逃げ道
ごちそうさま。そう言い放ってから私は空になった器を片付ける。後ろでぷくぅと膨れる少年の顔を見ないようにして。
「じゃいいもん。今から行くから。僕一人で行くから」
「は?」
どうして今日に限って『ききわけ』のないことを言っているのだろうか。いつもはもっとこっちの想いを汲んでくれるのだけど。まるで歳相応みたいだ――って。それでいいのか。いつもがおかしいだけで。
「ちょっ――」
『今』という言葉を聞いて振り向いてみればアザレアはもういなかった。ぎいっと軋む音を立てて立て付けの悪い扉が揺れている。
ちらりと除く外は闇。ホウホウと梟の鳴く声が響いていた。
嫌な予感がして私は顔を顰める。夜の森は危険ってアザレアは知っているのに。現に私は一度『何か』に襲われて足に重症を負った。それは今でも残っているし、肉を少し抉られた為その部分だけ凹んでいる。
ともかく。
「アザレア?」
小屋の前に居るのだろうか。私は扉を開けて外を見ればどこにも『金』は浮いていない。暗い闇が広がるばかりだった。
おまけに新月で辺りを照らすものなんて何もない。
「なに? 本気――」
這うような不安に私は口許を真一文字に結んだ。とにかくまだ遠くには行っていない筈だ。右手に松明。左手に弓。背中には矢を装備して私は小屋を後にする。
途中、木々に矢を目印代わりに差し込みながら。
「アザレア! どこなんだ?」
声を張りあげるが返事はない。
「アザレア――」
方向が違うのだろうか。いや、真っ暗でもはやどの方向を目指しているのかよく分からなかった。
「どこ――って」
道の無い道。私の足に、手に草木が細かい傷を付けていく。結構深く切りつけたりもしたらしい。腕に滑りと嫌な感覚が伝って私は小さく顔を顰めて見せた。
湧き上がってくるのは痛いと言う感情よりも怒り。どうしてこんな夜に出歩いて危ない目に会おうとするのだろうか。いや、本人は何も考えていないのかもしれない。子供の『癇癪』の様に。まぁ、子供なんだけど――。
今までが物分かり良すぎたのか、私が大人になってしまったのか。
ため息一つ。松明で傷を照らすとぼたぼたと血が地面に落ちていく。私はアザレアお手製のスカートの裾を切ると、それを腕に巻き付けた。
手際がいいのは普段から傷が絶えなくて慣れてしまっているのもある。それに。アザレアは『血』が苦手で見ると倒れそうになってしまうのだ。どこかの深淵の姫かと思うけど、そうなので仕方ない。
なので手際が良くならざるを得なかった。
前述したように私が深い傷を負った時にはなんだかよく分からない修羅場が訪れていた。今でも思うけど、良く生きていたなと感心する。
そんなことより。
ため息一つ。私はちらりと手に持っていた矢に目を向けた。
あと一本。
これ以降は絶対に迷うし、『敵』が出たら戦えない。
「戻る?」
思わず自分自身に尋ねてしまう。当然誰も答えはしないのだけれど。でも。私はぐっと拳を握りしめていた。
アザレアに何かあっては困る――。幼い私は誰も救う事が出来なかった。父も母も。ただ泣いて『死』を待つばかりだった。けれど、そんなのは嫌だ。救う事は出来なくても、後悔なんてしたくないから。
たとえそのことが原因で死を迎えることになったとしても。
はっと息を短く吐いて顔を上げる。
「ぜったい、殴る」
呟いて一歩を踏み出していた。