15:魔物の群れ
≪ほう……人間だと?≫
自身が統率する魔物達からの声ならぬ報告を聞きながら、ソレは愉しそうに嗤った。
新たな棲家を探すために先遣として放った者達が、森で人間達と遭遇し戦闘になったのだ。
かなりの数が殺されたようだが、それ自体は別に気に留めることでもなかった。
有象無象が何匹死のうと、別にどうでも良い。
それよりも、人間の存在の方が気に掛かった。
ソレの知る限り人間というのは森に住むことはあまり好まなかった筈だ。
拓けた場所に集落を作って住む生き物が何故森に居たのか……。
≪なるほど、近くに街があるようだな≫
偶々遠出をした時に遭遇したという可能性も皆無ではないが、それよりはその森の近くに人間の住む街があると言う方があり得そうだ。
ソレはその場所に人間が居た理由をそう結論付け、舌なめずりをする。
人間など久しく食べていないが、味は上々だったと記憶している。
≪ゴハハハ、ならば丁度良い。
獣を喰らうのも飽きてきたところだ。
次はそこに向かうこととしよう≫
餌は多ければ多い程良い。
街があるのなら、多くの人間が居るだろう。
寝床に使えそうな森も近くに存在し、好条件だ。
黒い巨体を揺すりながら、ソレは歩き始める。
それと共に、周囲に集っていた大量の魔物達もまた、ソレと同じ方向へと足を向けた。
≪蹂躙せよ≫
道を阻むあらゆるものを呑み込みながら、黒い波が進軍する。
雲霞のごとく押し寄せる災厄が街を襲うまで、あと僅か──。
♂ ♂ ♂
「……なんだ?」
最初に気付いたのは、街の正門を守る衛兵だった。
いつも通りの光景の中、黒い点が幾つか浮かぶのが見え、彼は暫くの間不思議そうにそれを眺めていた。
「……あ……あぁ……」
点が数を増して波になった時、彼は絶望のあまり尻餅を突く。
暫く呆然としていたが、やがて泡を喰って立ち上がると慌てて門の中へと駆け込み叫んだ。
「門を閉じろ! 早く!」
突然の叫びに驚いた彼の同僚が疑問の声を上げる。
「どうした、何事だ!?」
「魔物だ! 凄まじい数の魔物が襲ってくる!」
何のことか分からず門の外を見た彼の目に飛び込んできたのは、夥しい程の雑多な魔物の群れだった。
「う、うおおおおぉぉぉぉッ!?」
「分かっただろ! 急げ!」
「あ、ああ!」
身体の奥底から湧き上がる絶望と恐怖に叫び声を上げた男は、慌てて門を閉めに走った。
汗で滑る手で必死に門を閉めて一抱えもある閂を通したのと、先頭の魔物が門に激突したのは、ほぼ同時だった。
ゴォンという凄まじい轟音と共に、門に大きな振動が走る。
門には軋みが走ったが、開くことはなかった。
「ホッ、危ないところだったな」
「いや、まだ油断は出来ないぞ……」
突進を受けても防ぎきった門だが、二度三度と衝撃が走ると少しずつ歪んでいく。
それを見て、一度は安心した同僚の表情が引き攣る。
最初に魔物の群れを発見した衛兵は、門を両手で押さえながら彼に向かって叫んだ。
勿論、彼一人で押さえたところで大した効果はないのだが、無いよりはマシだろう。
可能な限り門を破られるまでの時間を稼ぎ、外の魔物の群れに対する対処を行わなければならない。
「衛兵を集めろ! 冒険者ギルドにも伝えるんだ!」
「分かった!」
彼の言葉を受けて、同僚は弾かれるようにして街の中へと危急を報せに走った。
♂ ♂ ♂
冒険者ギルドから街に滞在する各冒険者に通達が行われ、街の防衛のために協力するようにとの指示が出た。
緊急ということで実力は不問で、上から下まで全ての冒険者に声が掛けられている。
とはいえ、基本的に冒険者というのは任意で依頼を受けるだけの自由の存在だ。
その通達には強制力はなく、あくまで呼び掛け以上のものではない。
しかし、既に街を囲まれている以上は逃げることも出来ないため、大半の冒険者はこの依頼に乗り気のようだ。
緊急事態のため報酬が高いということもその一因だったりするが。
命あっての物種というのは冒険者に共通の理念だが、どうせ逃げられないなら一獲千金のチャンスを狙ってみるのも悪くない──そう考える者は多い。
「魔物の群れ、か」
『やはりか』
「やはり? 何か知っているのか?」
宿の部屋で通達を伝え聞いたラスティスは、エルヴィの呟きを聞き咎めて尋ねる。
『この前、森で魔物の群れと戦っただろう。
様々な種類の魔物によって構成された、通常ではあり得ない群れだ』
「ああ、勿論忘れてなんかいないさ」
先日の一件を思い出しながら、ラスティスは答える。
確かにあの時、本来は群れを作らない様々な種類の魔物が群れを作っていた。
エルヴィはその様子を見て何かを察した様子だったが、その時は状況が状況だけに後回しにしてしまった。
『異なる種類の魔物が群れを作ることはない。
ただ、高位の魔物がボスとなって統率する場合だけは例外だ』
「高位の魔物?」
その言葉に、ラスティスは首を傾げる。
しかし、無理もないだろう。
そういった者達は人間の間ではあまり知られていないためだ。
その理由として、高位の魔物は個体数が少なく、また一定の縄張りから動くことがあまりないことが挙げられる。
尤も、今回のように例外というのは往々にして存在するが。
『ああ、人語を解する程の知能を持ち、一体で国や街を滅ぼせる程の力を持つ魔物だ』
エルヴィ曰く、昔はそのような魔物がゴロゴロと存在しており、人間にとっての脅威となっていたらしい。
彼女がそれを知るのは、そう言った高位の魔物を退治するのは主に伝説の武具を持った英雄達くらいで、そのパートナーである武具達に話を聞いたからだ。
「そんな奴が……つまり、今街を襲っている群れにはそいつが居るのか」
『そうとしか考えられん』
それを聞き、ラスティスは部屋の窓から見える正門の方向を眺めた。
勿論門と塀に阻まれ見えないが、その向こうには夥しい数の魔物が押し寄せている筈だ。
その中に居るであろうボスの姿を想像しながら、彼はギュッと唇を噛んだ。
エルヴィの言葉が正しいとすれば──ラスティスは既に正しいものと思っているが──街を守るためには大量の魔物の群れだけではなく、一体で国や街を滅ぼせる程の力を持つボスを倒すなり追い払うなりしなければいけない。
前者の魔物の群れだけでも、街の衛兵や冒険者が一丸となって勝てるかどうか怪しい状態なのに、その上にボスまで居るとなると最早戦力差は絶望的だ。
『それで、ラスティス。
ギルドからの依頼についてはどうするのだ?』
「どうするって、それは勿論……」
参加するに決まってる、と続けようとした彼の言葉は睨むように自身を見詰める少女の様子を見て途切れる。
『分かっている筈だ。
相手が悪い。
今のぬしは大量の魔物の群れを相手に戦える状態ではない』
「それは……」
エルヴィの言葉は正鵠を射ていた。
街を囲んでいる魔物の群れがどれだけの数が居るのかは二人には分からないが、少なくとも先日の森で遭遇した群れよりも遥かに多いことは確実だろう。
あの時でさえ最後まで戦い抜けなかったラスティスが参戦すれば、今度こそ命が無いだろう。
『英雄を目指すぬしがこの状況でジッとしていられないのは分かる。
それでも……信念を曲げてほしい。
我はぬしに死んでほしくない。この通りだ』
「エルヴィ……」
真っ直ぐに告げられた言葉に、ラスティスは思わずたじろいだ。
飾り立てのない、ただただ彼の身を案じるためだけの言葉は、ストンと彼の胸に落ちる。
「少し……考えさせてくれ」
『ああ、あまり時間はないが……安易に答えを出すべきではないだろう。
門も頑丈だし、すぐに崩れたりはしない筈だ』
 




