別離
暗い森の中。道ですらない道を私は草をかき分けて歩いていく。ホウホウと梟は相変わらず響き渡り風で木々が揺れる音は恐怖をあおる。パチパチと松明は燃え続けて少しだけ前を照らしているけれどいつまで持つか分からなかった。
さぁっと抜ける冷たい風に私は微かに身体を震わせる。
「……どこなんだよ。一体」
見つからない苛立ちと焦燥感。そして恐怖を取り払う様に私は思わず声に出していた。相変わらず暗い世界。その中で動くものは――見当たらない。それはどこかほっとしたような残念なような複雑な思いだった。
しかし――。
一歩。また一歩。足を進めていく。その先で何かの気配に私は息を飲んでいた。パキッと地面に落ちた小枝を踏む音は明らかに私ではない。
「あ、アザレア?」
訝し気に問うが返答はないようだ。私はじりじりと後ろに後退しながら逃げ道を考える。変に背中を向けない方がいい。そしていきなり動いてはダメだ。それは経験上知っていた。暗闇で何の動物かは分からないけれど。
「……」
どうするか。前を見据えて松明を地面に置いた。その後で一本しかない弓矢を両手で握りしめる。いつだって打てるように。
これでも結構命中率はいい方だ。外しはしない。
「来いよ。一発で仕留めて――」
って思っていたのだけれど、出てきたのは小さな身体。見覚えのある少年に私は思わず絶句する。
探していた少年だ。会いたくないわけ無かったが――驚きすぎて言葉にならなかった。
「マリア?」
不思議そうに首を傾げる。
「……アザレア?」
「うん? 何してるの? 夜の森は危ないよ?」
にっこりと微笑んでからパタパタと駆け寄って来る。大体はこの少年の為なんだけれど、私の苦労なんて知ったことではなさそうだった。
そして、その笑顔で『無事ならいいか』とすべて許してしまう私がいる。先ほどまで『怒る』とか『殴る』と心に決めていたんだけれど、そんな自分がとてもおかしかった。
なんだか緊張が解けてへたり込んでしまう。
「無事?」
心配そうに覗き込むアザレアに私は笑いかけた。しかし私の傷に気付いたアザレアはすこし泣きそうな顔で私を見た。
多分。滲む血が嫌なのだろうと思う。
「――怪我してる?」
言われて私は腕を隠すように背に回しゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫。かすり傷だから。そんな事より戻り方分かる? 私では分かんなくて」
ここがどこかすら分からない。結構歩いた気もするんだけど。
見回しながら問うとアザレアは困ったように眉尻を下げて見せる。すこし考える様な動作をした後でようやく口を開いて見せた。
やはり、分からないのだろうか。そう思ったけれど。
「う、ん。でも……あのね――」
何かを言いかけたのだが。突然私たちの間に声か割って入った。同時にざっと闇に浮かぶような白いローブを纏った人間が数人で私達を囲う。
「――なっ?」
何だ。一体どこにいたんだろうか。何も。気配すら感じなかった幽霊のような人間たち。白いローブを着ているのでそれらしくは見えるけれど向かって歩いて来る男の影はあったので存在はしているのだろう。
ではなくて。
何者だろう。
「そこまでですな。我が主よ。お遊びは終わるがよろしい」
ばさりと頭から被っていたフードを採るとそこには厳つめの中年男性のようだった。歩くたびに軽い金属音がしているので腰に剣でも仕込んであるのだろうか。
「……は?」
男は私を一瞥してからアザレアを見る。そのアザレアは恨めしそうな顔で男を見つめていた。
「白い髪の巫女。――複製を作るとは。エリカレス様がお嘆きになります」
何だろう。馬鹿にされている気がする。と言うか『エリカレス』って誰だろう。その問いに誰も答えることは無く代わりに小さな手が私の掌を握りしめる。
「僕が望んだわけじゃない」
「いえ――すべてがそのように決まっているのです。貴方が決めることではございません。さぁ。帰られませ。本体に」
「嫌だと言ったら?」
「失礼ながら。その身体では姿を保っているのが精いっぱいの様に思えます。それで我らに勝てるとでも? そして――巫女の複製も簡単に我が手中に収められますが?」
嫌だ。そう言う様にぎりっと私の手をアザレアは強く握り、口を真一文字に結んでからゆっくりと言葉を紡ぐ。
まるで『アザレア』ではないみたいにその目線は冷たかった。
「愚かな。――この世界が『我』ありきだとしたらもう滅べばよかろうに。……貴様らはまだ『我』に頼るか」
――えっと。誰?
もはや私は口を開けられない。そんな雰囲気でもなかった。訳が分からなくて目をぱちぱちしているうちに男が艶やかに笑う。なんかその表現も男性にしてみたら失礼とは思うけれどそう見えてしまったので仕方ない。
「恥ではありません。死す道より生きる道を選ぶのは至極当然な事……何ならその『複製』もともに連れて行きましょうか?」
暫く。重苦しい沈黙が続いた。逃げ出したい。そう思ったけれど逃げ出すわけにもいかず、私は顔を顰めたままちらりとアザレアを見る。
見下ろせば強張った顔。幼い手はなぜか急速にその熱を失っていくように思えた。
「――分かった」
ため息一つ。諦めた様に発せられた言葉。けれど、その言葉は一体どういう意味なのだろう。話の流れも何もかもまったく理解できない。いや――言葉の意味。理解を拒否していた。
「いい選択です」
ぱっと離れる手に不安がよぎる。
「アザレア?」
アザレアは少し困った顔で私に向き直った。その目は少し泣いている様にも見える。その表情は私が知っているアザレアだった。
「――マリア。ごめんなさい。街に行きたいなんて言って。一緒に逃げれるかとも思ったんだ」
「え?」
何からと考えて愚問だと気づいた。おそらくローブのおかしな集団の事だろう。と言うか知っていたのだろうか。ここに来ることを。
「あのね。逃げられるはずもないし。マリアが承諾するわけも無いと分かっていたんだけど……ごめんなさい――森に一人で来て。本当は追いかけてくれたんだよね?」
「あ、うん。――いや、じゃ無くて。こいつらは……?」
私が問いかけると『早くなされませ』と声がする。一瞬くびり殺してやろうかとも思ったがアザレアはそれに従う様に私から離れた。
ドクン。心臓が鳴る。
嫌な予感に顔が強張る。
待って。ちょっと。まって――。
「マリア。ごめんなさい。行かないと」
悲し気な笑顔。それが何を示しているのかもう私は認めざるを得なかった。泣いているのか笑っているのかよく分からない表情をしているのだと思う。
「ちょ。なに? 突然過ぎて分からないよ! アザレア。どう言う事? 説明して? 待って」
ざっと一歩を踏み出せばローブの男が私の前に立ちはだかった。思ったよりも厳つい。その男を私は『退け』と言う様に精一杯睨み付ける。
男の背でアザレアの小さにな姿は隠れてしまうのだ。
「退いて」
ギリッと奥歯をかみしめ、私は男を見上げていた。
「複製の娘よ。死を逃れた哀れな娘」
何の――。
「やめろ!」
声をかき消す様に叫んだのは甲高いアザレアの声だった。その声に男は眉を上げて振り返り『仕方がない』と言いたげに肩を竦めて見せた。
くるりと振り返れば少しだけ口許を歪める。その広い目に私の姿を映して。
「御意に。ならば娘。拾った命。自由に生きよ。我が主の願いのまま」
「何――を?」
放たれたのは何だったのか。白い閃光と共に私の意識はそこでとだえた。