「ああ、デイ。 おはよう」
ラムールが返事をする。
デイは二人を見比べていたが、急に何かに気づいたらしい。 慌ててラムールの机に駆け寄ると机に手をつき身を乗り出して言った。
「せんせ、りーちゃんは悪くないって。 俺が最初にやろうってもちかけたんだからさ」
は?
リトは俯いたまま?マークが頭の周りをまわった。
「だって何回も書くの面倒だったんだ。 俺なんかとくに回数多かったし」
は?
「俺一人じゃ告げ口されたら嫌だなって思ってりーちゃんにもやらせただけなんだから」
は?
「そりゃあずるはいけないって思ったけどさ、いや、思うけどさ、でもさ、いやいや、言い訳は良くないよな。 ね? せんせー、ばれてから謝っても遅いのは分かってるよ? でもリトは俺に誘われてずるしただけなんだから怒らないでやってよ」
……やっぱりラムールは怒っているのか?
「もう二度とコピー液で反省文の文字を写して楽しようなんて考えないからさ」
あ。
「王子、ち、違う!」
リトは慌てて頭を上げるとデイに向かって言った。
「へ?」とデイが間の抜けた顔でリトを見る。
「だって俺とりーちゃんが一緒にした悪さってその位だろ?」
あちゃあ、とリトは頭を抱えた。
「悪いことはできないものですね」
ラムールはくっくっと笑い出した。
「え? 違ったの?」
デイがしまったという顔でリトを見る。
リトは頷く。
「あちゃ」
デイが言うとラムールはあっはっはっ、と笑い出した。
「リト。 最後の仕事が決まりましたよ」
ラムールがにこやかに言う。
全然怒ってなんていないようだった。
「リトがいると楽しかったのに、残念。 では、反省文の書き直しをしましょうか」
ラムールはそう言って机の中からリトとデイが書いた反省文を出す。 そしてもう一枚紙を出す。
リトは頷いた。
デイはまだ訳が分かっていなかった。
「ではリト? 来週からはどこで朝の手伝いをする予定ですか? 望む場所があるなら紹介状を書いて手配してあげますよ」
「あ」
リトはすっかり忘れていた。
でもそこまで頼る訳にもいかなかった。
「じ、自分で何とかします……」
「おバカさん。 私から追い出されたと誤解を受けてもいいのですか? 特に希望がないのなら私が適当にみつくろいます」
「え? 何? せんせー、りーちゃん、髪結いやめちゃうの?」
デイがやっと気づいたようで慌てて尋ねる。
「辞めるなよぉ、りーちゃん。 りーちゃんがいると先生が人間くさく見えて、俺好きだったのに」
「人間臭い……ってデイ、あなたは私を何と……」
ラムールが脱力する。
「ほらね? 滅多にないんだって、せんせーが色んな表情するの」
デイが力説する。
「辞めるなよー、りーちゃん」
リトにとってはラムールの言葉もデイの言葉もとても嬉しいものだった。 このまま髪結いでもいいかななどとも思ってしまう。
「およしなさい。 デイ。 リトも色々と大変なのですよ。 別に髪結いを辞めたからといってこの部屋に出入りできなくなる訳でもありませんし、手伝いをしてもらえなくなる訳でもないのですから。 今と同じようにいつでも来ていいのですから。 ふむ、そうですね。 まだリトは若いのですから色々な手伝いをして見聞を広めたほうがいいでしょうね。 よし、理由はそれでいきましょう」
ラムールはデイをいさめながら考えをまとめたようだった。
リトとしても嬉しい言葉だった。 今後どのようにラムールたちとつきあっていけばいいのか、自分からは尋ねきれなかったからだ。
本当に優しい方だとリトは思った。
そして、しっかりと反省文は2割り増しで書きなおさせられた。
それでもリトは、嬉しかった。