16:葛藤
「………………」
宿の裏手の広場で、ラスティスは無言で剣を振っていた。
勿論、左手でだ。
以前と比べればその剣閃はかなり鋭くなっている。
利き腕である右手で振った時には流石に及ばないものの、近い水準まで到達しているのではないかと窺わせる。
おそらくは、先日の森での一件で散々左手を用いて戦ったおかげなのだろう。災い転じて福となすとはこのことだろうか。
しかし、だからといってこの状態で今街を襲っている大量の魔物の群れと戦えるかと言えば、それも難しいと言わざるを得ない。
やはり、身体強化魔法が使えないというデメリットは大きいのだ。
「………………」
無言で剣を振り続ける彼の脳裏に蘇るのは、先程の部屋でのエルヴィとの会話だ、
彼の英雄になりたいという思いを理解しつつ、それでも戦いに参加して死んでほしくないと懇願する少女の真摯な言葉は、ラスティスの胸に深く突き刺さっていた。
これまでであれば論じる余地も無く戦う選択肢を選んでいたであろう彼が、思わず答えを保留する程度には。
結局、考えさせてくれという言葉と共に剣を持って裏手へと足を運んだ彼を、気を遣ったのかエルヴィは部屋に残ったまま無言で見送った。
「………………」
実のところ、魔物の群れを相手にするのに当たって、ラスティスには一つの方策があった。
それは、エルヴィ──破神の刺突槍エルヴィアリオンとの契約を解除することだ。
そうすれば、魔力の大半を使用しているパイルバンカーがなくなり、彼は魔法が使えるようになる。
勿論それだけで確実に魔物の群れを撃退出来ると決まったわけではないが、身体強化魔法が使えるようになれば確率はかなり上昇する。
しかし、それで相手に出来るのはあくまで魔物の群れだけ。ボスはそうはいかないだろう。
エルヴィから教えられた、一体で国や街を滅ぼせる程の力を持った高位の魔物。仮に身体強化魔法があったとしてもそんなものを倒す自信は無かった。
尋常でない敵には、尋常でない手段でないと対抗出来ない。
彼が今想定出来る範囲では、そんな手段は右手に装着しているパイルバンカーくらいしか存在しない。
契約を解除すれば、魔物の群れには対抗出来る可能性があるが、ボスには勝てない。
契約を解除しなければ、ボスに対抗出来る攻撃が可能だが、魔物の群れに対処出来ない。
あちらを立てればこちらが立たず。八方塞がりだった。
いや、そもそも契約を解除するというのはエルヴィに対する裏切りに等しい。
以前その話が出た時に、自ら提案したにも関わらず、解除しないと告げたら涙を流して安堵した少女。
そんな彼女に、魔物の群れに対抗するために契約を解除するなどということを、自分は言えるだろうか。
グルグルと纏まらない思考を続けながらも、剣を振り続ける手は止まらない。
そんな彼に、横合いから声が掛けられた。
「ラスティスさん!」
「こんなところにいらっしゃったんですね」
「フィオニー、エリザ……」
そこに居たのは、フィオニーとエリザの二人だった。
以前、依頼で同行した時と同じように、フィオニーは皮鎧と剣を、エリザはローブと杖で武装している。
「この前の依頼の時以来だな、二人とも。
無事なようで安心したよ」
「それはこっちの台詞ですよ」
「ラスティスさん、身体は大丈夫ですか?」
苦笑しながら、そのことを思い出す。
依頼の時に大きく負傷したのはむしろラスティスの方で、心配されるべきなのは彼自身だ。
「ああ、そう言えば二人には情けないところを見せてしまったんだったな。
今はもう大丈夫だ」
「よかった……」
「安心しました」
無事なことを告げると、ホッと胸を撫で下ろすフィオニーとエリザ。
そんな二人の様子に、ラスティスは思わず首を傾げた。
真実を知った筈の彼女達の態度が、以前と変わらなかったためだ。
少し躊躇するが、それを聞かずには居られなかった。
「二人とも、エルヴィから話は聞いたんだろう?」
「あ……」
「それは……」
彼が何を言いたいか察したのだろう、フィオニーもエリザも顔を曇らせて言葉を濁した。
「取り繕って誤魔化してたけど、俺はそんな凄い奴じゃないんだ。
英雄みたいに思って貰う資格なんて、俺にはない。
失望されて当然だ」
別に騙すつもりがあったわけではないが、凄い凄いと称賛されて嬉しく思い、敢えて真実を告げなかったことは事実だ。
よくも騙したな、と罵られても文句は言えないと彼は思っている。
しかし、彼の言葉を聞いた二人の少女は、途端にその表情を変えて声を上げた。
「失望なんてしてません!
たとえ英雄みたいな力を持ってなくても、ラスティスさんが私達を助けてくれた人であることには変わりはありません!」
「戦えるかも怪しい状態だったのに、危険を顧みず私達を助けてくれたのですよね?
そんなこと、伝説に出てくるような英雄だって出来ないと思います。
少なくとも私達にとっては……ラスティスさんは英雄です」
必死にその思いの丈を告げようと言葉を紡ぐ二人の少女に、ラスティスはそっと目を閉じて上を向く。
涙を見せないようにして、そしてただ一言だけ呟いた。
「そうか、ありがとう」
その言葉には万感の思いが込められていた。
♂ ♂ ♂
「ところで、武装しているってことは、二人とも街の防衛に参加するつもりなのか?」
話が一段落したところで、ラスティスはフィオニーやエリザに気に掛かっていたことを尋ねた。
彼女達も冒険者である以上、ギルドからの通達は届いている筈だ。
「はい、この街に所属している冒険者としては放っておけないですから」
「二人で話して、参戦しようって決めました」
「そうか……」
二人の回答を聞いて、ラスティスは再び悩み出した。
彼女達のような少女まで戦いに赴くのに、自分はこのままで良いのかという自問だ。
しかし、そんな彼の悩みを知ってか知らずか、フィオニーとエリザは彼の思いとは真逆の言葉を告げてきた。
「……だから、ラスティスさんは休んでいてください」
「ええ、私達がちゃっちゃっと片付けてきますから!」
「え?」
「大丈夫、私達だってこの街では結構名の知れた冒険者なんですから!」
「ラスティスさんが出るまでもなく、全て倒してみせます」
エルヴィから事情を聞いた二人は、今回の襲撃者がラスティスにとって鬼門であることも分かっている。
大群の敵というのがパイルバンカーの特性上最も厄介なのは、言うまでもない。
そして同時に、短い付き合いながら、彼がそれを顧みずに戦いに身を投じかねない性格であることも。
だから二人は、放っておけば戦いに赴くであろう彼を引き留めるためにわざわざ訪ねてきたのだ。
「いや、俺も──!」
ラスティスの放とうとした言葉は、途中で途切れた。
エリザが一歩前に踏み出して、彼の口を塞いだからだ。
大人しそうな外見の彼女には似付かぬ情熱的な行動に、ラスティスは思わず目を白黒させる。
暫くして唇が離れると、顔を赤くした彼女は一歩下がって硬直している彼に告げた。
「一応、これでも初めてです。
もし私が無事に帰って来られたら、答えを聞かせてください」
「あ、エリザずるい!」
エリザの行動に触発されたのか、フィオニーも同じように前に進み出るとラスティスの頭を抱え込むようにして唇を合わせた。
未だ現実に戻って来れていない彼は、為す術も無くそれを受け入れる。
エリザよりも長い間続いた口付けが終わると、唾液の橋が二人の唇の間に架けられ、そして途切れる。
「答えは、二人同時でもいいですよ?」
エリザと同じように顔を赤らめながらも、フィオニーは悪戯っぽくそう告げた。
そうして、呆然と立ち尽くした青年を置き去りにして、彼女達は駆け出した。
「それじゃ、征ってきます!」
「……さようなら」
相手は先日の一件を遥かに凌ぐ大群だ。
戦場に出ればまず生きて帰ることは出来ない……それは二人も分かっている。
それでも、想いを抱いた人を守るため、二人は戦場へと向かう。
一言の別れと共に。




