09:仲直り
『……ん? あれ、ここは……?』
目覚めた視界に映ったのは木で造られた天井だった。
銀髪の少女エルヴィは、身を起こすと周囲を見回す。
『ラスティス?』
自らの契約者である青年の名を呼ぶが、応えは返って来なかった。
その事実に、不安と恐怖が悪寒として背筋を昇ってくるのを感じる。
慌てて部屋の中を見渡す。
昨晩も泊まった見覚えのある宿の部屋だが、ラスティスの持っていた荷物などは何処にもない。
まるで、彼女だけをそこに置いて旅立ってしまったかのような、そんな有様だ。
彼女に残った最後の記憶では、喧嘩別れのような形で彼の下から走り去った筈だった。
もしやそのまま見捨てられてしまったのでは……そんな嫌な予想と共に、自らの短気に対する猛烈な後悔が襲い掛かってくる。
『いや、まて!
そんな筈はない!』
募る不安ほ振り払うように、エルヴィは誰に言い聞かせているのかも分からぬ独り言を放つ。
しかし、それは根拠が無いわけではない。
『我が此処に居る以上、本体はそう遠い場所には行っていない筈だ』
エルヴィはパイルバンカー・エルヴィアリオンの精神が具現化した存在であるため、本体であるパイルバンカーからあまり離れて行動は出来ない。
実際、それを忘れて走り去ろうとした結果、見えない壁に激突して意識を失ったのだ。
それを考えれば、彼女が此処に居るのだから、パイルバンカー本体も近くにある筈。
そして、パイルバンカーを外すことが出来なくなっているラスティスもその場に居るのは間違いない。
『本体は……あっちか!』
落ち着いて気配を探れば、本体が何処にあるかは察知出来る。
何しろ、彼女自身であるのだから見失う筈もない。
先程までは気が動転していたため、そんな簡単なことも忘れてしまっていた。
その事実に羞恥で顔を赤く染めながらも、エルヴィは本体のある方向──ラスティスが居る方へと駆けた。
気配によると、どうやら彼は宿の裏手に居るようだ。
階段を降りる時間も惜しんだエルヴィは、二階の部屋の窓から外に飛び出そうとして、その直前で唐突に動きを止めた。
洗濯場所にもなっているそこは、狭いが広場のようになっている。
窓から外に身を乗り出した彼女の視界には、その広場で一心不乱に剣を振るうラスティスの姿があった。
どうやら、新たに手に入れた剣を使って鍛錬をしているらしい。
その姿を見て、忘れていた怒りがぶり返してくる。
我は捨てられたかと思って不安で泣きそうだったのに、浮気相手とデートとは良い身分だな……という少々理不尽な思いが込み上げてきたのだ。
怒鳴りこんでやろうかと思って再び窓の外を見たエルヴィだったが、ふと違和感を覚えて動きを止めた。
違和感の元は剣を振るうラスティスの姿だ。
普通に振っているように見えるが……何処か不自然に思える。
そう思って暫く眺めていた彼女は、漸くその原因に気付いた。ラスティスは左手で剣を振っていたのだ。
まだ付き合いは短いが、これまで行動を共にしていた彼の様子から察するに、ラスティスの利き腕は右だ。にも拘らず、左手で剣を振っていたため違和感を覚えたのだ。
『何故左手で……』
呟きながらも、瞬時に答えに行き着いた彼女は、再び重たい罪悪感に身を支配される。
何故も何もラスティス自身が言っていたではないか、「重い」「嵩張る」と。
今、彼の利き腕である右腕には重くて嵩張るパイルバンカーが装着されている。
日常生活でフォークを握る程度なら兎も角、そんな右手で剣を振るうことなど出来る筈がない。
要するに、彼女は……エルヴィアリオンは魔法だけでなく利き腕まで彼から奪ったということだ。
無論、そのことはラスティスも承知の上で、慣れない左手で剣を扱っているのだろう。
利き腕以外で利き腕と同じように扱えるようになるまでは、文字通り血の滲むような鍛錬が必要となるに違いない。
恐らくは昼の時点でそんな覚悟を決めて剣を購入したであろう彼に、自分は何を言ったのか。そう考えた時、エルヴィは血の気が引く思いを味わった。
──我はぬしに他の武器を使ってほしくない!
他の武器を使わざるを得ないのは、エルヴィアリオンの使い勝手が悪いせいだ。ラスティスのせいじゃない。
──金で得られた物に容易く居場所を取って代わられるのは我慢がならない!
容易くなんかない、目の前の光景を見れば分かる。血反吐を吐く覚悟でラスティスはその選択肢を採ったんだ。
涙で視界が滲むのを自覚しながら、堪らなくなってエルヴィは窓から外へと飛び出した。
二階だが、その気になれば飛ぶことの出来る彼女にとって高さは脅威にはなり得ない。
地面に着地すると、その音に気付いたラスティスは剣を振るうのを止めて、そちらを振り返った。
「エルヴィ? どうしたんだ、窓から飛び降りたりして……?
というか、目が覚めたんだな。
転んだ時の怪我は大丈夫か?」
喧嘩別れ寸前だった自分にそんな気遣いを向けてくるラスティスに、エルヴィはまともに彼の顔を見ることが出来なかった。
元より、涙でみっともないことになっているであろう今の顔を見られるわけにもいかない。
彼女は俯いたまま答えた。
『うむ。迷惑を掛けてすまなかった。
おかげで頭も大分冷えた』
すべきことは謝罪かとも思ったエルヴィだが、すぐにそれを頭から振り払う。
昨晩謝罪した時、ラスティスはどちらかというと困った様子を見せていた。
ここで改めて謝罪したところで、エルヴィの自己満足以上のものにはならないだろう。
『それで、ぬしは剣の鍛錬をしていたのか?
目覚めた時に近くに居ないから焦ったぞ』
「ああ、剣を買ったのは良いんだが、右手にはパイルバンカーがあるからな。
左手で剣を使えるようにならないとと思って、鍛錬をしていたところだ」
『そうか』
パイルバンカーのせいで右手が使えないことを責めるでもなく、彼は淡々と事実を述べる。
エルヴィは胸から込み上げる様々な思いを堪えながら、ただ一言返すのがやっとだった。
『それで、その……だな』
「?」
エルヴィはおずおずと切り出し難そうに話し始めた。
その様子に、ラスティスは首を傾げながらも静かに黙って続きを待つ。
『さっきも言った通り、大分頭も冷えた。
先程はついカッとなって言い過ぎてしまったが、他の武器が必要だというぬしの言い分も理解出来る。
だから、その……剣を使っても』
「いいのか?」
『あ、あくまで我がメインだぞ!
それはサブだ!
そこだけは絶対に譲れん!
ただまぁ、サブとしてなら……認めないこともない』
まるで怒っているかのように腰に手を当ててそっぽを向きながら話すエルヴィだが、実際には照れくさいのを堪えるので精一杯という有様だった。
「そうか、ありがとう」
『別に、礼を言われるようなことじゃないだろう』
何処までも人の良い契約者に若干呆れの気持ちを抱きながらも、喧嘩別れしなくて済んだことにエルヴィは密かに胸を撫で下ろした。
♂ ♂ ♂
『良いか? あくまでラスティスの一番は我だからな。
そこのところを念頭に置いておくのだぞ?』
「………………」
『ぬしの役割はあくまで雑魚の露払いだ。
見せ場は先輩である我に譲ることを忘れないようにな』
「………………」
『まぁ、ぬしが自分の立場をきちんと弁えるのなら、
ラスティスの傍に居ることを許してやらんでもない』
「………………」
銀髪の少女が腕を組みながら言い聞かせるように語るが、話し掛けられた相手は一言も返そうとはしない。
それも当然だろう。
彼女が話し掛けているのは、一振りの剣なのだから。
「いや、エルヴィ?
その剣は意思も持たないただの剣だから……そんなことを話し掛けても意味無いと思うぞ」
『そ、そんなことは分かってる!
ただ、上下関係はきちんとしておかないとと思っただけだ!』
実際には剣に話し掛ける振りをして彼に釘を刺したかっただけなのだが、その思いは今一つ通じていないようだった。
 




